好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

警鐘の形象を継承して敬称する事で景勝へ

警鐘を鳴らした者が形象を遺して先に行き、意志を継承した者がその物語りを口伝で敬称し、いずれ目指した景勝へと導かれていく物語

警鐘とは

警告のために鳴らす鐘

たくさんの愛国者達が先に行った…大切な物事は失って初めて気づく

憎まれっ子世に憚る

人の顰蹙(ひんしゅく)を買うような人間は、えてして子供のころには憎まれっ子と呼ばれてきた人たちで、じょうずにこの世を渡り世間で幅を利かせているもの

(´-`)oO随分と世襲に都合のいい解釈に書き換えられてるなぁ

人に嫌われる傲慢、強欲なやつほど生き残るこの世は弱肉強食的な意味だったはずで、言い換えるなら、正義などないと真理を伝えていたはず

どこまで遡ろうか、どこまでも遡れるが、現代の中で言えば…愛国心ある者は先に行く

問題提起して、先に行く理由はそれを口伝として別の世界に持っていく為

『ここがこうなった原因と結果と理由』をしっかり把握したからこそ、『そうならない世界を創る為』に旅立って行った

他への『問題提起』という存在の必要性

大量死とそのお役目(創造)の夢

つまり、そうならない世界を創る活動をしている先人達が道を切り開いてくれるから『次元』が生まれる(。-人-。)

その人達の死によって、その人の『生き様=志』が語られ、そして『感銘や感動』したものが、生き様の師として『敬称』して語り継ぐ、これが死後の伝説の始まり

そして、意志を語り行動する事が、『口寄せ・引き寄せ』となり、リンクして感じて行くシンクロニシティこそが

憑依(表意)であり、先祖供養
先の祖と共に養う=師と共にある

完全にシンクロすれば『意識降誕』と変わらない

ここで問題提起された事を解消する意志の引き継ぎ『警鐘の継承』が現実化する

継承とは うけつぐこと

継ぐ事を承る

そんな警鐘を継承した、師と共にある弟子が目指すのは景勝

景勝とは

風景がすぐれていること。そういう土地

危険だ、そのままではダメだ!と警鐘を鳴らさなくても良い景色を見る事

日の元の京、月への劵
太陽の京に至る月へのチケット

なんて壮大な風景だろう…と『宇宙規模に意識』を向ける事も出来るが、私はここだと思う

景勝地とは腸の極楽

腸は体温・熱をコントロールする太陽であり、全身あらゆる臓器機関の『免疫機能を管理する京』でもある。腸内フローラと呼ばれる世界は、善玉菌、悪玉菌、日和見菌のバランスで成り立っている…と

我々の『大雑把な原子の次元』では、計り知れないほど、ミクロな世界だが、『意識のワールドスケールを菌』のレベルまで小さくすれば世界の見え方が一変するだろう

例えば、一部屋に『狭さ』を感じている、あるいは、自分の存在が『ちっぽけ』だと思った時、自分が『蟻と同じサイズになった事を想像』してみよう

一部屋を端から端までたどり着く、全貌を把握する事ができるか分からないほど広くなる

そして、蟻サイズになって始めて、『部屋のハウスダストや生活ゴミ』が、これほどまでに『部屋の景観破壊や環境汚染』をしていると気づくだけでなく

その出したゴミを住処に、他の虫を襲う微細な菌が繁殖して劣悪な環境で生きる弱肉教職生態系を作っている構図は

『特定の崇拝宗教コミュニティを形成』し、『自己防衛の集団的自衛権』が生まれ、『他生物を襲う異教徒弾圧を大義と教育』している

そういう普段の自分と繋がっているけれど『見えてない世界の相手の立場』になって考える

狭いから広い世界を求めるとはいえ、(´-`).。o(狭い世界ですら穢れたままで拡張しても良いのだろうか?

