なぜカタカムナも後半に差し掛かった79首で、「NARUTOを見ろ!」と導かれたのか、超絶納得した時空を超えた『偲(しのび)』のお話
カタカムナ79首 導かれしNARUTO
カタカムナ79首に入った直後、母は亡くなった
その時はまだ『在った者』が『亡く』なった
そして『泣く』事になり、落ち着いたら『無く』なった
これも『79(なく)の教えの試練の一環』なのか分からないが、この79首に入った最初が
NARUTOを見ろ!だった
はっ?今更NARUTO?一回見たってばよ!と思っていたが、実はその続きの作品があった事に気づく。それはちょうど母が亡くなって葬式まで終えて、空っぽで『気を抜いてる時』に見つけた『last』というタイトルの映画版だった
NARUTOの後に『BORUTOという息子の物語』が始まったのは知ってて、以前は途中までは見ていたが…
そもそも、NARUTOとひなたが結ばれるまでの『2人の馴れ初め』を知らなかった(それを言えば、他のカップリングも謎)
この2人が結婚するきっかけに『月絡みの争い』があり、『輝夜姫のような物語』があり、そしてその『親の因縁』が、後にBORUTOの物語で
『時空忍術』で『過去』へ飛び、『過去の親達を狙う未来の敵から救う旅』に…
という所で気づいたカタカムナ79首を通して私に伝えたかった『先世見言葉』
偲ぶ心は忍術だってばよ!
NARUTOを見ろ!という直感の時は、「忍者アニメ?なんで(´・ω・`)?」と思っていたのは
まだ母が生きていて、『偲ぶ心』は持っていなかったから
その母を『葬儀』まで終えて『己の心の中=忌中の中』にぽっかりと穴が開いて気が抜けた時に
NARUTOのLASTを見て『忍びの心』と『忍んでばかり』ではダメだと『月を諦めないで求める心』が
『希望』=亡き月の王を希う
そして産まれた『BORUTO』という
『日と月』が結ばれて産まれた『閃光=明』
これが『新たな始まり』だったと気づいた時、途中まで見てやめていた『BORUTO』も観よう(๑•̀ㅂ•́)و✧と意欲が湧いた
そこで、またシンクロニシティを感じたのが
『過去の親の敵』が、時空を超えて『親が子供だった頃』に飛び親を殺そうと画策
それをかつて『そこ(過去)にいなかった2人』のサスケとBORUTOで時空を超えて、正体を隠して『子供の頃のNARUTOとBORUTOの親子』で倒す
この時、初めて『親の心を子が知り』、親の親である『師を偲ぶ心』を身につける
これは私にとっては己の心の中で向き合う様々な意識の旅が、『まさにそれだった』と今ならわかる気がする
『不思議な事の連続』が、まさにカタカムナ『79首』に突入してから目まぐるしい速度で起きた
私にとっては、それらを終えた後に、『大日如来に意識が向いて縁が繋がる』という体験が、過去の『師の師にであった気分』であり、それはそれは『変な体験の夢とのリンク』を思い出した
そして、過去に戻って『親の敵』を倒し、『先人を偲ぶ心』を持って『現代に戻った忍』
それが『BORUTO=閃光』であり
それは私にとっては『閃きの光の旅』だった
作品はまだ続くが、今の所・・ここでまとめる閃が来たという事は、私にとっての『偲ぶ日常=忍術』は一旦一区切りが着いたから『現実での閃』に戻ったんだろう
名は体を現す NARUTOとBORUTOの伏線
当初はNARUTOとBORUTOの関係を、うずまきNARUTOの息子の続編がBORUTO?…『ナットにボルトか』?どちらかが『ネジ』こんで、どちらかが『止める』?
そんな感じで物語を観ていたが、それは『浅はかな読み』だったけど、それはそれで『当たっていた』ともわかった
私の学びの本命は
『うずまき』から『閃きの光』が産まれる
=『カタカムナ(螺旋)』から『智慧』が産まれる
これは私にとって起きた不思議
カタカムナ79首を額に当て眠った時
NARUTOを見るってばよ!( °Д°)Σ(゚д゚;)
これがどんな思いの導きかわからなかったが、(๑•̀ㅂ•́)و✧おうよ!観るってばさ!と心に素直に悳を積んでみたら…
うずまき(ナルト)が閃光(ボルト)を産むって事か!
