好奇心

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【悪】とはレッテル 本当の惡の心は行動にあり

寝起き閃きシリーズ。寝起きにラブラドライト&カイヤナイトのおかげか・・悪という言葉の本当の姿は惡だと知ってるか?と言わんばかりに目覚めに感じた考察をまとめてみよう

悪とは何か?

悪とは何か?と問われた時、人はい物、い存在、しき行い、諸の根源など、悪(わるい・あく)という言霊を解体する事ができないため、意味の中に矛盾が生じる

そのため、悪の意味、言葉のイメージのほうを解釈してこのように起き変える

人が嫌がる事、人が望まない事、人を苦しめる事

そう思う人に考えてほしい、言葉の成り立ち

悪とは亜の心 という組み合わせになっている

亜細亜、アジア、エイシア、だけにとどまらない。昔は、亜米利加(アメリカ)、亜剌比亜(アラビア)すべてに亜があった

実はこの亜の単体の意味も決していい意味ではなくレッテルワード

亜とは次、二番目という、トップに出られないという侮辱的な意味が込められているが・・これを作ったのはどこの誰かなどわからない

その亜に心がついて悪(わるい・あく)となるのだから、決してトップにはなれない者たちやっかみやひがみで、悪ではない存在に迷惑行為を行うという意味にも見えてくる

たった一言の【悪】という漢字だけで、それ以外の者に対して、これだけの侮辱と差別の意味が込められている言霊

トップそれ以外 と考えた時、それ以外が【悪】と置き換える事ができるとしたら?トップとは【善】という事が簡単にわかるだろう

この事から、善悪というのは意味ではなく勢力図であり、1%の存在99%のそれ以外を指す。そして、善にだけ許されるのが問答無用に振りかざす正義という武器である

そして、正義とは善であるという建前があれば、いくらでも振りかざす事ができる
それによって起きているのが今の人種差別の問題から発展した暴動略奪・破壊行為の正当化

デマから始まるデモの真相 噂を信じちゃいけない

こうやって考えた時、私は善悪という言葉のルーツがとても気になったのだ。何が善で何が悪か?ではなく、善悪とは概念であり、とは明確な畏怖をこめた言霊だと

戦前は「惡」現在では「悪」の精神的な言霊の呪縛

昔の日本はとして、亞の心を持っていたが、敗戦後、日本の教育や社会が改変されていく中で、こういう言霊的な部分において重要な改変がされていった訳だ

亞=あ、アという言葉は、50音の最初に来る音であり「ア音」は陽性の音で明るいイメージを持つ言葉であり、母音でもあり、物事の始まりを意味すると同時に「亞」は「十字」やひとがたにも見える

十字と言えば、多くの人がキリスト教の十字架を想像するだろう・・しかし、私は亞の心を持つ民という意味で考えると、ルーツは縄文までさかのぼり、こういった十字の土偶がたくさんある事に繋がると感じる

縄文 ルーツ

縄文時代最大のミステリー 土偶とストーンサークル

亞の心とは、始まりの民、亞の心を持った人=惡人(種族)だったのだが、それがいつしか、悪=悪いもの、悪しきもの、敵、滅ぼすべき存在へと変えられた

理由はただひとつ、亞の心を持つ人を精神面でも物質面でも根絶やしにするため

ここでおもしろい考え方をひとつ

神社や仏閣などの神は存在を忘れられると、弱って消えていくのだ。存在とは認知、人々から忘れられたら存在はできない

そして、かつてそんな存在がいたと伝えられたり、存在を教えられもしなければ復活もあり得ない

ちょっとぶっ飛んだ話に聞こえるかもしれないが・・

なぜ、神話というのはかくも忘れられないように明確に語られ、ゲームなどにキャラクターとして登場するのか?
なぜ失われた古代文明やUFOや宇宙テクノロジーの話は社会からオカルト話のレッテルで遠ざけられるのか?
なぜ、テロ組織は誰の命令か知らないけど世界遺産や古代神殿がある所で破壊行為を行うのか?

