日本音楽で、半音を含む五音音階、陰旋メロディをかき鳴らしていて気付く、北国に根付いている伝統文化、ユダヤの伝来、釈迦との和合、ねぶたとの深い繋がり、『いろは』言葉、『ひふみ』は音で47音と48音を読め
陰旋法とは?
6世紀には日本の音楽があったといわれていますが、非常に限られており、こちらに関してはまだ諸説あります。日本で芸術としての音楽が反映し始めたのは、奈良時代になってから。奈良時代の間に雅楽の宮廷音楽が中国から渡ってきて、そこから日本のスタイルやテイストが加わっていったと言われています。また、仏教や儒教と同じく、12世紀には音楽や楽器も中国から渡ってきています。
ド・レ・♭ミ・ファ・ソ・♭ラ
陰旋法(いんせんぽう)といって、古くから日本で使われている音階
「ヨナ」とは、数字を昔風に「ひい、ふう、み……」と数えていった時、4が「よ」、7が「な」になることに由来。その名の通り、音階から第4音・第7音を抜きます
通りゃんせも、さくらさくらも、ひなまつり、かごめかごめもメジャーで有名な和の代表的な曲・・逆に言えば
それ以外ないから『不自然』
私はこの『和』を感じさせる『独特な音階と波長があう』のはなぜだ?通りゃんせとか、ひなまつり、さくらさくらのように『物悲しい』のとは違う
もっと『楽しく』『馴染み』ある『暖かい』『活力が湧く旋律』だったはずだ・・と何度も陰旋法の音階をギターで弾いていて思い出した
津軽に伝わる祭りや夜店の定番『ねぶた音頭』が『陰旋法で作られている』事に気づいた
ここにはかつて『都(御所)があった証明』でもあると私は、残された伝承と実在する地名の名残から考察している(あくまで持論)
北には『北の文明』があり『独自の発展』をしていた、そして前回の『サクラサクラの歌詞』にも書かれていた通り、弥生の空に霞か雲かわからない、よくわからい『臭い』を感じたから、イザヤイザヤ(救い)、見にゆかんと『武士が動いた』と考えた時
ヨナ抜き音階の『ヨナ』もまた『イザヤ』同様に『伝来』した教え
「ヨナ」は、聖書の預言者であり、『ヨナ書』の主題である男性の名前で、ヘブライ語で「鳩」を意味する「Yonah」から派生しています。 航海用語として、(そして拡大して)「不運の原因と見なされる船上の人物」(ヨナ書1章v-xvi節)としても使用されています。
鳩=九鳥=九官鳥
九官鳥の「九官」は、日本にこの鳥を持ち込んだ中国人の名前といわれる。 九官が長崎にこの鳥を持ち込んだ際、人間の言葉を真似することを伝えるために「この鳥は吾の名前を言う」
という事は、「ヨナ」は中国人=不運の原因で、和国からは排除で『ヨナ抜き』?あと、これも気になる
Yonah → Y + noah (アナグラム)
独りだけ違う道を行く『先導者ノア』
西洋の『キリスト教のノアの方舟』は『一人だけ神に素直に従ったから救われた』みたいに選民思想に美辞麗句でレトリックされているけど、ヨナはその役目を「嫌だ!」と神に逆らいまくった挙句、無理やりそのルートに載せられ「しぶしぶ適当」にやった事で『多くの人が救われた』という
要は、人間は神の運命にはさからえないよ?的な、どっちかというとチベット密教や仏教の話に近く、ヨナ書の教えは『ダメ人間性が改心するまでもちゃんと伝えられている』からおもしろい
まるでこれは『説法』であり、『とうごま=唐胡麻』が出てきて、それは『東アフリカ及びインドを原産』とするというのだから『白人の要素』が消える。大陸を経由してきた中東系から、中国を経て、日本へと向かう船から落ちた・・と考えれば
その後『ヨナ抜き』されているって事は、それは『不慮の事故』だから、哀愁漂う『悲しい音階になったのかはわからないが、そのかけてしまった『世』を『治す』意味でも『世直し』が必要なのかもね?
