好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

シンプル哲学 社と祠 根土と示しを司る

寝起き閃 社と祠、衣を纏った申の社は、人が社の上に不自然に建築した神社、そんな物がなくても地脈の力=根土(ネヅチ)の示しを司るお話

社は矢城と根土

神社の御神体の多くは鏃(矢の一部)
つまり『矢の城・矢代』と言っても過言では無い

何故『鏃を御神体』にしたのかは、希釈廃物や神仏分離をした『神殺し』に聞いてくれ

その乗っ取って建て直した神社の場所

そういう場所は元々、樹齢数百年の大木があって『根土』がしっかりと安定していた場所、そこを『社』、もしくは『大社』として

ネヅチ、オオネヅチ、それが転じて『ナヅチ、オオナヅチ』と、そこには『自然の凄い力』があるんだよと『示』しているに『同じ』、示していると『司』ると伝える

示司=祠

素晴らしい存在=ほこら
そのほこらに等しい=『誇らしい』

だから根本的に社は昔から『根土』として、そこにある自然に感謝の『祠』

そこを自然の力『地脈龍脈』が集まる地=自然の恩恵を受けられる=『命が集まる場所』としてと気づく者が、その地に『根付き』、その地を大切にしていた

それを乗っ取って『勝手な神』を据えた、それが『神社』

だからみんな、「神?神って何?(´・ω・`)」『空っぽの偶像神』に囚われる

目の前にある樹齢数百年の『生命の生きる大先輩』、その地に根付く『根土という存在』に気づかない

『ネ』が後に『神を表す』と言い換えられたなら、それこそ『神の土』『神は土』『根土は地母神』

『地母神』だからこそ『大災害』が起きてもその地は『数百年の時を超えて存在』している

人がその上に造る『不自然な建造物』なんてものは、その根土よりも早く『風化する脆いもの』

それが人が造る『人工』社
『人がたくらみ』で造る社=人社=神社

神社は『人』がいないと風化が早い
だってそこには掃除する人しかいない『神などいない』から

そこは元々根土の『地脈溢れる場所』
『自然と共振共鳴』出来れば力を借りられる

根土も生き物
人も生き物

その『環境を育み護ろう』とした者達には優しく
その『環境を破壊して汚す』もの達には厳しい

これは『人間』でも同じ事
感情ではなく感覚的に起きる波動

輪を乱す者と輪を繋ぐもの

言葉に出さずとも伝わる『感覚』
アウェイか?ホームか?

人の社会でも『その会社に合わない』事がある
それはその会社の『根土が合わない』から

『種』『土質』が合わないと『芽』を出さない
『環境』を変えなければ種は死ぬ

人社は風化が早い
だって『ずっと居る人』などいないから

リクルート、ヘッドハンティング
そうやって『自分に合う風土』へ植え替える

だから『土に根付かない』
会社は『人』無くして『社』にはならない

人が居なくても
人が関わらなくても
最初からそこにある『根土=社』
計り知れない自然環境の『大根土=大社』

そこに『人が拝む祠』を置く、その自然の示しを司る

賛同の意、そこへ通う参道、自然の山だから『山道』
行ってスッキリ毒素も取れて生まれ変わる『産道』

3つの思いが導く『三道』

鳥居があろうがなかろうが、自然の根土の長たる『山』に感謝を伝えるべく頂上に置いた祠への山道は参道

自然への感謝の賛同して気持ち新たに
行き帰り(生き返り)産道

だから、人が関わらずとも『成熟した循環環境』が成り立っている『自然こそが根土』という『社』であり

そこには人類が見習うべき『大先輩の知恵が目に見える形で体現』されている

神社の『神』は『人』が創った『偶像』
これをはっきりとまず理解する事

鴨と加茂、皇の鳥と八咫烏 背負って担いだ神輿とは?

それが分かれば、なんであんな意味のわからない形の『人が建造したシンボル』か見えてくるだろう。良くも悪くもただの『過去の移民のトーテム(縄張りの目印)』

遺恨(icon)から始まる物語

私はよく神社に行くが、手を合わせるのは『氏神土地神の祠』『意志が刻まれた石』、直接触るのは『樹齢数百年の御神木』

鳥居も気にしないし立て替えられた本殿には拝まない(神社維持のため賽銭は入れる)

言うなれば墓では無いが気が向いたら『石参り』
この地に『根付く者』として『根土の意志』を受けに行く

不思議な事に

人は『目先の事ばかり恩恵』を受けたがるが自然は『遥か遠くの景色』を見ている

今の私たち等『風化していない景色』
でもその感覚はとても『気持ちよく自由』

だけど一時でも『その感覚を共有できる』と「その景色に私も居たい」と意識は木の根元に居場所を見つける。ほんの一時、風立ちぬ刹那の時間の『意識旅行』、それが社の中の『祠を通して伝わった感覚』

カタカムナ54首 霊言と霊験

鳥居も神(人)社も必要ない
そこに『根土』と『人が繋がる祠』があればいい

根土と祠を通して『意志を同じにする人』
『自然と波動共振する人』

社カイ人

かい の言霊は 力の伝わり
つまり根土の力が伝わった人

さてさて、この『かい』にどの漢字を当てはめるのが正解やら

社会人 ×
社怪人 (他人からみて?)

