罪と罰のように横目が着いている漢字を解体してそれぞれの形象に隠された言葉の成り立ちを感じるままに変換していくとレッテルワードこそ力を持つ別の意味が見えてくるお話
暗号解読法 目は口程に物を言う
口は災いの門=『嘘』
物言い=『口出し・批評・批判・イチャモン・難癖』
また口は×と同じで隠された『隹』がある
知→雉 ←唯 (1例)
雉も泣かずば撃たれまい
=雉は『発見・発言』次第消される対象=『口封じ』
では口程に物を言う『目』は?
目をつける・目を見張る
=『監視・思い込み・色眼鏡』で見る
この自由に量子が動けない『観測の目』
横目で人を『Gー( ⚭-⚭)と見る重力=千里力』の目を取り除く
今回はそんな『横目』がついてる『漢字の解体』をしてみようと思った(´-`).。oO(なぜか朝一
罪から『横目』を取り除くと?
罪-目=非
最近、『燕』という漢字を読みとった時
分けられている『北』という形が隠されていると気づいた
その観点から考えると非の中に『三ル』が隠れている
そうなると非(あらず)=『否定・拒否』
拒む事を定める→横目が=『罪』
という事を『三ル=観測』する
『目』を『ミル』
正直に『目を見て話す・離す』
『嘘』つきは『目を逸らし目が泳ぐ』
=『罪』と向き合う
つみは『積み』重ね、『詰み』重ね、『摘み』重ね
失敗や成功、迷惑の『痕跡』
『業=自分の行い』を悔い改める
見ていた者=『監視者が拒む事を定めるルール(周りの目・概念)』ではなく、『自分の目で三ル』
非(ひ)を認める=『日』
それに『心』を巡らせる=『悲』
悲しいと『さめざめ泣く』のではなく
『三ル心』という『縁の下の力持ち』
悲しさを『バネ』にしているのでは無い
『横目を三ルを心』が支えている
目は口ほどに物言い否定して拒否してくる『上からの監視者の目』を『見張る為の力』
深淵を覗く時、深淵もまた覗き返している
罰とは横目が言う刀
罰は『与えられる』
罰は『当たる・落とされる』
どこから?=上の目=『目を付けている監視者・権力者』
それを『神や仏のせい』と『偶像に責任逃れ』して
やりたい放題、『物言いや難癖』つける事ができる横目
その目がなければ
言う刀=『言葉の力』
『言葉』は監視の目がなければ『自由』
逆に言えばその『言葉の力に罪を被せる物言い』をする監視者が否定と拒否を『拒んで定める検閲』を行い
『その発現・発言を罪』としてそれに『罰』を与える
『神や仏の怒り』と『責任逃れ』をして『難癖』つける
これが横目を『除いた』結果見えてくる
『三ル心』と『言う力』
横目の口出し物言いの否定や拒否による『自由の束縛のレッテル』の意味を取り除けば
元来、『ありのまま見た真実』を『言葉で自由に表現する力』に
『悲しみ』も『間違い』も『罪も罰』もない
罪と罰は『横目が作ったルール』
という『法則』を試してみたら
目が口ほどに物を言う=『検閲による束縛』
『量子的不確定要素』を『観測』して『自由にさせない』
あるいは『都合のいい方向に動くようにコントロール』する為に
宗教は罪と罰と『都合のいい祝福や喜び=飴と鞭=アーメンと無知』という『偏った正義』を与えた結果、対抗する側にとっての正義とは『相手の嫌がる事をする事=異端・極端』になったのだろう
『お互いが嫌だと感じる束縛が正義』ならば、相手を罵り貶して貶める『口喧嘩』こそが…
『最も醜い醜態性=馬鹿』という状態になる
『啀み合う、異神逢う』ように『コントロール』されて『漁夫の利』
これも『計画』なら『羊飼い』は『羊と羊』を戦わせて『何を見つけよう』としている?
