寝起き閃シリーズ。観察、観音の意味を理解した先の解脱は、解いて脱出?正解とは?という気づき
奥が深い仏教語
自在観・観察
自分の内面に世界を創りあらゆる角度から物事を捉える事(脳内シミュレーション)
観音
世間の声、情報を取り入れる事
これらを瞑想という時間の概念に囚われない久遠の中で解を探し何度も繰り返し(輪廻)
その問に対する答えに到達する事を
解脱する
と個人的な答えを導き出した訳だけど
果たして、それが 正解なのか?
というのを有耶無耶なままにしておけないのか分からないが…そのままの思考をまとめようと、釈迦の呼吸瞑想を行ってから寝た所・・
久しぶりに第八感(心臓弱るやつ)に繋った。この体験の内容についてはまた別記事で( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
そして、翌日の今日降りてきたのがそもそも『正解』とは何か?
…めんどくせぇ問いかけだな?Σ(´Д`;)って感じたけど、改めて考えさせられると、今まで気づかなかった事に気づいた
正 という文字は上と下が繋がって止まる
昔から、数を数える集計を行う時、正という文字で数えていたと思う。正は5画、つまり、1文字で5を数えるという、わかりやすい集計方法なのだが
この1文字に下と上という相反する意味の文字が組み込まれ、更には止まるという制止の状態を意味する3つの漢字で構成されている
これは偶然なのだろうか?狙って創られているとしたら一体どんな意味があるのだろうか
と、考えるとシンプルに
天地を繋いで安定させる
下や上という状態は一方向を指す動のエネルギー
止というのは動を一時的に制止した静のエネルギー
その上下を繋いで安定させた状態を正にするとは
相反する2つのエネルギーを繋いで止める
そういう構成になっているのが正という1文字
つまり、正解を導くには、相反する2つのエネルギーを理解しなければいけない
例えば、善悪、光闇
どちらか一方なら、それは流動的な相反する方向へ向かうエネルギーでもあり、どちらが正しいかなんてのは、お互いの立ち位置、立場で変わり、それは人の数だけ正義の定義が存在する
だからそこに正解はない
その二元論の中で解を探しても答えなんてないから、しっかりと『今』を観察し、観音し、自在観音(思考分析シミュレーション)となって、内面世界で納得する解となる
自分なりの理想を見つけて解脱する
解脱は、その二元論の現実から意識が離れる事で、それが出来れば今までの事は一瞬で全て長い夢の幻に変わる
それが正解という考え方
相反する二元性から第3の道を創り出す
だから第3の目(第六チャクラ)を開けって事なのかな?
そう考えれば、王という漢字も
天地をあらゆる全て(十)が繋ぐ構成
漢字って奥が深いなぁ(´-ω-)ウム
でもね、正は5でしょ?
正の対義語は誤(ご)
あれれ〜?また対局が出来たら二元性に?!Σ(゚д゚;)
正しいのか?誤っているのか?
_( :⁍ 」 )_また久遠にハマりそう(泣)
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