啓発と啓蒙、似ているようで方向性は全く真逆。どうして人類は既にある正義の教化へと啓蒙し、歴史を繰り返すのか?それに気づく為に啓発があるという法則について
啓の思想
そこら中、色んな『戸』に『鞭』打つ『口』
『戸の鞭打つ口』はヘブライの教え=『ユダヤ民間伝承』
例えば『ジャックと豆の木=ハイジャック』
『空からオチ』の結末の『学び』は色々
鬼から奪った『財宝で豪遊』してめでたし
怖くなって『真面目』になってめでたし
『母を大切に』してめでたし
こういう『自己啓発』の目的は何か?
『先人の例』を『思考シミュレーション』で『自分の事として物事を捉える事』で『霊的精神性の成長』を促している
どこに『共感するか』のテストと言ってもいい
例えば『鬼から奪った金で豪遊』する『ジャックのノウハウを真似』して、『相手から金をくすねればいい』と思う者もいる
例えば追いかけてきた巨大な鬼がいる『恐ろしい世界』と繋がってしまったから慌てて豆の木を切り、『悪夢から覚める』ように現実に戻った『安堵に共感』して、『怖い事やよく分からない事はしない方がいい』と思う者もいる
例えば天空で鬼が寝ている間に『ジャックを気遣って匿って護ってくれた鬼の妻』であり『人間の女性の優しさ』に『有難み』を感じ
そもそもジャックは『自分を護ってくれる母の為』に何とかしたかったのだから、『天女』に助けられ地上に戻って、『自分を育ててくれた母』の為に『真面目に働いて母と幸せに暮らした』のだろうと思う者もいる
この『悪者を引き合い』に出す事例は、『節分』もそうだが、『桃太郎』もそう、『雀の宿』、『花咲かじいさん』、『浦島太郎』、等、あらゆら日本昔話は『教訓』
語り手の語る『オチのパターン』
聞き手の『理解力』によって『紡がれる物語』も『その後の人の意識』も変わる
これらは『啓発』である
無知の人を教え導き、その目をひらいて、物事を明らかにさせること
多くの子供向けの出来事や物語は『勧善懲悪の二元性』で教育が止まる
しかし、その『二元性の両方』を知ってから、その物語は『なぜ生まれ?誰が語る?』と『第三者の中間視点』を持たせるのが『啓発』行為
ここに『善悪をラベリング』する『審判』であり『審神者』であり『邪』な『今の自分』がいる
二限の教育を超えた啓発はその『例=人の生き様』を聞いて
『君たちはどう生きるか?』
『同じ過ちの歴史を繰り返す』のか?
『そこにはない新しい選択を生み出す事』ができるのか?
『今の自分』が『未来の自分』と『心』で向き合い『自問自答』する
啓発と啓蒙の違い
啓発が無知の人を教え導き、その目をひらいて、『物事を明らか』にさせること
啓蒙は無知の人を啓発して『正しい知識に導く』こと
大きな違いは
目を開いて物事を明らかにさせる事と
正しい知識=『概念』に導く事
啓発は『自力を引き出す』が
啓蒙は『誰かの正義に誘導』する
これどちらも戸=ヘブライ=ユダヤ
『ユダヤにも色々』いる
自然を愛し風土に根付きそこを護る為の『民間伝承の昔話』を広め『自分達の時代に合わせて考えなさい』という日本昔話
『神の血筋であるから人々を導かなくては行けない!!』という『傲慢かつ支配的な優生思想』のシオニストユダヤなど
カタカムナの言霊読みでユダヤは
湧き出て反対/内側に分かれて飽和するというロジック
争いや革命の方向に導く道
そこにはない平和と安寧に導く道
邪になると、争いを起こし革命して勝利した側の安寧と平和
それと向き合うと『それぞれの平和を求めて戦う正義』という争いになる
それじゃいかんだろ?と気づかなければ
『飽和して広がる前』の『もともと一つ』に戻れない
結局、何のために『啓発(新しい気づき)』や『啓蒙(既にある概念教化)』が起きているか?