(´・ω・`)あ、『山羊』か
羊の中に『頭角を現す山羊』が混じっている
そいつが羊の喧嘩でも『行動が違う』から気づく
そいつに『群れの全ての罪』を着せて『罰として自然に追放』する
以前の私はこれを…『孤立や孤高』だと感じていた
しかし『漢字の束縛から解放されたい』という意志と『仲間皆を救わなければ』という『使命感』から、『皆と切り離される事』を『分断工作』だと思っていたが…
今となっては『意識』が全く変わり
どんだけ救おうとしても周りは『NPC(ノンプレイアブルキャラクター=魂が無い)』
『意志』を持って『頭角』を現した『見所があり一目置く者(魂がある)』も『それぞれ違う目的に向かうこと』で『群れとは違う動き』をしている
私にとっての『皆=仲間』とは羊ではなく『頭角を現した山羊』
『1匹狼』であり『自由な山羊』である
行動も発言も『人と相容れない性質』
それが『十人十色』という『真の人の色』
『色褪せて見える現実』の中で『色鮮やか』に目立つ
しかし、『人の為=偽の色眼鏡をかけて物事を見てる人』には、グリーンバック合成で『背景透過』してるから『真の色』が見えないだろう(笑)
その『グリーンバック(自然の色)』か『ブルーバック(人の陰謀青色絵図)』か知らないが、『口封じ』に『目隠し』している『監視者の束縛の検閲』を当たり前としている、『概念や常識のレッテルを鵜呑み』にしていると
『三ル心』と『言う力』の自由が、『罪と罰』という『横目の観測者の物言い』で貶められ、『悲観的な悲しみ』を見る事になる
矢と隹を見る=観
私は夢の中で祖父に『悲観の意味を間違えている』と『行動』で教わった
悲しんでいる暇は無い
やると決めたらきっちりやれ
そこに『三ル心』という『漢字・カタカナの言語解釈ができる日本人』だから形を崩して『音』に変換出来た
その音に『心』を巡らせた=『意』
三ル=見る=『観る』
私の解釈の中で
見る=現実・物
観る=潜像・事
ならば三ル心=『悲観』
この観に『矢と隹を見る』と隠されていた
『見た事』を『自由に言う力』は
『横目に口封じ』されて『見つかる』と撃たれる
雉→知=『隹』が消される
雉→唯=『矢』が消される
『繋がり』が切られる
だから『観る』とは『消された痕跡』を追う事
…なるほど(´・ω・`)今朝の閃は
お前は 『観自在』の『真の意味を追え』という
『消された痕跡』を『三ル心』は『自らに在る』
=観るとは『ルーツを辿る事』
消された痕跡とは『DNA(設計図)』であり
その設計図通りに創られた『粒子の集合体』
その『粒のひとつひとつがお前』という『virus』
I(私) VR(仮想空間) us(私達)
『隣人を愛せ』とは『粒子の繋がり』
悲とは三ル心=『失った物事=粒子の波動を観る』
それが慈悲
慈=いつくしむ
…?(´-`).。oO(まさかの
居着くSiM(シミュレーション)
この世は『仮想空間』…と分かっても、解ったらこの『都合のいい世界を離れないで執着する精神の幼い者』も出てくる
『霊能力者』だの、『預言者』だの、特異的な能力を『解脱』の為ではなく、『中で居座る為』に使う
この世を『明晰夢』だと認知した『自由な者』が、夢から目覚めたくないエンドレスエイトやビューティフル・ドリーマーのように
『皆を魂の無い傀儡』にして『目覚めるのを拒否』しているのだろう
『頭角を現す者』は、『意識の在処はここでは無い』と『仮想空間の外』を目指す
『夢』から『覚めたい』
すると、virusの『VR(仮想空間)』から『I(私)とus(私達)』が離れようとする
『私(自・名)』が『仮想空間を手放す』という事は『私達(自分達・体)』もまた流れが変わり、名と体が自らの『由緒=自由』を求める
これまたvirus=『自然細菌と体の仕組み』であり、『学びの旅』で説明できる
『口は災いの門』として『自然細菌』として体内に入り『細胞』に触れた時、『異物』として『守護する免疫に攻撃』を受ける
しかし、免疫も『悪さをしない』と分かれば、『元々持ってる力』を『助け合い』に使うならと
『免疫寛容』で受け入れて『共存細菌』として『自然と体内を繋ぐ行き来が自由』になる
しかし、体内の免疫機能が狂いだし、『仲間だった細胞』や『自然の共存細菌を攻撃対象』として『無差別に攻撃』しだしたら
自然の細菌は『ここでは無いどこかへ』と離れようとする
この時に「ここであった事は忘れない」
=この『人生体験(失敗の教訓)』が『魂の経験値』
