シンプル独自哲学シリーズ 天才とは天災を転載する莫迦=馬鹿とハサミは使いよう。莫迦=馬鹿のひとつ覚えの現状維持の持続可能なSDGS
てんさいという三毒(貪瞋痴)
天才とは
天に与えられた才能
生まれ持った能力
天災とは
抗う事が出来ない自然の変化
それに巻き込まれる人間社会の弊害
転載とは
複製して掲載する
コピーして利用する
最近、こんな動画をみた
頭が良い天才東大生達が、世の中のなんでもない日常の事を、なんでも陰謀論に変えるという遊び。やってる事は単純な事実を隠した隠蔽と印象操作であり、言うなれば詐欺師の手口を見せている
という意味では、最初にそれが何について話しているのかを見せているから、良心的に世の中の無知な人へ「よく考えなさいよ?」という警告となる意味では抑止力として機能する
しかし、それは物事の一面に過ぎない
同時に今世の中に出回っている陰謀論の多くは根拠のない事を誇大広告して吹聴してるデマですよ!!と言う印象操作でもあり、なんなら陰謀論はあなたも思いつきで作れるので、どんどん適当に作って拡散して下さいねというような
模倣犯に知識を与え事実を煙に巻く事にもなっている
さすがは大学生、それも自分で東大生というブランド(権威)を全面に出す者達。大学は社会マウントを維持するためのエージェントを育てる所
彼ら天才が行った事は、事実の転載である
陰謀論とレッテルをはられた様々な真偽不明な明確になっていない諸説な情報が存在するという事実を利用し
それをテーマ・企画として転載した結果
それが後に天災を産む事になる
例えば、改造銃が3Dプリンターで作れるという事実があっても多くの人は試しにでも作ろうとは思わない
倫理観があるからではなく分からないから
作り方も使う意味も分からないから
私が好きな個人的な3Dプリンターの使い方は「こんな物があれば便利だよね?」と無から有を遊で創り出す発想。純粋に遊びで生み出しているが、これを見た次の世代はこれを模倣してさらなる発展を遂げていく
これが本来の物作りの精神
では、陰謀論の作り方のようなハウツーを見せる事は、3Dプリンターで改造銃を作る方法をサンプルとして見せている事と変わらないという事に気づいてないのか
ペンは剣より強し という哲学がある
これは実際の兵器を持って現場で暴れるよりも、世論誘導や大衆洗脳といった集団心理を動かす事の方が絶大な効果を発揮するという意味。集合的無意識を書き換えるというスピリチュアル的な精神論でもある
最近ある人が、この事件をもとにして宗教を叩き潰す方向へと世論を誘導してる
本質的にはまず、真偽(あれは大根演技の茶番では?)を審議しなければいけない事を、一方的に打ち切り議論をすり替え、無敵の人=社会的弱者を生まない世の中を造るためには、BI(ベーシックインカム)ができるようにという流れの方向に誘導していると感じる
良いか悪いかは時代が判断する事であり、これこそが ペン(情報)は剣(兵器)より強しを体現していると感じる。ただし、BIのやり方に関しては賛否は生まれるとは思うけどね
都市伝説は みんな自分で考えてね? という自発的な思考を促す
ハウツーはその都市伝説な陰謀論の作り方
つまりはそれを使う側のノウハウを提供する情報教材
それを踏まえて言えば
天才は何を作り出したかわかってない
この唐突に掲載する一枚の画像の意味がわかったら柔軟な思考とそれに至る導線にも気づける洞察力があるだろう(答えは最後に)
事実を追求するための知恵ではなく、こうやって陰謀論を作るんだよ?という知識のひけらかしマウントをした事によって
天才が転載して産んだ物議によって
後の天才という天災を生み出す事になる
それをわかってないから 莫迦 という
語源はサンスクリット語の「moha」
莫迦は「ばか」と読み、「バカなことを言うな」とか「バカな人だ」などと言う「バカ」の漢字表記のひとつ。バカの語源は諸説あるが、僧侶が隠語として用いていたという「莫迦」は、サンスクリット語(梵語)の「moha(モーハ)」を音写したものとされ、のちに馬鹿が当てられたという。
mohaは痴(愚痴)や迷妄を意味し、痴とは愚かなこと、迷妄は物事の道理を見分けられないことによる間違った考えを指す。愚痴は仏教用語で、煩悩の根本である三毒の一つとされており、真理を理解する能力がなく無知なことをいう。
