因幡という漢字自体に原因はひるがえる儀式という意味があり、兎と卯の違いはう『のみ』=鵜呑みにすると詐欺にあう鵜詐欺と読み解くと、全く違う伝承になる法華経話
因幡の白兎は真を隠した隠喩
因幡の白兎の話をどこぞの宗教と結びつけて『権威づけして利用』してるが、その『物語通り』に捉えるのはあまりに愚かで場を愚弄してる
『都合のいい愚弄場リズム』を感じて、納悳できる解釈をし直そうと思う
因幡の白兎の謎① なぜ兎?
まず『兎』という字と『卯』の字
兎はうさぎ
卯はう のみ
では兎をう 『のみ』にすると?
『鵜呑み』の『詐欺』で『鵜詐欺』になる
つまり、「鵜呑みにすれば騙されるぞ?」
と物語全体の『主役の存在を疑ってかかれ』と伝えている
因幡の白兎の謎② うさぎに騙される鮫
兎がぴょんぴょんと海の鮫を飛び越えて渡ってきた…なんてファンタジーで、それを『鵜呑みにしたら子供騙し』に引っかかる
しかし、大人になると鮫とは『海賊』であり、『舟』だから、それに『密航』してきただのと、『現実味』を足して『複雑』に考えすぎるが(かつての私)
『説法』とはそういうものでは無い
鮫を乗り越える=『襲い来る波』である
日本神話というならば『日本海の冷たい荒波』がいかに『航海する船乗り』を苦しめたかを考えればわかる
その『荒波を超えて兎がやってきた』という時点で『兎』とは『舟』であると読み解ける
最後に騙された鮫が兎に襲いかかり『毛をむしり取られる』という描写は『高波に飲まれ舟が瓦解して沈没仕掛ける』と捉えると…
因幡の白兎の謎③ 八十神の兎の迫害
何とか浜にたどり着く兎を虐めて「海へ帰れ!」と追い返す『八十神』という存在は、『島』は見えても『引き潮で沖に流される様』
『鮫(荒波)』に何もかも壊され、『自走する事もできない漂流状態の船』となると、『小さな漣(さざなみ)』であっても抵抗できない
そこへ…
因幡の白兎の謎④ 兎を助けるオオナムチ
さて八十神に虐められ放置された兎に「ガマの穂を纏え」と優しい言葉をかけたという八十神の末っ子の『性格が穏やかなオオナムチ』
これは『満潮』で穏やかに『浜へと引き寄せる波』
オオナムチではなく『大波地』
と考えた時、ガマの穂の『蒲』が、水に纏わる『氵』が着いているのがポイント
水辺の植物であるガマ(蒲)は、豊富な水に恵まれた湿地帯で繁栄し、その主な管理要件は一貫して湿潤な状態や浅い水域です
『大波の満潮』で舟が地に寄った時に蒲の穂を纏えというのは、『浅瀬にたどり着いた』という事でもある
つまりは『荒波(鮫)』や『八十神(漣の引き潮)』の後に来る末っ子の『満ち潮の大波』で『浅瀬(蒲)の地=湾』に舟がたどり着く
そしてこうなる
因幡の白兎の謎⑤ オオナムチが玉の輿
島に『上陸できる地=海洋交易ルートの確立』による『湾から栄えていく』
全方位『海に囲まれた島国』であれど、海岸沿いは『上陸不可能地点』が多いため、『鮫(荒波)や八十神(漣)』によって近づく事ができないが
その末っ子の『満潮の大波』が『地』に運んでくれる『浅瀬の蒲がある湾』からは入る事ができる
そういう『教え』と読みといた時に、『説法』を『現実に照らし合わせる』と?
因幡の白兎の謎⑥ 稲葉の湾に女王統治の都市繁栄
海洋交易上陸拠点=『湾に文化の発展あり』と、『蒲(浅瀬)の地名』を調べるとやはり『面白い一致』が沢山出てくるので調べてみ?