『魂は種』のようなものであり、『特定の環境下』では『拒絶反応(ここは駄目だ)を起こすvirus』でもある
もちろん、逆に『快適過ぎてそこに執着』して、『権力を集中』させ『監視・観測の目』で『自由な言動を封じる検閲』で『免疫機能を乗っ取る』か、あるいは『黙らせるか』の凶悪なvirusとして
仮想空間に『居着く私(羊飼い)』と『私達(羊)』
五次元支配=『ヤコブの夢』の『居着くSiM(仮想空間シミュレーション)』もある
そんな『癌細胞化から離れる』のは『自然の流れ』
『癌が居座る=憎まれっ子世に憚る』なら『自然細菌と正常な細胞のRNA』を持って『自然に戻る』
=夢から覚める
ここまでの流れは、社会に出る→社会の厳しさを知る→社会に溶け込む→社会的立場を維持しようとする→社会常識が狂う→社会から離れる→新しい社会(理想)を創る
これと『相似』する事から『魂ある人間』は『virus』である裏付けともいえる
ま、いずれにせよ
慈悲とは
草=自然の糸と糸を支える心を三ル心
自然の意図1→自然細菌(virus)
自然の意図2→無垢なタンパク質
RNA+タンパク質=RNAウイルス
+メッセンジャー=支える心=mRNAウイルス
『新たなDNA』の『可能性』
慈悲をかけるとは『情』をかける=『見逃す』
情=心の主の月
三ル心=観の『見』を『逃す』=『雉』
雉が鳴いても『撃たない(慈悲)』
逃す=『兆』へ『進む』
兆とは『物事の始まり』
偶然にもこの形は『北ル=来たる』
『物事が来たる』
雉を撃たずに『見逃す事』でその『因の心』を支える『恩』返し…
鶴の恩返しか!Σ(゚д゚;)洞察終わらん
まとめよう
漢字の横目を解体する(取り除く)
罪と罰→三ル+言う力
三ル=観→矢+隹+見
『雉』
雉も鳴かずば撃たれまい
雉→知←唯=『口封じ』
雉を撃たずに見逃す『慈悲』
自然の二つの意図を支えるを三ル=『観心』
観-見るを逃す=『雉』
見逃した『因の心』を鳥が『恩』返しに来た
鶴の恩返し
『雉』だと思ったら『鶴』だった
この共通故事のパターンは
『兎』を助けたら『姫』が
『亀』を助けたら『姫』が
『鶴』を助けたら『姫』が
『雀』を助けたら『葛籠』が
なら…『雉』を助けたら→?
日本昔話は単なる『童話』にあらず
『事故』があって『成り立つ語り』の『故事成語』の物語
罪と罰=『監視の横目と制裁』を取り除いたら…
『鳥(雉)が覗いて三ル心』を『言う力』( ̄▽ ̄)
『監視』が『籠』ならば『籠の中の鳥』でもある(籠目・囲め・過去目)
やはり『観』が鍵と感じた『今の心=念』
『観念』しなければ『罪と罰の真』とは向き合えない
おまけ 夢の横目を『日』に変えて
夢の横目は私は『日』な気がします(感覚で)
『自然の日』の下に『夕』
実は夢は『白昼』時こそはっきり見やすく、『日〜夕にかけて現れる』ので『忙しい=心亡』では観る事はできない
夢はしっかりと向き合わないと『体験記憶を持って帰る事はできない』が
そこに『目』をつけた横目が『夢を監視』し始めた事で、夢という自然を『現実の中の夢=人の欲望の対象』にすり替えてしまった
『夢は見るもの』ではなく、『夢を見させてやる事』という『出来レース=勝・賞・賞品・商品』に変えてしまった
『現実は結果』であり、『潜像の夢(設計)』を見なければ、現実の夢は『綺麗事の都合のいいゴール』
故にアスリートも政治家も芸能界も『権力界隈のパトロン』が居なければ『立場(職業)』を認められない『競技・協議・教義に傘下』させられる
それぞれの『界隈に罪(検閲)と罰(制裁)』があるが、それは『横目の都合が決めたもの』である
『そのルールを観直そう』と『正す発言・発現者』を見張り、『難癖』つけて『言論封鎖する口封じ』が『主』である
『制限の中で見る夢(出来事)』は悲しいな=『三ル心』
横目を『日』に変えて『白昼時』に寝て夢をみな?
飛ぶぞ?(・∀・)意識がΣ(゚д゚;)
罪と罰から『横目』を取り除けば
ありのままの『自然体(自由)』を『観る心と言う力』
これが『籠の中の鳥が出る』という事もしれない
やっぱり日本人の役目は『先人の意志を継承』して御時世で起きた事故を『故事成語』にする事なんだろうね
今回は
『口』は災いの門
『目は口程』に物を言う
『雉』も鳴かずば撃たれまい
から気づいた暗号解読法
他にも
『壁に耳』あり『障子に目』あり
『耳編』や『目編』など、『五感にまつわる諺』は『大事なヒント』かもしれない
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