如来は如来を生み、比丘はビクビク比丘を産む、オノマトペの音霊、響きは語る『教育』と『伝承』の違い
法華経における如来と比丘
前回、独覚法華経としてまとめた
げんいっさいしきしんざんまい
この例を読み解く時に感じたのが、釈迦は説法の内容を『如来』と『比丘』に分けていたというのが気になった
比丘には如来への伝え方では理解出来ない
如来と比丘の違いは、ざっくり言えば理解力と行動の違い。それを如実に表すのが『音霊』のイメージと『オノマトペ』
例えば現代、『にょ』という発音には
にょーん
ニョロニョロ
など伸びたり縮んだり、掴み所のない『緊張感のない蛇』をイメージさせる。しかし『如実』とは、『見た目でわかる明確さ』を意味する
『掴み所はない』のに『真・芯を得ている』という不思議
それが如来
では現代、発音でびくと聞けば
警戒・反応・怯え∑(O_O;)ビクッ
常に凝り固まって『緊張』して『警戒』して何かに『怯える不安』を抱えている
オノマトペならばビクビク∑(O_O;)
だから比丘達は釈迦に質問攻め
「我々はどうすればいいんですか?」 と
我々=みんな=顔色伺い=応え合わせ
=平均=『普通』を求める
ここで釈迦は二つの反応をする
比丘には『教』える
如来には『伝』える
『教育』と『伝承』は違う
比丘達は『不安定』なのだからまずは『安定』させるために『教育する』
如来は余裕で遊んでるから
成長を促す『指令を伝える』
私は以前、『観念』したら『お釈迦様に出会ったという夢』を見た
そこで、私が見た景色は『授業をしている先生』だったのだけど、私が行くと
(お前、今更?何をしに来た?)と塩対応(笑)
今ならわかる
あれが比丘達への『授業』で私は既に『授記』を受け取っていた如来だった。では、『如来が伝承される法華経』とは何か?
それは『例えという方程式』
〜が起きれば
〜が生まれ
〜が生まれれば
〜が動き
〜が動けば
〜が現れ
〜が現れれば
〜が消えて…
のように『循環法則』があり、この『1〜10(仮に)までのノウハウ』が身についてれば、後はそこに『事象』を当てはめればわかるという『実践でエネルギーの流れ』を見る方程式
故に三次元に生まれる如来は、西洋だろうと、東洋だろうと中世だろうと、小さな島の部族だろうと、その方程式を思い出す事で『先読み=先世見の先見の名=こうなるであろうの預言』が可能になる
それを極端に短くまとめている例が
風が吹けば桶屋が儲かる
思いもかけぬところに影響が出てくるというたとえ。 大風が吹くと砂ぼこりが立ち、その砂で目を傷める人が増え、目の不自由な人は三味線をひくから、三味線に張る猫の皮が不足する。 猫が不足すれば鼠(ねずみ)がふえて、あちこちの桶がかじられるから、桶屋が儲かるという勘定である。
↑ ?(;’∀’)なんか現代の介錯は『コンプライアンス』かかってんなw
西洋的な哲学表現(かつての如来)で言えばバタフライエフェクト
東洋で蝶が羽ばたけば西洋で竜巻が起きるという、そのくらい『ミクロからマクロな出来事』は『エネルギーが連鎖している』という捉え方
こんな風に、根本の思考パターンを『授記』として受け取っている如来は、『どの次元』でも『どんな事象』にも当てはめて考えられる
例えば
風が吹けば桶屋が儲かる
風邪が吹けば病院と坊主と葬儀業者が儲かる
『意図的なパンデミック』というコロナ禍では、ルールが様々変えられて
医者に指示出す分科会会長が儲かり
PCR利権という新しい業種が儲かり
指示に従った医者が儲かり
葬儀を手配する坊主や葬儀業者(棺桶屋)が儲かり
結局、造られた風邪で『人殺しに加担した奴らが儲かる仕組み』になった(結果論)
かぜが吹けば…の時点では
『風』か『風邪』か分からなかった
だがそれが『死の恐怖』へ繋がった時点で、『桶屋までの道筋』が見え、『関わる中間層』が見える、『最後は儲かる』にたどり着くのだから
金の流れを見れば一目瞭然=先見の明
こんな風に読み解けるのも『ことわざ』という方程式を生み出してくれた先人の知恵を伝承した『かつての如来の痕跡』があったからなんですね