物事にはタイミング(時期)という物がある
彼らは都市伝説や陰謀論が話題になっていて、アクセスが稼げるという需要で判断したと同時にもうひとつ、大学という権威の側からする無知なるものを抑えつけて社会支配するという明確な知識マウントを取るという力(自己顕示欲)を見せつけてきた
これは無知なる者には抗う事が出来ない天災であるが、それを模倣する能力があるものは吸収しそして後に、それを転載して天災を起こす天才になる
言うなれば、これの持つ意味がわかるか?と共感して理解できる天才をリクルートするという行動。行動に善悪を当てはめないが、影響を受けた始まりの思想に引っ張られている
それが教科書という許可証
頭のいい奴・勉強できる奴
=教科書や参考書のマニュアル人間
より多くの知識を入れられる要領の良い奴とは容量がいいからそりゃ詰め込める
一般の人が少ない容量をガリガリ削って書き込むHDDなら
天才は高速読み書きなフラッシュメモリなSSD
教科書に書かれている事が絶対
参考書に書かれている事が絶対
証拠・確証がないものは認めない
これらがベースの大学という社会的模範の位置付けに置いて彼ら天才達がやったのは、事実を隠蔽して嘘ではない情報を流す別の角度からの方法がある
=物は言いようという模倣犯の製造
事実という証拠を認めなければ、証拠・確証さえ掴ませなければ問題にはならない。こういう事が大学という知識マウントの権威や、学力フィルタのかかった一般社会の上層では当たり前の常識
騙される方(知識がない)が悪い
のように彼らは見せつけた事になる。だが一番大事なのは、教科書や参考書をバイブルとして、許可証のように掲げるという事は、その教科書に書かれてる事が嘘やデタラメスタート、データの捏造であった場合、全て瓦解するという
単純に自分らの都合がいい教義を押し付ける一神教のカルト宗教の法典と変わらないという事がわかっていない
彼らもまた学校に与えられた学門という宗教の教義から抜け出した自由な発想が出来ない信者=莫迦=真理を理解する能力がなく無知なこと
彼らの言う社会の中では彼らは馬鹿(社会的な地位が低い)では無いが、やった事が後世にどういう影響を与えるのか?まで考えていないような莫迦である事は確かだ
少なくとも、たまたま見た私が、今このタイミングでこの動画は恣意的な上(天)からの命令なのか、それとも自分達でそれを実行するとしたら、大衆が自発的に考えるという目覚めをさせたくないのか(馬鹿のままでいろと)
はたまた、みんな気づけよ?というアドバイスをしたつもりが、それは間違った模倣犯を産むという事に繋がる事に気づいてない莫迦(有難迷惑)なのか
いずれにせよ
天才は天災を転載し、新たな天才という天災を産む
そして天才は馬鹿では無いが莫迦である
馬鹿が天災を産む
莫迦と天災は紙一重(コントロール不能)
莫迦と天才は神人へ(上ばかり目指す)
教科書の中身の真偽も疑問に思う事無く、それが正解だと鵜呑みにする馬鹿
それを妄信して上に向かって進んで行く
馬鹿は高い所(地位・名誉)が好き
そうやってこういうピラミッドはできるんだなと思った
そんな馬鹿な莫迦を使う上からすれば
馬鹿(莫迦)とハサミは使い用
この馬鹿とは与えられた事を鵜呑みにする者であり、莫迦は上(ルールを造る者)から馬鹿にされている事も気づかない
用というシンボルが、月刺されている事にも気づかないから痛みに気づかない
ハサミは繋がっていたものを分断する
人の世に社会的格差、優生学的思想の分断のハサミを入れるのは、天才という莫迦が生み出した天災
だけど、やり方はその上からの転載
賢者は歴史から学び愚者は経験から学ぶ
天才ほど歴史を転載するから戦争や支配の天災が終わらない。歴史や戦争とはそういうものだ(SDGS)を止めようとしないから天才とは莫迦なのだ
恥を知れと思う
大いなる力の使い方を間違えるな
私は頭の良い人を馬鹿とは思わない。だけど柔軟な発想を受けいれないで、自分で別の可能性を考えないで、教えられた事を鵜呑みにしてこういうものだと決めつける人は莫迦だと思う
莫という1文字で否定の言葉
迦という1文字で出会う。 めぐりあう
真理の否定に出会う
私は学校の勉強が出来ない、テストの勉強が苦手というのは、本質的なエネルギーの観点から根本的に合わないものを強制されているだけで、地頭が良い人ほど、セオリーや一般社会の考え方や概念に囚われないで、今世界に起きてる不思議な事を多角的な物事の捉え方をしていると思う
