自力で殻を破る力、内側から押し出す力、松果体を開く力、蓮の花を開く力・・なぜ仏教や悟り、極楽に蓮の花なのだろう?と気づいた時、蕾に内包された何重もの花びらを思い出し、蓮の花がなぜ『神聖』か納得した話
寝起き閃き 蓮の花?
どうして、仏教の悟りや極楽という映像描写には『蓮の花』が使われるのだろう?と気になった。頭の中のイメージは、何重にも折り重なった花びらが、徐々に開いて広がっていく姿が見えた時、思いだした
以前、庭の椿を切った時についてた『蕾を素揚げ』にして食べてみる実験をしたのだけど(苦味でおいしくない)、その前に蕾の中はどうなっているのか?開いてみたら
蕾の段階で、もう何枚の花弁が格納されていて、どのように開いていくのか『人生設計図』のように出来上がっていた事に驚いた。外に開いてから増えるのでなく、一枚が開くと二枚目が開き、順番に開く工程が『ギミック』のように決まっているのだ
この写真は私が無理やり外から力を加えて開いたので『歪』だが、『生まれる前に全て』が決まっていて、生まれたらその『計画通り』、最後の一枚まで開ききって、おしべとめしべに受粉をサポートしてくれる虫が来てくれて、そして『実』をつけて、役目を終えた花びらは枯れていく栄枯盛衰、諸行無常
花の命は短くて、でもその『一瞬』が美しい
しかし、私はその『自然に見るべき工程』を『不自然に覗いて』しまった(人間の業)。されとて、その一見『無駄にも思えたこの行動』が『今の閃き』に繋がる『重要な工程』になっているとは、あの時の私(食糧難対策に?)は知らない・・
この事からわかるのは、『蓮の花』も同様に『生まれてから散るまでの運命』はあるだろうに、どうして『聖なる花』として『悟りや極楽の象徴』なのか気になったので調べてみた
蓮の花に関する様々情報
蓮(ハス)の花は夏、初夏というには暑くなってから、でもうだるような真夏の暑さになる前という頃に咲き始めます。季節は7月頃です。7月の後半のこともあれば前半のこともあります。その年の気温によって変わります。インド、ベトナムの国花とされています。
エジプトを象徴する花とされ、正確にはエジプトの国花は睡蓮ですが、蓮(ハス)の睡蓮と併せて再生と復活の象徴。ギリシャ神話では、ニンフのロティがプリアポスという神の求愛から身を守るために蓮(ハス)にその姿を変えたという逸話
なるほど、開花時期が『初夏の涼しい時期』と知ってスピリチュアルの『サマーランド(夢幻界)』や瞑想で本人の自我意識が消滅してしまった状態の『サマディ』を想いだす
私は以前、「ここがが天国か?」と感じた瞬間が『二度』ある。一度は『夢の明晰夢』だが、もう一つは『現実の自然の流れと一体化』した感覚の時。どちらも『涼しい初夏の空気感(悪意のない世界)』があった
そういう意味では、熱くもなく寒くもない『人の心に環境的な波風が起きない季節』なので『精神が開花する』という意味でも蓮の花の開花=『目覚め』とも言えるかも
蓮(ハス)の葉の表面が特殊構造になっていて、表面に乗った水滴を浸透させずに落としてしまうからです。これをロータス効果(ハス効果)と言います。ハスの葉は撥水性があるため泥水がかかっても汚れることはありません。 蓮(ハス)の花言葉は「清らかな心」「神聖」
なるほど『蓮』と『睡蓮』の違いは、『蓮は水面よりも高く茎を伸ばす』のに対し『睡蓮は水面上で花開く』という『高さ』も違います。これを精神的な修行における『高みを目指す』と捉えた時に
蓮は周りの葉から飛びぬけて『日の当たる場所で開花する』だけでなく『雨風』にさらされても『表面に泥がつく事はない』。これが『悟りを開いた者は何者にも影響されない状態』ともとれます
逆に睡蓮は水面の『低い所で花開き』、『撥水性』がなく『花は沈んでいく』そうで、そういう『すぐに手に入る環境』ではなく、ずっと蕾の中にいつか花開く花びらを格納して、茎をぐんぐんと伸ばして高みを目指して、そして、その周りに誰もいなくなった『孤高の存在として開花』する
それが睡蓮と蓮の大きな違い
『孤高』で『水』をはじき『汚れない神聖な存在』
・・にも拘わらず?