少なくとも、『青森の陸奥湾』にはその条件が全て揃っている
かつて『外国との海洋交易が栄えた縄文』
その後の『北の豪族、丑寅の金神(混人)』
『アソベの民(先住民)』と『壺家の民(渡来人)』
津軽海峡は『公海(どこの国の舟でも通過可能)』
…その陸奥湾の『東通り村』という所に、『蒲の地名』があるが、そこは『原発』が置かれているという…まぁ『八十神のオオナムチへの嫌がらせ』のような…
伝説の多くは『青森や東北』に集まってくる不思議
月と波=月夜見と須佐之男
月が満ちると、潮の満ち引きも起こります。これは、月が地球の周りを公転していることで、月が地球に向いた面の海水が月の引力によって持ち上げられるためです。この現象を潮汐力(ちょうせきりょく)といいます
須佐之男って『須佐の男』
須は『久須志・薬師』
佐は『守護・サムライ』
自然の志を持った『穏やかな男=岸(騎士)』
月夜見は月の満ち干きで『運命に流される女=舟』
子種を沢山載せて来たならそれは『箱舟』
津軽海峡・冬景色、北酒場に『訳あり女(混血)』の構図
舟と波平から始まる栄螺(サザエ)
栄える螺(つぶ)=津部
津とは『小さな港』を意味する
まさに『津軽海峡の陸奥湾』
…という事は?
因幡の白兎の話は意図的に隠された?
稲荷信仰、『稲家』を『田舎』とレッテルに変え、田舎と稲家を『認識から分離』させる
そうなると稲葉=稲穂=稲荷=稲家の農家の『生活密着型の教えの風習』が凄かった!という『手柄』が『宗教に分離』してしまう
それが『因幡の白兎』…という伝来が訳の分からない『動物』に変えられてしまう
…しかしこの『動物』に変えて『訳が分からなくなるパターン』は『干支』にも言える訳で、その干支を正しく『納悳する解釈』に戻した結果
干支の十二の教えは『鬼=農家の子育て論』だと気づいた訳で
そうなると『兎』と『卯』が揃った時、うのみ?鵜呑み?騙される?詐欺?
=鵜呑みの詐欺で『鵜詐欺か!』となる
では『因幡』とは何だ?と思い調べてみるとやはりこれも漢字に隠されていた
幡とは
仏教の儀式で用いる旗、飾り布。ひるがえる、旗などの動くさま
因は事の始まり、原因である
それが『儀式』であり、『風向きでひるがえる旗』
『風向きで変わる物事』は『ひるがえる裏』も見ないとダメだと『前置き』してるのが『因幡』という言葉
つまり、『因幡=物の捉え方』によって『白兎という物語』が何なのか?
それを問いかける『命題』であり、その物語の中身は『何のため』にわざわざ『ストーリー仕立てに構成』されているのか?
ここまで解けたら
これは完全に『知恵の法華経』である
やはり命題=問題を解決する(釈)に巡り会う(迦)=釈迦力
『荒波に囲まれた島国』への『上陸方法』
それは『月の導き(潮汐力)』に従う事
『地球の波動』『風と波の波動』に合わせる事
『自然に身を任せる』事で『大波が地』に『箱舟』を導いて『湾』に流れ着く
真理を追う チ。
そして、The 『one(一)』から始まる
一=マイナス=min us→『最小の自分達』
『平らな波』に嫁いだ『舟』
『磯野』から『栄』えてつぶ=『螺』が広がる=『栄螺・鰹・和布』
国民的アニメ 『サザエさん』の真理である( ・ω・ )⊃ Σ(゚д゚;)
私達は毎週末に『真理』を見せられていたのであるが、それをどう捉えるか?その観点が至らなかったのである
玉の輿=タマの腰
なぜタマ(猫)は球を割ってフラットにした
そのシルエットは禁断の実(林檎)を食い尽くして芯だけ残ってる様の形象
なんてな( ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)
ま、今回の話は
神話とか伝承とか『表に出てくる物』を『鵜呑み』にその通りに『信じて』、『エビデンス』だの『科学的根拠』だのとドヤ顔で語る評論家や研究者は
