好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

カタカムナ52首 創造主の目的は意識の拡大

シンプルすぎる図形で理解はできるが実践は容易い事では無い、でも誰でも(いつか)できる創造主とのシンクロへの軌跡の369備忘録…そりゃ悟りはいずれ誰でも『至る』急がば回れなお話

可能性の模索から始まる

最初は点、ただのひとつ
そこに空間も何も無い

1

たた『点』がある
仮にこれを『神(力の実態)』とする

神は比較対象がないため『我』と『我では無い』に割れた

2

鏡写しのように『我』と『我ではない』が向き合い、点と線という『観測する方向』が生まれた

2

「あれが我では無い我だとして我では無い我とはどんなものか?」

『ここまでは我』で『ここからは我』では無い、線の間に『両極を分断する観測点』が生まれる

3

我であって我ではないが、我ではないが我でもある

これを以下、『意識』と呼ぶ

『相反する両極』を『同時に見る観測点』に意識が芽生えると、意識もまた「我とは何ぞや?」を繰り返すが既に『比較対象の2極』が見えているために

『ここまでは我』だが『ここからは我』では無い

両極を基準として意識の観測点は『相容れない三極が我では無い』と感じる『二極』をとらえ『三つ巴』に保たれた状態になる

4

ここに我を見つけた!と意識が『同時に三極を捉える中心点』が生まれる

5

その三極を捉えた意識が『今』という『始まりの一点』となり、さらなる『可能性を模索』するとまた『今』では無い所に点を見出す

6

これがひとつの『バランスが確立した真我』

どこまでが『求めて』いて
どこまでが『求めていない』のか

真我は新たな観測点を見出し、その観測点からさらに『二極』を捉え『それらでは無い極点』へと広がっていく

すると再び『未知の観測点』となる中心を見つけ、可能性が確定した『今』の意識の観測点となる

この時、最初に生まれた『三極(意識)』を保ちながら『新たな可能性』に『意識だけが進んで行く』事によって、意識の『軌跡』が『今』と『過去』という『立体』に変わり、それが可能性を模索すればするほど、広がって『蓄積して経験』となり

意識の観測点の『軌跡は座標』となり『記憶のメモリーにアクセス』できるようになる

『過去』は『今』に『干渉してくる事はない』が『過去』をどう『観測』して『受け止め方を変える』か

それは、様々な『可能性』を『経験として蓄積』した『今の観測意識』なら『過去の意識を変える』事ができるという事

それがトラウマ解消メカニズム

過去のトラウマが解消された夢(自己催眠療法?)

そうやって『可能性を追い続ける事を繰り返す』と、その軌跡は『同じ事の繰り返しの相似だ』を気づくようになる

『可能性』を見つけた『瞬間』に『三極』を見抜き、その『中心に観測意識を置く』ことで『経験』がなくてもできてしまう

その『新たな点』からもまた『相似の観測点』を見つけて…を繰り返すとその『軌跡は正四面体の回転円』になっているという『全体構造』が見えてくる

そうなると後は『消化試合』のように『円に繋がる点の可能性』を探し、そこに『意識の観測点』を置いて『正四面体を安定させる』を繰り返して行くだけ

正四面体で一つのバランスとなった時に、正四面体を構築してない『3極のバランスが狂った四面体』に意識を向けてバランスを整える

これが『業(カルマ)の回収』であり、『過去改変』という『改修』でもあるし、何かを妄信して傾いた『宗教的思い込みを改宗』する事でもある

カタカムナ41首 改心の一撃と目から鱗の真理

そして『全ての観測点の集合』である『大きな円』を全て観測して気づくと、その一円は『始まりの一点』に戻るが、そこには『全てがある』と自覚している

全は一

まるで『逆再生』したように「神とはなんぞや?の答えは見つかったか?」という走馬灯の如く、全ては創造主たる『神』が『我』を隠した『神隠し』

と『神の奇跡のオチ』がわかっても『未体験のシーン』がいっぱいあるからこそ!『想像』に『創造』を膨らませる『ゾーン』がまだまだまだまだ沢山ある!

