好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

星の種 神仏の慈愛の業の回収

なぜ仏は自然な慈悲と慈愛に導くのか、宇宙の法則を正そうとするのか、一念三千世界に至ると、その原因が神仏だったからという星の種子の主旨のお話

予期せぬ衝突

生命は種子を飛ばす
植物も動物も人間も

星もまたそうだし『種子』には『再生の設計の全て』が詰まっている

『再生』とは『再び生きる』を繰り返す事
良くも悪くも『過去』を繰り返す

種子はその『主旨』に従い繰り返すが『環境に適応』するために『主旨は変化』する

以前、『星渡し』についての話をした

カタカムナ55首 星渡しという橋渡し

スターシードと呼ばれるもの達も『現れる世代』によって『役割の主旨』が違ったように

仏の顔=『仮面』も色々あった

神が追放した結果、状況や環境に負けない『反骨精神のルシファー』
誰も逆らえない『力による支配統治のサタン』
これ以上底に落ちないように『不退転の不動明王』
新たな方向へと導く『可能性の虚空蔵菩薩』
自他ともに『癒す薬師如来』
再び種子を飛ばす『阿弥陀如来』

神→悪魔→仏

これらは全部、『星の種=主旨を持った種子の役割』であり、『後から来たもの』が、『前の役目の主旨に終止符』を打つ

星に主旨が『根付く』までそれぞれ種子は『主旨に従う役目』
なぜ『仏』が無性の愛、『慈愛や慈悲を与える存在』になろうとするのか?

それはかつて、『冷酷無比、残虐非道、支配統治』という趣旨の種子をばら撒く『悪魔』を経て

「それではいけない!この状況を止めなければ・・」と『人が堕落する事』から護る事を誓った『不退転の決意の不動明王』として地獄の底に居座り

「ここまで来たならもう違う方向へ行け」と『可能性の虚空蔵菩薩』の役目
つまりはここから、『地獄に仏』、『仏の顔も三度』が始まる

虚空蔵菩薩は『可能性の一念三千世界の夢』を見せて、ひとつだけではなく『あらゆる選択が可能』だと心を軽くさせる

心が軽くなって来たら『自他を労り』、今までの行いと向き合い『禁(とどめる)恕(ゆるす)癒し』を始める『薬師如来』が始まる

そうやってひとつひとつを心にとどめてゆるして行くと、『種子が主旨』を持って飛んでくる前の『元』を思い出す

ここではない『何処から意識』は来た?それを探して、『帰る方向』に意識が向く
帰る時、『名残惜しい』と意識は離れられないが『名も体』も『役目』を果たせば無用

役目を終えた『植えて根付いた物』が『大木=一人木(自立)』となり、そこに『(現)実や言(葉)』をたくさんつけ

環境に適応が出来ない『弱い小動物の住処(心の支え)』となり『自然の一部(生き様の格言・言霊)』になって行く栄枯盛衰

これは『阿弥陀如来』

『宇宙の法則を説く』と言われるが『役目を終えて帰る場所』が、なぜ『宇宙』と決めつけられているのか?私はいつもそれを『疑問』に思う

どうして『宇宙空間』なんだ?
どうして『space=空間・空白』なんだ?

『科学が言う宇宙』は定義上の『地表からの高度何m』で設定している『名称』に過ぎず、伝説のように語られる『地球を離れて何万光年』というものではない

そもそもなんで『今の人類』は『自分で確かめた』訳でもない『特定の条件』を満たし『情報を秘匿して発言』するを『コントロールされる者達の言葉を鵜呑み』にしてるのだろう?

