この世は完全にデジタルモデル(VR)の中とわかった『ブラックホールは目』であり、理論上あると言われたホワイトホールがなぜ見えないかという量子もつれな気づき。そのスケールの向こうに何(想定)を見出す?
宇宙のブラックホールは『目』である
ふと、おすすめに出てきた動画が気になったので飯食いながら見てて閃きが来た(´~`)モグモグ以下は私の『独自の置き換え思考』なので、柔軟に捉えられるかはあなた次第です
まずはこの画像を見よう
これは理論物理学におけるブラックホールの仕組みで、科学的には『体積』ではなく『面積』に比例するらしい
体積=立体=3次元が面積=平面=2次元・・これを聞いた瞬間に「それって…」と思ったらその次に出てきた理論物理学の想定が『ホログラフィー理論』、つまりは『平面からの投影』
これで私は気づきましたが、これを読むあなたにも『すぐに体験』してもらいます。部屋を暗くして光を消して目をつぶって、そして激しく眼球をグルングルンと回したり、左右に動かして下さい
左右それぞれに『〇』が見えると思いますが、おそらくそれは『自分の目』、もしくは目にこびりついた『光の残像』ですが・・〇の周りにぼや〜っと『追従』すると思います
これが『ブラックホールの観測の正体』です。ブラックホールは光すら飲み込むため存在は見えないけれど、光が周りに集まるから『光の輪郭で捉えている』訳ですね
明確な理由を解説します
科学的なブラックホールは3次元の『空間情報(体積)が圧縮』して潰され引き伸ばされたように『平面(面積)』になるという理論の他に、理論上、観測はできないけれどどこか『ホワイトホールに繋がっているはずだ』と結論を出してます
はい、これが先程、目を閉じて眼球を『左右』に降ってもらった時に見えたもうひとつの『ホワイトホール』です
左目が捉えた投影世界(2次元・面)
右目が捉えた投影世界(2次元・面)
これらを両目が同時に捉えると、『似て非なる2つの平面』から『立体空間を作り出す技術』が立体交差、並行視における『仮想現実VR』。裸眼でもできるマジカルアイです
できる人は、この動画でも目の前に浮き出るAR(拡張現実)を実感できますよね
実際VRゴーグルはこんな仕組みです
つまり後は『ワールドスケールと観測位置の問題』です
宇宙のどこに現れるか分からないブラックホールとは、『2次元を覗き込む観測の目』であり、それは同時に似て非なる反対側にもホワイトホールが存在し、2つの二限世界の宇宙が『立体交差して一つに交わった空間』になっている
私達が『目に見えるこの世』と読んでいる宇宙の観測者の目を『ブラックホール』といい、『見えないあの世』と読んでいるもうひとつの宇宙の観測の目を『ホワイトホールと定義』しているけど
『右の世界』にいる間は『左の世界』は捉えられない=右目から左目は見えない
『左の世界』にいる間は『左の世界』は捉えられない=左目から右目は見えない
『お互いに見えない』のに…「もしかしてあるんじゃないか?」と感じているのは、それは『同時に重なっている』から『有るのに無い、無いのに有る』という事象を感じているから
そこで例えるなら
現実派は夢を見る事も体験もできない
夢派は現実的じゃないし現実に馴染めない
これは『相反する世界が同時に重なっている』から『善悪や光闇の二元性も同時に混在』している
と、読みといた時
それを『一旦リセット』する方法が『目を瞑る』
