好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

白龍の導き 満月とセブンスターと竹林の七賢から北斗七星へ

妙にたばこが吸いたくなる時、なぜか満月・・という繰り返す法則のシンクロニシティから、なぜか頭に浮かぶ『竹林の七賢』とは何だったのか?が再燃したので色々考察していく

セブンスターと満月

今日は朝からなぜか『異常にたばこを吸いたい衝動』に駆られた。でももう一回吸い出すとまた歯止めが効かなくなるだろうから・・と

結局半日葛藤したが、床屋行って髪もさっぱりしたら、帰りのコンビニにスゥっと入って、買っちゃうか(゚∀゚)アヒャΣ(゚Д゚) と『抗えない感覚』で買って、外に出て寒空を見上げると

満月だった

正確には1/26日が「ウルフムーン」らしいが・・それを見ながら( ´ー`)y-~~思い出した

そういえば、俺がたばこを求める周期が・・満月率が高いぞ?と

満月とDNAの本能のイズム 月夜見の狼

そしてこれも不思議な事に・・私はこの8月の満月の時から、たばこが『セブンスター』に変わっていた

元々、若い時はマルボロで、一時LARK、で一旦やめてからはメビウス

それが、たまたまた友達に貰ったセブンスターを吸った時に『妙に馴染む感覚』があって、それからはちょこっと復活する時はセブンスターになった

しかも友達が吸ってるのはタールが多くてきつかったので、もうちょい下ないかな?と見つけたのが『7mm』だった

その時はあんまり意識してなかったけど、そののちに北極星信仰、七聖剣、『北斗七星の結界』など『7』にまつわるものが身近に現れる『シンクロニシティ』が増え始める

北斗七結界?大星神社 星喰いか星生みか

今思えば、メビウスをやめた理由は『中毒性・依存度』が高かったため、たまに吸う時だけですっぱり辞めれるセブンスターになったのだが

メビウスは8=『∞の繰り返し』
セブンスターは『北斗七星』ではないのか?と思って調べたら、やっぱりドンピシャだった

日本のたばこでいつも売上上位にいる紙巻きたばこ“セブンスター”の歴史を知る

ちなみにセブンスターの名前の由来は北斗七星から来ております。アポロ11号の月面着陸が1969年なので星に対する人々の思いもあったのでしょうかね。また、日本で初めて活性炭を使う“チャコールフィルター”を採用したもので、雑味やクセを抑えながらも旨味と香りを追求した製品として3年かけて生まれたのがセブンスターです。

この偶然は、今日、葛藤の末に抗えない気持ちで買って吸った『今』だからこそ調べたので『満月の今日買わなければ気づかなかった』というシンクロニシティ

そして吸うほどに思考は遠い遠い出来事を思い出すように・・

竹林の七賢?

竹林の七賢(ちくりんのしちけん)は、3世紀の中国三国魏末に、酒を飲んだり清談を行なったりと交遊した下記の七人の称[1]。

となっているが?

漢代末期から続く乱世で、儒教的教えに反感を抱いた結果清談に至ったとされる。竹林は彼らの理想とする清の象徴である。老荘思想の系統に属している。

儒教に反感を持ち清の象徴・・

儒教(じゅきょう)は、孔子を始祖とする思考・信仰の体系。紀元前の中国に興り、東アジア各国で2000年以上に亘り強い影響力を持つ。その学問的側面から儒学、思想的側面からは名教・礼教(中国語版)ともいう。大成者の孔子から、孔教・孔子教とも呼ぶ。中国では、哲学・思想としては儒家思想という

これに反感を示したのが老荘思想?

老荘思想

老子を祖とし,荘子らが継承発展させた思想人為的な儒学思想を批判し,根源的な自然の道に従う無為自然の生き方を主張した。 魏晋時代に流行し,清談 (せいだん) の風を生み,また仏教を受け入れる思想的基盤をつくった。

そうか(´・ω・`)老子に導かれたか

無為という言葉は、何もしないでいることという意味で使われますが、『老子』で使われている「無為」は一切何もしないということでなく、作為的なことはなにも行わないという意味です。 「作為的なことは何もしないのに、すべてを為している」とは、どういう状態か。

