寝起き閃きシリーズ!アセンデッドマスター集結後の説法クラスのなんかメッセージ来たで!というメモ
なんか知らんが、私の周りには色々集まっているらしい(ノシ´・ω・)ノミエナイ
それを前提にした上で、朝に携帯メモ書き出したら止まらなくなったので書いておく
仕事が嫌、辞めたいと思う人達へ
自主的に仕事を辞める、組織から抜けるという行為は、他人から見れば大半が逃げと思われるため
気持ちは離れたいけど、お世話になった申し訳なさと後ろめたさに苦しむ人もいるだろう
しかし気持ちの意思決定のプロセスは完了しているからこそ、後はやめるという行動を起こした後の結果ばかりに気を取られている事に気付こう
離れて行った後に他人の中に「お前はそういうやつだよ」と相手にとって都合よく作られる自分を気にする必要は無い
そんなものは存在しない
そもそもなぜその環境から離れるのか?
それは、そこが心地よくないから
人、物、金、取り巻く環境が、客観的にどれだけ高待遇で満たされていても、不平不満やストレスが溜まるのは、心地よくはないから
「社会とはそういうものだ」
という同調圧力の常識から抜けてみればいい
見えてくるのは「社会とはそういう環境だから、俺が苦しんでいるようにお前も苦しむのは当たり前なんだよ」という同調圧力をかけあっている環境だと見えてくる
コロナ騒動でわかっただろう?
自分で考えずに与えられる情報や常識に従った社会では、同調圧力のルールはいくらでも際限なく増え、それに従った社会人が同調圧力警察になっていく
全ての社会がそうだとは言わない
社会とは人やコミュニティの数だけある
ただどんなに人、物、金等、物質的に満たされていてもその代償として心がすり減っていくのは
合わない環境に苦しみながらも、そこから離れられずに心が囚われている事を自ら望んでいるネガティブな状態を受け入れているから
社会の外が分からない不安で現状維持
社会不適合者のレッテルへの恐怖で現状維持
社会的生活レベルの低下への不安で現状維持
あらゆる情報が、環境を変えようとする者の心にのしかかってくる
その結果、その同調圧力の社会の檻から別の檻に部屋替えするだけの現状維持の繰り返し
本当の意味で心を蝕む社会から解き放たれると、色んなものが見えてくるし、感じ方も、考え方も、受け取り方も大切な事も感覚でわかってくる
そして1番大きいのは、社会常識、一般常識という考え方は中と外では見え方が全く違う
中の人達は規律や模範、統一、統制、平等、自分たちの生活を守る、管理するための必要条件だと思っている
もちろん生活に密着するルールは大切だ
でも外から見れば、多くの人が首に鎖を巻き付けられて自ら割り当てられた檻に入って、外から入り込む光を忌み嫌い避けているようにも見える
一部の人はその外から漏れる光を見て自由になりたそうな寂しい顔をしているが、周りの顔色を伺って見るだけに留めている
その鎖を握ってる看守もまた同じ人間
その人間の心をコントロールしているのが自分さえ良ければいいという利己主義、傲慢
その地位を守るために隠す
価値あるものから遠ざける
嘘をついて欺き騙す
どうして同じ人間同士で、一部の者達だけが優遇され、多くが虐げられるのか……どんな業があれば……大多数の無害な人類はここまで嫌がらせのような理不尽な目にあうのだろうか
と、思うほどに、社会とは一部のもの達が都合よく管理しているコミュニティ形態だから
合わないと直感的に感じたら無理しないで離れていいんだよ
合わないと感じるという事は、向こうもあっていないからお互いに嫌な空気、不和を産むことになる
嫌な者同士だったらどちらが離れるべきか?
という第三者的な客観的な判断は必要ない
自分にとって大事な判断を社会的な優劣、正誤の常識に当てはめて、他人が決めたルールに委ねて決定する人も多いが
これはあなたの物語
あなたの直感が心が苦しんでいる
ここじゃない!と感じたのなら、そこに我慢して居座る事はあなた自身にとってプラスな事はない
それでも……と苦しみながらも環境を変えないのは、そこから学び取れる何かがある!という何かを感じている可能性もある
それならそれも直感的な判断で大事
心を解き放つとは環境を変える事
その心が苦しむ場から離れる事でもあれば
環境に対する心構えの意識を変える事でもある
大事な事は、その感覚へのアンテナ
環境を変えようかな……と思った時、その思いの根幹はどこから来たか?を考えよう
大半は自主的な心からのメッセージ
あなたが望む事がそのコミュニティ社会で実現できるならそこがあなたの居場所
でも既存社会の中にそれがないなら、自分にあったコミュニティを探すか、自分で創ってしまえばいい
それも心を解き放つ方法のひとつだと思う
ただ、最後は人間は孤独
孤独といえばマイナスなイメージに聞こえるかも知れないが、心の奥底まで自分を理解してシンクロできる存在は自分しかいない
自分が満足する時は心が満たされる
心が満たされた時、自分は満足している
同じ事をなぜ2回言った?って思うかもしれないけど
自我は社会の情報に常に左右されるのに対し
潜在意識という根幹の意思はブレない
その根幹の己を知れば自我も周りの情報に左右されなくなる=自分の自由意志に従う=社会的には孤独に見える
でも実際は1番の理解者と共に迷いなく歩めるという本当に素晴らしく楽しい旅が始まるわけです
頼もしいパートナー、自分を助けるのは自分
だから、自分の能力を高めるのはとても大事な事
芸は身を助く
心を解き放つとは、囚われの社会にいるよ!と合わない環境に心が苦しんでいるサインに気づいて
私(あなた)はどうしたい?何を望む?