昔の人は「顔を洗って出直せ!」と言ったのは、顔を洗う行為は必然的に『目を瞑り目をごしごしとこする』事で、『目からウロコが落ちる』という表現もあるように、その鱗が魚類なら『魚眼レンズ』で『平な世界も丸く見えてた(錯覚)』と気付く意味合いもあったとしたら
昔の日本人はどれだけ『精神が達観した生活習慣』だったんだよと(笑)
そして、もう一度、〇(目蓋の中の目)と向き合ってみて下さい
科学では『ブラックホールの周りに見える光』は体積が平面に圧縮された『残像の光』と表現してますが、人の目は『光を遮断』しても思い浮かべるとデータを再生するように『見えないはずの映像を投影』しますよね
それは『目にこびりついた残像』だと考えると、本来は『目を瞑れば何も見えない(物理的)』はずなのに、ふつふつと浮かぶ思考、その『思考が見せる想像や記憶の映像』はしばらく収まる事はないんですが
そんな『雑念の思考』が収まり始めると、今度は逆に『眩しいくらい明るくなる』時があります(瞑想中)
「どっから光が…」と思うその光こそ、『現実として投影』されていた光の残像が消え『違う投影』に切り替わった状態
現実という『ホログラフィーの3次元=実質2次元の平面空間』を覗くのをやめた時、それが両方=『観測意識がない時に見る夢』と呼ばれる本当の世界
その観点からブラックホールとホワイトホールを2つ並べて捉えて見れば分かる
我々が『宇宙空間という概念』を『目から取り入れ脳を侵食』し『その中の地球』という『設定空間の制限の中の人間』というキャラクターの『アバターに意識をチューニング』していた
スケールは『ミクロとマクロ』が繋がっている『マンデルブロ集合』なのだから、『終わりも始まり』も『意識が観測』して作っている
本来ならばいつでも『ログアウトできる空間』なのにそれが出来ないのは…我々はその『どちらか?の立場』という『平面のデータに意識が囚われてしまっている』から反対の世界の『对となる世界』と繋がれない
我々が『存在否定』している『存在』
『相容れないエネルギー』と一つになる
『境界』を超えて繋がらないと2次元の平面を『片目を瞑って見続ける』事になる
※尚、反転撮影もあるため右左は重要ではない
目を瞑るという表現は『悪事を見逃す、見なかった事にする』という存在している、『有るのに無いとなかった事』にするという『ワンワールドな目線』でもある
左目にとって右目、右目にとって左目
それぞれ見ている景色、捉え方は違う
直感の感覚と理論的な分析
右脳と左脳、それぞれ存在に気づかない観測。脳で一つにまとめた時、『直感と感覚』で捉えた事を『理論と分析』は理解できないし、『理屈や分析』で導き出した事はもはや『直感や感覚でもない』ので理解できない
『相反する見えない存在の主張』ばかりでは『良知』があかない…と一旦リセットが『瞑想』
全てを闇にする=『無』にする
すると両方の目は同じ条件になり同じ無の世界を観測する
光の投影を止める『物質に頼らない共通の世界』、その瞬間は宇宙のどこかにあるブラックホールも理論物理学上のホワイトホールも『消える』
意識を向け観測する『目が光という情報』を取り入れる。その光に対して、右脳と左脳、その『眷属である左右の目』は『見た情報』を感覚で感じたり思考して分析したり、その2つが導き出した『見たい景色=2画面が立体交差して空間ホログラム』となって目の前に投影される
これが『意識がみたい世界を創る』という理屈
まだ、繋がる点はある
左右の目は量子もつれ
科学が理論でたどり着いた『ブラックホールには对となるホワイトホールがある』のではないか?