私がたばこを吸いたくなる時というのは、何か考えをまとめる時に行う。特に目先の自分の事ではなく遠い遠い、世を憂いた『自然である事』を意識する

・・満月を見上げ、たばこを吸う、月の波動の伝わりの現象( ´ー`)y-~~
自然の生態系のバランサーは狼、たまたまなのか今日も『ウルフムーン』

前に『竹林の七賢』を考えたのはカタカムナ42首の時で、『暦』と『歴』という文字の『違和感』を捉えた

カタカムナ42首 歴と暦

月の暦は『止』められた歴史
『林の中の日』は止められた太陰暦

世を憂う賢き七人が『清談』をする
老子を祖としたら老荘思想で『無為』を求めた議論

無為についてもカタカムナ61首から伝わってきた『無意』と同じ

カタカムナ61首 無意の空間

他にも自然の行いを取りいれる『然行』であるという感覚の体験をした

シンプル哲学 善行ではなく然行

自然である事、正しい流れを求めるという役目
それはつい先日のカタカムナ69首で知った神直日=カムナホビの役目とも一致する

カタカムナ69首 無垢な根外

『今までやってきた事』が『エネルギーの相似』をした

そもそも私には老子の考え方に老子を知る前から、何かしらの『気に言った格言』から影響を受けていた

そしてその老子の弟子である『荘子』にも『シンクロニシティ』を感じたのが胡蝶の夢

胡蝶の夢とは、老子の弟子的な存在である荘子(そうじ)の言葉です。

荘周(荘子)は蝶になる夢を見た自分が夢から覚めて、人間である自分はひょっとしたら蝶が夢を見ているのではないかと考えて夢と現実が分からなくなるという話です。

荘子はどちらも自分の姿であってどちらが正しくて、どちらが間違っているかを詮索する事自体がナンセンスなんだと言います。

価値が等しい事を「斉」(せい)と呼び、全ての事象は同じ価値があるという「万物斉同」(ばんぶつせいどう)を唱えました。

夢も現実も同じ価値があり、蝶の時には蝶の姿を楽しんで、人間の時には人間の姿を楽しめばよく、自然をゆっくり眺めながら散歩の時間を楽しめばよいという「逍遥遊」(しょうようゆう)という言葉を残しています。

まさに夢で『主観と客観』、人とそれ以外の目線からの『双方の繋がり方の観点』、私は『虫の知らせ』として現実の蚊でそれを感じた

蚊の鍼灸師のレクチャー 笑顔と鎖骨の関係性

独自体感論 蚊は自然のメッセンジャー

そこまで波長が合うなら『清』の事について調べていくとこんなキーワードを見つけた

明清交替

明清交替(みんしんこうたい)は、それまで中国大陸を支配していた明から、中国東北部に居住していた満洲人の愛新覚羅氏が建国した清への移行を指す。この移行は、17世紀初頭から数十年をかけて行われた。清は、明やその遺臣、そして李自成が率いる順などを打ち破り、辛亥革命によって滅びるまで二百数十年間続く帝国を開闢した。明清交替の他に、明清交代、明末清初(みんまつしんしょ)などの呼称もある。

明、そうここだ・・私は常にあらゆる事に『明』を求めてきた

愛新覚羅家は中国東北地方(旧満州)に居住していた女真族で、15世紀に英雄ヌルハチが現れ、中国に清国を築いた

清王朝は、17世紀半ばから1912年まで中国全土とモンゴルを支配した。 その母体は、中国東北部の満洲で、1616年に満洲人(女真族)が建国した「後金(こうきん)」である。 後金はその後、中国全土とモンゴルを手中に収め、国名を清と改めた

女真族・・

女真族は東北アジア (旧満州)に住んだツングース系の民族であって,古くは金王朝を建てて活躍した が,元王朝以後はふるわず,現在の黒龍江省南部 ・書林省地方に分布し,明代に入って明国および朝鮮に 服属するようになった

なんか引っかかる・・と思って日本との繋がりを調べたら

刀伊の入寇

1019年、沿海州方面の女真族が対馬・壱岐・筑前を襲撃した事件。女真の一派とみられる集団を主体とした海賊が壱岐・対馬を襲い、更に九州に侵攻した事件。 刀伊の来寇ともいう
結果:日本の勝利。対馬を再襲撃した後に朝鮮半島へ撤退し、後に高麗水軍により一掃される

刀伊とは、高麗人がその北方に居住する女真族を呼称した朝鮮語(Doi)の音訳。この事件の際、女真族に連行され日本で開放された高麗人の言葉を、日本人がそのまま使用したと言われる

女真族に連行され『日本で開放された高麗人』?

