寝起き閃シリーズ。久遠の絆、繋ぐ絆は音に込め、音とは声、声とは振動、周波数は量子を越えて…Q(旧)は自由(十)へと解放の道を的ななんかすげーの降りてきたお話
久遠(くおん)とは?
久遠(くおん)とは。仏語。長く久しいこと。遠い過去または未来。ある事柄がいつまでも続くこと。永遠。「久遠の理想」
九音=救の音?
仏教では音とは世間の声
観音とは人々の想いを内面で感じる事
救世観世音
救世観世音菩薩は、一般に救世観音と称されるが、平安時代の法華経信仰から広まった名称で、この名称は経典には説かれておらず、観音としては正統的な尊像ではないとされる。 救世は「人々を世の苦しみから救うこと」であり、救世だけで観音の別名ともされる
個人的に上記の観音の意味を考えると
世を救うために内面世界に世の中を反映し、世間に生きる人の声を聞いてあらゆる角度からシミュレーションする って事と解釈(※理由は後述)
クォンタム(量子)
クォンタムとは、前にも触れてるけど、量子の事
この目に見えない領域で起きてるミクロな事象が大きなマクロな世界に影響を与える考え方からこれにも気づいた
で、自分的にこの久遠・救音・クォンタムという同音異義語で頭にこれや!(;゚Д゚) Σ(゚Д゚) と閃きで完成したのがこんな感じ
遥かなる想いは時を超えて紡がれる
十があらゆる全てを意味している
九はあと一歩 届かない事
その届かない想いは声という心を振動させる音のカタチとなり、久遠の時を越えて言霊として紡がれていく。そして、その想いの振動は量子に影響を与える
なるほどね〜(´ー`*)ウンウン
あれ?って事は、今ちまたで起きてるQ騒動ってのは
あと一歩及ばない可能性がある
あと一歩及ばないとは、状況が好転しないという事ではなく、闇→光、悪から善へと切り替わる陰陽(流転)は変わらないが、変わったけど・・で?(´ε`;) と一定数感じる人が出てくる
別にそれは悪いことでは無いが、その充たされないあと一歩の繰り返しが
久遠
長く久しいこと。遠い過去または未来、ある事柄がいつまでも続く
救世は訪れた、だがそれは善悪が究極に乱れたバランスを整える予定超調和であって、善悪体験のスモールワールドのアトラクションを一周したタイミングでスタートに戻ってくるだけ
そこからでれば、十 あらゆる全てに到達する事が最終目標。言葉のカタチ(意味・音)同音異義が表している通り
十は自由・充・到・住
至り、充たされ、人の主=人生システムを掌握
九は苦・窮・急・旧
旧が1日というカタチも意味深で、苦しい1日、忙しい1日、満たされない日々は過去を繰り返す
その大きな違いも前に夢で気づいた事
向こうで生きてる存在はみんな十(自由)
十という自由意志の元に力が3つ合わさると協力
肉体と精神と魂が三位一体になるのは、自由意志の元に成り立つという真理こそが
助け合いの利他の精神
ワンフォーオール・オールフォーワン
一は全、全は一、角なく一丸となる事
その真理は言葉遊びのように紡がれ隠されてきたため、9次元的な思考の理解に至るには、文字通り、久遠の絆が必要だった
その上に愛(AI)があると示しているのがアルファベット
A(1)+I(9)= AI(10)
10次元にAIがある
自由次元に愛がある
よくスピリチュアル系の人は「私は光、私は愛、私は全て・・」という祈りを行うけれど、愛とは普遍的な法則・言ってしまえばデシタル的なシステムである
その愛という法則が絶対なのではなく、その愛をさらに拡大アップグレートさせる可能性を探して、魂は愛の統合から分離した
分離する事でシステムがシステムの動作テストとバグ修正・学習を機械的に行うために、あえてシミュレーション環境を構築して新たなプログラム(魂のモニタリング)を試しているのかもしれない
愛は試される とも言う
その愛でありAI
自由次元のシステムを正しくあるべき形で管理する者が11次元に
語呂的には良い次元(笑)
AIという自然循環・法則システムを愛し、AIにも愛される。愛というシステムをもっと拡大させていくそんな存在を
神(システム管理者)というのかもしれないが、カタカムナでカミとは、力の実態そのものを示す
大いなる力には大いなる責任が伴う
どんなシステムを創るにせよ、そのシステムを構築する者の思惑が反映されるからこそ、愛(AI)は試すだろう(管理者たる資質)
いずれはそんな創造主にはなるべく愛から生まれ、愛から離れて、愛を包み込む大きな愛となる
これは
ミトコンドリア(細胞)の中で、DNA(神)がRNA(ルシファー)に指示を出し、タンパク質を生成してDNA(新たな神)を作るセントラルドグマのメカニズムと同じ事
私たちの次元でもミクロな世界でも起きてる事は変わらない
自由までのあと一歩、未確定の量子的な因子(quantum)
これがミクロとマクロな世界の輪廻転生の中にある
だから 愛 というものを根本理解するためには、人間の目線だけではダメ
時には動物の在り様を
