勇気と遊気はカタカムナでは同じ言霊ロジックだが、片方は二次元の繰り返し、片方は多次元に繋がり流れていく分かれ道に誘い伝える・・という、金輪際・無→無為自然という鬼門を通した認知変化の気づきのお話
勇気とは何か?
普通の人が、恐怖、不安、躊躇、あるいは恥ずかしいなどと感じることを恐れずに(自分の信念を貫き)向かっていく積極的で強い心意気のこと。 勇ましい強い心をいう。 語義解によれば、いさむ(強)にはつよい、悪い、乱暴の意を含む。
・・と世間一般では解釈されてますが、おそらくこれは金剛界で重宝する力
しかし、私はこう解釈する
マ男気=間男の気持ち
たまたま白羽の矢が立って人にその役目を担わされてしまった間の悪い男
こうも読める
マ田力気=また力に頼る気?
「俺がやらなきゃ誰がやる!」と『力に力で対抗』して『衝突』を生み『波風』を起こす者
文字通り、選ばれし者=『皆の犠牲』
蛮勇とは
理非を考えず、むやみやたらに発揮する勇気。向こう見ずの勇気
漢字を分解するこうなる
亦(また)+虫、また力に頼る気?
相対する衝突する敵は少数の事「虫けら」という
数が力を持つ状況で、また力で対抗する気?
それは理に非ず、向こうを見てない=あの世・死地
そもそも『少数派』しか『勇気』という言葉を使わない
圧倒的という多数側はその勇気を蛮勇といい「また虫か、蹴散らせ」という
金剛界=弱肉強食っぽいよね(笑)
そもそも『間=空間・そういう状況や環境がない一人=無敵(敵は無い)』なら『勇気』は必要ない
だから私は必要なのは『遊気』だと思う
遊気とは
空中の大気。空中にたなびくもや。また、空中に満ちている宇宙の気
私は『遊び心』の事を思って表現しようと思ってたが、まさか言葉として存在するとは(笑)
でも、あながち間違いでもないんだよな~と思う相似点は二つ
敵はない無敵、衝突も反発もない滞らない流れ
遊び心ってそういうもので『心地よい事』を求めるウブで素直な産土神
居心地が悪ければ、居座る事無く『流れ離れる(さすらい)』
運ばれる気=『運気そのもの』になる事で遊び心は学んでいく
これは以前、『勇者と遊び人の話』をまとめた中で、『遊び人だけが賢者に転職できる理由』でも書いた
空中にたなびくもや。また、空中に満ちている宇宙の気に一体化するから
その場、その場で『役割の違うロールプレイ』ができる
『遊びの経験値』が高いほど、『物事を俯瞰』して『適材適所の役割』を担う事ができる
だから、遊び心という遊気は衝突や反発という境界線を持たない
『現実も夢』、『夢も現実』という線引きもない
どちらも『遊気』で繋がっている『遊びの空間』なのだ
私はこの『金剛界=現実を無(全て有る)』と捉えた時
この無に全てを与えるという無の為の自然=『無為自然』があると気づいた
興味の対象が『無為自然から巡る恩恵という流れ』が心地良いと感じた
だから鬼門の向こう、鬼と向き合う、神託しー(先祖宿して運ぶ)するのも
『遊気という流れ=運命を運ぶ龍』に『乗る遊び』なんだろう
カタカムナでゆうきの言霊は
湧き出て生まれるエネルギー
『皆の為』に『勇気』を振り絞って『犠牲の蛮勇』となる向こう見ず(あの世はどこ?)となるか
『敵は無く全ては適』と『運ぶ命の遊気』に乗って向こうを求める(鬼門の向こう)と
『遊気(遊び心)ひとつを友にして』一人離れていくか
ギリシャのイカロスは夢(ロウ=LAW(法)で固めた鳥の羽)を持って太陽めがけて飛び出した
『精神は遊び心』で舞い上がり『肉体は地』に落ち『以下ロス』(笑)
金輪際(この世/あの世)を切り離したが自殺ではない
分誘伝=分れ道に誘い人に云う(先人の存在)
彼が示したのは勇気でも蛮勇でもなく『遊気』
「そこが、金輪際だぞ?」
役目・役割を『ロールプレイ=69』するゲームである
「遊ぶなら別のゲームもあるぞ?」と新しい観点が・・
69は二次元の渦(ホログラムの中)
立体は8
0と0の境目
「そこが、金輪際だぞ?」
・・これは新しい、まるでVRゴーグルを覗きこんでいるような・・遊びかな(笑)
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