「そんなもの、比丘でも予想できるだろ!」
…と思う所が『比丘から卒業出来ない理由』
そのパターンは『授業を受けた』から使える訳で『模倣や応用』ではなく
「オリジナルを生み出して見ろ?」
と言われた時、多くの比丘はそこで『思考停止』する
有るもの=目に見えるものは使える
無いもの=目に見えないものは使えない
模倣はコピー(莫迦のひとつ覚え)
応用は応える用(周りに合わせる)
『教科書・写経した経典』が失われたら『その教えが途絶える』のは、それに『依存の他力本願』してきた証拠
『失われたらビクビク』だろう
教祖様、先生、指導者がいない
生徒、信者は答えが分からずビクビク不安
だから『再誕』を求める
釈迦もキリストも同じ事
如来はそうは思わない
だって失われたのは『物質的繋がり』であって『エネルギーの流れは託された』と思ってるから
エネルギーの流れの作り方
エネルギーの繋ぎ方
それが分かれば『繋がりは途切れない』
それは『方法』ではなく『感覚』
『神経』を通して伝わる『神通力』
先生とは『先に生きる私』
『今の私がいずれなる私』であり
エネルギーは途絶える事無く繋がっている
にょーんとニョロニョロと『蛇の脱皮』のように意識は生まれ変わる
言っちゃ悪いが、正法も秘伝も失った『末法の世』は、『まがい物だらけ』で、『比丘が受けた法華経入門授業』をそのまま『延々と読み書きせるだけ』の…まさに現代の『時間拘束型、義務教育スタイル』と変わらない
そんな『個性殺しの集団生活』から『逸脱する問題児』がだいたい『社会に変化の波』を与える如来
『自分の求める体験』を元に『中』に落とし込んで『オリジナルの方程式を創作』ができて如来
如来は『物質的な何もかも』が無くなっても『襤褸は着てても心は錦』で、必要ならばまた『始めれば』いいし、『繋げれば』いいとニョロニョロ、にょーんとマイペース
でも『比丘』はいつも『失う事や間違う事』を恐れて『周り』を見て『顔色』伺って『みんなで一致する答え』を『平均』で割って『応え合わせ』の多数決
「これで合ってますよね?」と釈迦に問う
釈迦はニッコリ笑って思う
(´^p^`)あぁ衆生って莫迦だなぁ…
莫迦は『答えがひとつ』だと思ってる
『一』の捉え方を間違えている
現代も『比丘が不安を預言』して煽ってるから『みんなビクビク』してる
逆に言えば、そんなに『陽動』に引っかかって『ビクビクする比丘が多いんだこの国は』とまさに『授業の真っ最中』だなぁ〜と
『教室の外』から覗いていたら、釈迦に冷たく、帰れ!やるべきをやれ(`Д´)ノ)罒`)
と、追い返された思考実験でした
( ´Д`)y━・~~びく∑(O_O;)ビクッ
(๑•̀ㅂ•́)و✧ビクビク∑(O_O;)ビクッ
(´-ω-)くび Σ(゚д゚;)ビックリ
(´^p^`)あぁ莫迦は素直で可愛いな
多分だけど、魂がこれから『人間になる獣達』が『比丘=人として』を学んでいるのかもね。『人』なのに『獣の魂』を持つ『人間=人の間』がいるというのは、もしかしたらそういう意味なのかもしれない
そして、そんな『獣の魂の習性』を逆に利用して、『ヒトデナシに寄せよう』としているシンボルが『666』だとしたら?
それに導いてるのもまた・・
まさに魂のルフラン
私に還りなさい生まれる前に
=人としてを学び直す
=人になれない人間=獣は獣に戻れ
比丘比丘しないで、トラブル(体験)を楽しめヤンチャボーイ・ヤンチャガール
でも、それを『卒業』する道へ導く如来は『未知を創作する創造主』となって『オリジナル授記(カタチ無き愛)』を遺すべし
カタカムナの言霊で読めば
びく は 内なる根源に引き寄る
にょらい は 圧力を自然に新しい場で伝える/自然に陽の場を伝える
比丘の世迷い事について行けば根源に還る
如来の厳しい言葉で目が覚めれば、自然に新しい陽の場へ導かれる
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