・・疑問提起として、存在と認知とは何か?をちょっと考えながら文章を呼んでいってね(゚∀゚)アヒャ

惡人を悪人に置き換える言霊の狙い

惡人というのは、本来はどこにルーツがあるかを指す意味だったはず

亞細亞人→亜の心を持つ人=惡人

有色人種などの色の差別じゃなく、亜のルーツの人はみんな惡人だった。だからこそ、、そうじゃない存在にとってはレッテルを広げるのはやりやすかった

亞の心を持つ人というのはシンボリズムの旗を掲げているようなもので、亞を亜に変え、新しい意味を作り浸透させる事により、亞を亜に変えられた人たちは永遠に一番になれないという精神的な呪いを受ける

さらには、亜の心を持つ人達を悪人として、意味を滅ぼすべき対象として置き換えた。そして、対極の存在としてを作り「正義は我にあり!」悪を滅ぼす理由と動機づけを広めた

何てことはない、亜のルーツを持つ有色人種同士を偽りの動機づけで内戦させて混乱を生み、漁夫の利を得ていた存在たちが 太古の昔からいた という事

かつて世界は黄人、赤人、青人、白人、黒人からなる五色人が存在したという文献は多いし、秋田にある真山や赤紙五社堂のルーツにも5匹の鬼(色の明記はなし)が記載されている

赤紙神社五社堂

そこでおもしろいのが、悪魔という言葉だ( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)

なぜ悪魔は忌み嫌われ恐れ遠ざけられるのか?

魔とは、人を迷わすもの。修行をさまたげ、善事を害する悪神。人間わざでない、不思議な力をもち、悪をなすもの

とある

また、日本の中世で支配集団に対して戦った勇敢な人々の呼び方を「悪党」という

これを亜の心を持つ人たちの存在を滅ぼすために、善と名乗った支配組織の視点から考えてみればいい

自分たちが行う正義を妨げる迷惑な存在であり、人間技ではない不思議な力を持つ存在となると

亞の心を持つ人たちは相当強かったために、畏怖を込めてをつけたという事がわかる

悪魔とは、亞の心を持つ人がもつ不思議な力 という事だ

西洋では悪魔とはデビル・デーモンといった呼び方をされ、頭文字にはDがつく。都市伝説でDの意志という言葉がとても流行していたが

これがもし、デビルの意味のDならば、悪魔を指し、それは、亞の心を持つ民が持ち得る不思議な力= 精神テクノロジー と言える

陰陽道はきっとそういう類なのかもしれない

ただ一点気になるのは・・

悪魔=devil・demon
惡魔=blame the devil(意味:鬼のせいにする)

blameとは、咎める、責めるという意味なので、反抗や攻撃的という意味ではなく、それは間違っている!正しくあるべきだ!間違いを責めたり、正論で咎めるという・・そりゃ、傲慢な行為を行いたい側からすればに置き換えたい訳だ(゚д゚)(。_。)ウン

あれ?この流れはインドのアーユル・ヴェーダで、序盤はアスーラが自然の摂理を司る神として登場し、人々を誘惑堕落させるインドラを信奉する者たちを戒めていたのが・・後半になると、アスーラが人の夢や希望を奪う悪神という立ち位置に置き換えられ、逆に犠牲や供物を捧げれば願いを叶えてやるというインドラが崇拝されていたという構図に似てるな~・・なんてね(;´∀`)

また日本人しか持たないYAP遺伝子という抗原のひとつにD抗原というものがある。偶然にもこれもDの名称がついており、もしかしたら亞に関係しているのかもしれない

結果的に言えば、1%の世界を支配している善と正義を装ってる層は、徹底的に亞を叩き戦争に巻き込み、敗北させ、精神的にも亞や惡を亜や悪に置きかえ、社会的にも少子高齢化に追い込み、経済的にも技術を奪い、工場を海外に作らせ、環境的にも人工兵器で攻撃して追い込み、精神テクノロジーとの切り離しによって、無宗教国家にし、友愛精神の道徳観念を持ち込み牙を奪い・・

うわぁ~(;´∀`)とことんやられとるわ(笑)

ここまで見れば、善悪二元論は、傲慢な正義意地でも殲滅したい対象 という概念だとわかるね

という訳でそろそろ何が言いたいかまとめよう

まとめ:まずは間違った言霊の解釈を変えよう

  • 亞とは、亞、始まりのルーツ
  • 悪人の本来の意味は、亞の心を持つ人、惡人
  • 悪魔の本来の意味は、亞の心を持ち不思議な力を使い支配に抵抗した人達への畏怖の表現
  • 悪党とは、権力支配集団に対して戦った勇敢な人々への畏怖の呼び方

そして、これを無条件に全否定できるのが【善】
無条件で振りかざせる正義という武器を持っているのが【善】

亞の心の持つ人たちは人を殺めるための武器(正義)を持たなかった(縄文人)