…社開人 うーん『開く』なんだけど、その奥に鳥居があるという意味では、途中で違う方向に進んで逆に『神隠し』に合ってますけど?(笑)

社界人 !!(๑•̀ㅂ•́)و✧これだ

根土田介添人
自然環境を借りて田圃を…

それ農民!!ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛Σ(ノ´Д`)ノ

つまり、『根土』という『自然と共振共鳴』して生きていたのは『農民という生産者』だった訳ですね

農民自体には何の問題もなかった

何が問題って、その上に『それを支配』して『格差』をつける『悪どい思考や思想』『他者を虐げるもの達』がいた事

『人』の上に『人』、その『間違った思想』
それは正常な細胞に転移してきた『癌細胞』

癌の正体を伝える先人の知恵 天地人

そんな奴らがいなければ、人々は慎ましやかに『自然の恩恵』を受けながら『地脈の循環の流れ』を大事に感じる

『大地の健康バロメーター』として、樹齢数百年の木や自然の状態変化で一人一人が気をつける事ができた

それが根土と人が繋がっていた『社と祠』

それを人が勝手に『偶像神』置いて『転移』して住み着いた『神社』

元々、自然に『金を置くなんて風習』はなかったんだよ

賽銭は『神社維持』のための『人の為』のものを『神への捧げ物』と勝手に作った『搾取の税金システム』みたいなもの

だから究極言ってしまえばやっぱり、御神木が見ていた遥か遠い未来に『私達の姿がなかった』ように、人間は自然にとっては『いずれは風化する癌細胞でしかない』という事

『自然の波動に共振共鳴』すると言うのは、非常に分かりやすく言えば、『人』としての『組織の結合』が変わっていく事。最終的に『肉体組織がバラバラに分解』された時、その『粒子』『自然の波の一部』に混ざり合う事

もしそこに『意識が一体化』するならば、御神木を通して見た遥か未来の『人のいない景色』は『御神木と一体化』した『未来の私が見た景色』だったのかもしれない

…そのくらい『目に見える神社』とか『カタチある人工物』にはカチはない

『価値観』『人』が造った『歪』なもの
所詮、『風化』するは『歴史』を見てもわかる事

言霊でカタチは
力が分かれて凝縮

カチは
力の凝縮

『合う』の『術』知れカタチ『割き』

力の凝縮を『分かれさせる』必要は無いから
『タ』を切り離せばいい

た=他=人也=人間
力の凝縮を分かれさせたのが『人間』

つまりは『人間というカタチ』を捨てた時
本当の『カチ=力の凝縮』になる

それは『意識の領域』か『精神』か

根土という社の祠には、そんな『人類観を超えた大先輩』はいても『人造の捏造偶像神』はいないよ

ただ今まで『それを信じて心に描いてきた』なら『他人が造った神』じゃなく、『自分』で『神』を創ればいい

『自分自身』も『想像心』があるなら、それは同時に『創造神』でもある

その神が『どんな力』を持っているか?
それは『自分を信じる信仰心』次第

でもまあ…そうやって神、神と『力を求めている』時点で…

精神が未申(まだサル)(⊂((・⊥・))⊃)うっき〜!!

神を求めなくなったら神になる
私は神だ!あなたは神か?!と

神を『分離』してる限り『神にはなれない』な
それに自分で気づくには向き合うしかない

シンプル哲学 oh my Godの自業自得とお前ゴッド

力を求めなくなったら、社の祠に行けばいい

そもそも『自然と波動が共振しない』なら行く意味無いからね( ̄▽ ̄)行く気にもならない

そもそもじんじゃっていう『響き』がもう

『神と邪』、もしくは『人と邪』
それを盲信する『信者』と書いて『儲』

設けて儲けのエネルギー法則な

シンプル哲学 設けで儲けたらもう獣

カタカムナの言霊でも

じんじゃ 強く内に示し、内なる示しが自然に飽和
おおやしろ 奥の奥から飽和した示しの空間

神社はなんかインプラント(鏃に刺されてる?)されて、それが後に効果をだすのに対し
大社は湧き出たエネルギーがその辺に飽和して広がってるパワースポット

どうやら、私の直観は『自然(常態)に共鳴しているのは確実』のようで、その感覚として伝わってくる事が『心地よさという指標』なのかもしれません

シンプル哲学 善行ではなく然行

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