人間の『霊的精神性の成長』を促す事である
前者は『軽くする事で浮かび上がる』ように『心に自由』を与える
後者は『重く圧力をかけて反発を促す』ように『心に不自由』を与える
どちらも『やり方が違う』けど『新しい人を生み出そう』としている
ここで『自由な精神の将来の成長』よりも『支配的な科学の目先の成長』が早い為に、分かりやすく『現実の現象』は『啓蒙科学教化』が進み、『既にある正義=AI任せ』に進んだ訳だが
その方向性の『成功例が無い』と言うのは、人の想像力の産物の『映画』を見たらわかる通り
人は『無意識の領域』で『AIによる完全なる支配は求めていない』から、『ギリギリまで圧力で追い込まれてから反発』するだろう
それは『AI推進』という『啓蒙の教化の正義の概念を盲信』した『無知蒙昧の方向性の過去の人類』であり
それとは全く関わらない『精神の自由を啓発』したそこには無い=『目を開いて物事を明らかに』させる『その世界の外にある選択の先へ』と
『想像=imagine(im negai)=今人』の意識になる
善悪の教化の『二元性』でもなく
啓発・啓蒙の審神者の『中道や邪』でもなく
その先へ=プルスウルトラ
そこで考えてみてください
文明の発展の『有り得ないスピード感』
人類を加速させる啓蒙思想
=既にある正義=『経験済みの概念』
『かつて失敗した道』まで『加速』させられてる
誰に?何のために?歴史は『預言』で繰り返される?
この時点で人類は『主導権は無い…』と思ってしまうのが、まさに『啓蒙思想』であり、主導権が無い…と『思い込まされる情報統制』や『洗脳、催眠の思い込み』をさせられて、『思考停止』になってただけで
『何の主導権』を取ればいいかがわかってなかっただけだと思う
それが『魂・意識の主導権』
自分で『自分の意志』は『制御』出来るだろ?やって見よう(๑•̀ㅂ•́)و✧と『自己啓発』すると
そこには『教化』という『導く正義の概念のレール』はないから、そこから先は『どんな道引き』をするかは『自由自在』
歩いた道が道(タオ)となる
敷かれたレールを『概念』として捉えるなら、『トロッコ問題』に例えれば、『トロッコに乗らなきゃいい』だけの話
乗ってればその先で『精神を病むような自己嫌悪』に陥る『誰かを犠牲にして自分が助かる』という『罪悪感を背負う概念の圧力』を受けるが…
そもそも、『敷かれたレール』にも沿わず『楽して移動のトロッコ』にも乗らない
その時点で人類は『無理やり加速』させられる事の無い『自然体の独自の歩みの主導権』を得る
『支配からの卒業』を迎える
その啓発と啓蒙
戸=ユダヤ伝承・現象が鞭打つ口
そこが『発生の家』と書く
人類は霊的精神性の成長の為に
ユダヤ伝承(生活の知恵)に学び
ユダヤ神話(信仰)に踊らされ
ユダヤ現象(格差)から卒業していく
これらがひっくるめて『啓蒙思想』という概念
『既にある今の心』だから、これを『失敗の学び=成功の糧』として『そこには無い』を求める自発的な『啓発』
それが人類の『霊的精神性の向上』
『魂の経験値』を積む『意識』の旅
だから全ては『吸収できる学び』
生活の知恵、先人達の生き様の伝承、現象神の様の『格差の愚かさと醜さの反面教師』
自分にとって、必要なもの、不要なもの
『断捨離』して『身につけるもの』が『貴方の生き様』
善いも悪いもない『心地良い』かどうか
全ては『貴方の心』が決める物語
カタカムナの言霊で
けいもうは
放出した現象が漂い生まれる
けいはつは
放出した現象が引き合い集まる
まさにユダヤ
湧き出て内側/反対に分かれて飽和の役割ならば
引き合い集まる=初・発・溌
溌とは 水をふりかける、勢いよくはねる
初めて発する水が勢いよく跳ねる
それは水から=自ら流=龍になるという事にも繋がる
全ては『啓蒙』から『啓発』へ
『無知蒙昧』から『自発』へ
うーん・・ひさしぶりにカタカムナ使ったな(笑)
これは次のステップに進めという事だろうか
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