狂った社会で心を穏やかに保つために知っておく「正気」の言霊の法則を知れば生き方と活かし方が変わる事について
正気とは何か?
正気
意味:異常のない精神状態。本気。天地の間にあると考えられる、おおらかで正しい、公明な気力。また、人間の正しい意気・気風。
面白いですね、全(利他)と一(利己)です
以前こんなまとめを書きました
どちらにも偏りすぎては行けないバランスを保つシーソーのような左右の中心エネルギー
そしてもうひとつ、『上』と『下』が繋がって『止』まる=正という三位一体を表す文字
この上下左右の重なる位置をシンボルで表したらこうなります
十 プラス/十字架/中心
ここが正気であり、この位置を保つ事が『正気を保つ』という事であり、それは利己と利他を放棄したゼロポイント
私はこれを独自体感論では明鏡止水と考えてます
これが正気という中心点ではあるんですが…そのバランスを保つには気力が満タンでなければダメです。例えるなら丸い玉の中が空洞でその中に重りの玉が入っていたら左右にコロコロ転がってしまう
明鏡止水の記事でも書いてたんですが、気力が充実してない状態で、いくら瞑想しても、心が隙間だらけで雑念入りまくりで不安定( ̄▽ ̄;)
気がかりが多い状態は自分の中の気力が外に向けられたまま、気を張って(警戒)戻ってきてないという事です
そこで正気を取り戻すという事を具体的にかつ遠回りに伝えていこうと思います(急がば回れ)
気持ちを切り替える、気持ちをリフレッシュするという表現があるように、一旦心を空っぽにするリセットが必要です
例えるならば車のオーバーホールです
長い事乗ってる車も走れば走るほど疲労は溜まり、オイルやススの汚れで100%のポテンシャルが95.90…とMax出力でも目減りしていきます
車ならパーツ交換できるけど、人間はできない・・と思うじゃないですか?実は違うんです(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
人間の心のススやオイル汚れというのは、そうなる『状況や環境というストレス』を発散する事で消えます
・・いや、ストレス発散と言ってもそう簡単に行かないわ!(# ゚Д゚)ノ Σ(゚Д゚)
って言うのも分かります
人が一番ストレスを感じる原因というのは、環境ですが、環境とは人によって造られます
つまりはストレスの元は人です
じゃ、人から離れなさい?
いやいや、そんな当たり前の事は言いません
なぜなら人嫌いで逃げた人は、どこにいっても永遠にそれを繰り返します
それで孤独になった時に、あ〜(´>∀<`)楽になった!と感じるのは一時であり、大抵の人はほとぼりが冷めたらまた人との繋がりを求め始めます
つまり、人から受けるストレスなんてものは一時気にしなくなるだけで発散できるんです 気持ちを切り替えるとは新たな心構えを持つという事
物事への向き合い方や受け止め方を変えましょう
気掛かりを手放せ!
まず、気にしたところで『今はどうにもならない問題』ってあると思います
①目の前にない(物)・居ない(人)
②今すぐこの瞬間に起きることは無い(問題・事件・事故
③今心配しても意味が無い(問題が起きるとしても今ではない)
こういう目に見えない不安が心残りや気掛かりでストレスの原因の人って多いと思いますが
はっきり言ってその気掛かりは無駄です(笑)
大抵の人は〇〇という問題が起きなければいい・・という不安とそれを打ち消す希望の可能性の想定に気力を割いてる状態ですが・・もしも、その起きるかもしれないと懸念してる事に繋がる行為や行動をすでにしたのだとすれば
それは起きる時は起きるけれど、起きない時は起きないという量子的な観測不能だと割り切った上で、それは今この瞬間ではない という事をまず認識するべきです
仕事で失敗したかもしれないが、明日出社してみないと分からないとか
家出る前に鍵かけたっけ?家帰って確認しないとわからないとか
今考えても仕方がない未来の可能性の事に囚われて無駄な気力が割かれます。そんなに心配なら今すぐ何を捨てででも動いて確認に行け!それができないならもう諦めて、結果を受け入れて次に進め!
