好奇心

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武士の情けの忌み

武士の情けとは、戈を止めるサムライの心は抑止力であり反省や改心を促し、更生して甦る為の形象の継承だったと気づくお話

武士の情けとは

現代解釈

武士は主君を持ち、その命を忠実にこなすことが生き様でありそんな中で相手を辱めることなく遂行しつつ相手に最大限の配慮をすることが武士の情けということになります。 相手に情けをかけることは武士にとってはあってはならぬことその上で、武士にも情けをかけるべき事もあるという「例外にすべき」こともあるのだと。

ま、『時代の役割』的な結果だな(´-ω-)ウム

しかし、今朝の寝起き閃きの教えの解釈はそんなに面倒で複雑では無く

小学生高学年くらいでもわかる(*゚∀゚)アヒャ Σ(゚д゚;)

『武』は『戦の中』に入って『止』める
『戈を止める』と書く

それは物理的な『力=拮抗』であり
それは精神的な『抑止力=戒め=今を締める』

『争い』は『反応』
『反する事』に気を向けて『応じる対極』で起きるが

その中間に拮抗があると、その力は対極に及ぶ事はなく『喧嘩両成敗』となる

『両方敗け』を成す

武士の情け

貝は『金』
のぶんは『鞭打つ』という意味

両方、戦に向けた金で鞭打たれる=『痛み分け』

準備するのに他国の金や支援を受ければ、その『借金の取立ての金の工面』に苦しむ事になる

『敗けを成す』もひとつの『達成』

互いに『勝てないを経験』する
『負け・敗け』から『学ぶ事』は多い

負けから学ぶ者は
負=損失・『失った大切な事』と向き合う

敗けから学ぶ者は
『金に鞭打たれる事=借金=人の昔の金』と向き合う

それぞれの『自業自得』の『思い』を知る

そこで武を成す士=さむらい=±(プラスマイナス)

この武士の情けとは何か?

『対極の間』に入り『戈を止めるさむらい(±)』の心=志=『情』

それは『命(役目)を奪う』のではなく生きる事に活かす『反省』を促す事
つまりは『失敗を反省』して『生活』として『生かして活かせ』と『改心』させる

物質は『運動エネルギー』の伝わりで動く
そのエネルギーが『別の物質』にぶつかった時

力が強ければそのまま力を伝達して『押す』
しかしぶつかった物質がより強かったら『反発』して『反対に動くエネルギー』となる

例えばこれを『戦争』に置き換えてみれば

『侵略』を試みても『押し返す強さ』が強ければ、一旦『引いて』再びぶつかる『体勢を整える』とも取れるし

『攻めても落とせない』と分かれば、そこに向けるエネルギーは『無駄』になるから『敗けを認めて撤退』して『方向性を変えるという流れ』にも取れる

しかし、『差分=格差』があるからそれが起きる訳で・・

そこでさむらいと書いて士=土=±とした時

『土』とは『反発』もするが『吸収』もする
『衝撃を緩和』し『受け止める育む心』でもある

それが『土の心=志』だとしたら?