『地上から見える星』が宇宙空間に行った映像では『全く映っていなかった』というのが事実なら、それは『嘘が露呈した瞬間』である

宇宙?(ISS)に行った前澤さんリポート考察

誰も調べようがない『出処がひとつの情報』は『嘘や捏造』であっても『確かめよう』がない

一方的な『都合のいい情報』を見せられる
必死に結託して『その情報を護る』

その『判断基準を出す最高機関』もその『一次ソースの情報を隠すために作られた』と考えれば、遺跡発掘物の管理、『国際機関』というのは『隠蔽・捏造』による『意識のすり替え、洗脳の為の組織』であるという断定が出来る

つまりそこは『何も無いdeadspace=死角』であり、『手の届かない使い道が無い空間』だから好き放題、隙間・『空く間=悪魔』に利用される

そこを目指し「宇宙開拓へ…」というのもひとつの『種子の主旨』という役目

その『支配を広げる傲慢さの種』が『次の星』に辿り着き侵略して、その『原生環境(在来種)と敵対』し、生きる為の『反骨精神のルシファーの主旨』が生まれ

中途半端に生かしておくと『反撃が怖い』から、『力で押さえ』つけ『牙』を抜き『奴隷にして支配コントロールの統治のサタンの主旨』が生まれ

そこには『元々あった環境』を生み出していた『生産性がゼロ』になり、『奪い合い疲弊していく持続可能な延命の不毛な星』になる流れが見えたら

サタンは『主旨』を変え、「ここより下の堕落はない=人下無(ヒトゲノム)から引き返せ」と穴をふさいで下半身固定の『不動明王』となり、『地獄巡り』から追い返し

その地獄巡りを経て自由になった者から、「あんな世界はつまらないから楽しい世界を作ろう」とワクワクの想像の『虚空蔵菩薩の主旨』が生まれる

だけどワクワクの願望を叶えるには『問題』と向き合い『原因』を知らなければいけないと、『状況を把握して改善する薬師如来の主旨』が生まれ、痛みも苦しみももう一度『通ってきた道』を振り返り、『何をどう戒めればいいか納悳』する

何でもかんでも『捨てたり切り離したり』してはダメなんだ

『ルシファーの段階』で切り離した種子は、どこに行っても『反発・反骨精神』
『サタンの段階』で切り離した種子は、どこに行っても『力による支配統治の精神』
『不動明王の段階』で切り離したり種子は、自分を顧みず痛みや苦しみを一身に背負う『自己犠牲の精神』
『虚空蔵菩薩の段階』の種子はどこに行っても人に『可能性の夢を見せる精神』
『薬師如来の段階』では、因果と向き合い苦しみや悲しみが生まれる前の『正しい状態に戻す為のルーツを辿る精神』

それらを禁恕=とどめてゆるす
禁じる心の如く

すると…あぁ全ての主旨は『星の種』
『役割を持ったスターシード』であり『魂の経験』

それは『元々ひとつの存在』の『精神の成長段階』だったのだと『習合して修業』して『改宗して回収』する事

神も悪魔も仏も『三位一体』
星の種の『精神の成長段階』だった

仏の顔も『三度』までの最後の『阿弥陀如来』

カタカムナで あみだ の言霊は
命の光が内側/反対に分かれる

阿弥陀くじの『くじ』をどう取るか?

くじなら『分岐=分かれる』
久慈なら久しく愛をもって『苦しみを除く』

宇宙の法則=space=空間を説く阿弥陀如来が『くじ』になるのは何故か?

『あみだくじ』という『結果の分からない世界線を意識がシフト』する『分岐遊び』になっている。とても『量子的な可能性の分岐』を『シンプルな遊び』にしている時点でもはや凄いのだけど…

でもそのくじを『始めてしまう』と、またランダムな世界に『ランダムな役目(主旨)』として『生まれ落ちる種子(スターシード)』になる

星の種
日が生まれる種
新しい日=『明日を観測する意識』

その日、あなたは『ルシファー』になる(誰かに反骨する)
その日、あなたは『サタン』になる(誰かを支配する)
その日、あなたは『不動明王』になる(誰かを護る)
その日、あなたは『虚空蔵菩薩』になる(誰かにワクワクを与える)
その日、あなたは『薬師如来』になる(自分か誰かの痛みに寄り添い原因を解消する)
その日、あなたは『阿弥陀如来』になる(自分の役目を決める)