実はこの『イザヤ・ヨナ』が古き『和国』にあった伝来と考えると『ヨハネ』も同じように『日本語(響き)でしか理解できない発音』に隠された解釈がある事を意味する
ヨナが『47音で抜かれてる』逸話なら
ヨハネは『48音』は何を切り取る黙示録?
さてさて、「ひふみ」で読むか?「いろは」で読むか?
ひふみは『音・数』、いろはは『言葉・解釈』?なら4.8は・・『にち=日』
ヨハネの黙示録とは『日の黙示録』
そうやってかつて『栄華を極めていた大陸文明が滅びた物語』
ならば『月の黙示録』は別だろ?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
18.38 イハチサンパチ・イツヤ・ミツヤ・ヒヤミヤ・イヤミヤ
三八上北(神北)地方にあるのは・・イエスの墓やね?( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
あと令和天皇の・・あと古代ヘブライの・・
ねぶた音頭(楽しい)とさくらさくら(物悲しい)の陰旋法
三種類のねぶたの
ねぷた=ねぷてぇ・・ 戦行きたくない(ヤーヤードウ※やーだよぉー と友人は言っていたw)
御所の川原を立つ佞武多(才知ある武士達) 戦行くならやるしかねぇ!(ヤッテマーレ)
ねぶた よっしゃー!戦に勝った!凱旋じゃー!(ラッセラー)
そもそも『戦』ってう言い方が『イサク(犠牲)』にも似ているのは偶然か?
こう考えてみ?
イサクじゃ!イサクじゃ!(犠牲・心臓を捧げよ)
ヨナ(不運・不幸)を直すためにイザヤ(救いに)!参る
この流れも『陰旋法音源の発祥地が一緒』と考えた時、かごめかごめの歌も(囲め囲めの遊び歌)と『津軽発祥』という興味深い説があった
私は少なくとも『ねぶたと陰旋法が揃っているという事実』は、日本の歴史認知を変える意味で、『東は東の流れ=東日流文化』として、西の天皇の右大臣に編纂された『日本書紀や古事記』とは完全に分けて考えたほうがいいと感じた
西の雅楽(中国大陸や朝鮮半島から伝えられた音楽や舞)の音階って独特ですよね?
私は同じ中国でも胡弓の旋律(台湾?)が心に懐かしさをつよく感じて、戦争とか争いとか馬鹿らしくなるほど縁側で流れる雲でも見ながら穏やかにお茶でも飲みたくなります
これがおそらく古代に日本に和合した頃の伝来だと直観というかDNAが反応します。胡弓も三味線と同じでフレットレス
混ぜるな危険!(科学も化学も雅楽も)
それは前回の『歴史を書き換える力を持った一族』が学説や認知を変えてしまう事ができるから。皇宮に入り込んで『DNAの核を逆転写するmRNAウイルス』のようなものと考えると現代的にわかるかも
善いか悪いかじゃなく、『それをできる力がそこに在る』のは事実で、後は『やるか?やらないか?(悪用)』は開祖から一族郎党にまで及ぶ連帯責任。過去は正常な免疫機能でも、ウイルスで機能が狂えば、名前は同じでも中身はどうなってるかはわかりませんからね?
所詮、人間だもの
人間が『神に仕立て上げた人間』を動かしてんだもの
だから人の歴史って『精神性』しだい
争いの歴史が続いたのは人間の精神が自然の獣以下だったから
どうしてそこまで『魂が堕ちた』のか?ウイルスという異物混入が原因で人は狂う
少しずつ『失われた古代文明への糸口』が見えてき始めた気がする。この『日月の統治』の時代には、北(アイヌ・津軽)からでも南(琉球)からでも『和国は明と交易』ができた訳で、唯一の問題が『朝鮮』だったと地政学的な問題
巨大な明に追いやられた『朝鮮の立場』で見るか?
それとも独立する朝鮮をどう懐柔するかの『明の立場』でみるか?
