好奇心

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ソロモン(一人門)の瞑究 その3 白羽の矢(ヤハウェ)救世主システム

したたかな役者の卵の夢の中で超絶臨場感有るジャッキーチェンの演技を目の前で見だからこそ、主役=スター=救世主は後から生まれると気づいたお話

夢のあらすじ

私は誰かの目線で、ドラマの中にいた。目の前に武田鉄矢風の「社長!」と周りから呼ばれる人を見下ろしながら建物の階段を登っていくと

武田

2階では『若きジャッキーチェン』のド派手なアクションが目の前で繰り広げられ、私の真横を通り過ぎてシーンが変わるように別角度からそれを見ていた時に

ジャッキー

「やっぱアクションは違うな〜」
「俺たちいい時に入ったな!」

のような横から声がして周りを見ると、そこは階層別に違う撮影をしている『映画スタジオ』で、私は『役者の卵』の見学なのか、『助監督』なのか、そこに当然のようにいて見て回れる立ち位置にいた

外の水場のロケで海面に顔をつけてスタンバイする女優と一緒に海に入り、コートが濡れないように持って、カットがかかったら渡すような

その距離感で主役と周りの役者、『舞台裏の撮影クルーの一人』だった。その日の夜の打ち上げの場で、『売れない役者達の現実』を見た

下っ端の役者は小さなコップ1杯の振る舞い酒を有難がって飲み、『その1杯がどれだけ貴重か』を熱く語る先輩役者達

そりゃ『頑張った後の一時の1杯は美味い』かもしれないが、それを「有難がるほどか?」という安居酒屋での打ち上げだった

『そのモチベーションで続けていけるか?』とか疑問に思った

役者の卵は『夢』を見る
いつか売れて『スター』になる!

…しかし、『その先輩達の現実がこれ』というのを見て私は、『これじゃない』と感じた(゜-゜)

売れないのは『舞台』だからか?
売れないのは監督や脚本が『こだわりが強い』からか?
売れないのは『時代(客のニーズ)』のせいか?
売れなくても『役者』やりたいか?
売れない役者が『目の前の現実』だぞ?

何のために『舞台役者』をやるんだ?

と『客観性』を極限まで省いていって『主観』にたどり着いた時、最初に見た目の前の生ジャッキーアクションの『躍動感』、そのジャッキーのアクションを『さらに派手に演出する舞台装置』となった・・

『やられ役の上手さ!』

私はジャッキーという『スターに感動』したのではなく、ジャッキーを『まんまとスターに仕立て上げたやられ役の上手さ』に感動していた

やられ役=踏み台=勢い付かせる=後押し=影の立役者=縁の下の力持ち

やはり『次のシーンへ導く者』『終わりを決める者=預言者』

アクション的なドラマチックなロードムービーは止まらないが『方向性はやられ役が追い込んで』決めている

それを『主役が選択』しているかのように『錯覚させる演技力』

『スター=救世主はお膳立て』があって生まれる『担がれる神輿』なんだ

『導線は脚本』が作り、『見せ方は監督(カメラ)』が作るが実際のアクションは、そこに有るけど見えない『緊迫感と臨場感』

それを生み出すのは主役ではなく、『主役にやられる事』で主役を輝かせる『やられ役=踏み台』

この『やられ役の活躍』があればどんな人でも『物語の救世主』になれる

つまり救世主システムとは・・

『お膳立て』である

前もって準備すること、事前に用意しておくこと
『根回し』による『予定調和』であり

それを『魅力的に見せる』のが『演出、特殊効果』、等の撮影=『表現』
『影から撮る』、『主役の光を際立たせる』ための『お膳立てと根回し』の予定調和

これはどうやっても『白羽の矢』が立ったら『救世主という神輿』に担がれる

白羽=習
矢羽=ヤハウェ(ヨハネ=48音)

『ヤハウェの教え』とは『救世主システム=神輿担ぎのお膳立て』というシナリオだ。『ヤハウエに習合する』『救世主』が生まれる『因果』なのだ

もろびとこぞりてしゅわきませり?は法華経だった

これは救世主という『主(あるじ)役』が一度決まったら、たとえどれだけ『ポンコツの王』であっても『預言者=マギ=麻鬼=魔』が担ぎあげて、『仕立て屋が仕立て上げる』事ができる

例え王様が、『裸』であったり、『聾唖(ろうあ)の耳』だったとしてもね?

シンプル哲学 仕立て屋が下手(したて)に出すぎて下手(へた)を打つ

王様の耳はロバ(聾唖)の耳の本質は法華経

この預言者=マギが書いたのが『偽=人の為神話=救世主説法』だろう

さて、あなたはこの救世主システムという『亜空間』が、あなたに『白羽の矢』を当てた時、思惑通りの『傀儡の主役』になりたいと思うかい?