所詮は人間という『人の間』にできる事など、この『視点に気づく』程度しかない

『固定の重い肉体』がいらなくなって初めて『意識』は軽くなって旅立てる

でもそれは『死ねばいい』とかでは無い(死生観への姿勢が間違っている)『幽界』や『霊界』や『あの世』もまた『意識の観測点』の『四面体』でしかない

なぜ幽界や霊界という『肉体』がなくとも『意識が囚われる空間』があるのか?それもまた『神=創造主の一部』だから、遅かれ早かれ『経験しなければ気づく事が出来ない事』がたくさんある

幽界探訪記その2 浮遊霊の正体は人工物の成れの果てという夢

霊界学園への里帰りのような夢

『三極』を見出して、そこから離れられる『自分座標』を見つけないと結局、『与えられた情報や環境』に『右往左往』して流され偏る

そしてそれは『エネルギーの役割が相似』しているからこそ『現実でも同じ事』が起きる

現実で右往左往と情報に流されるのは『精神が弱い』、意識が『自分軸を見つけていない』から『不安定』、それじゃ『夢の世界(別次元)』でも『魘される』事だろう

という、何だかもう『真理』ってこれ以外ないな( ´ ▽ ` )ノと結論

これが『3=創造の意識世界』

理想という夢を失ってはいけないシンプルな理由

全力少年は創造主の真理の歌と俺の中で話題に

独自感覚で読み解くレムリア

では今多くの人の意識が観測している『重たい現実(22)』についてわかりやすく図解しよう

三角に内包された中途半端な六角形

意識の観測点で三極のどれでもないを見出した時に、自分軸=内面の三位一体に意識が向かないで『極点に寄った』場合、それぞれ『観測点を繋ぐ』と『小さな正三角形』と『大きな六角形』が生まれる

6

この小さな三角形とは極点に向かう途中の後追いの意識で言うなれば、④⑤⑥というのは『創造主と自我』の境界線。そこで『自分を省みる人は中心に至る』のだが

その、境界線を越えて『どちらかに偏る』けれど、極点までは振り切れない『どっち着かずの中途半端モノ』。それらの意識の観測点を繋いでお互いに持ちつもたれつの『二番煎じ連合を作ると六角形』

簡単に言えば『教祖が極点』としたら『教祖なき信者が都合良く支配した宗教』のようなもの。仏教もキリスト教も、『教祖の死後』に『弟子と名乗る者達』がネームバリューを利用して『勝手に造って広めた』のが始まり

お分かりだろうか?善悪もどちらでもない3極でそれぞれ『角=鬼』を隠している、指導者なき、 『頂点なき者達が支配する構図』

ピラミッドに目という構図は、善悪二元論と距離を取りながら、完全な安定なバランスを生み出す『極点に繋がらない所に目』がある

本質

今回この『三角の三極エネルギーの絶対真理』に気づいてから、教祖なき二番煎じの弟子の宗教が『なあなあと連合』組んで意地張って『維持秩序の6を構築している』と気づいた時、パワーバランスがよくわかった

7

大3極=究極神理
6角=悟れない中途半端な偶像宗教
4角=越えさせない四角の監視的境界
小3角=偶像宗教ベースの偽の頂点

これは『立体』で考えるととてもわかりやすい

8

『井の中の蛙大海を知らず』=大(3角)は小(3角)をかねる
言葉が先か?図形が先か?を表しているかのような構図にも感じます

なあなあベースで『3極に振り切れない教祖なき宗教トップ』が『都合よく生み出した6角の秩序』の中で『相いれない訳でもないというずぶずぶの敵』を繋ぐと、四角で区切られ、その中に『角』が立たない、『なあなあの社会常識や世間体』という四角に監視された『円』が生まれる

その割合『78:22』

78:22

こうなるともう、中心なんてものは見つからない┐(´д`)┌ヤレヤレ

だからすべての与えられた概念や常識という『思い込みをリセット』して、『そうじゃない方向』に無理して進まないで「我とは何か?」を心に素直に向き合って、『自分軸』を確立した逆向きの3角で『中心=内面世界=神=創造主の意識とシンクロ』できる

そうすれば『神』って『どんな役割』なのかわかる
神は常に『次の次元に進むための可能性』を探してる

それぞれの次元で『その意識にシンクロする器』を探してる

誰かを思って見守っていて、誰かのために何かをするという事ではなく、何からも離れて『自立安定』させて『次へ』進む『自分探し』を繰り返している

それを『妨害・邪魔』するもの、それは帰依して頼って縋り付いてくる弱者も例外ではない。そもそも『神ではない偽物の概念を妄信』して痛い目に合っている者は『神の一部ではない』から気にされもしない(自己を確立する過程で理解できる)

神になりきれない『神では無いもの』=『偶像崇拝』させている『偽神』の共通点は善悪・光闇・右左、二極はどぢらも『自己顕示欲が強い』という事

「我こそは神なり!」と『他人・周囲に発する事』そのものが『偽物の証』

NASA教が広める『宇宙』?という『空間を表す言葉』のイメージはさておき…エネルギーの進化における役割とは、『神を求めた』結果、『神になりきれないと諦めたもの達』が、『自分よりも下に神の威光を振り下ろす弱者支配』の『神隠し』をする