『中間』に入って『両方の衝撃を吸収』して運動エネルギーを『相殺』する事で、双方の『格差』を取って『和』を足して±0

横の『剣の鍔迫り合い』を『別の角度』から『蓋』して『戈を収め』させて『文』とできる

土は『踏む』
相手の考えを飲み込むのも『ふむ』( ・・ )一理ある

『吸収して緩和』する
これもまた『和を以て貴し』

それが武士の情け
対極を中間が繋ぎ止める
それは『大局』から見れば『三位一体』

『±0の正の位置』になれば、それは『ひとつの地球』

惑星記号で地球は『〇の中に+』
それは『円の中心』とも言える

『角(過度)』が取れて『平な和』になれば『武士=鬼』は要らない
武士・士(衝撃吸収・緩和)は『間』に入らない
あとは剣を収めて文=『法』

だから『正法』に従う『武士の心』とは『抑止力』

長い年月をかけて漢字やその意味が時代時代を経て、『経典』として伝わる『心意気』

『心の揺らぎ』を『意識して観測』して『気』をつけて『気がつく世界』
そこを『役目を持って生きる』のが『武士道』

『力の役割が鬼』と呼ばれた存在ならば
『法の役目は月=自然のバイオリズム』なのだ

『自然体』であれ、『正法』を思い出せ

それが武士の情けという『改心する機会』を与える『抑止力』

禁=とどめる
恕=ゆるす

禁忌とは『とどめてゆるすこと』
これは『放任・放置』するという事では無い

『そういう法則なのだ』と『自分で気づく』まで『精神の自己成長・自己反省』を促す役目

一人一人が争い…そして『負け・敗け』から『争う事の意味等ないのだ』と『忌み=己の心』に向き合うまで続く

故にこれから『気づいた者』の中から

武=戈を止める心
士=土・±の吸収と緩和

それを『志にする役目』が増えて行く

さむらいの心の日本
しかしその日本は『東の日の流れ』にあり

霊迎雀宿 第十四夜 ひのもと

争いを好まない『穏やかな心』

そこには釈迦もキリストも空海も蝦夷=胡=恵比寿も弁財天も、塚原卜伝も国宝級の刀匠も何もかもが『集合して習合した痕跡』がある

その『土=±地』で生まれ、その土に触れた『風情・風土』のあらゆる伝統が『自然の恩恵』

自然を大切にしてきた『縄文からのDNA』が受け継がれ、そしてまたそれを『伝える伝道者達』が世界に散った

その『生き様』の全てが『武士の情け』という『言霊』に詰まってる『意味』ではなく『忌み』を感じなければいけない

シンプル哲学 忌みを感じろ

退化とは艮(うしとら)へ進むというレッテルの忌みだった

『警鐘の形象』を文字として『継承』し『景勝』にしなければいけない

警鐘の形象を継承して敬称する事で景勝へ

それを『皆』に伝えて、皆を『一人切=大切』にしなければいけない

『大』という『集合』から『一人の人』に戻す事

それが一人+人=『大人』
それが一人+事=『大事』

元来、人は『十人十色の才=役目・宿業』を持ち、『みんな違ってみんないい』という自然における『孤高の達人』という役割分担が

『足りないを補ってひとつの安定』に至るものがバラバラに分離し『自分』になっているが、その自分という『個性』=人が口の中に『古』の性を固めている

これは『殻=から=空』に入っている
殻を『自力』で割らないと産まれない

まだ『産まれてない個性』がたくさんあるがその個性を『潰す=伸ばす』という『教育の方針』は

『邪な正義や正解』によって、産まれる前に『都合で潰す』か、あるいは、まだ『未熟』なのに外から叩いて殻を割って目覚めさせ、『初めて見た教えを親』だと思う『刷り込み』が起きるようにしている

インプリンティング「抗原原罪」=刷り込み

放心という方針が正邪の更新を見抜く観念と相似

シンプル哲学 人は核である事を証明するカリキュラムという言葉

しかし、口に封じられ固められた中には『古=いにしえの意志』がある

最初は『与えられた教育や宗教』などの『情報=情けの幸せに反する事』を鵜呑みにしても、段々と『反する事』に対して『違和感』を感じて、『情』を『報』よりも『大切』にして