気にした所で生はない
仕事で失敗が発覚して問題が起きるなら、起きる前提で問題を処理する方法を具体的に考える事に気力を使えばいい(問題を乗り越える覚悟)
鍵閉め忘れて空き巣に入られたとしたら、それは自分の不注意が引き起こした結果であり、それがあったから二度と忘れない自分への習慣の戒めになると受け入れればいい
もしその問題が起きたら近所にも空き巣対策を呼びかけ、空き巣が寄り付かないように再発防止にみんなで不審者を見張るご近所ネットワークの発起人として経験をシェアすればいい(再発防止・利他の行動)
起こした行動には結果という影響が着いて回る …というのはあくまでも、たらればの事が起きた場合の話であって、これを思考している時は、何一つ事は起きていな脳内思考シミュレーションの話
つまりは瞑想の中の迷走であり、気にしなくてもいい想像の未来に向けて使ってる気掛かりから気を回収しよう
起きたら起きたでプランB( ¯−¯ )
と心構えを変えれば、今という瞬間に、タラレバの量子的な可能性のシミュレーション世界に割いていた気力が戻ってきて元気が出る
そうやって、それは今必要か? という不要な気掛かりを断捨離して一つずつ気締めをつけて行きます
すると、いるものといらないものを選別した時に、不安や興味から紐づいたタラレバの暗い未来想像というのがだいぶ省かれます
だって起きる前提で受け止める事で、起きなかったら?というパターンを考える必要がない(起きなかったらラッキー)その分、起きたらどうするか?の対処を考える余裕ができる訳です
同じ容量のエネルギーであってもエネルギーの質を変える
そもそもコントロール不可能な邪魔な気を排除し、残った不安の可能性についても、逃げずに向き合って自らコントロールして正気=中心に寄せて行く事で気持ちが軽くなってきます
そこまで来たら気分転換に今やりたい!楽しみたい!と感じる行動を取ってリフレッシュです(´>∀<`)気晴らし
自分が笑える事
楽しめる事
無意識に人に笑顔を向けられる事
これらを積み重ねて行くと、気持ちのオーバーホールが完了します
その状態で瞑想すれば気力が満タンなので右往左往しないで正気=中心を保つのは簡単です。その状態において何かを思考するテーマをポーンと放り込めば、右にも左にも上にも下にも傾かない
正解=十=自由な閃きやアイデアが導かれます
この状態がとても気持ちがいい瞑想です
その状態が安定する事を私は氣が巡る、氣が充実する=心穏やかという感覚で認識してます。なので別に座禅組んで、手を広げて、変なポーズしなくても人は瞑想できるんですよね
と記事を書いてる時間がまたしてもちょうど919 私の誕生日であり、エンジェルナンバーだと「あなたに与えられた使命は、形になりつつあります。望みが実現することを強く信じてください」
だってさ、そうだね、多くの人に正気を取り戻してもらうために(。-人-。)祈。だから( ゚ ρ ゚ )ボーっとしてる人って心穏やかだけど意外と頭の中こんな感じ(笑)
正気の派生の状態の面白さ
正気についてどういう状態かは、気力が充実し、物事に右往左往する事無くどっしり中心に安定し自由自在に自由意志で選択をできる状態を表すと説明しましたが
その状態は実は同音意義の言葉にも共通します
勝機
右往左往と刻一刻と変化する状況において、中心から全体を把握できるからこそ突破口を見出し状況を打破できる勝機を見出す事ができる
商機
右往左往する情報の中で市場の動きを読むには中心で全体を見るという、私利私欲のエゴまみれの中で正気を保つという事は同時に流れの転換点を読む商機を見出す事ができる
将器
将軍は右往左往する状況に流されないで判断・決断する、どしっと構えてられるのは中心から大局の動きを見ている。ある意味、正気を保ち将器を持つ主君を選ぶ事も大局を見出す事でもある
これが正気を保って心穏やかに中心に自由意志を持つ人、あるいはその状態になった時にしか分からない共通の見え方
人間である以上、バイオリズムで完璧はなく、時に中心ではなくなる時もありその時は大局を見失う事もある。だからこそ、常に正気を保つ=中心=十=自由であれば、自ずと勝負でも商売でも上手く行く
敵(全体)を知り己(中心)を知らば百戦危うからず ってね
人の言った事を耳にしない、人の言った事を口にしない、流されないで中心にいるからこそ、上下左右好きな方向に自分を進ませる事ができる。これこそが、正を超えた聖の道
最後にもうひとつ
正気の言霊のロジック
しょうき
示しが自然に新しく生まれたエネルギー
正気とは中心=十だからこそ、拮抗するエネルギーが一点に集まっている。ここに示しが自然に新しく生まれるとはどういう事か?