まず『海老(エビデンス)で鯛(他意)を釣る(罠にかける)』という、大した労力もかけずに楽して獲物を得る『漁夫の利』というやり方で
科学が『化学=学びを化けさせる』になってその『根が腐って泥水吸い上げて生きる』醜い姿なのに『美辞麗句で概念や歴史を装飾』して伝え広げる
『見た目だけ綺麗』で『中身は酷い有様』のメイド・イン・パクリ・on都合のいい解釈を鵜呑みの詐欺の『兎(西洋ではずる賢いビジネスのシンボル)』に引っかかってる事を
『風向き』が変わって因の幡がひるがえって『裏』が見えた時、言い逃れはできない『愚弄場リズムに愚弄されてきた愚か者』と知るだろう
私は『現代』でもこの『納悳の解釈』に気づいた事で、もし、仮に『別世界で船乗り』だったとして、『上陸できない島』を見つけた時、無理に近づこうとしないで
『月の満ち干きと波と風向きに観測』を向けて『変化』を探し、『穏やかな湾へと流れる潮流や潮汐力』を見つけるだろう
因幡の白兎が『偶像神話やら神様崇拝』がどーのこーのではなく、『船乗り』が『大海原の航海』において『月と波の満ち干きの導き』に『素直に身を任せる』事で、『自然の力が湾』へと連れていく『大波地』を見つける
白兎を『舟の位置・状態変化』
八十神・鮫・オオナムチを『波の環境』
こう読み解くと、なぜ『白兎が上陸を試みたのか』が見えてくるからこそ役に立つ教え
その後の結末で大波地が姫に愛されるとは『箱舟(交易舟)』がもたらした『恩恵が湾に繁栄』される
恵比寿=胡=夷=蝦夷と弁財天
七福神の宝船=七つの滞在
慮=虍=トーラ=真理・原典
つまり『湾』と『繁栄と荒波』が鍵になる
これは全て『NOAHの箱舟』でも当てはまる
『徐福一団が和国に渡ってきた』のも当てはまる
『胡=胡国=唐文化の伝来』の話とも言える
『荒波に囲まれた湾の景色』が見えてくる
『遥か遠い昔の伝承』なのに、『もしもその時』が来たら『自然の波動に素直』になり、『月と風の導き』に身を任せれば。上陸不可能と思われる島にも入口がある
=『問題』には『突破口』がある
ん?(´・ω・`)まさか…
私はまた『説法』に『現実味という味付け』をして、『複雑な創作料理』にしてしまったが…、そもそも、どんな『難攻不落な命題』にも、自然の導きに身を任せれば『突破口』が見つかる
そこに『気づくまでの命題』?(´-`)oO
確かに、この因幡の白兎に意識がむく前に、先に『サザエさん』が来てた訳で…
でもそのサザエさんに意識がむく前は、寝起きにサザエに出てくる猫のタマが、球からパカッと出てきて『腰を振るシルエット』が浮かんで、その姿は『球をフラットに二つに分ける動作』と
全体が『知恵の実、禁断の実の林檎を齧る』所か食べ尽くして『芯しか残ってない強欲の結果』として見えた所から始まっている
『自然の突破口』がそこだった
そりゃ『自力で探しても』見つかる訳がない(笑)
そのくらい『真理の探求』というのは、『急がば回れ』で『ゴール手前でスタート』に戻り、最初に『見落として来た物事を回収』して『再び元の位置に戻る』ような
『三歩』進んで『二歩』下がり、『三歩』下がって師の影踏まず
師はなぜ『師』か?
先人とはそこで『死した志半ば』
故に『師』が宿る『先人の知恵』は「同じ轍を踏むな」と警鐘を継承する
だから先祖供養は大事
転ばぬ先の杖=虎杖=生薬
『生』きる為の『薬』となる
薬とは『草』の下に『楽』しい
生きて自然を楽しむ事を助けるから生薬
じゃ『製薬』とは?
制する衣?で自然に楽しく?
誓約・制約・制約聖書=『処方箋』
無理(ヾノ・ω・`)ナイナイ Σ(゚д゚;)
おっといけねえ蛇足すると眠気が襲ってきてなんも出来なくなるから、ここらで締めようε≡≡ヘ( ´Д`)ノ
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