ロト伝説のドラゴンクエスト3は王族の物語から民間の物語へと変わったロールプレイングであり、そのロトの伝説を語り伝えるのは、賢者になった遊び人(観測者)=吟遊詩人と気づいたら、ドラクエ3リメイクにまったく興味が無くなったお話
勇者と職業(役割)の正+義
ドラゴンクエストシリーズは初代からずっと『ロトの血筋の選ばれし王族の子孫達が主人公』の物語だったが、ドラゴンクエスト『3』から、『民間から仲間となる傭兵を雇うロールプレイ』が可能になった
ロールプレイとはそれぞれに特化した役割があるという『役割分担』という事
勇者を平均(後半に才覚を表す)に対し最初の時点で
①勇者より力が勝るが魔法に弱い戦士
②勇者より早さが勝るが力は弱く魔法の耐性も勇者より低い武道家
③勇者より回復魔法は勝るが防御力と攻撃力は低い僧侶
④勇者より攻撃魔法は勝るが防御力と攻撃力は低い
⑤勇者のように魔法は使えずほかの役職のように特化したものはない遊び人
さて、ここで面白い観点を言えば
ここには『善悪二元性の役割』を『魔王を倒す宿命の定め』とされた『勇者』という『信じる善の正を掲げる者』とそれに付き従う『主義の従者』が一丸となった『正+義のパーティ』が結成される
これが物語の『主観』で言えば、勇者の為に力を発揮する『自分の人生を犠牲とする従者』はそれぞれの『特化した職』という『業を背負っている』からこそ、その『業の回収』の為に勇者と共に行く
戦士ならば『世界最高の戦士』という名誉の為に
魔法使いなら『魔法界の頂点の大魔導士』に
武道家ならば『天下一の武人』に
僧侶なら『宗教の大司教』に
では、そういった『職の業』を背負っていない『遊び人』は、勇者のパーティの中で何をして何を成す?
ここで面白いのが、なぜか『遊び人が転職』できるのが『賢者』という仕組み。ここに私はドラゴンクエスト『3』から『王族の物語』ではなく『民の物語』に変わったと感じた点
ロトとは何か?それは『口と人』
『口伝』・『伝承』によって語り継がれ、それを受け継ぐ後世の者は、『先人の構成した物語』に『囚』われる=『ロト』になり、路頭に迷う呪い
「起きなさい、勇者よ・・」といきなり『魔王を倒せ』と『目覚め』させられ、少ない路銀で『旅』に出されて路頭に迷う
そんな『最初は頼りない勇者』を支えるのが、そんな勇者をサポートする『ロール(役割)』であり、レベルアップしていく過程で、勇者はそれらの『ロール』を身に着けて、そして『頼りにされる存在』となる
しかし、そんなロールの職業から様々な『模倣スキルを身に着ける』中で・・『遊び人の能力』を勇者は学ぶ事はない
だが、その勇者一行になんの『道楽』かわからないが、選ばれた『遊び人』は、勇者と同じように、『周りの職業のロールを真似』はしてみるが、勇者ほどうまくは使えないで『失敗』してぱかり・・
「お前は何のためにいて、何の経験値を積んで、何を覚えるんだ?」と『誰もが呆れる存在』が後に『賢者』になる
愚者は経験(敬虔)から学ぶ、賢者は歴史(轢死)から学ぶ
善+義の『正義の勇者パーティ』において、『明確な目的を持っていない遊び人』が、なぜ『賢者』になるのか?といえば、『様々な界隈の体験を失敗して学んでいる』から
勇者は『なんとなくできてしまう(予定調和)』から『失敗』がほとんどない
遊び人は『何をやっても中途半端』で、『失敗』ばかりで『成功』が少ない
この『対比』で考えた時、取り組んだ事の『成功例』が『勇者と共に観る夢の世界』
それに対して、どんな思いで『役職を真似』をして『失敗に至った』のか?という『体験でしか味わえない現実世界』
遊び人だけが、『成功と失敗の二つの相反する世界の観測者』という事
だから『失敗の轢死の知恵を持つ実践の愚者』だからこそ『道理がわかる賢者』になる
賢者=学者と捉える世界は小さい『肩書』
『失敗の理由』を知っているほど『成功は確実』と言える
そして伝説へ・・と『語り継ぐ』のは『賢者の役目』
回りの役職は『自己都合の目的』と『主(勇者)の義性とした観測目線』しかないから、『勇者と自分語り』しかできない
しかし、『遊び人だけ』は、勇者以外の『みんなの生き様を真似』しては『失敗』して「凄いなぁ」と『活躍』を観ている
『全てを身近に体験』して観てきた『物事全体を把握した語り部』の目線
人の云う 言って悦になる=伝説
云うは『目上の人』が話す事=『賢者』の目線(全体像)
悦=心が喜ぶ=『愚者の体験』目線(主観)
『口達者』で『口で丸め込む』のがうまい、『元愚者の遊び人』だった『賢者』によって、『口の魅力』に『虜』になった『人』が『ロト』伝説の『虜囚』となって預言クエストの『勇者』に選ばれる
「起きなさい、勇者よ・・」
そうやってロト伝説は、賢者=遊び人=吟遊詩人=『全てを知る者』によって語り継がれる事になる
『吟遊詩人』・・おもしろい漢字だ
『口』で『今遊び』を言う『寺の人』=『法華経の説法』のような『如来』のような・・あ、妙見狸の訳詞如来か(笑)
さーて、これが分かれば、伝説なのは『勇者の旅』ではなく、『遊者の旅』であると気づくだろう。ゲームデザイナーはきっと『遊び人=プレイヤー』に『気づきを促す』ためにこの『悟りの仕組み』を『遊び心』でいれたのかも?
『ドラクエ3のリメイク』はもういいかな┐(´∀`)┌『ロトの囚』を堪能 Σ(゚Д゚)プレイしてないのに!
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