好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

空(有無)をぼう(忘・望・房)と見上げる時ほど考えている

( ゚ ρ ゚ )ボーっとしている時は忘であり望であり房、空を見上げている時ほど、有無(可能性)を観ていると気づいたお話

空を見上げて( ゚ ρ ゚ )ボーとしながら

お盆の騒がしくも楽しく愛おしい時間が一段落して日常に戻った祭りの後

青空の雲を眺めながら『龍雲』を見つけ、それが風の流れで形を変えて、その後に現れた雲の形が『タツノオトシゴ』のような形を観て、「龍が龍の子を置いていった」と

( ゚ ρ ゚ )ボーっと時の流れを眺めている心は少年のおっさん

雲

耳には心地よい好きなBGMの周波数の『カタチを観音』しながら、『歌詞を可視化した望』を観ている

例えば、サンボマスターのできっこないをやらなくちゃ

自分が出来ないと思う事ほど『いつかやらなきゃ行けない事』

逃げた所で追いかけてくるなら、立ち止まって向き合って、『できる事』から始めないと何も変わらない

・・と、『具体的な想い』を込める事はなく、流れる雲のように『状況』は時として『変わる瞬間』が来る

『思いがけない風の流れ』がきて、現実に『問題』だと思っている『できっこない事』も

「あれ?あそこから始めたら、意外と無理しないで出来るかもしれない?!」

そんな『可能性への気づき』が『望』っと浮かんだり『忘』っと消えたり、『房』のように色々な『有無の分岐』が生まれる

たばねた糸の先をばらばらにしたもの
たくさん群がって長くついたもの

生命の樹、セフィロト・カバラ
どれも『立ち位置』と『選択』と『分岐』

『それぞれの立場』にならないと見えない
『失敗しないと進めない事』もある

そんな『俯瞰の構図』を『空』を見上げながら
次々と『変わる曲のリズムを観音』しながら

可能性は『今からの選択』なのだと

今の人としての心=『念』
今人=imagine=im negai=『私の願い』

今の心は何を願うのだろう=『念願』
それを空(有無)という『間』に『投影』している『空間』

するとどこからともなく『風の流れ』を感じる
『中』からではなく『外』から吹き込む流れ

それを『心地よい』と思ったなら
それに『身を委ねて観る』のもまた一興

『困』った時は、『口』から『木』を出して
『呆』けて『観念』して『今の心』を『観る』

( ゚ ρ ゚ )ボーとな(笑)

何も無いは全てある=『空』
『頭空っぽ』の方が『夢』詰め込める

『空想』は『空に相手の心』を求める

その『瞬間』から『世界』は『仮想の役割』を与えた『割れの我=我々』という『自他』に『分離』する

これ文字通り『瞬く間』に『仮想世界は変わる』

他人とは『こうあって欲しい』という『役目』を降った『無意識の自分』
『意識』があるのが『自=観測可能』、無意識なのは=『観測不能の他』

『他人を理解する事』は決して出来ないが、それは『元々が自分』だから『理を解く』必要は無い

それが自然

向き合うべきは『意識が宿る自分』
なぜ『自』は『他』に『分』かれたのか?

自分の事は意識があるからわかるけど
他人の事は、『多分』わからない

『多く分けすぎた無意識』だからね(笑)
『気』にしても『分からない』事は『知らぬがほっとけ』

全ては『色即是空』の『心の反映』

『心が不安定』に分かれれば分かれるほど、『目に映る人』は『色々=個性』だから『目移りや色移り』するだろう

『染まる』って事は『混ざる』事で、混ざるって事は最終的に『黒=元の色』になる

『目が白くなる』事は現実では『死』
『目が黒いうち』は現実では『生』

世界には青い目!赤い目、黄色い目、色んな目の色があるけれど、『同じ色』に見えてるんだろうか?『統一』という『色眼鏡』で誤魔化してないか?

なんて事は『色盲』という『他人とは違う色』に見えているけれど、『その感覚は主観』でしか分からないように

『他人』が『何に興味』を持って『どんな行動』するかなんて『多分』わからない

『多く分けすぎた無意識』だからね(笑)

結局、『制御出来き意識』は『自分』だけ
その自分が『世界をどんな色』に捉えるか?

『判定』は『心』が決める事『心と向き合わない』のでは何も始まらない

『心』に『耳』を当てて『恥』を知る
『公の心』に『耳』を傾け『観音』して『聡』

それは『穏やかな真心』の『空(有無の可能性)の間』で

湧き出てカタチを変えて流れていく雲を眺めるように
( ゚ ρ ゚ )ボー(望・忘・房)とな(笑)

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