これをそのまま『量子もつれ』に当てはめればいい
左目が意識して捉えて『左脳で分析。判断・解釈』した情報は、同時に『右目の意識が捉えた感覚や直感でフィードバック』される
だから『直感や感覚』が理解できない『現実派』はあれこれと『理屈』をこね始める
逆に理屈や分析の思考を取り入れると直感や感覚が鈍って『出来てた事が出来なくなる』
目は口ほどに物を言う
それは見たままの情報を投影する
その判断は左右におまかせ
これは善は善を、悪は悪を
光は光を闇は闇を
それぞれ『見たい景色』を捉えているが『物事は表裏一体』というように、それは『3次元的な融合空間』では『どちらも有り得る』という事として、俯瞰の目、つまりはこの『宇宙そのものを観測』する『ブラックandホワイトホール』という眼球
『目の前に映る空間』は全て『2つの2次元の平面の情報』で成り立っていると捉える
だから瞬間、瞬間の『見たい方』を見ればいい
みたいとは『望み求める方向』の情報
これはスケールの解釈の問題
『VR空間における観測』は、『宇宙空間を見る目』も、スケールを小さくして『地球を見る目』も、『自分の生活範囲を見る目』も、そして足元の小さな『ミクロな虫の役割を観測する目』も同様に
『観測対象=見たいものに意識』を向けている
物質的に眼球は丸く球体だが、生体ロボット的な観点で捉えると『情報を集めているレンズやセンサーは面』である。つまりは『目というブラックホール』に『空間的な情報』が『バイナリーコード』のように吸い込まれて引き伸ばされて行くのと何ら変わらない
そしてブラックホールや反対のホワイトホールに繋がっているというのも『反対の目』にその投影が反映して『相互に干渉』している
そう考えればスピリチュアルにも決着がつく
片方の世界には『存在している』が片方の世界には『存在していない』投影
その『同様の景色の一部違う映像世界』が立体交差したら、『ホログラフィー理論』で言えば『認知の外の存在は現れる事は出来る』し、私がよく『示現常詳のサイン』だと捉えている『ミラーナンバーや虫の知らせ』も
『片方の世界でそれを書き換えれば』、同時に『こちらの世界にも反映』される事になる。『お互いに見えない』けれど『繋がっている存在がいる世界のやり取り』はまるで
決して会う事はできない『時空を超えた文通交際』のようなものだ。『現実には無い私の記憶の引き出し』に、そっと『次の夢体験のチケット』を忍ばせるように
こちらからは『見えない』けれどあちらからは『見えている』
気づいて欲しい
それが『スピリチュアル』なサイン
スピリット(向こう側)
リアル(こちら側)
表裏一体
同時に片方の2次元世界に生きて存在しているから
見せられる夢=向こうを意識が観測している
金縛り=二次元の境界の狭間で引っかかる
明晰夢=学び共同創造・好き勝手侵略破壊・向こうに干渉
『意識が境界を超えた時に逢える』のだろう
二元性の超えた外側
それはブラックホールとホワイトホールという、宇宙という概念すらも超えた平面ホログラムから出た世界
『相反する世界を観測する目』の存在に『意識をシンクロ』させる=『創造主の目線』になると、実はそこから先はもう『想定外で可能性は無限』
この『認知の外(新たな空間)』とは『空間の中で創る概念』
だから『その先の理想の世界を創る』為に『今という空間』の中で『材料集め』をしている
想定=観測範囲
深淵を覗く者は深淵に覗き返されている
これは『自分の目と向き合う事』を意味していた
目を瞑って自分の目と向き合って見よう
心がザワつく思考は目に残った『余韻のような記憶が投影』してくる
それらは『雑念』だが『嫌な事ほど記憶に残る』からそれらを乗り越える、浄化するのが瞑想
波動とは周波数、粒子の乱れはその中で起きるから整えるには、『反対の目』が捉えた『光の投影と感覚』で打ち消し合う事も出来る
『絶望を目の当たり』にした時、必ず『希望』がある、それが『二元性の利点』でもある
目の付け所が違う
目こそがこの現実を『楽しくも辛く』もする
目は口ほどに物を言う=情報を設定
正直者(中立・正道)は莫迦・馬鹿(偏り)を見る目を持っている
でも意識(観たもの)と想念(思い込み)は違うよ?
またしても『この世はVR?』シリーズの閃きであるが、今までの『中からの囚われの意識』とは違い、完全に『外からの観測』からなぜVRか?というはっきりしたVISIONのお話でした
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