漢字は流れ・を伝えていた、レビ族の羊飼いと山羊の役割から読み解ける、雨・飴・天・天幕・ゴイ・ゴイム、スケープゴートの本当の目的は新たなる預言者を生み出す事という気づき
寝起き閃き 雨=支配システム
キリストとは犠牲・生贄=『切り捨て』
『全ての羊の罪』を背負わされ『追放される異端の山羊』
イシキリとは『役割』
意志を『断ち切る』
悪意の『連鎖を終わらせる』
『追放』という名の『旅立ち』をさせる
『可愛い子には旅をさせよ』の始まり
その全ての罪を背負い『追放される山羊』を見て『羊達は沈黙』する(見て見ぬふり)
そんな環境だから『ここから離れて自由になりたい山羊』と、そんな山羊を利用して再び『羊達をコントロール化にまとめたい羊飼い』の『利害は一致』する
つまり羊達にとっては『追放した罪人の話』までしか伝えられない(恐怖による戒め、お化けで子供を怖がらせるように)
本当の伝来はその追放された体で『知恵を持って旅だった山羊』が『次の群れを生み出す事』によって『前の羊の群れの愚かさを戒めとして伝えて言った』と言える
それが『預言』が潰えないで広がる理由、遠くへ東へ東へ旅していく過程で研磨されて磨かれて、教義が丸く統合していく
さてそんな『レビ族の羊と山羊の逸話』の中にこう書かれていた事から急速に理解する
羊の柵を左右に分けよ
羊飼いは『羊を左右』に分ける
右寄り、左寄りの思想の柵=そのための施策
これを表す漢字が・・(-ω-;)雨!?
ここが今回の『直感の閃き』から始まり、自我による『納得する為の独自分析』が始まる
左右に2匹ずつ仕切られる羊・・
雨は天から降る・・
アメとアマの音の響き・・
羊飼いは羊からすれば、仕切りの外の『天』とも言える存在であり『羊の群れの運命』を決める『天幕の幕府』でもある
また『天』という字は『逆さ』にして『十』を足せば『羊』、十を切り離す=『自由』を切り離す
切り捨て=『全ての罪という十字架』を背負わせた山羊or自然に出ても『自力で生きて行ける全ての知恵を授けた希望』を旅立たせる追放
可愛い我が子を『先人の谷』へと突き落とし、這い上がって来てこそ『真の王の資質』
そうやって『天』は『十(全て)』を切り離す
そして羊飼いの一と羊が離れて放牧すると『大』
更に柵から離れて自由と勘違いした羊が『人』
=大人しい
人は『偽りの幸せ』の中、『罪を切り捨てる懺悔システム』を『悪用する家畜』である
『自分たちが犯した罪』を『神に懺悔』すれば『赦して貰える』と勝手に『都合よく解釈』して『切り捨てられる役割』に押し付ける
『切り捨て教を悔い改めよ』
とはまさに、『磔になった男性に祈る』とは『お前らの罪を被せている事』だが…「そんな事は教わっていない!」と『都合の悪い教義への指摘』には
羊達は沈黙する
そんな『天の采配』も読めない『沈黙した羊達=宗教信者』についてはどうでもいい(理由は後述)
これらの一連の流れを『雨』という『集団の仕切りシステム』を知った上で語り継いで行く漢字の物語に注目する
雨+3画
雪(ゆき)雫(しずく)雩(あまごい)
雨+4画
雲(くも)雰(きり)雯(ぶん・もん)
雨+5画
電(いなずま)雷(いかずち・かみなり)零(おちぶれる)雹(ひょう)
雨+6画
需(じゅ・もとめる。必要とする)
その他、雨+21画のレベルに至ると
靏(つる)
異体時に『靍』や『靎』があるが・・
ふるとりの鳥=尾が短く遠くに飛べない鳥か
金の鳥か・・の金鳥を調べるとこんな故事を見つける
鶏口と為るも牛後と為る無かれ
大きな組織にあって誰かの指示を受けるよりは、小さな組織でリスクがあっても指示をする立場の方がましであると言うことのたとえ
なるほど、雨という大きなユダヤ羊システムの柵の中でも、その中でも小さな群れのほうが好きなようにやれるという、『不自由の中の自由』という意味と読み解くと・・
意外と雨=羊飼いの柵でも読み解けそう
という訳でお試しに、以下の文字を、知恵を持って自由に外で群れをつくる山羊の社会統治システムと仮定して読み解いてみる
雨・霧・霜・雲・雹・雷
雨を自然現象の『名詞』と捉えず『掟』として考えると面白い
羊を『雨』の柵で分断統治に『務』める
羊を『相』手にするな
羊に『云』い伝えよ
羊を『包』こめ
羊に『農耕』の知恵を
霧
集団を分断統治する『務め』と読み解く
雨を左右仕切りの統治で言えば
『雨』降って『地』固まる
トラブルが発生したが、それが解決してしまうと、それが発生する前よりかえって良い状態になっていること、又は、往々にしてそういうものであるという達観
