客観的一生と主観的多生 袖(祖・素)触れ合う
現実における客観の一生、夢の中での主観での一生、夢から覚めれば、その一生を一瞬の事と忘却して忘れて・・袖(祖・素)触れ合うも多生の縁があった事を思い出せなくなる=無い袖は振れない=生が無い。まさかこれが真我、一生という共通認知を根底から覆すことわざになるとは・・という気づきのお話
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