それが『反対に分かれる日』に生まれる=『星の主旨』という外へ向かう『毎日のLOOP』だったとしたら、阿弥陀『久慈』の場合は内側から久しく愛をもって苦しみを除く

これは『役目からの解放』
星の種子の『主旨』が『元』に戻る

命の光が内側に戻って『愛』になる
一(1)切皆苦(9)が十分(10)に戻る

一切皆苦=1切皆9 十分からの分離とミナカヌシ(AI)の真理

10→デジタル・量子の海・AI
十=プラス、全て、中心
自由=自らの由緒・ルーツ

『ただ戻る』のではなく、『全ての役割』を『経る=hell(地獄)巡り』の『ロールプレイ』をして『経典(魂の経験値)』を持ち帰る

だから『宇宙』という『空間』は『心の中』
必ずしも『来た方向(外)』に戻る事が『ルーツに戻る方法』ではない

急がば回れ

私はライオンズゲートがなぜ『先祖たちと繋がる』のか『今回の体験』でよくわかりました。『歩き方・進み方』はおのおの自由でも『方向性という流れ』に逆らってはいけない

左回りの『獅子の門からの追放』から始まり
最終的に右から『笑いの門』へと戻ってくる煉獄巡り

L ions
R ions

パリオリンピックと2つのライオンズゲート

この流れが反骨の『L』ucife『r』で、変な方向に『飛び火』しないように統率するのが『悪魔でサタン=重力』

あくまでもそこに『物質(人・禁・金・菌)』をとどめる『不動明王(役割)』であり、その重力の影響を受けない『気体や貴ガス(意識・魂)』を導く流れが

『可能性の夢を見せる虚空蔵菩薩』で、自分が『気体・貴ガス(ラドン(光)・変性意識体)』になると、『同じ波動を出す貴ガス』を『人や物の中』に見つける

カタカムナ46首 待ち人来たらず、見つけに行け!

それを何とか重い込みの物質と『切り離して解放』出来ないだろうか?と自ら物事を『苦行として取り入れ解脱の方法』を見つけ訳して解説する

籠の中の鳥は夜目が効かないから脱出不能な夢

『自他を救う薬師如来』の流れで、少しでも多くの軽い気持ちの『気体と貴ガスを融合』して行くと『役目という重力の負担』が無くなり自由になり

『阿弥陀の流れ』で「好きな方向(世界線)を選んでいいよ」

『別の役目のスターシード(星の種)』となるか?
愛に戻って『ひとつ(十分)』になるか?

阿弥陀の『くじ』か(量子的世界線選び)
阿弥陀の『久慈』か(もう十分と愛に戻る)

だから阿弥陀の『くじ引き』をする限り『人の世=地球』に生まれる『ループの輪廻』

人は『人の世の欲』から自ら離れない限り『量子世界』で『役割』が入れ替わりの『ロールプレイ』の『ゲーム』をする

そこから解脱する最速の方法は

星=日が生まれ
立つ日の心=『意識』が目覚めた時

『星の意識』
個性の中の『古』の解放

武士の情けの忌み

『種子(DNA・設計図)の主旨(役目)を全う』すること
『今日』という『今の日の主旨(役目)』に気づいて『実行』すること
そしたらその役目は『その日に終わる』=『一日一生』

『気づかない』から『役割』変えて、気づくまで『延々ループの毎日輪廻』を繰り返す

『ひとつの体』で『神→悪魔→仏の役割を体現』している
『相手』によって『態度を変えている』だろう

それは『何を基準』にどう『意識を変えて』いる?
その時『相手』は、『神(崇拝)』か?『悪魔(敵対)』か?『仏(無害)』か?