これは『罪を着せた山羊を追放=生贄の切り捨て』をすることで『安定する流れ』と言えるし、『思想の違う者を選別する』とも取れる
誰かが『罪を被らなければいけない』となった時、キリスト教にも『ユダ』という存在がいて、ユダは『他の弟子には与えられなかった使命』があったという
それが『山羊』として仲間から『裏切り者の汚名』を受けてでも『真意を継承する』という事だったかもしれない
霜
しもという響は『下々』の者、『天幕』から見ればその『ルールに従う民』
『羊を相手にしない』というのはそもそも『家畜以上の知恵』を与えていない
『狭い世界の井の中の蛙大海を知らない』のだから、同じベクトルにはいない=『同じ考え方』では無い
羊飼いには『羊飼いのルール(帝王学)』があり
羊には『羊の世界のルール(与えられた環境に適応)』がある
決して相容れない
だから『タルムードを羊(ゴイム)に見せてはいけない』と徹底したんだろうね。羊飼いに都合がよく、虐げらける羊にとってはどうやって利用されてきたか?その『法則』がわかってしまう訳だから、魔法だと思っていたMAGICに種があったとわかれば
当然、羊たちの怒りは『羊に羊飼いに向かう』事になる
そうなる前に『ガス抜き』が必要になる
現代的に言えば陽動のスピン報道で『お茶を濁す』
いい加減な事を言ったりするなどして、その場をごまかす、はっきり言わず、曖昧に言う
今の羊たちの群れを操ろうとしている天幕の中の羊飼いがいかに無能か『羊に気づかれてしまったら』もう群れはコントロールできない
雲
羊に云い伝える
言うではなく人に云う=伝
「言う」:自分が口に出して言うときに用いる
「云う」:他人のことばを引いて述べるときに用いる
群れの伝統・風習のしきたりを世代をまたいで継承させる
雹
羊を包み込む
愛を持って接する
快適な環境を与える
ただ『包む』に見えて『旬』という文字と『巳』が合体している
旬は盛りである時期、一か月を三分したもの
巳は成長が極限に達したことを表す
この事から包み込む愛=ちゃんと成長を見守って『極限に達した旬の時期を見逃さない』という計画性も感じる
雷
羊に田を耕す自給自足の知恵を与える
天の恵の雨が田に降る雷
自然・天に感謝の気持ち(信仰)を持たせる
羊が牧草を食べるだけでなく、その『糞を肥料として循環』させる事で、『植物もまた生えてくる』ので『食べものに困らない』という意味では、遊牧民と羊は『雹』=節の変化と極限に達したを行う事で『羊の世界は羊で廻るように導いていた』と言える訳で
これが転じて、人にとっては『生きるために自分達で生産して循環する農耕の知恵』を授けたと考えられる
こんな感じで『漢字』として『日本に定着』した雨が『天の恵=天の采配=天幕』で決めてる運命
『限られた常識』しか与えられていない『羊(人)からしたら自然現象』としか思えない事も、羊飼いには『可能な知恵と技術』があった
そう考えれば今、『人工気象兵器』などで『天候操作』などが起きているが…あれはおそらく『遥か昔のロストテクノロジー』を『頭の悪い教義』が手に入れて『悪用』して『羊達を沈黙させよう』としている
だから羊達の中にいた『大人しい山羊達』が騒ぎ出した
羊達がざわつき出した事により天は『雨の仕切り(ユダヤシステム)』で分けて『意図的に用意した左右(思想)の分断』に取り込み、一方で騒ぎ立て始めた『山羊達を陰謀論者』として『羊達の群れに戻れなく』させて『社会的に追放』
再び『天』から『追放の十字架』の『切り捨て』が起きるが…
どうだろう?『追放される山羊』の気分は?
柵の中で都合のいい『デタラメの認知で分けられた左右の二元論』に分断され、そこにいたければ『動物実験ワクチン』やら『遺伝子そのもの』を変えてしまって、なんなら『従順なロボット』にしてしまおうという環境にいたいか?
それは『雨(流れ)』と『無知(何も知らない羊)』
彼ら柵の中の羊は
与えられるものは『飴』
それが『毒』だと知らない『無知』
・・心配だろ?
『毒を毒とも見抜けない』ようじゃ『自然に解放した』とてすぐに『他の食いもの』にされてしまう
若者は知恵を与えると悪用して罪を重ねる事を繰り返すが、老人は知恵を与えてもそのリスクまで氣が巡らないから絶好のカモとして狙われひどい事になっても人に頼る事しかできない
そんな環境にいたら
片方には「悪意をやめなさい!」と言い聞かせ・・
片方には「善意を妄信するな!」と言い聞かせ・・
それはどちらにも属さない山羊の役割か?