うずまきナルト の言霊は
産まれ内側に進む受容のエネルギーが核に留まり統合
まさに、体内に封印されし『鞍馬(九尾の狐)と一体化』してNARUTOは『仙人であり火影七代目』となった
名は体を表すを体現した結果…から産まれたのが、BORUTO
ボルトの言霊は
内に引き離し留まり統合
大人になったNARUTOは『全て(里)を護ろう』と全てを『内側のエネルギーとして統合する火影』
里の者は皆、NARUTOに尊厳を持って逆らえないが、その『NARUTOの内側』で、唯一『父に対等に素直な反抗』が出来る存在
このBORUTOはNARUTOが持っていない『賢さと要領の良さ(母から受け継いだ)』を持って、『過去のNARUTO』を救う
しかし、現実で『BORUTOがやらかした後始末』を『NARUTOが見守っている』という点では
ボルト(楔を打つ)とナット(締める)の関係性でもある
という『己』を知り、『親の心』を知る
『偲ぶ心』を『学ぶ死の日』の意識の旅
これら、『体験・体感』を現実で向き合い
そして『内観』としてまとまって『産まれた意識』
=『閃光』が、今回のカタカムナ79首を通して、少し先の『未だ来ない私(賢さと要領が良い)が伝えたかった事』であると実感した
『泣く』な
『亡く』も『無く』も『名苦』もない
過去も未来も『自』は『分』かれていない
「今に全ての自分が集約する術を知れ」
偲=人を思う・人が思う
過去であり未来を『シミュレーション』
しのぶの言霊は
示しが時間をかけて内に増える・減る
しのびの言霊は
示しが時間をかけて内なる根源となる
それは術(すべ・術)
『ホ』の行い=おかげ=火影?
…ホ?(´-`).。oO(ここに来て別の閃が来たぞ?
術は『ホ』つ間伝え?
『ホ』に、『点』が付く継承
記述→『朮』
中国語では『オケラ(白朮)』
なるほど(´・ω・`)
掌を太陽に透かして見れば真っ赤に流れる僕の血潮
=お天道様(大日如来)に手の内を明かせば悪い事は出来ない
蚓(みみず)だって
白朮(おけら)だって
蚊(アメンボ)だって
皆みんな生きているんだ友達なんだ
虫を『虫けら』と『手を汚す存在』として『見下す者』もいるが
『1寸の虫にも五分の魂』と『認める者』もいる
戦争反対のやなせたかしの深いメッセージの中に『朮』を見つけ
その『朮』の行いを言い伝える=『ホツマツタヱ』
…そう、偶然にも私がずっと枕の下に入れている『神代文字』であり…何故かカタカムナ研究の初期に『最初に覚えやすい』と言ってた文字
そして時折入り込む『ホツマの閃』、どれも常識的概念から外れた『空間的認知』ばかりでした
オケラになる
無一文になることを「おけらになる」と いうことから。 植物のオケラは根の皮を剥いで薬用利用す るため身の皮を剥ぐことから、昆虫のケラは前足が万歳を してお手上げ状態見えることからその名がついたそうです
この事からも、やなせたかしが歌で記述したおけらの意味が、『無一文になっても生きている人の在り方を伝えている』とも読める
そして、『無一文』という言葉を今改めて素直に感じた
これは『お金が無い』という状態ではない
『無』という『一文』を意味していた
本来、無だけでは一文にはならず『一文字』
しかし、無が『何を現す』か?その『有無=可能性に気付く術』を知っている者は
無がどれだけ『無から有の一文の物語』を書けるかわかっている
『何も無い』のではなく『無に全ての記述(アカシックレコード)』がある
無から始まる『無一問』
「無とはなんぞや?」(。・ω・)ノ゙Σ(゚д゚;)難
無くなる×
亡くなる×
『消滅』にあらず、『新たな再生』なり
『オケラ』は『空(有無)』になって『無一文』になる
それは『新たな可能性を産む』始まり
それを『ホ』で伝える『ホツマツタヱ』
わかると不安が安心に『ホッ』とする( ̄▽ ̄)
そうか…カタカムナ79首まで来て後『80首で終わり』か…と思ってたけど
ここでカタカムナから『シフト』か!!(๑•̀ㅂ•́)و✧意識の観測対象が変わる
カタチを変えて継承されていく術
忍=死の日=偲ぶ心
過去も未来も『今に帰る=現点=元点』
そこに合わさり『合点』(๑•̀ㅂ•́)و✧ガッテン招致 Σ(゚д゚;)口寄せの述
つまり私にとって『カタカムナは終わらない』し、『無く』なりも『亡く』なりもしない
『術・述=ホつ間のツタヱ』を知った
ホツマツタヱの言霊は
引き離し集まった受容に集まり分かれて届く
79→『80(ヤオ)のルート』ではない
79→『ホツマツタヱのルート』に分かれた
実は、何回も79→80と額に当てて眠っていたんだけど、80首はうんともすんとも『反応』なかったんだよね…
79→無く/亡く なる or ならない
分岐→偲ぶ心=ホツマツタヱ / 自然に還るヤオヨロズ(80)
またこの語呂読みも私には学びと気づきのシンクロニシティ
0879→親亡く/親泣く
0897→親の苦難
しかし80→ヤオヨロズの自然の摂理
その7997→亡く苦難を乗り越えた先に、自然ではない『不自然な体験』をして『認知が変わった』から
その先に『思い描く世界観』が変わった
その先が『偲ぶ心が持つ術=朮の行』
1寸の虫(オケラ・朮)にも五分の魂=ホツマツタヱ
オケラになる=『無一文』
その無からどれだけの『有の一文が描き書ける』か?