なんの情報も信頼出来ないとわかったから、自分の中に深く受け止めて、心と意志で判断している。理屈はわからなくても感覚的な心の声に耳を澄ましている=恥を知る
むしろ社会を伝えるメディアの偽りの煙に巻く情報操作をしっかりと見極めて冷静に判断できていると思う
ちなみに釈迦の釈は
文や語の意味をとき明かす。とく
だから真理を追う者は釈迦や明に惹かれて行くんだろう
ちなみに莫迦=モーハと聞いて津軽弁にこんな言葉がある事を思い出した。私の場合はストレートに感情的になるか、とても冷徹になって切り離しにかかる時しか言わない
はぁ、もうまいじゃ┐(´д`)┌コイツダメダ
はぁ、もうまいねʅ( ´_ゝ`)ʃドウニモナンネ
意味は呆れる、言ってもダメな事
モーハが逆転して、はぁもになる可能性については色々ある。かつてモー・ゼをジ・ムーと考えて、それが神武天皇という発想を聞いて面白いなと思った事がある
なぜ逆転するのか?それは戦前の日本は左から右ではなく、右から左に文字を読むのが当たり前だったから、その発想で言えば伝わった文字を逆から読み取り学んだのが広がった(あるいは歴史が意図的にそれを逆に隠した)
そう考えた時
①偶然にもモーハ(莫迦)が入ってる
②まい というのは津軽弁ではダメという意味
③莫迦は何言っても話聞かねぇという呆れ
④蒙昧という意味はひとつの知識に凝り固まる、宗教的な一神教の教義を盲信するという意味の言葉
子供の頃からもうダメ!という意味で
もうまいね!(`Д´)ノ)罒`)と抑止として使ってきたけど、確かに限度を知らない者を許すとキリが無い、お前はいい加減学習しろ!と言う突き放し
つまりは無知蒙昧と言う意味になり方言として、それはサンスクリット語の真理の言葉が、愚かな行動をとる者に呆れる状況で自然に心から出てくるというそんなカタチで田舎には
わざわざ宗教的に説明や伝承すること無く、住民の生活会話の中で浸透していたというルーツを考えると、やっぱり釈迦は 青森来てたんだろうな と( ⚭_⚭)✧言葉に込められた先人の叡智を感じざるを得ません
サンスクリット語のイントネーションと元々の言語が合体したから独特の訛りを産んだのかもしれない?
なんせ青森はアソベ(地元民)やツボケ(渡来民)が入り交じる世界と交易していた古代の港ですからね(東日流外三郡誌)
言葉に真理が宿るから、津軽弁は聞き取りにくかったり、言葉が心に刺さるような攻撃的かつ威圧的に感じるのかも?(言ってる事は優しいんどけどね笑)
何を後世に残すか?
その影響がわかってないから
天才(要領・容量のいい)は
天災(抗えない力)を
転載(模倣・魔改造)する
莫迦(教えられた教義を盲信する無知蒙昧)
馬鹿のひとつ覚え(得意)は違うよ?
莫迦のひとつ覚え(妄信)だからね
…という
何気なく見て気になった動画に対して想った事を観念(自分の中に落とし込む)したら
こいつら…はぁもうまいね(´Д` )ワガッテネェナ
という呆れたという意味の津軽弁が
はーも(莫迦)まい(ダメ)ね
は〜蒙昧(ひとつの事に凝り固まってる)ね
というサンスクリット(梵語)と繋がりがある事に気づいて、またひとつ自分(津軽民・アソベのDNA)の中に釈迦がいると確信したのであった
(o^o^)o ウンウン♪
PS:蝶の画像の意味は「バタフライエフェクト」
力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象。カオス理論で扱うカオス運動の予測困難性、初期値鋭敏性を意味する標語的、寓意的な表現
人の世の理を自分勝手に乱すのは、いつの世も天才の影響を受けた天才であり、それは物質面であり、例えどんな小さな変化を起こすにせよのちに大きな天災を引き起こす。そうならないためには精神性の成長が必要不可欠なのだが
そうなると、物質的に要らないものを選別して安定を求めていくと最後は天才がいらないという結論に行きつくという
優秀な者は争い起こして追い出されるというカインの追放の創世記の話でもあり、無限増殖するウイルスに汚染されたがん細胞を切り離して排出する体内のメカニズムの話でもあり
やっぱりミクロはマクロなエネルギーの繰り返しなんだなこれが┐(´∀`)┌ヤレヤレ
LEAVE A REPLY