高麗郡建郡1300年の歴史と文化

高麗郡は「高句麗」という国から日本に渡って来た人たち(「高麗人」と呼ばれる渡来人)によってつくられました。高句麗は、唐(今の中国)や新羅と戦っていましたが、戦いにやぶれ、668年(天智7年)にほろんでしまいました。

国がなくなってしまったため、高句麗から海を渡って日本に来る人たちが多くいました。その人たちを日本では「高麗人」と呼びました。高句麗・新羅・百済などから来た人たちを「渡来人」と言います。

その当時、日本は倭(わ)とよばれていました

こっくりさん(交霊)
新羅→しらない
百済→くだらない

渡来人

高麗郡をつくった時のリーダーが「高麗王若光(こまのこきしじゃっこう)」という人らしい?

高句麗から日本に渡来してきた高麗王若光の生涯

高麗王若光「らしき」人物についての公式記録は、『日本書紀』(720年)内の、天智天皇5(666)年10月に、高句麗(こうくり、BC37〜668)国王が飛鳥に送った使者のひとりに「玄武若光」がいたこと。そして『続日本紀』(797年)の、大宝3(703)年4月に、朝廷から従五位下(じゅごいげ)の高麗若光に王(こしき)の姓(かばね)が与えられたということだけである。ここで言う「姓」は苗字のことではなく、臣(おみ)・連(むらじ)・朝臣(あそん)・眞人(まひと)などの称号のことで、「王」は外国の王族の血を引いた高位の者に与えられるものであったため、若光は高句麗王族の血縁者または高位の者であったことが窺い知れる。しかし「玄武若光」と「高麗若光」が同一人物であるかに否かに絡んだ記述は存在しない

土地の人々の伝承に、若光は朝鮮半島内の国乱を避け、親族重臣と共に来日し、日本に帰化した。若光が住居と定めた高麗郡高麗郷周辺には、若光と行動を共にした人々も群居した。後にそこから離れ、他の土地の開墾に従事する者もいた。若光は村人たちをいたわったので、次第に彼らの生活を安定させるに至った。若光の死後、高麗人はあちこちに分散し、村を開いた。その際、若光を祀った「白髭神社」を自ら移り住んだ場所に遷座し、その徳を称え続けた。そのような中小の白髭神社は近在に21社存在するという。

そして高麗神社の宝物のうち、高句麗からもたらされたものとして、高麗王太刀(1口)、駒角(高麗王が乗馬した際、馬に生じた角と言い伝えられたもの。駒角は当時、国家における吉凶の大事の前兆と信じられていた)(1口)、鏡型掛仏(1面)、掛仏(13体)、独鈷(1本)、唐獅子(香炉烟吐)(1個)がある。

高麗(こま)?そんな呼び方・・と考えるとまさか・・狛犬って

高麗・狛(読み)こま

「高句麗」が滅んだ後も「こま」という名称は朝鮮半島を指す名として残り、「源氏‐桐壺」で幼い光源氏の人相を観た「高麗人」は渤海国の人。

渤海国(読み)ぼっかいこく・・

中国,東北地方 (旧満州) の南東部から朝鮮半島北部にかけて存在した国家 (698~926) 。高句麗が宝蔵王 27 (668) 年新羅と唐によって滅亡したとき,その遺民と靺鞨 (まっかつ) 族の一部は営州 (現,朝陽) に移されていたが,696 (唐の万歳通天1,新羅の孝昭王5) 年契丹 (きったん) の李尽忠が唐に反乱を起したとき,それを利用して高王1 (698) 年首長の大祚栄は独立して「震国 (振国) 」と称した。彼は支配地を拡大して唐の脅威となったが,唐は懐柔策をとり,睿宗は同 15年彼を「渤海郡王」に任じた。その子武芸王 (在位 719~737) 時代には独自の年号を使用して国家意識を強め,必ずしも唐に服従せず,また朝鮮の統一王朝,新羅とも対立したが,海をへだてた日本とは修好関係を結び,奈良~平安時代の日本に 34回遣使して貿易を行なったことが知られている

10世紀になって王室内部の紛争で国力が弱化したところに,隣接の契丹が台頭し,首長の耶律阿保機 (契丹太祖,在位 916~926) が遼帝国を建国し,渤海に迫って王都,上京竜泉府を陥れ,渤海王国は哀王 26 (926) 年滅亡した