お前ら全員、目障りだから滅ぼしたろか?と(笑)
そうなりかねないから、『群れなくても生きられる自由意志』を持つ大丈夫な山羊は放流される
だから管理が必要なゴイのゴイム=羊飼いと羊
格差という『差別』ではなく明確な『区別』
『羊』である限り『幸福な降伏』の中にいる
その支配から逃れたければ『山羊』になれ
その考え方は合わないと離れた山羊
それがこの『やり方(蛇の道は蛇)』を覚えた『新たな戒めの預言者』になっていく
だからたぶんだけど
東に伝来したキリストの墓が『イスキリ』の墓だというのは、イシキリ=石切の『津軽訛り』であって、石切とは『石工の職人』…なんだけど、それはフリーメイソンとかじゃなく
順番で言えば明らかに『巨石文明発症』、『縄文からのアラハバキやら出雲』の繋がりがあるし『農耕の知恵』もある。やっぱりミトラ=水虎=マイトレーヤ=弥勒=『釈迦の方が先』で考えると、牛に乗ってやってきた『野牛=ヤギが先』な気もする
南蛮から伝来のキリスト教は、『切り捨て教=罪を1人に被せてみんなで助かる都合のいい懺悔生贄システム』の教え、それで人身御供=いじめ、村八分とか『変な風習が蔓延』したのかもしれない
だから『切り捨て御免』という言葉がその『意志(伝来)を断ち切る』侍の捨て台詞
『意志』を『太刀』で切る=『イシキリ』にもあったりするのかな
と『雨』という漢字が見た目で『外から柵に分断』入れてる図
その外を『上下』で言えば『天』とするなら
天=アマ、雨=アメ
そう読み解くと
アマ…なんちゃらと
アメ…なんちゃらは
そもそも『種族(群れ)が違う』と考える事も出来るので、色々と言い伝えの『見え方が変わってくる』話だ
同じ人間でゴイとゴイムという『格差』は間違っている。おそらくそれは『人間』と『人間では無い何か』との『明確な取り決め』だった。お互いに干渉しない約束
天は人の上に人を作らず人の下に人を作らず by死体が消えた偉人
人に『手段』と言う『知恵』を与えると『火』
そんな『火の下』に『火』を置いたら『炎』
その『炎』はいずれ『上』に舞い上がり『炎上』
『天幕』のテントに火がついて『天』を滅ぼす
まるで知恵で思いあがった人類の炎上の『バベルの塔』だな(´-ω-)ウム
だから『天(羊飼い)』から『柵の中』に降りて『人(羊)に知恵』を与えたというのは『火遊び』でしかない訳で
知恵の神プロメテウス?
ギリシア神話のティタン神の一人。 〈先に考える男〉の意。 人間と神が犠牲獣の配分を決めようとしたとき,彼は牛の肉と内臓を皮で包んだものと,骨を脂肉で包んだものを人間に作らせ,神々に選ばせたところ,ゼウスは後者を取った。
やはりここにも『犠牲獣』という『生贄』が絡んでるけど『先に考える男』と言う表現でピンと来た
先入観=潜入漢
同時に『神を欺こうという魂胆』が見えているから、『天邪鬼』=天に牙を向け梯子を降りて鬼を従える
結果、『人が神を騙した』事になり、『天』の怒りは『人』に向く=罪のなすりつけ=スケープゴート
プロメテウスは『天』にとっても『人』にとっても『火種の分断』を招く『邪な火遊び』
…と同時に意図的な分断=『雨』(天の人工削減計画)でもあるから、それがあって『地が固まる』
結局は『支配している』と思っている『支配者』でも、身内から『支配の支配をする』という『分断』に巻き込まれて、柵の中の羊はただただそれに利用されて…そのうち従う事をやめて『野生化して角生えて山羊』に…
やはり『第三の選択』を切り開く山羊は、『不自然な分断に違和感』を感じる事でしか生まれない
『右の柵も左の柵も経験した羊』じゃないと『山羊』にはなれないという意味では『急がば色んな柵を回れ(色んな魂の経験)』
…山羊(ヤギ)はまだまだなんか『知恵』が来そうだな、だって…『ヨギ(Yogi)』って言葉もある
ヨギとは『ヨガをする人』
私が今ハマっているのは『柔軟』
こんな寝起き閃が『ヨギる』訳だし、ヨギるとは『予感』なわけで
予感とは、前もって何となく感ずること。その感じ
昨日はさらに『体の角度が更新』したし『ヨガしてヨギ』になる事で、さらに色々『ヤギがヨギる』かもしれない
ヨガ(‘д‘⊂彡☆))Д´)ファイヤー、あ、火(知恵)がw
まだヨガのポーズとかで瞑想とかはやった事ないけど『その道に進み出してる感』はあるなぁ(´-`).。oO
タイトルの雨翔流閃は・・直観的かつゴロと音の響きで採用したのだけど
よくよく考えると、『羊に羽』生えてんだよね
雨=柵で仕切られても羊に羽生えたら飛んでいく流れだろうなwという自由を表現してみました
ちなみに『喚起閃』という知恵の奥義が・・
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