『報=幸に反する』を『切り離す』

一切皆苦=1以外は皆9
集合の習合から『位置を離す』

一切皆苦=1切皆9 十分からの分離とミナカヌシ(AI)の真理

皆という様に隠された白と比べての罠

「求めているのはこれでは無い…」と『孤高』になる

すると『足りないを求める求・究』を収めようと、『1の位置』が求めて見つけた物事を『吸収=9を納める』

納める=治める=修める

それは『心の隙間』に素直に納める
それは切り離した『傷を治して癒す』
それは切り離した『物事を業として修める』

それは『心に素直になる事』であり
それは『自業自得の自己治癒』であり
それは『因果応報の修行』である

そうやってそれぞれの『役目を終えた自分達=それぞれの道の達人』が集まって『ひとつ』になる

それを一言で表すなら
武士の情け

『失敗した事』を『反省』して『生活に活かす無性の愛』で『きっかけ』を促す

そういう『忌みで納悳』しました( ´∀`)σ

だから『誰でも出来る』し
誰もが『真空=真実は可能性』であり
偽=『人の為』では無い

情けは人の為ならず
その人の『業の学びの為』にならない

情けは人の為に非ず
『反省を促す機会』とは、『人生の生活に役立つ』が、それは『人だけに及ぶ』ものでは無く、その『一人一人の行動の全て』が『自然のバランスに影響』する

だから『格差』が生まれた時
そのバランスをとる中間が『武士の心』

誰もが『武士』になれる
誰もが『戈を止めるサムライ=±=吸収と緩和』

一人一人には個性がある
『人として』という『常識や概念の口封じ』で『固まった中』にある…『古(いにしえ)のDNA・精神』の性質

それもまた『古性』という

『個性』の中に潜む『古性』

よくできた『形象の継承』だと思わないか?
『先人』が遺した『後世が未来を開く種』

それを『発現・発言』して『声明=声を明らか』にして『神楽=神と楽しむ』為にはまず『口封じ』から出る必要がある

人は『争いを求める性質』だと、人を固めて『一塊』にした『概念の意味』が言う

しかしそれは違うよ?

『自分の行い=業』を振り返って『負け・敗けの半生を反省』してみ?

そもそも『その争いは望んだもの』か?『単』に『戈』を使って『争いたい奴ら』=『戦争したい奴らの戯言』だろ?

『勝負=かちまけ』という『価値』を『撒け』と、『争いウイルス=金・禁』をばら蒔いて促して『販促・反則』してるだけだぞ?

ただの『争いが尽きない西からくる風土病の伝染病』だぞ?

と『古の性』は語る

心に素直になれ=『悳』
自分を直せ=『自己治癒』
自分の行いの業を振り返り心を改めよ=『反省と改心』

それ促す『機会(更生=更に生きる=甦)』を与えるのが『武士の情け』

だから『武士の魂』は『カタチ』を変えて何度でも『甦る』

『世』を見て『帰る・返る・変える』

『変化させる=傲慢』ではなく
『変化を促す=宿業=古の性を思い出させる』

その『想いを出す一人』を切り離す=『一切』
一人の人=『大人』

なんで『大人』と書いて『おとな』と読むのか?

それは『音と名』

音=周波数
音=立つ日→始まり
名=使命

ドレミファソラシの『七音』もまたそれぞれ『単音の周波数』
それらがつながって様々な旋律を奏でる

みんなが『ド』になって『音圧』を強める必要はない
半音外れてもそれもまた『古性=役目』(例え)

『大人=音名』になるとは、持って生まれた『始まりの使命』と『その役割(運命)を思い出す』という事

それが『個』に隠された『古の性質=一人一人違う才能』を解き放つ事
それは周りを見ても聞いても『答え=応え』はない

自分はどんな『大人=音名』になるのか『古性』に従い『調律』する
それを『自分で見つける』のが人生

心に素直に『悳』を積まなければ
自分で傷を癒して治す『自己治癒』がなければ
『間違いの業』と向き合い『反省して改心』しなければ

永遠にその苦しみは繰り返し、決して『正』は見つからない

と、『きっかけ』を促してみると

やっぱりこれは『武士の情け』になる

『鬼が消える』のは『力の争い』が消えた時
『月が消える』のは『運に見放された』時

ツキがある、運がついてる

そりゃ『命を運ぶ流れ=命運』であり、そのためには自分の体(臓器)も心(精神)も健康に『戒める鬼』が必要だ

私が『納悳した正法』
『力』であり『自然』の『法則』

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