日本とは修好関係・・があった上で遼帝国の歴史が・・

契丹の高麗侵攻

第五次侵攻

第四次侵攻以降も遼は顕宗の入朝と江東6州の返還を要求し続け、1018年に聖宗は蕭排押に命じて高麗に侵攻させた

遼軍は价州と寧辺で損害を被りながら退却を続けたが[11]、1019年2月1日、亀州で姜邯賛率いる主力部隊に退路を断たれた[11]。逃げ場を失い必死となった遼軍との激戦が続く最中、金宗鉉が開京の守備に就いていた軍勢を率い到着した[11]。士気上がる高麗軍は包囲戦を繰り広げ、遼の司令官を含め遼軍の多くが全滅した

ん?刀伊の入寇が1019年、女真族が対馬・壱岐・筑前を襲撃・・女真族に連行され日本で開放された高麗人

遼帝国は女真族に恨みをかっていた

しかし遼の貴族層の中では贅沢が募るようになり、建国の時の強大な武力は弱まっていった。また服属させている女真族などの民族に対しての収奪も激しくなり、恨みを買った。女真は次第に強大になり、1115年には自らの金王朝を立て、遼に対して反旗を翻した。遼は大軍を送って鎮圧しようとするが逆に大敗した

ふむ・・926年以降、日本と進行がある渤海国の民は、そのまま遼帝国として属国支配されたという事か

高麗との関係

993年、契丹は鴨緑江以南の高句麗の故地を獲得するためにはじめて高麗に進攻した。翌年、高麗は使を遣わして契丹に赴き、契丹の正朔(契丹の統治に服従する)をおこなうことを告げた。

その後、顕宗元年(1010年)に至る時期に、高麗は契丹に方物を献じ、契丹語を習い、婚を請い、幣を納め、冊封を乞い、生辰を賀するなどの修好をおこなった[6]。『高麗史』は、この時代の歴史記述において、契丹皇帝を「契丹主」と記している[6]。

なるほど、女真族が契丹(遼)を侵攻して連行された高麗人が日本で開放された・・と辻褄があってくる

そして日本に助けられ受け入れられた高麗からの渡来人が日本に知恵や文化を伝えた中に、高麗=狛 神道?狛犬が置かれるようになったと考えられる

狛犬の「狛」は「高麗」とも表記されることがあります。「高麗」とは朝鮮半島に興った国のことで「外国」という意味で使用されていたとされています。獅子(ライオン)になじみのない時代の日本人が外国(高麗)から来た犬のような獣神像ということで「狛(高麗)犬」と呼び、定着したのではないかと考えられています

となるとシーサーも繋がってくる訳だから琉球にもつながってるはずだ

琉球諸島出土「高麗系瓦」の製作技法と年代 : グスク瓦の基礎的研究

研究の成果:わかったこと
「高麗系瓦」と「大和系瓦」の共通性:従来の研究では、13-14世紀以降に琉球列島で最初に現れた2種類の瓦、「高麗系瓦」と「大和系瓦」は外観も異なっており、「高麗系瓦」は朝鮮半島、「大和系瓦」は九州以北と文化的・技術的なつながりがあるとされる地域も異なっていました。しかし、首里城で使用されたこの2種の瓦では、色彩や材料利用・加工、焼成条件に高い共通性があることがわかりました。

ここで、我に返る( ´ー`)y-~~ 俺は何を探しているのだ? Σ(゚Д゚)それな

ここで意識の旅の原点に戻る

満月、セブンスター、北斗七星

そう、俺が知りたかったのは北斗七星の星信仰が高麗と関係があるのかだよ!

第三節 北辰妙見信仰

朝鮮半島の寺院は山紫水明な深山幽谷に建てられ、必ず七星神が祀られています。七星神の主神は北斗七星です。高麗時代には災厄をなくす儀式が宮廷の七星閣において行われています。朝鮮寺院の中枢である北斗七星に対する信仰は、星田妙見宮をはじめとする妙見信仰として、生駒には古くから見られます。

あった、高麗と七星神と北斗七星が繋がった

妙見菩薩

北斗七星は北極星と同一視され仏教に取り入れられて「妙見菩薩」「北辰妙見大菩薩」などと呼ばれ信仰を集めた。現代でも「妙見さん」として庶民からも親しまれている。菩薩という名称だが如来の弟子としての意味はなく仏教の外部から来た神なので本来は「天部」に属する。仏教諸宗派の中でもとりわけ日蓮宗との関係が深い。日蓮の前に妙見菩薩が現れたという伝説もあり、日蓮宗系寺院には妙見堂や妙見宮が祀られている。「能勢の妙見さん」として知られる妙見信仰の聖地「能勢妙見山」も日蓮宗寺院である。日蓮宗との関わり以外にも妙見信仰は日本では数少ない星神信仰の形として膨大かつ複雑な歴史があり、表の太陽信仰に対する裏の信仰形態といえるだろう。