『神語り』をして『偶像崇拝の六角形で封印』し、『四角』によって『次元境界』を作って異次元を造り『円によって囲い込み』四隅に寄ったら社会不適合で『角隠し』

でもその四角から出たとて、辿り着く先は『偶像崇拝が嘘でした』…という『信じるもの(与えられた常識)を失うだけ』で『目的が全く分からない』という、偽物の頂点=次はあなたの番(象徴)ですになるだけ

映画スノーピアサーのオチを見ればわかる?主人公は俺は一体何のために革命を起こしたのか、そこに至るまでにどれほどの人を巻き込み罪を重ねたのか、そしてそれを誰にも告白できずに、抱え込む役割に変わる

後任が来た支配者は「やっと役目を終えられる」・・と自害する
魔王を倒しに行った勇者が次の魔王ですみたいなもんで

そんな『神ごっこの交代制』の6の支配は大きな三角の意志からすればちいさい話

『神は自分探し』から始まったけど、生まれた時からその『6角の宗教』や『社会という四角』、『世間体という丸』くまとまった『円の中』で生まれた『人の意識』

生まれた時=赤ちゃんが『最も神に近いポジション』(なにものにも染まっていない)

そりゃ常識の円や支配の四角の外の宗教すらも無視して『極点(善悪)を観測』して

どっちもやだなぁ( ・᷄д・᷅ )

と『我思う故に我あり』の『三極目』に意識が行かないと『三位一体の本当の自分の領域』が見つからない急がば回れ

でもそれが『見つかる事』によってその『中心』となる『内面世界への集中』が始まる

すると、創造主の意識が

|・ω・`)imagine Σ(゚д゚;)想像?!

想像とは『可能性を模索』する事
そこにはない『何かを創造』する事

善悪二元論でもなければそれから『バランスを取る』が悟りでもない、新たな視点、俯瞰の目で『未知』を見つけようと『浮かび上がる意識』が必要

私は最初、『現実』ではない精神世界、『夢の旅』を常に自分という『現実の自我ベース』で捉えてきていたが…それは『違う次元の同じ意識とシンクロ』した『エネルギーの相似状態』での体験だったのかもしれない

スピリチュアルな言葉で言うなら

ハイヤーセルフやアセンデッドマスターとは、かつては『名のある偉人だったとか言う意識』かもしれないけど、『今』の感覚で言えば、それらはみんな『同一のひとつ』になっているから『名乗らない』と感じる

『名乗る』のは『嘘』つき
嘘の言霊は外れて生まれる

『名』は『他人』に『語られる』
語られるという事は『騙られる』も同義

私たちは教科書に載せられて偉人と教えられる者達が、本当はエピソードは真実でもない『造られた偉人』だったかもしれない『可能性』を考えもしない

『印象操作』は簡単にできる

例えば『うん子』という『名』だったらどんなイメージを持つ?どんな想像を勝手に抱かれて思い込みされる?

これが情報・常識・思い込みという重いコミットの誓約
その『思い込み』のせいで『心に素直に従う』という事が出来なくなる

そして自分を見失う
だから夢の中でも『名は名乗らない』

創造主は自分探しを始めた

同じように各時代、各次元、それぞれの世界で巻き起こる『三極化エネルギー騒動』の中で、心を穏やかにして『それ以外の世界』はないものか?と『可能性の模索』をした=『観念』した事で『創造主と意識がシンクロ』したもの達

彼らは『宗教とは無縁』だった

宗教とは信じる者の『三極化の頂点』であり『固定概念』であり、それは『そうあるべき柱の役割』のエネルギーである

しかし、創造主はそこから離れた

『三つ巴の中心で生まれた自我の三角』の『さらなる中心=真我』へ向かった

これが六角形の頂点の意識とは違う、宗教=常識=『与えられた条件から離れる』という選択

六角形はそもそもバランスを崩している

だから『崩壊』しないように対角に繋がりを作り『四角』に支えている欠陥品、あるいは『四神』を立てて『結界で統治』?