蓮っ葉女?
昔の日本では蓮(ハス)の葉は、お盆の時期になると料理を乗せたりごはんを包むのに使用されていました。蓮(ハス)の葉を売る商売はお盆の時期だけの季節もの、つまり薄っぺらい商売とされ、蓮の葉イコール薄っぺらいとされたそうです。
さらに男性の身辺のお世話をする女性を「身持ちが軽い女性」とし、蓮(ハス)の葉女と呼ぶようになったと言われています。このことから、振舞いが下品な女性のことを「蓮っ葉女」と言うようになりました。今でも「はすっぱ」という言葉は女性に対して使われる言葉です。
はい、レッテルをかけられました(ここ重要)
この時点で、仏教的な教義を罵倒して蔑み、下に見たい、異教徒による信頼の失墜を狙う『風説の流布の認知戦』が始まる訳ですね
薄っぺらい商売
身持ちが軽い女性
振舞いが下品な女性
『花言葉』やその『成長過程を知っている人』からすれば『何言ってんだこいつ?』と仏教を直接罵倒できないから、仏教の大事な教義やシンボルを『間接的に汚す』
『蓮の花には汚れが付かない』から、蓮の花に見立てた女性に汚れをつけるという、根っこから素性が腐ってる湿気臭い日の当たらない所からの『やっかみ』のように感じるいわれのないレッテル
これが転じて『花売りの女性』という表現になったとしたら『認知戦』による『意味や解釈』が変えられてしまったんでしょうね。でもまぁ、蓮の花の花びらを売って『商売』にするという時点で
それもまた『神聖な花』を『私利私欲の無碍に扱った報い』と思えば『自業自得の因果応報』ですけどね
なんだろう(゜-゜)世の中やっぱり、どっちかに『偏る』と『片棒』を担ぐ、主義ゃ所属、立場ってのが『発言や思想』に出てくるけど、完全なる立場がない、無で『意識がゼロ磁場(何も引き合わない)』の時
花売りも自業自得の因果応報
と『納得』して、これは『どちらも人の業』だから『関わるべき事ではない』とわかる
それこそ、蓮の花がそんな、陽の光も当たるか当たらないかで『水や泥』を掛け合って『浮き沈み』が激しい『睡蓮の低層な貞操ゾーンのいざこざ』にまきこまれないように、ぐんぐんと『蕾(大事な宿命)を押し上げる茎』が伸びて離れていく
『蓮の葉を売っていた女』がいたのが『事実』なら、おそらく『睡蓮と蓮の区別がつかない(花ならなんでも)』で、そこら中の『水面に生える睡蓮』を売って
薄利多売の売女利薄
花びら一枚売っても価値は安いから数を売る
ついでに女(春の終わり)も売るけど価値はどんどん安くなる
花の命は短くて(旬な時期のみ)
ま、そんな所だろうと納得(((uдu*)ゥンゥン 『薄利多売』の仏教用語もここからか?
仏教画ではよく仏陀が蓮(ハス)の花の上に座っている姿が描かれています。これを蓮華座(れんげざ)と言います。
そうだね、ここまでの『高みに至る』までの外界との関わりを立ち、内面に抱えた宿命(花びら)を開く事だけを専念してきて、やっと手に入れた『陽の光をたっぷりと浴びられるポジション』
例えば私は、『遠くの景色を見る』のが好きなので、よく雲や山、太陽、月など、『スケールでかいもの』をずっと見ていたいと思う事があります
俺が見たかった景色はこれだ!と思ったのが、ドローンで上空80mに垂直に上がった時
『自分の今の意識の立場』からでは見えない景色、その瞬間私の意識は『上空80mにいた』とも、『80m級の巨人が見た世界』であったともいえますが、大事な事は、『見たい物事』を邪魔されずに『あるがままに見れた事』
これを『蓮華座(れんげざ)という特等席』に座ってみる『花火大会のような空模様』と考えてみればわかるけど
上に行ったら下は見ない
下の者は上を見上げて「あいつら・・」と思ってます
「上にいるなら引き上げてくれればいいのに・・」
「あいつらが独り占めしているからここがひどいに違いない」
「上が下を苦しめているんだ!あいつらを引きずりおとせ!」
不思議ですね
ビジョンが見えていない