これがその『問題を見てきたミクロ意識』による『警鐘』
その警鐘を継承したマクロ意識の私はまずは『部屋の掃除』から始める

そんな利己的に他者を襲う集団的自衛権を行使するような菌を知らず知らずに体内に吸い込んで、それが身体の中で他の細菌を攻撃して悪さする可能性があると思うと『予防策』を講じる

そして、掃除を終えたら、以後はそうならない生活習慣に行動を改める『対策』する事によって

腸内フローラという『景勝が形象』されて、間違った積み重ねが起きないように『行動の予防』をする事で『極楽・楽園』という『敬称』で語り継がれる(状態維持)

事情を内観し自浄する  極楽浄土は『細胞』に

警鐘を鳴らす精神的免疫は『小さな意識の世界』から巨大化して『人に表意』する。偉大な指導者の意識(DNAに後から宿る)、先人達=先に行った人はそこから来たのか、そこへ戻ろう、戻そうとしていたのか、いずれにせよ

何かが狂わなければ警鐘は鳴らさない

何で警鐘を鳴らしたか?それはバランスが崩れたから
『元来あるべき姿』ではない

そう感じて『共振した者』に『目的を達成する強い弥勒の意志』が宿る

問題提起は『釈迦・師・死』が行い
問題解決は『弥勒・弟子・探求者』が共に導く

釈迦が明らかになる
釈迦を明らかにする

釈明

薬師如来は訳詞如来
言う尺(ものさし)言う司(公の役目をもつ者)

かつては『自然の恵みの生薬の漢方』が『人の体と心の支え』と形象を継承した『薬師如来』だったが、今の時代は心が安心する『言霊が人の精神と魂を支える』

目に映る物事、その『外の景観』を見て、混沌の中でも救いを求め苦しむ者に導く声をかける

明なき世界に『光を与える釈明』
行き詰まった『問題を解く解明』

釈迦力に切り開き弥勒の修業で結び合わせて=解釈

戦国時代、責任を取る為に『断腸の思い』で『切腹する者』は首を切り落とす際に『介錯』を求めた

それは

『私の人生はどうだったか解釈してくれ』

つまりは『首を晒す事』『残された者への警鐘』となり、その『死に様』『そこまでの生き様』を『継ぐ者への継承』となる『形象』

全てはそこから恨みつらみ、問題提起、希望、絶望、解決の糸口、様々なエネルギーとして影響の渦が生まれ『人の心に宿る』

そんな『武勇の死に様(ドラマ)』が語り継がれる伝承は、『争いとは無縁の悟りを目指す薬師如来』が姿かたちの『形象』を変えて『本質を例えの法華経』で広げていく

平家物語や遠野物語、各地に残る一部のキーワードがなぜか一致する地域伝承など・・いつかどこかの誰かが、この『形象にはパターン』があり、『類似している物がある』と当てはめた時

それが『先人達が残し継承してきた者達が形象した問題提起』であり、その『先人達の意志を継ぐもの』が目指した『景勝を共に目指そう』『表意して同調した者に憑依』する

行動も発言もシンクロして『発現』していく

カタカムナ54首 霊言と霊験

私は『薬師如来』に惹かれて体の健康を『内観で把握』しつつも『薬草や薬の処方の知恵は無い』

もちろん、『その時代の知恵』を持っていた先人の知識を借りたとて現代では…

その草が遺伝子組み換えされて品種改良されていたり(師の時代にはない)
外来種の種と混ざって自然に混合していたり(師の時代にはない)
土壌に発がん性物質の除草剤を混ぜられていて効果がなくなっていたり(師の時代にはない)
空からケムトレイルばらまかれて、状態が悪く使えない可能性もあるから(師の時代にはない)

教え通りの莫迦のひとつ覚えでは『身を亡ぼす原因』すらわからなくなる。先人達の意識も今更、『外の草の知識を学ぶ方向』には導かないようだ(´・ω・`)自然が不自然

その結果が

人の意識を自発的に成長させる為に『精神に響く言霊』を生み出す為に『景観を形象する言霊』『訳詞』させる

人の愚かさを
人の素晴らしさを
人の温かみを
人の無力さを
人の根源の力を

カタカムナ45首 人下の無

それを『体感して口伝』する『訳詞如来』になればいい

言葉で『涙』が出れば、悲しかろうが楽しかろうが『邪なモノ』が流されて心が軽くなる。そんな言葉の『ライトワークの処方箋』

良薬口に苦し

良い薬は苦くて飲みにくいが、病気のためにはすぐれたききめがある

さりとて、健康で健全な人には

良薬は甘くて美味しい有難いアムリタ(快楽成分)

薬用養命酒がめちゃくちゃ美味い!