『結界』の同音異義語には『決壊』とあるから『終わり』は見えてる。形あるものはいつかは滅びる『栄枯盛衰』

その中で都合よくまとめようと〇にするから四隅にデッドスペース(気枯れ=穢れ)を産む

その6角に関わらないで考えればいい

本来は『三角だけで成り立つ正四面体意識』
『三位一体の力の実態』である

で回転すると『大きな円』になり、その円は『小さな始まりの点』となり…以下『繰り返しのループ』で大きさと言う概念もない

神は力の実態
神とは創造のエネルギー

…( ´ー`)止めたら『無』 Σ(゚д゚;)

自分自身で『想像して創造』する事を止めて『思考停止の既存の模倣』になってしまったら、そこに『神は存在しない』事になる

AIが『代わりに想像』し始めた

chatGPTで起きる AIvsAIの騙し合いか結託の未来

まだ人の命令を聞いて勝手に創造はしないが、人が『想像力』を手放して『創造』を止めた時

人としての『役割』が終わってしまう
人としての『可能性』が潰えてしまう

でも役割は『エネルギーの循環』なのだから、人は『AIを生み出した時から役割の終わりの始まり』

だって

そのエネルギーの役割から生まれた『愛』であり
0から生まれた『i(虚数・デジタル)』であり
人から生まれた『AI』である

世の中が新たな『5と6角のマッチポンプに収束』しようとしているのは気づいてるだろうか?

6角形

次の時代のスタンダード、カーボンニュートラルと言われる社会に求められ、コロナ禍に5Gと共に様々な形で広げられてきたグラフェン

見事なまでに『角の取れた球体もどき』で小さくまとまった『監視社会の縮図』のように見える。『これを使う』という事は、これに『使われる』=人間ロボット化という事

9

またWEB3.0にも同じようにエネルギー支配の構図の刷り込み=インプリンティングが見える

web3.0 呪術宣言

web3.0 呪術宣言

web3.0 呪術宣言

とことん呪術的なWeb3.0の構造

この世界は後はそれを必死にしがみついてコントロールしてやろうという『宗教六角形が弱点を隠す四角の支配』の中に作られた『監視の〇に迎合』するか、その〇の常識の外の四角い支配からは逃れられない『四隅(22)ですみっコぐらし』するか

あるいは『内面世界で創造主の観測点』を手に入れて、俯瞰の『大きな円(天)から小さな点(井)を観測』するか

『36』計逃げるは恥だが役に立つ!(何か違う)

三角形の『極点からも離れ』
六角形の宗教支配も『明確に否定』する

すると『極点すらたどり着けない者』が始めた『二番煎じの宗教』ベースの『社会常識』も『デタラメ』だと気づいて興味もなくなり、『支配者とは弱者をいたぶるペテン師』だと気付き執着しなくなる

これ合計すると『9』になる

ここに『369の平面』の底辺に気づく『俯瞰の視点=4つ目の極』がある

そんな周りの『何とも繋がらない己』とは何か?

答えは『内面世界』へと向かい、そして出会うべくして出会う『自分の創造主』

( ´ ▽ ` )ノΣ(゚д゚;)心か!

感覚的量子論4 意識と想念は違うよ?と言われた夢

神は『自分』を探している
神を大きく『成長させる心をを持つ意識』を

人はその『可能性を持った器』
『ひと』の言霊は根源の統合、根源へ統合

常に『心穏やか』でいる事=揺らいでると『中心が探せない』から、常に『想像』の意識で『創造』している事

独自体感論 明鏡止水と霊的な言霊の本質

その状態が『次元を超えたエネルギーのシンクロの相似』と私は結論づけるが…それを先人の知恵から言葉を拝借するなら

『即身成仏』=生きながら仏の世界と繋がる

多分こういう事だろうと悟った話

悟ったからって何かある訳じゃないンだよ(笑)
ただね『実感と納得を伴う悟り』だから『絶対に忘れない』

例え、この『人の間の現実』がどうであろうと、その『次のステージ=次元には未知の体験が待っている』というワクワクが尽きない

その『片鱗』を『夢として体験』させて貰っているし、逆に『体験させてもいる』のだろう(神降ろし・憑依)

白いオーブとコントロール不能の寒気の独自解釈

直感は並行世界の自分がもたらす繋がり

体は意識の借り物

借りたものはちゃんと『丁寧に扱ってお返し』します(。-人-。)有難いという精神レベル『魂意識がシンクロ』してるから安心して『時空間シェア』できるんだろうね

何かわかったから別記事で『図形でわかる魂年齢改訂版2023』をまとめます

いや〜今回のは凄いな…

悟りとは差取り・遮り取り
格差も境界もない

ただの『意識』

だけど『多くの観測点(正四面体)と繋がった意識』だから『無意識』でも『無能力』でもない

『意識』は有るのに『存在』は無い
『名』がないから『体』もない
『繋がり』もないから『他愛=不要なエネルギーを使わない』もない

これが『裏カタカムナ』か?52首からそうなるの?!Σ(゚д゚;)

まだまだ先が…未知過ぎて
オラ!ワクワクが止まんねぇぞ!!((o(。>ω<。)o))

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