その代わり、その亞の心を世界各地に残して行ったのであったが・・のちにその亞の心を伝える教義を邪魔する支配的な宗教勢力によって思想は書き換えられ統一されていき

善行のひとつに【悪を滅ぼせ!滅せよ!】という教義が加えられた

それによって異教徒弾圧には、どれほど残虐な行為を行おうと、それは神の意志(神のせい)として、罪の意識を持たない代行正義が世界へと広がっていった事で

本当は、亞の心を持つ人(亞をルーツに持つ者たち)の意味であるはずが、悪人=善の支配的な権力に逆らう存在としたレッテルになり虐げられるようになってしまった。

そしてそれに不服を申したて、納得いかない!(# ゚Д゚)ノ反抗する行動悪行として認知を広めていったんだろう

現在は人を襲ったり、殺害したりなどの犯罪行為を行う人=悪人として認知が定着してるため、亞のルーツを持つ人が、我こそは惡なり!と名乗る事も難しい

これが太古から覆す事ができない言霊の力であり呪いとも言える

とは絶対に一番になれない、永遠の二位という侮辱的な意味として広まっている※英語だとsub-
とは人に迷惑をかける、を攻撃する、を殺す、を・・

さて、ここでひとつ判断基準を【人】【人でないもの】に分けている宗教教義が存在する事を知っているだろうか?

もちろん、その教義の中において、我々はには含まれていない

つまり、自分たちの事を人と言い、人でないモノ(我々)に対しそういう意味付けを行うにあたって、悪人=敵・わるものという意味で認定する事こそが重要なのだ

そうすれば、自分たちが手を下す事なく、人でないモノたちが善という与えられた正義の思想に従い、悪と認定された同族を滅ぼすために争いを始めていく

今起きてる人種差別は、善の名の下に振りかざしてる暴力を正義と正当化し、一方的に悪と決めつけた相手を攻撃している。さぞやこの情報を流した【人】はほくそ笑んでいるだろう

と、同時にこの世が低波動に満ちる流れが心地良いのかもしれないが・・

ところでという漢字を英語で翻訳するとdirectional markerとなり
その意味を逆翻訳すると、方向マーカー、方向指示器となる

言い得て妙だが、その方向はどこを向いてるという矢印の方向という意味ではなく、亞とはルーツという意味ではないかとも感じる

イエスとヰヱス ではカタカムナでもまるっきり意味が違う

ヰヱスになると存在
イエスになると陰/伝わったモノ

まるで実像と虚像

なんで急にこんな話を?って思うかもしれないが、これもまたかつては存在した50音の中から失われた二文字だから。驚く事にたった二文字で、ここまではっきりと対象の認知が変わる

亞が亜という新しく侮蔑の意味を込めて作られたレッテルにすり替えられたように、私たちは、この世に存在していたはずの真実を目にしていない

明治維新の時にも日本には神仏別離といった大きな精神テクノロジーへの改変が意図的に起き、従来、神が祭られていた社や本殿は、小さな祠へと変えられ、本殿への参拝の道も方角も変えられて・・長い年月をかけて人足も途絶え風化して存在も忘れられていった土地神も多いだろう

土地神

土地神

土地神

こういう所の共通点はしめ縄が逆なんだよね(重要ポイント)ついでに言うとしめ縄はどうみても蛇の交尾

しめなわ 蛇の交尾

与えられた知識以外、何も知らないまま思考停止して人生を終えたくないよな?【蛇】はどこにでもいる

気になった蛇に関することわざ・慣用句シリーズ

311の虹が見せた「気づき」虹の秘密

Qから始まる第三の選択を生み出す突破口

どうして、海外の神、ギリシャ神話や妖怪の類はいくらでも名前も姿も描かれるのに、八百万の神と言われる日本の大量の神は描かれないのか?そこにも恣意的な意図があるように感じる

言霊もその一環として、私たちは本来あるべきルーツを思い出す必要があるのかもしれない

  1. 亞の心を持つ種族、惡人
  2. 権力支配者に悪魔と恐れられ、封印された精神テクノロジーを扱う惡魔

意図的に捻じ曲げられた思想、教育、遠ざけられ葬られた存在していたはずの真実
惡の華・・そうか!あの作品は束縛や抑圧からの解放を伝える作品だったのか\(◎o◎)/!深い!

なんだか、これから壮大な古代の秘密が少しずつ頭に下りてくる予感!ラブラドライトとカイヤナイトのパワーストーンが霊的な成長を導くって本当かもしれない(;゚Д゚)スゲェ

我々は惡人罪人というまったく違う意味の素晴らしい存在であるのかもしれない

アメジストが見せた夢 人が罪を背負って生きるとはどういう事か?

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