出来てる事を褒められる
褒められて伸びる(`・ω・)ノ( ´д`*)なでなで

私はコロナ禍で「世の中が狂ってるよ!!」という『先人達の警鐘の形象』を見た。それは『真実を語った人は、別の世界へと先に行った』そっちの世界ならまだ届くからと

そして『この次元を見捨てた訳では無い』のは、全てを『警鐘の形象』としてカタチを置いて行ったから、その意志を継ぐ『継承が起きた景勝』も見て、『状況が徐々に良くなってきた事』で、『新たな形象』が様々生まれるようになった

そんな闇を光に
重きを軽く

その『混沌の中』ではなく、『多次元的に観察』している私が見ている俯瞰の目で

先人達が目指す『景勝へ導く形象』をする
それが『状況を治す訳詞如来』

『釈迦』を説いて解いて『明らか』にする
弥勒達の釈明と解明の『訳詞』の役目

言霊のことだまは

転がり入って統合の内に分かれる受容
心の奥へと入るための色んなアプローチの架け橋

私の心から発信している言葉は『ミクロから巨大化』して表れる

先人達の意志というウルトラマン

ウルトラマンと東の光(タロウ)

そしてタロウの言霊は
分かれた空間を生む

タロウにも色々いる

あっそうと下々に興味がなそさうなタロウ
邪なモノの運び屋のコウノトリのタロウ
どこの山が本だかメロリンQなタロウ

いずれにせよ、分かれた空間をつなぐ架け橋

言葉ってそんなもんだよね

だって

信じるか、信じないかは…の時点で『二択に限られる』けれど、本当は二択じゃないんだよ!と、『そこから分かれた空間』への架け橋

『頭で理解したつもり』でも『心』が納得していない

そのままだと

報われない世界=苦労などが良い結果に結びつかない
無垢割れない世界=垢ぬけない→何となくダサい、野暮ったい
69割れない世界=ひっくり返しても同じ繰り返し

だからそこから離れる心への架け橋が言霊

あなたの意識へと語りかける

ま、波動が『同調』しなければ、『有っても無い』し、『見えもしない』し、『聴こえもしない』そんなもん

だから『縁=強い投影』ってのは面白い(=^▽^=)

私の名は健・タロウ
漢字は『人』を『建てる』+『分かれた心の架け橋』

親の名づけの願いは『健康であってほしい事』で、それは自分自身の内面と向き合った時、誰に強制される事なく運命のようにわずか3年で『自然にカタチ』になった

独自体感論 健全は健康と違う

元々、『自分で経験して身に着けた事』を人に『わかりやすく例えて教える』のが好きだったり、若い時から『喧嘩の仲裁』や『誰かのキューピット』、そして『底辺の踏み台』になって元気を与えてきた

『人を建てる』という意味では、これ以上にないほど、氏名とは『使命』だと感じた

そんな底辺のてーへんな『経験』が私に色んな『景観(人の闇、愚かさ、情けなさ、明るさ、暗さ、前向きさ、後ろ向き)』を見せてきた

それを『歌って披露する才能』は無いし、本にして『披露』してヒーローになる気もない。だってそれは・・『疲労』するってわかってるから

けど、備忘録は記そう、その時感じた閃きや直観の心を訳詞して

それが『自らの経験を必要な人へと形象』すること
エネルギーを『カタチなき愛』として巡らせる事

全部訳詞終わって、処方箋書いて吐き出してスッキリすれば
辿り着くは極楽だろう(๑•̀ㅂ•́)و✧

…という警鐘は形象として継承されて、その意志を継ぐものが必ず現れて『カタチを変えて巡って行く』のだから

どんなに些細な事であっても『無から有を生み出すエネルギーは愛』であり

アイデアル・ideal(๑•̀ㅂ•́)و✧ 理想,理想的な人,理想的なもの

だから目指すべき『景勝=理想』を忘れるな
お前はどこを目指している?ってね

独自感覚で読み解くレムリア

音を紡げば『旋律』が響き
言を紡げば『戦慄』が走る

こんな風に日本語の『同音異義語は高度な術式』のように『音霊の言霊で繋がる』から『駄洒落(韻)』は高度な哲学なんだよね

同音異義語と役割 駄洒落は高度な哲学

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