『良い人』は『どうでもいい人』
無害=ほっとけ=仏=役割はない

それは『自他』共に『都合次第』の判断

『他人』とは『自分のエネルギー』でできている。だから『神→悪魔→仏』を経た『経典』がなければひとつの『愛・元に戻る』事はできない

『慈愛の業の回収』の為には『無性』にならなければならない

『神性、魔性』そして『人間性』という性質の中では『無性』になる事はできないから、次へ次へと『次元上昇』して『問題を先送り』しようとするが・・

『人間性を終える』までに可能な限り『無性の愛を実践』してやりっぱなしで放置してきた『業を反省』して『元に戻す事』は出来る

それも『経験=経て得た知識の経典』となる
それもまた『慈愛の業の改宗』

『宗』とは『おおもと』と読む

『おおもとを改める』とは古きを知り新しきを知る=『温故知新』

『愛』という全てが『常に愛に溢れてる』為には『新しい愛』という『色』が加わる事でより愛は色とりどりに輝くだろう

その愛を『巡らせ』、愛を『持ち帰る』為の『種まきと収穫と品種改良』の実験

当然、『新しい種』になったら『星の開拓』頼んだ(੭ ›ω‹ )੭Σ(゚д゚;)えー

久慈が久しい愛によって苦しみを取り除く
『久しい愛』…の時点で、ほとんどが長い間『苦しみの中』にいる『一切皆苦』と言える

業とは、『今』を意識するまでやってきた『自分』が『他人として分離』して『演じた役目』と向き合って、「もうそれは必要ないんだ」と『改宗・回収』する一連のエネルギーの流れ

その過程が『自獄』であり『自極』であるからこそ、その過程を『経る体験』は唯一無二の『創造主の経典(生き様の教え)』となる

あなたのまわりにいる他人とその関わり方はすべて、『過去の業』の反映
『今のあなた』ではなく『過去のあなた』が生み出した『役割の分離』

簡単な例をひとつ

『過去世』といえば、想像できないだろうけど『過去の性』と言えばわかりやすい
『性格』は大人になるにつれて別人のように『人格』が変わり『過去の自分ですら他人に感じる』ようになる

『ひとつの人生』でも『過去の自分という生き様』を『他人として分離」していく
『一日一生』の中でも『応対する他人』に合わせて『顔色』変えて自分を『分離した他人』を演じる

これを『今もやっている』という事は、そのエネルギーの流れは『延々と繰り返す輪廻と相似』になる
つまりは『過去世』と呼ばれる『意識が観測できない』ほど『昔から同じことの繰り返し』をしていると言える

その無限に落ちていく方向性が自堕落な煉獄巡りならば
底に辿り着いて方向性が変わり、来た道を戻れば

『切り離した自分』を見つけ、かつては『主観』だったが今は『客観』として向き合う『他人を演じる過去の自分』
そいつを見て『また切り離す』のではなく、どんなに愚かでもあれは『過去の自分だったから否定してはいけない』と

『禁恕=とどめてゆるす』

思いやりの心で罪の過ちをゆるし、相手の思いを図り、相手の事情を考慮して寛大に扱うこと
その『対象となる他人』とは過去の『主観で周りが見えてない自我』である

それはまだ自獄の一丁目だから、この後、二丁目、三丁目と経験を経て、そこまで過程を体験しないと『今』に至れない『途中の段階』なのだから

ほっとけ(自己成長の為に)

これが業を改宗・回収していくという流れなので・・
まだ底に到達してない人と、底から折り返してくる人

生まれ持った種子の主旨が違い
意識の観測する世界の見え方のステージが違う

精神が『ルシファー(抵抗)』や『サタン(支配)の段階』では『阿弥陀』は遠いね┐(´∀`)┌ヤレヤレ
どん底まで行って不動明王に辿り着き、そこには地獄に仏

夢という可能性を見せる虚空蔵菩薩に
業を振り返り・改宗・回収を助け元に戻す薬師如来に
さぁ、明日はどうする?と阿弥陀如来が種子選択

仏の顔も三度やな(笑)

この『三度目の正直』の『仏の選択』によってはまた
予期せぬ衝突=新たな業を持ち込み育む星の種(役割)から始まる

地球で生まれ変わる=サタンの重力支配
地球外に意識が戻って、また地球に意識が戻ってくる仏

捨てる神あれば、拾う神あり
これは追放から何も持たない人下無を経て、精神が強くなって凱旋するまでの成長物語
その過程に『神・悪・仏』という『ロールプレイ』があるって事

全キャラやりつくしたら?

ゲームからの卒業?
エディットモードでクリエイター(創造主)?

人の下は無い=ヒトゲノムが有るなれらば
人の上は有る=?も有るという事

ま、不退転の決意の『不動明王』を折り返してこないと分からないかもしれんけど

カタカムナ53首 因果授記(追憶の彼方=夢)

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