裏といえば邪教とされた天台宗の異端「玄旨帰命壇」では、生命は北斗七星から生まれ北斗七星に帰ると説く。男女が交わると北斗のうちの 2星が下り、胎内で結合してあらゆる生き物になるという。妙見菩薩の神秘的解釈という趣きである。仏教の死生観においても北斗七星は重要な位置を占めているのである

ここでまた、シンクロニシティが起きた

私は北斗七星の信仰を意識する前に、コロナ禍に『日蓮』に強烈にシンパシーを感じて教訓にしていた

日蓮というルシファー因子の生き様を追う(前編)

日蓮というルシファー因子の生き様を追う(後編)

そして、聖徳太子コードの書籍の中で七聖剣と北の妙見という地元にある北斗七星結界のひとつの妙見神社に行って、隕石?と思う岩に触れてから様々な気づきがあって以降・・

自分の事を薬師如来に縁がある?と感じてから、『言の葉の力』を使って人の心を『ライトワーク』で軽くする『訳詞如来の妙見狸』と名乗る(ブログ上では)ようになった

そんな法華経にシンパシーを感じて色々知ってから、いつも挨拶に手を合わせに行く八代龍神が法華経の守護の龍だと気付く夢見が起きた

法華経との縁 空海の筆と八代龍神の夢

それが『空海』に繋がっていた・・という事は?空海も妙見なのか?

弘法大師にとっては、虚空蔵菩薩は悟りの原点であり、虚空蔵菩薩を思念することによって、無限の智恵と慈悲の仏眼を開かれたのです。この弘法大師の仏眼が、後に佛眼佛母尊に感応することによって、星田の妙見山において、妙見菩薩という仏が御出現され、弘法大師の妙見信仰が確立するのです

弘法大師の仏眼・・それも調べてたな・・

神秘十字線と仏眼 守護の実感

そんな地元神社に久須志=薬師如来に法華経の守護龍、そして白龍龍神・・

白龍

そうか!この意識の旅は『白龍龍神』を調べよう!と決めてから起きている

どうやって調べようか?と『雲を掴む』ような掴みどころがなくて、とっかかりをまだ見つけてなかったのだけど・・

まさかの月の光に導かれて、たばこの煙=白龍=吐く流れ(笑)
駄洒落かよwwって思うけど、やっぱり見守られてるのか

俺の事わかってるね~(゚∀゚)アヒャ という

白龍の流れ、それは法華経、星信仰、北斗七星、北極か

北極と言えば、トゥーレ教会

北極トゥーレ教会からヒトラーと三島由紀夫の凄さを辿る

先に導かれていた・・けど、何も知らなかったから
二周目で、自分の意識の旅を、逆に振り返っていく

時間は未来から過去へと流れていく
時間逆行=原点回帰の力が白龍の力か

取り戻す、やり直して流れを正す
それすなわち、神直日(カムナホビ)の役目

真を知らなきゃ偽は見抜けない

そうか、それで「私を高麗へ連れて行きたい」という女性と結婚する夢か・・

高麗

突然なし崩し的に結婚が決まる夢を見て・・

こんな風に、導きって突然なんですよね(笑)

たばこは良くない!っていう自我の抵抗を取っ払って、今日だけ!すぐやめるから!と自分の気持ちに従った結果・・

くゆりくゆりと、たばこの煙=白龍に導かれ・・吐く流に導かれて、意識遠い高麗へと旅して、そして法華経と星信仰の繋がりを持って帰ってきました

スケールがでかすぎて・・まだ全貌はつかめないけど北辰妙見大菩薩の『辰』は龍の事だろう

私は『顕現した姿』を見ていたのかも知れない

龍雲 白竜 顔

私の龍雲写真コレクション 望めば撮れる不思議

意識のない夢の中だけじゃなく、現実でも意識は旅をしている
人生は人の間、人が作った世の中、世間とは狭い枠の中

人の間を離れ、人の世を離れる意識の旅はいつでもできる
まさに荘子の胡蝶の夢であり、老子の無為である

自分の縁という円の中を急がば周れ
二周も三周も回れば回るほど面白い

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