これをしっかりと時間をかけて対話する事
これが、答えはいつもあなたの中に
という考え方の根幹
環境から離れていく自分を暖かく見送るも者
頑張れよと応援してくれる者
自分に共感してついてくる者
環境を変える意思を実行に移せば、今までになかった大きな変化は起きる
心が合わないと感じた人や、その環境から離れることで、そこの良かった点も見つけられる心の余裕も出てくる
それは、いわばウイルスに苦しんでいた細胞が正常になると同時に、二度と同じ病気は受け入れない!と抗体を作るように
私ならそんな環境を好まないから作らないというあなたの次からの意思決定の反面教師としてプラスな経験になる
その為にあなたは自分が嫌だと感じる苦しみの感覚を知るという学びを得る事になる
あなたの心が苦しんだコミュニティの形態は消滅するからこそ、あなたの周りの人に対し、あなたと同じ苦しみを負わせないようになる
環境を変えるのは、逃げではなく学び
受け止め方、意識の変化で心は揺れ動く
周りの事じゃなくて、あなたの意思はあなた中心に考えなければいけない
でもそれを、既存の社会常識の中であなたが望むことを実行すると、それに合わない人が出てきて軋轢を産む
うーん諸行無常な世の中だね
諸行無常:万物はいつも流転(るてん)し、変化・消滅がたえないこと。
だから、昔から達観した人は人や情報から離れて自然回帰して行くんだろう
本当に自分がやりたい自己の探求の為に
……って俺にこんなポエム書かせるアセンデッドマスターは誰やねん( ´:ω:)ノシ))˙-˙)ペチペチ
ってあ!そうか!そういう事かぁぁぁー!(;゚Д゚)書いてていきなり閃ズドン!
自己って、自分を表す単語だと思っていたけど。自分(自我)と己(潜在意識)って二つの理解を深める考えると
自己の探求とは人類永遠のテーマってわかる! 神が神とは?って悩むようなもんやで!?
言葉ってすげーぞ?!((( ;゚Д゚)))
今後もアセンデッドマスター的な人達からなんか降りてきたら残していこう
私の考察余談ブロック
芸とは何か?
修練して身につけた技能。学問。技術。わざ
なるほど・・だが、芸は草から日と十を抜いたくさかんむりと云で構成されているが・・なぜ日と十は奪われた?(´ε`;)ウーン…
日は太陽を指す、十は由来はラテン語、ギリシャなど出所不明だが、ぱっと見やはり十字架だよね?
また十に関する慣用表現において十は「全て」「終わり」「限り」「全部」といった意味があり、様々な熟語に用いられている
例:一を聞いて十を知る、十把一絡げ、十人十色
とにかく言葉においてとても重要な意味を持つこの十がどうして抜かれてしまったのか・・
それらの意味でまとめれば、草という漢字には、天があり太陽があり全てがある という漢字にも思える
これは自然生態系の成り立ちを見れば、この天と太陽と全てがあれば生物多様性、生命のサイクル、始まりと終わり、阿吽、αωの循環が可能であり、それが一言で草にまとまっているのは文字というより、もはや草はシンボルレベルで尊い
なのに・・今は草=wwwという人を嘲笑するスラングになっているのか(誰が流行らせた?意図的な呪術か?)
そういえば、惡が悪に置換られてレッテルワードになった例もある(そういえばこれも偶然にも十字)
人間の霊性は、言霊によってどこまで落とされるのか┐(´д`)┌ヤレヤレ
云とは~伝えられた事をいう意味らしい
ここでおもしろい 謂・云・言の使い分け
「謂」:頭で考えて述べる
「云」:~から伝えられた事を述べる
「言」:どっちでも使える
私は普段から自分の意志表示の言葉を常に選んでいるので今度から「謂」を心がけて使おう。この「謂」一文字で、「理由」「思う」「考える」の意味を内包しているそうだ(便利)
芸とは、修練して身につけた技能
能とは?日本の伝統芸能である能楽の一分野、演劇の一つ
という事は芸能人とは修行して身に着けた能力がある達人もいれば・・天の声から伝えられた台本に沿って演じるだけの能力がない人も指すって事ですね
だからテレビタレントは自分の意志で動いてない、これは台本だから!と無責任に平気で嘘(演劇・茶番)をつける訳ですね
所で茶番って?
「茶番狂言」の略。客のために茶をたてる役。ありふれたものを材料として、しぐさで、こっけいな事を演ずる座興を指します
ただ最近は、その意味を比喩的に、ばからしい、底の見えすいた物事の事を指すというレッテルワードに置換らえたようです
今のメディアの姿を一言で表す言霊ですね(((uдu*)ゥンゥン
もともとがレッテルワードや誹謗中傷ではなく、立派な伝統的な演劇名なのだから今の朝昼の情報番組やマスコミに対して
( ノ゚Д゚)ヨッ!茶番狂言だね!今日も滑稽だね!って褒めまくればいいんですよ(笑)
多くの人がその事に早く気づいて、心の平穏を取り戻してもらいたいものです
そうすれば、いかに今の状況やその状況を扇動するのに協力している芸能人やメディアを含め、いままで信じてきた社会常識がおかしいものだったか病気のように見えてきますよ
奇形に奇形を重ねて、自己消滅不能になった増幅した進行がん細胞のような状態になってるってわかると思います
このがん細胞たちがが今はっきり浮彫になってきたのだから、外科出術でパージでOK。がん細胞といえば、大阪のロゴもひどいもんですね(見た目も内容も)
心地よくない事から離れる事、手放す事で助かる事だってあるんだよ(断捨離の極意)
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