おんという言霊には、音・温・恩・御・怨と、様々なエネルギーを感じるが共通点は何かのきっかけのスイッチというお話
おんとは外氣の吸収と循環
先日、正月早々に、ガッツリと『チャクラに関する独自体感論』が大量にコピーされた。造られたスピリチュアルブームのアクセス需要で一儲けしようという流れのせいだろう┐(´д`)┌ヤレヤレ
それをただ記事ネタとしてどっかに『転載』するなら、その人は『天災を自らに招く』事になるだろう
なぜならそれは『私にとって再現性のある本当の事』でも、『実践』と『体感』に基づく『説明』ができなければ
「らしいよ?(私はできないけど)」という『嘘』や『噂』になってしまう
嘘の言霊は生まれて外れる
嘘を生み出したものは、それを盲信した『信者の数だけ嘘が増幅』し、その嘘が暴かれた時に残るのは『罪=集まった光』
罪を償う=集まった光を人に巡らす事になる
最初から『罪作りな嘘を生まなきゃいい』だけなんだけどね
噂の言霊は生まれた調和の遮り
せっかく安定した正しい事を生み出しても、その『調和の遮りを生む』という『罪』を『造る』事になる
『記事丸ごとコピー』すんなら『引用リンク』くらい張るのがマナーだけどね( ´ー`)後でどうなっても知らんよ?
ま、どういうつもりでコピーして行ったかは分からないが、おかげでまた『過去の自分の記事』にまとめていた『体感論の気づきのきっかけ』になった
それが『お』は吸収『ん』は循環というエネルギーの流れである事の再確認
そう考えた時、on、恩、温は基本的に『首筋や背中(第5チャクラ→4.3)から感じる』という体感論と一致している事に気づいた
例えば『恩』とは誰かに支えて貰う事、誰かに『後押し』された際に『感じている気持ち』
それは誰かに『背中を叩いて気合い』を入れて貰ったり『やる気スイッチ』を『ONにして貰った事』でもある
そんな心のこもった暖かい『温もり』やピリっと気合いの入った電気のようなエネルギーが『循環』している
自分だけでは気づかない『背中のチャクラ』
そこに『吸収』するべく『外氣を取り入れる窓口を開く言霊』が 『お』
入って来た外氣を『内部で循環』させるのが『ん』
つまり 『おん』 とは外から取り入れた『エネルギーを内部に循環』させる
「この背中を押して支えてくれた温もりと御恩は決して忘れません」
それは『外氣(想い)』を『内氣(意志)』に巡らせるという事
だから一度『スイッチ』が入れば『目覚める』
おん の言霊は
奥から強く、奥に強く
自然に『湧き出てくる』のか
自分の『根幹に吸収』するのか
いずれにせよ『おん』から全ては始まる
始まりに言葉があった=『発音』
はつおんの言霊は 引き合い集まる奥から強く
この場合の『奥』が『自然の循環』という『存在の根源』だとすると、それが『外氣』なら、それが流れ混んで『物質というカタチを形成』している事も『法則の相似』である
『人』は『凝り固まった生き物』で『重いコミット』が好きな自然から見りゃ『単細胞』
ウイルス(人が生み出した嘘)に『侵入』された『汚染細胞』がまた『嘘』を広げて本筋から外れ『噂』という調和を遮る力で『嘘を信じた組織=世界』が作られていく
その組織は共通の『信じる嘘が瓦解』して『本当』が出てきた時、その『カタチ』を保っている事はできないだろう
それは人や人間という『定義』すら『誰が決めたのか』も考えずに『ワレワレハニンゲンダ』と言い張っているようなもの
だからその『概念』という『既』にある『念(誰かの思い込みの重いコミット)』から離れて、自然にあるがままの『外氣を吸収』して
それを『自分の中に循環』させて行くと『不自然な部分』と『自然な部分』という『境界』や『輪郭』を感じるようになる
私はこれを『籠』とも『加護』とも感じた
そしてその中の『鳥』とは『自由意志』を意味する
「本当は…」という『嘘』に囲まれた事に最初は気づいてない
だけど外氣から伝わってきた『誰かの想い』が私の窓口を開けてそこに『自然の温』を感じさせてくれた
その温もりが「それは何ぞや?」を求めようと(。-`ω´-)ンーと『思考』や『体感』するほど『自分の中に循環』して『浸透』していく
『気』がつくと『内側から外氣の取り入れ方』を身につけるようになり『中と外の氣の出入りが自由』になった
だから『邪』なエネルギー『病』は『気』からこっそり『侵入』してくる『気の通り道』も『氣締めの付け方』もわかって
『ことわざは本当』だったのだと体感で理解した今
私は『先人の知恵』たる『ことわざや格言』を
なるほど( ´ ▽ ` )ん〜、だったら!