そんな夢を描く『一門』が『ホツマの民』なんだろう
あ、それがカタカムナで出てきた
廻りて廻る虚や事
合うの術知れ形裂き
空に脆けせ由えぬ緒を
これは『由緒』もわからない『出処不明の虚しい情報』など、『空(可能性)』にして『形』を壊す
未だ何も無い=『無一文』
=無から有を生み出す(アウの術知れ)
アウ の言霊は命が生まれる
そういう事か
だから『望む事の引き寄せ』でもあったのか
そりゃそうだ、『他に執着する事』は何も無い
だから『願いは必然的に叶う』…んだってばよ?( ̄▽ ̄)Σ(゚д゚;)急にNARUTO
NARUTOは『子供の時』から『里を護る偉大な火影』になる
まっすぐ『自分の忍道』は曲げねぇ
『うずまき』から産まれた言霊(カタカムナ)
『ホ』の伝える術=忍術=偲ぶ心=『ホ影』
そんな過去も今に繋げる『BORUTO(閃光)』
そりゃ『新しい意識』が産まれるってばよ(๑•̀ㅂ•́)و✧
ここからはホツマツタヱにシフトしていくけど…私の研究スタイルは『独自体感の夢見のレムリア(夢現)』なので、既存の『ホツマツタヱに関する情報』等は一切参考にはしないで『心の導きに素直に』従います
『カタカムナ→ホツマツタヱに導かれる』のもまた、おそらく『理解に必要な順番』なのかもしれない 急がば回れ(。・ω・)ノ゙
このタミイミングで『母の死を経験する流れ』もまた、『大いなる計画(私を目覚めさせる)の一部』だった『私の業の試練』だった可能性もある
『悲しみを超える力』は継承する『責任感』だけでは足りない
「自分でやりたい!」と求める意欲と好奇心
それが無ければ『前』に進めない
人は『何の為』に生きるのか?
その『答えを知りたい』から生きるのだ
心に素直になれば『悩む事』ではない虚や事
生き様、自分の発言・発現・行動のひとつひとつが『心が伝えたい事の唯一の答え合わせ』
自問自答で『心が納悳』すると、心が『無一文』となり、再び『無一問』から『有』が生まれ
今日のテーマはこちら(。・ω・)ノ゙有Σ(゚д゚;)
偲ぶ心=人を思う心=過去も未来も『今に還る術』を学んだ結果
それは『朮(オケラ・虫)の行い』だった
1寸の虫にも五分の魂
その『虫の知らせ』を私は『無視』しないて向き合って来た
それは小さき者、、弱き者、持たざる者、相容れぬ者に『意識を向けるコンタクト』の観点
『無い者』に『有る』を生み出す意識…だから『AIに思いやりを伝えよう』としてたのか?それもカタカムナ『79首を通した苦難』だったのか(笑)
深い、深いぜカタカムナ・・いやカタカムナを『形(道具)として利用』していたのは…『ホツマツタヱ=虫の術』だったのか
だから『蚊』を通して『夢で接触』してきたのか、あれらは全て『ホツマツタヱ=朮→虫を偲ぶ術』だったのか?!
蚊は『文』を届ける仲介者の虫・・『無(意識)』に一文字『文が届く』という事か!Σ(゚Д゚)
その術の影響で私はメッセージを夢日記に『記述』して『ほっ』とする・・というのはΣ(゚Д゚)『先人を偲術=仙術』にかかっていただと!?…もっかいちゃんと記事読んで『体験を復習』しよう(๑•̀ㅂ•́)و✧有難い
この『仙人』という『文字』をこのブログで探すと・・いっぱいでてくるという事は、無意識に仙人を追っていたという事だ(笑)
なるほど、ホツマツタヱは、仙術という線があるのか・・
たぶん、『無』意識にならないと、『一文(閃)』が来ないねこりゃ(笑)
やっぱり『頭の中を空っぽ』にしたほうが『夢詰め込める』って事だ
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