自信はあっても他信はない、自分は明確だが多分は曖昧な、言葉の組み合わせを読み解くと明日から使えるライフハックになるお話
じしんとたしん
物事には必ず反対が存在する
例えば存在における『自他』
俺か俺以外か?(どっかで聞いたぞ?)
ではこの自他をテーマにした時に
違和感が出てくるのが『信』がつく時
信の組み合わせは
『人』に『言』う
『人』が『言』う
自信だと
『自』ら『人』に『言』う
他信だと
『他』の『人』が『言』う
信じるとは信憑性
信憑性=信じて憑依する性質
自分が言う事に信憑性を感じるのは自分だけ
だから自分自身=『自分自信』
他人が言う事に信憑性を感じるのは多分…
たぶん((( *艸))クスクス
こうやって偽物=『人(他)の為』は『化けの皮』が剥がれる
たしんという言葉はそもそも『他心』か『多神』しかない
他心とは
別な考え。ほかのことや人に『心を移す』こと
多神教とは
宗教学上同時に『多数の神を認める』信仰態度。 一神教と対比されるが,その区別は実際には必ずしも明確ではない。
ま、一言で言えば他心も多神教も
『心ここに在らず』
『自信』がないから『他心』に寄り添い、より力あるものに『帰依』する依存
自身という『自信』に『信憑性』を感じれば自身に『自神』であっても間違いでは無い
『自分を信じる力が自信』であり
『自分を信仰』するから『自神』=『神憑り』になる
しんじとは『神示(力の実態を示す)』でもある
『神』と『我』は表裏一体の『鏡』
姿は一時の『仮神(化身)』だから『過信』は禁物
自分自身に『能力があるか』どうかと自分のことを自分で大切にし
『価値がある』と思えるかどうかということは『イコールではない』から
『自尊心』は大切だけど『自信過剰』で『自損』しちゃ意味が無い
だからといって他人の言う事信じても
多分無理((( *艸))クスクス
『自』ら『分』けたひとつすら『信じられない』のに
もっと『多く』に『分かれ』たら信じるのは『無理』ってもんだろう
だから『他心』も『多神』も存在自体が『矛盾』した変な『概念の話』なんだよね
そもそも『自他』の『概念の分断』がなければ
『信じるか信じないか?』だけになる
信=真・新・神・心
自分を『信じなかった』時に『他人』という『分離』が生まれる
でも元が『自分』から『多』くの『他』に『分』かれた存在
それらを信じても『多分』無理((( *艸))クスクス
いや〜『多分』に漏れないね〜
意味は『多くの場合と同じ』ように『他と同様』にといった意味の言い回し
これが言葉の妙、先人たちが後世に伝え残した『知恵の実』
じしんの言霊は、内なる強い示しが次々と
たしんの言霊は、分かれた強い示し
たぶんの言霊は、分かれて強く減る・強い『二次元』
ぶの解釈の二次元の意味が最近よくわかってきた
これは『二元性=善悪』などを持った独立した『エゴ=自我』
俺か(自分)?俺以外(多分)か?
その多分ひとつひとつに『エゴ』という『二元性の自我』がある
だから『他人』の流す『多分』の『噂』を『信』じちゃいけないよ?って話に落ち着く
『噂』の言霊は『生まれた調和を遮る』という意味だからね?
これが『言霊ロジック』という私自身が自信を持って
自分を律してコントロールするのに使ってる自神の力
結局、自 『分』すら分けなくなるとそれが『自然』という『全』になる
全は一、一は全=『自然』か『不自然』か?
真我以外一切無常
おもしろいんだなぁ(≧▽≦)これが
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