と『素直に吸収』して『循環』させて『温故知新』のエネルギーをさらに変換して『恩顧地心(造語)』にして外に巡らせている
恩顧の意味は
目上の者が目下の者に情けをかけること。また、目下の者が目上の者から目をかけられていること
人間的な関係性だと『上下の概念』が邪魔して「何様だよ!」ってなもんですけど、『地心=大地の心』なので、大地の心を伝える人として=『大人』
『大人目線』からみんな自然に気付こうぜ!(∩´∀`)∩ワーイ
と自然(RNA)と結びついたメッセンジャー=mRNAになっているんだろう
本当の『自然(DNA)』を取り戻すためにという、恩顧地心の造語の『名』は『体(存在意義)』を与えるカタカムナ
そんな『恩を感じる』というのは『行動』や『言動』に自然に出てくる=先人の知恵の恩を忘れる事は無い
なぜなら奥に強く流し込み
奥から強く湧き出てくる
根源に氣が巡った
『氣』とは『愛』
その『愛の出処』はどこか?
初めに言葉があった=『発音』
ヒカリアレの言霊は
根源の力から離れた命が消失
想いは『カタチ』がなければ失う事は無い
しかし『言葉』という『カタチ』にしたら『玉砕』する事も
相手の語尾が ほお?なるほど!の『お』ならば
自分の想いがこもった言葉は『外氣』として『内氣に巡った』事になる
その後「ん〜」という『思考』が発生しているならば、それは『新たなエネルギーが生まれてる事』であり、そのエネルギーを『言葉というカタチ』に変えてまた投げ返してくる
言葉の『表現』は人によってまちまちで『癖』があったり『トゲ』があったりと個性豊かでまっすぐ受け取れない時もあるけど
『本質』は受け取った『言葉(想い)を投げ返してくる』という事は『ON・温・恩』を感じている=『氣は巡って』いる
だから良くも悪くも『ON(おん・音)』で始まる
おんを感じるというのは「始まったな!」と何かが動き出す事
何が始まるかは分からないが、何が起きても受け止めて『本質』を見抜いて『投げ返す』
そういう『エネルギーのキャッチボールを楽しむ気持ち』でいるのが『自然の在るがままに』
自然の循環はそういう『バッテリー(投手と捕手)がバランス』が取れている
人間だけ『ボール横取り』したり『エラー』したり『暴投』したり『デッドボール』投げたり『乱闘』したり
恩を『仇』で返す・・か┐(´д`)┌ヤレヤレ
奥から強く奥の奥へ命が反対に分かれ循環しない力の投影が一方向に進む
まさにキャッチボールできてない=『氣が巡らない』って事やな
氣には『カタチがない』からこそ、様々な『表現(ケース)』で『例える』事ができる
だからその氣が巡ってくる事、自分に『おハチ(順番)』が回ってくる事、誰かに『存在を気にされる事』は『滅多』にない『有難い』事
誰にも気にされない=気枯れ=穢れ=汚れ
そこに意識を向ける=気を配る、気を巡らせる、気を分け与える=気枯れ・穢れを掃う
もし、あなたが『生きる気力』を失った『絶望の淵』にいた時、そんなあなたに『声(発音)』をかけ『手』を差し伸べて『気』を使ってくれる人がいたら
『恩=温もり』を感じるだろう
その『暖かい気持ち』は『背中』から入って『胸の奥』でポカポカしてる
今の自分が『正気を保てる』のは、外から巡って来た『滅多にない氣』が入って来て、その『氣に馴染んで』わかった事は……
こんな肉体が『塵として消し飛んだ』としても『中の想い』はもっとでっけえ『愛の中の一部』でしかねぇ(⊃´▿` )⊃
そんな感じのworldscale
外氣と言っても『何を取り入れるか?』この『取捨選択』によっては、ちっちぇちっちぇ『気の小さい者達の奪い合いの外氣』だってある
例えるなる『ネットワークビジネス』は、『上』が儲けて『下が搾り取られる構図』のように『繋がった者』から『吸い取るエネルギー場』
取り入れたらいけない=『邪エネルギーの入口』もまた『おん(知り合い・先輩・借り)』から始まる因果応報(関わる人間関係)
だから『おん』自体に善悪はないけど
『言葉(発音)』には『気』をつけなさい
それは『現実(氣の巡り)』の『意識の観測』になるから
そして気をつけたらちゃんと『氣締めの戸締り』もお忘れなく
…という『気づき』を『記事のコピー騒動』から導き出せたので、そこは素直に感謝(*´ω`人)
でも、冒頭で言った通り、私は『マナーを守った引用を求む』という『意志表示』をしている=マナーを守らないなら『どうなっても知らんよ?(怨)』という『想い』を『言葉に込めている』
という事をお忘れなく(事後報告でもいいのでコメントあると有難いです(*^^*)気づきも頂いたのでそれでチャラ)
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