エネルギーの拮抗する向き(示し)を変えたらどうなるか?それは四方が八方に広がるシンボルになる
これは二重の太陽十字のシンボルだそうで
四方八方のエネルギーを中心でいなして、エネルギーの放出する方向を変える事を繰り返したら、それは自らが太陽のようにエネルギーの中心地で分配して与える役割になる
そして、これが惑星地球のシンボル
そうやって考えると、正気とは自らがゼロポイントの太陽となって全てを照らすという事でもある
でもそうなると示しになる必要がない
という事は「し」が取れて陽気になる
新しく生まれるエネルギー
陽が生まれるエネルギー
正気を見出す
勝機を見出す
商機を見出す
将器を見出す
中心で安定する穏やかな心
それは周りにいる不安や恐怖に怯えて道に迷っている人に取って太陽という存在である事なのかもしれない
なんてな(´>∀<`)ゝ Σ(゚д゚;)
まとめ いつも心に太陽を(本質)
心がポカポカするとか
陽だまりの匂いがするとか
穏やかで心が広くて落ち着いた人を表す時の抽象的な表現は感性で本質を感じ取って出てくる素直な真理なのかもしれない
正気=三位一体=中心=十=自由意志のゼロポイント
そこからどうするか?を決められる
その時、そこに行かなければ見えなかった別の選択を生み出し、その選択によって生まれる相反する拮抗したエネルギーを別の方向に活かす事で、また新たな示し(向き)が生まれ、それに対する反対のエネルギー側が生まれ・・でもまたその中心で新たな示しの選択を見出す事を繰り返して行けば
それはいずれ四方八方に広がる太陽のようなエネルギーの中心核になっていき、どんな状況でも中心バランスがブレなくなるだけじゃなく
周りに陽だまりのエネルギーを発する本体になる
その輝きが遠くの星になれば、人々は星に願いを叶えてくれと帰依するようになる
( ¯−¯ )そこがダメだぞ!Σ(゚д゚;)
気が外に向いて、気が散って、自分の中心に気が向いてない証拠(笑)
そんな周りの事も気にしないで、手放して自分の中心を見出す
周りに気を取られない事が正気を見出すという事
よくできてるなこのシステムw
結局は他人や周りの環境を気にしてる時点で、永遠に自分の中心にはたどり着けないってこった┐(´∀`)┌
そういう意味では、ゼロ(嘘から離れる)になるのも大変だったんだな・・0から1(精神世界を肯定)にするのも大変だけど、素直に認めたからこそ、飛躍的に変化が起きて今に至るというね
ほんと急がば回れだね
余談ですが、もう10年前に、作詞と策士と錯視という同音異議語について書いた記事があったのを思い出して読んでみたら・・まだ精神の世界を肯定も否定もしていない視野の狭い頃の私の人格でも、今回と同じように中心を模索してたようです
心にしみました。好きな言葉中道にも通じる気付きありがとうございます。
ツヨシさん いらっしゃい
何気なく取った行動・・と同じ言葉の同音異議を調べたら、考えてみれば一緒だなwっ程度の事で、真ん中、中道、中心のぽかぽかの太陽の気持ちになってみれば、なるほど、世界を明るくも暗くもするも自分次第だね(≧▽≦)っていう意味で私は毎日明るい太陽でいたいと思います
お邪魔します。
最近、胎蔵曼荼羅に興味があり色や形の一つ一つ意味を求めて“宗派を超え”色々な本やネットを漁っているのですが。
そんな今日、この記事!
「二重の太陽十字」が私からすると曼荼羅の中心「中台八葉院」とも読み取れ、この深過ぎて難解なソレの一部をわかりやすく、体現的な文章(どストレートな方便)にしてると言う…この記事に感服致しました。
「知っているだけでは意味もなく、実践あってこその真意」
さらに読者に伝えるべく、実践する恐るべしライトワーカーに敬服いたします!
ナカジーさん いらっしゃい
胎蔵曼荼羅って初めて聞いて調べましたが、なるほどですね。真理の探究って今に始まった事じゃなく、先人達が色んな国で色んな時代に、その時代にあった考え方で表現をしていたのだから、カタチは違えど捉えている本質はたぶん一緒なんでしょうね
だから知ではなく智であり、もっと言えば観と感なんでしょうね。前回の記事でも、聖典のカノンに、自由自在の観音、それに人は感応して官能みたいなw言葉遊びが誰かの気づきのヒントになるライトワーカーのお仕事になるなら本望です(≧▽≦)