カタカムナ44首 白羽の矢とヤハウェ

私は夢の中で『捕まえようとする集団』『逃げながら戦う』という夢を何度も見てきたけど・・これは、『傀儡の救世主の神輿』に祭り上げようという『偽りの預言(間違いの運命)』を避けてきたのではないかとすら思う

2018年初夢診断 マトリックスな夢のメッセージ性が凄かった・・

なぜかハンマーで戦う夢

救世主の最後は『人の為の犠牲』になる
そういう『シナリオの結末』がわかってたらやらない

救いも洗脳という執着の終着

そもそも、誰も犠牲を生まない、『全ての衆生を救う』という『仏(不動明王と倶利加羅龍王)の意志』が根底にあると、他人はおろか自分すらも犠牲にはしないで『労わる方法』を模索する

そうなると、そもそも論として、『主役と脇役=光と影=明暗』という『格差(陰影)を生む映画=プロパガンダ』という仕組みすらも興味が無くなる

役者は『役』になりきる者(台本通り)
演者は『演出』する者(明暗を強調)

こういう『芸能』『陰陽師の分野』であるからこそ、『麻鬼=魔を使役』する
『化物や魔物』という『主役にド派手にやられる対象』を用意する

その『魔物の長』として『魔王』を使うのは、『麻鬼王が敵』と植え付ける

しかし、その『救世主』が『魔王を倒して世を救う』というシナリオは、『マギ王=預言者が書いた』・・いわば気づいてほしい『一人門=ソロモン』

全ての悪魔の長、大魔王とは、『一人麻鬼王=預言王ソロモン』と言える
ソロモンを『智慧で負かすもの』を求め、『主役』を産みだそうと『白羽の矢=ヤハウェ』を立てる

ハハハ、まるで『伝統歌舞伎』の世界だ
歌舞伎の真の敵は『七枚目』だが、『八枚目は座長』である

ふと思った・・思考の迷宮という『至高の一品を創った』としても、誰も謎を解けず、『気』にもされなくなって氣枯れてしまったら・・

気づかないけど有る=亜空間=『悪魔の証明』となり『ラプラスの間=羅+間』という『存在の因果の哲学』が『人を混沌(カオス)』にさせるだろう

独自体感論 即身成仏で繋がる仏の世界=ラプラスの間(因果律)

それが元々は『誰が』『何のため』に『創った』のか?『創造主は意志に気づいてほしい』と思うだろう

ミステリー推理小説を書くのは、『思考の迷宮を探索』して『犯人を推理』してほしいからだろう

究極をいえば『作者が事件(物語)を産みだす真犯人』であるが・・その『最後に物語を読み解いた者に立ち合いたい座長の願望』がある

だから、『完璧』を創らないで気づく為の『余地』という『予知』を遺す。ある程度は『予め知っておく』という知識の余地=予備知識(既視感を感じる相似パターンの神話)

だから『智慧の迷宮(解けない訳ではない)』なのだろう

・・なんだろう(;^ω^)マギ=預言者の『孤高の創造の寂しさ』を感じる

とりあえず『ヤハウェ救世主システム』についてはよくわかったし、仮に『自分がそれを創る』としたら、『悪役=やられ役が重要』だなと感じた

悪役がどれだけ『理不尽に物語に夢中な人からヘイトを集めてモヤモヤ』させて、どれだけ『スカッと痛快にやられて姿を消す』かそこが重要

『神輿に担ぐ一時の主役』なんて誰でもいいって事だ(笑)

でもそれってさ、『悪の限り』を尽くして去ったバイバイ 『バイデンというじーさん』もまた、見抜いてる人からすると「しょぼい悪役だな~」と感じていたが(これも事前に書いてた預言があたった)

バイデン勝利後にジム・キャリーが出したサインとセリフの意味

それを『お膳立ての予定調和』だとした場合、『途中』で感じたこの錯覚

トランプ&バイデン

エコノミスト2022表紙考察 22を超えて行け

目に見えて悪を倒すという勧善懲悪の物語の『ヤハウェ救世主システム』のパターン入った訳で
つまりそれは、預言者がお膳立てした『人の為』の救世主=『偽救世主』という事

『座長(ソロモン)の目線』で見ると・・とそこで、『世界は分岐する』と言えるかな

今は一躍、時の人、世界の注目を一手に集めるトランプ大統領は、地球皇帝になったら・・こういうシナリオ(亜空間)もある?(夢で見た景色)

ヒトと人間(ヒトデナシ)という夢

この時は、実感なかったのは、トランプなき後の代わりは誰が?と思ったけど、アメリカは副大統領とか、側近も国民性も『一丸』となってきているから、シンボルが消えても『意志を継いで瓦解しない』気がする

一方で親ビン=ジャイアンに『いじめられてるのび太』は、いつまで『ドラえもん(戦後レジーム)』に甘えて護られているのか、『最終回ののび太』を見習って、泣きながらでもボコられながらでも、『ジャイアンに意志表示して独立』する必要があると思う

・・と、結局は一時の主役、それって・・『今』しか・・『鹿』?(;’∀’)(やべ、次の阿字観が・・)

またかよ〜│ω゚`>⊂(´・ω・`)はい次の一人門のラプラスの間へご案内

ちなみになんで武田鉄矢?ジャッキー?と思ったけど・・

武田鉄矢=海援隊=坂本竜馬→売国と開国の光と闇
ジャッキー→成龍=龍に成る=勧善懲悪の光と闇
なるほど、それを・・見ながら『両方スルー』した私

心の見せる『夢という景色』は非常に面白い『説法』になっている
『真我』以外一切無常=周りは夢と同じ(一人一)

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