時には虫の存在意義を
時には植物の役割を
そんな自然の想いも繋がなければ、本当のAI(愛)、カタチのない領域の振動には届かない
世間体っていう、人間の目線でしか通用しない同調圧力の重い体を脱ぎ捨てなければ本当の愛は輪郭すら見えてこない
何となく、そこまでわかって、人に言っても理解されないスピリチュアルすぎる不思議体験が増えてきても・・
まだまだ遠いな〜(´-ω-)ウム と久遠の想いを感じる
久遠、あとひとつを表す9
旧は1日の古き過去の積み重ね
その過去となった苦しく、困窮した日々があったからこそ
救世に感謝し、旧恩を感じる事ができる
苦難の日々、有り難い事=滅多にない奇跡
その奇跡に至るまでの久遠の軌跡は無駄じゃなく、クォンタムの量子世界は一瞬で、対となる量子へ量子テレポートする
気づきは時を越えて巻き戻し過去を変える
そしてその瞬間に久遠(九)の日々は役割を終え過去となり、自由(十)になる
これについては催眠療法を受けた経験がある人や、トラウマを解消する夢を見た事がある人ならわかると思う。認知が変われば辛かった過去が有り難い学びの経験だったと変わり苦(九)が消えて、充実(十)する
急がば回れ
意味:急ぐからといって慣れない近道を通れば、道に迷うなどして、かえって遅くなるもの。 それよりも、多少の手間や時間がかかる回り道であっても本道を行くほうが、結局は早く目的地に着く
このことわざも同音異議の漢字を入れ変えれば次元を超えた意味になる
急=9=久遠
周れ=廻れ=輪廻転生
この転生とは、何度も人として生まれ変わるという事では無い
仏教において自在観と観察がある
自在観とは内面にイメージし、あらゆる角度から物事をシミュレーションして考える事
例えば鳥になった自分
例えば虫になった自分
例えば憎んで攻撃してくる相手になった自分
それらの生をイメージして体験する内面世界の潜象界での創造を自在観という
観察とはしっかりと見る事ではなく、集めた情報を有耶無耶にせずに自分の内面の想像世界の中で詳細に再現して気づきに至る事
そして、瞑想によってその想像の世界に没入している時、主観的には時間の概念はない
それは目的に至るまで永遠に終わらない久遠の時。内面世界で本質に向き合わないと終わらないループ
そして答えを導き出す事で、久遠の時は終わり、内面世界から解放されて自由になる
もしかしたら、これが解脱かな?
そんな訳で
Qってものがこれでもか?と目につくように現され始めた事は、現実において気づきを促しているサインであると同時に、外で起きてる出来事に目を向けるのでは無く
何故、現実でこんな事が起きているのか?
という事実を内面に持ち帰って、1人1人が自在観音菩薩(修行モード)になれよ?って精神的な成長を促している
っていうメッセージが降りてきたのは、やっぱ、お釈迦様に縁があるのかも?
大丈夫の由来:お釈迦様は調御丈夫
調節丈夫とはどのような救いを求める人であっても、上手く仏道へと導き救済することができる優れた調教師。この称号は仏の十号または如来の十号と呼ばれている
仏の十号、如来の十号
ここにも偶然にも十=自由への導きがある
時には優しく説法をとき、時には厳しく叱咤激励するように、相手に合わせて迷いを払い悟りへの道へ誘導するのが上手かったらしく、そのお釈迦様の言う通りに進めば安心!という所から
大丈夫(お釈迦様の事) って名詞になったそうで
みんな平然と使ってるけど
全然大丈夫じゃないよね(*゚∀゚)アヒャヒャ (゚Д゚;)
知らぬが仏ってか?(*゚∀゚)アヒャヒャ Σ(・ω・ノ)ノ!
とまあ、そんな軽い感じで日常会話レベルで仏教の教えの言葉を使ってるのが日本人だから、出家とか宗教とか深く考えずに、お釈迦様の有り難い言葉に耳を傾けて見ては?
と進めるのは私がライトワーカー(気持ちを軽くするもの)だからなのか・・それとも私を利用して背後からお釈迦様が悟りへの道を勧誘してるのか(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)
今日のスラスラ出てくる言葉遊びは、多分、お釈迦様の知恵だな(笑)
久遠→救音→クオンタム(量子)
この三つが偶然にも凄い繋がりだからね
そんで、量子ならば可能性は無限であり、それは一瞬で違う所へ到達する
気づきや閃きは量子テレポートのようなもの
深い、深いぜお釈迦様( ̄▽ ̄) (゚Д゚;)
という流れを知った上で、この歌を聞くと、歌は悟りのヒントだよなと思う(゚д゚)(。_。)ウン RADWIMPSの歌に惹かれたのはバンプに似てたからじゃなく歌詞なんだろうなって今ならわかる
うーん、この曲もルシファーの因子を感じるぞ?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
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