「あの向こうに見たい景色がある!」と『夢』を語っても、周りは「そんなものがある訳ない!夢みてんじゃねーよ」と決めつけて邪魔しかしてこないから、そういう環境から離れようと、『自分を高める精神的修練』に入ると
世間一般からは『見えない存在(社会不適合者)』になる訳で、「得体の知れない腫物にはふれないほうがいいと・・」と『蕾(腫物)をスルー』してくれるので、そのままぐんぐんと波風の水面に影響されない『上』に至ります
そこでやっと目的の場所で『宿命に沿った運命の花が開く』と「なんだあれは!ずるいぞ!」と『下が騒ぐ』訳ですが、上を向いて花開いた者、『蓮華座(れんげざ)の中央』に座ってる限り、昇ってきた『真下の闇』は見えませんって話
『誘惑に弱いと睡蓮』、宿命を大切に蕾に抱えて『高みに昇るのが蓮』
これもまた『生き様の因果応報』ですね
ちなみに、そんな蓮の花には縁がない?(ヾノ・∀・`)いやいや、私たちが、よく煮物に入れて食べている『レンコン』は『カタカナ』で馴染んでしまったから気づかなかったけど『蓮の根』なんですね(今回初めて知った)
蓮根がスカスカなのは、球根部分にたくさんの『実』があり、その種を取っているから。そう考えると、そんな『孤高の精神を生み継承する蓮の実』は・・きっと『精神的効果』高そうだな?と思って調べたら
なんかのラスボスですかね?(笑)
ビタミンB1には、糖質からエネルギーを作り出し、皮膚や粘膜の状態をよくし、脳神経を正常に導く働きがあります。これによって美肌や口内炎の解消が期待できます。
ほら、やっぱり『脳神経を正常』に導く働きという肉体的かつ精神作用=松果体=悟りに影響がありそう
という訳で、突然気になった『蓮』を調べてみたら
花言葉は神聖、清らかな心
生き様は誘惑を振り切り高みを目指す孤高の精神
その先に、極楽とも言えるサマディ・サマーランドの初夏の心地良さ
そんな神聖で清らかさを一枚一枚と剥離して売る薄利
それじゃ飽き足らず女も売るけど、旬が短い薄利売女
汚れない蓮と違って、水に泥に汚れる睡蓮を売れば
そりゃ『蓮に対する信頼』にも『泥を塗る』ってなもんで
質の悪い花を売る花売りは蓮っ葉女と足元みられるわな?
『極楽』はどこにあるかって?
そりゃ『水』かけ論や『泥』の擦り付けあいで『汚れ汚され』の睡蓮のような『薄利多売』の『人の業ビジネス環境』から離れないとたどり着ける訳がない
蓮 はす れん の言霊を読み説こう
はす は引き合う方向に進む
れん は強く消失する
訓読みと音読みはいつも違うエネルギーを持っているが、まるで陰陽の組み合わせのまま読み説けば
強く消失して引き合う方向に進む
引き合う方向に進み強く消失する
いずれにせよ『ここではないどこかへ』という事には変わらないし、その進むべき方向に引き合う何か(相互エネルギー・磁力)がある
睡蓮 すいれん はどうか?
現象に進み強く消失する
一方向に進み現象が強く消失する
現象=目に見える何か?に進んでいって消えてなくなる
飛んで火にいる夏の虫(季節も夏の暑い時期)
ちなみに睡蓮の花言葉には『滅亡』があるらしく、それはギリシャ神話のニンフが関係しているようだけど・・それを知らずとも、仏教の『蓮の神聖さ』が、言葉や生き様で『魔』を退け、自然に高みへと意識を向けさせるという
蓮はlotus(ロータス)というらしい
lot 多く・たくさん・束・集団・ひとまとまりの
us 私たち・我ら
集合的無意識=蓮 なんだよね
つまり、『孤高の精神』で『悟りを目指す者』がいるから『集合的無意識のステージ』が上がっていく『共同創造』。それがわからない奴は、『蓮っ葉女』と同じ(薄利多売で貞操観念が低くどこの誰ともわからない馬の骨を宿して増殖)
別に『特定の誰か』を言っている訳でなく、そういう『精神状態を表す』意味では、『ジェンダーレス思想』(どっちにも該当)
『蓮』ひとつで『説法する言葉』がちゃんとある
蓮ってすげえなというお話でした
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