例えば『明』からしたら、既に交易があった和国(月)との貿易の間にある『朝鮮という明との国境紛争の境界線』を排除する事が『開かれた貿易』には必要だった
一方で、その『朝鮮を利用』して『分断統治に支援』していたのが『外国の武器商人』と考えれば、なぜにこんな小さな小国が『大国に防衛線を張れた』のかも、港という『武器や兵力を補充できる海路』があったからと考えられる
今でいう、中国の北部戦区(中国人民解放軍)が軍事力を持つというのも、その『国境紛争を抑えるため』なのか、それとも『長引かせてビジネス』にするためなのか
だとした、あえて『自国を分断統治』して『南と北で戦争している風』にして賭け事したい西洋のギャンブー達に『戦争ゲームの場(ボードゲーム)を提供』しているようなものだ
これはまんま今の ウクライナ と同じで、北寄りの民=明になりたい、明に加入したい、南の民も戦争したくないのに、どんどん『義勇兵と兵器が外国から』送られてくる
そうなると、明は明で『国境はいらないという民』朝鮮も朝鮮で『国境はいらないという民』が、『終わらない紛争』に嫌気を差し、国を捨て難民・移民となり、大陸から出ようと南へ下っていく
ここに『明朝体という文化融合』した『文字体系』が生まれた可能性がある
そんな『明朝体を生み出す知恵ある者達』が、南から経由して『日本に渡来移民』する事になり、今は既にない、久多良か百済か、神羅か和漢かどっかの『渡来移民を王』として日本に導いたのが『加茂家=八咫烏=三本足の烏』
ここが、ノアの方舟やらヨナの伝承やら『神の教えで導く者という宗教思想』を利用した
『天(津)』に『牙』を向け、『神の梯子』を下りて『鬼(異国)』を従える=天邪鬼(どっちつかず)となる訳だ
で、その『天邪鬼のヨナ=中国人(不幸・不運をもたらす者)』が波長が合わないと『音・調和の旋律』から外した『ヨナ抜き音階』したのが『陰旋法』
陰旋の旋は旋風や螺旋など『回転の流れ』を示すが、同時に『施錠・施策』など『計画的に行われている事』でもある
計画的にと言えば・・私たちは『開国した歴史』は知っているが、『何』があって『日本は施錠(世情)』して『外国との繋がりに鎖国』したかの?は知らない
『心を閉ざす』とは、たいていが『裏切り』である
もしくは『施錠』とは『檻に閉じ込める事』でもある
ヨナは鳩=九鳥は人の言葉(日本語)を話す伝来の九官鳥(旧官庁・中国思想・伝統の持ち込み)
時の権力者である『トキ』は、『鴾』から → 『朱鷺』へ 『牟(釈迦)』→『朱の詐欺』へ『時』は奪われた
そう考えると『北に残る釈迦牟尼の音楽の教え』は、紛れ込んだ波長の合わない『ヨナ(朱鷺)を抜け』と、ある意味、『陰戦法』かつ『陰説法』は音楽の中の『ユダヤ神話に至るまで和合』している・・としか思えない(;・∀・)凄すぎて
でも、これで、なんで『意識を高麗に連れていけ』と導かれたのかわかった気がする
そして、それはつまり、WILD HEARTSのラスボスだった天下った根源の獣『天津人』
すべての争点=天邪鬼(間違った選民思想)の出所はそこ
そして、何の知識もなかった不安が、まさかの『地元のねぶた音頭』に勇気づけられるとはね(*^▽^*)
やはりこの『蓮の花の開花時期』は、スピリチュアル的にも自然環境に気づきや閃きのエネルギーが溢れているのかもしれない。蓮の花が咲く=かつての聖者の魂が降臨する(波動の高い媒体)のかもしれない
なかなか飛躍は無いが、一歩ずつ確実に、亀の歩みのように進んではいるようだ(゚∀゚)
イザヤ、ヨナ、イザク・・この辺のキーワードを調べたら、次の導線はもう見えたんだよね
いざや、楽し、まどいせん
いざや、楽し、夢を見ん
この歌詞をつけた『堀内敬三』・・ただものじゃなかった(世界を知っている)
日本に居るユダヤ系指揮者や演奏者には優秀な技術を持つ人々がある。しかし、たとへ其の人々が神の如き手腕を持つてゐたにせよ、其の人々を尊重する事が今日の国民思想に悪い影響を及ぼすならば考へ直さなくてはならぬ。国家あつての芸術である。
やはり、イザヤの役割とユダヤの繋がりをわかった上で、どう捉えるか?日本人に問いかけている(ユダヤにも色々いるんだぞ?妄信するなよ?と)
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