寝起き閃ワード『扉』凝縮と飽和の中心、常世の入口で出口は01+Q。これはすずめの戸締まり観てないと気づかなかったなという導きのお話
寝起き閃ワード『扉=01+Q』
寝る前にふとカタカムナ51を読んでいたら、本当に不思議なのが『眠くはない状態』から、その記号を見ながら言霊読みを繰り返していると『抗えない眠気』が起きて自然に寝れる
そして起きて寝起きキーワードに『扉』そこを中心に『閃』は『文字というカタチ』になっていく
0=1(扉)である
どうしてこの世界は『01のデジタル』なのか?『0』とは何なのか?どこから来た『概念』なのかを前回考察した
今回は、まったく『違う観点』からそれは突然『閃き』として降りてきた
数字を『2次元』ではなく『3次元=立体解釈』すると『0=1』でもある。これはアインシュタインの6=9の『回転や反転で相似』を見つける考え方のさらに応用編
このゼロは『無であり有である』という『仏教の空』から生まれた概念と考えると『二次元的な捉え方(表面)』と『三次元的な捉え方(奥行)』では『繋がる先=解釈』が変わる
例えば、数字の流れ0→1とした場合、その無であり有である空間に『力の向き』が生まれると
『+=加えていく』という流れになる
そして二次元的にその形状は『宗教的な信仰のシンボルの十字架』でもあり
漢数字における九の後の『十(じゅう=あらゆる全て)』でもあり
キューブの『立方体を展開した図形』でもある
でもこれは『3次元を2次元解釈した形』というシンボルでしかないが、これを『可能性の4次元から3次元で捉える』と
『Q』という『文字』になる
このQというのは文字の中でもとても面白い不思議があり、26文字のアルファベットの中で『立体的な奥行き』があるのが、この『Q』だけなのだ
だからこういう法則が成り立つ
2次元思考:0と1は別物、+は計算記号・宗教アイコン・漢数字
3次元思考:0=1、+=交点
4次元思考:+=Q、エネルギーの出入り口、文字は次元ポータル、立体幾何学
数字や文字、シンボルに意味を持たせるたびに『空』の『無から有のエネルギー』が生まれる『扉』
生きてる物にはいずれ吸い込まれる入りたく無い『出口』
死んでる物にはいずれ飛び出したい入りたい『入口』
その『0』の中心は『-方向への吸い込まれる凝縮』と『放出する飽和』が重なった『+という中心空間』になっている
全てが有であり無の『夢遊空間』
目線が『中』か『外』かでその形状は底なしの『奈落の穴』か一点に盛り上がった『孤高の山』か。『人』という文字を上下左右反転鏡にしたような『へしゃげた菱形』のように『生は死』へ『死は生』へと引かれる逆転現象
『無限』に行きつく先は相反する『信仰のピラミッド』たるや愚かなり(結局4次元キューブの中)
それが『自然の法則』ならば『扉』とは言霊で
統合する内なる根源の場
統合する根源ではない場
どちらにせよそこに『力』が集まっている
まさに扉とは『可能性』そのもの
可能性の言霊は
力が時間をかけて生まれる事を背負い伝わる
『可能性の扉を開く』というのは『無であり有』の『根源の場を開く』という事。時間も空間も生も死も何もかもが『夢』で遊べる『夢遊空間』
夢の言霊は、湧き出る思考
生あるものは『眠り』という一時の『意識が解放』される安らぎの時だけ、その『扉の向こう』へ訪れ『可能性を模索』している
しかし、その開かれた扉が『そのまま』だと、当然その『相反するエネルギー』が『両方引き合う力』が発生して、『自然が不自然』に『不自然が自然』に流れ混んで『反転膨張』する
『夢』がなぜ『起きたら忘れる』か?
それは『意識』が『戸締まり』しているという事
『夢の世界の事を覚えている』という事は、いつまでも『現実との境目が開きっぱなし』で『夢と現実』が分からない『夢遊病』になってしまうか、忘れるべき悪夢に取り憑かれ現実でも『フラッシュバック』して『魘され精神が病んで』しまう
『コントロール』できなければね?
コントロールの言霊は
強く転がり入って統合した空間に短く留まる
まさに無限の夢限空間に意識が入り込んだ時に要な意志
でも夢には『階層』があるように『開く扉』で『繋がる場所』も変わる『どこでもドア』のように
『可能性の扉』は沢山ある
開けて『間違い、場違い』な『常世』と繋がったら『間違い』を認めて『扉を戸締まり』すればいい
だけど開けた扉からしか入れない
可能性は根源の扉と繋がっている
『開けっ放し』で『別の可能性』は開かないし、可能性は『いい事ばかり』では無い
ひとつの事柄に対して『幸せな妄想』をするだろう
でも同時に『不幸も想像』するだろう
その両方は『可能性』となって扉をくぐって『具現化』しようとする
要石とは『要』の『意志』
「要・・はどうしたいんだ?」って事
何を『求め』何を『手放す』?
『生きる為に必要なモノ』が失われたならば、それを『根源から取り戻した(幸)』後は、しっかりと『気締め』をつけて、『別の可能性(不幸)』が生まれないように『戸締まり』しなさいって事
『納得』して『自己』を『確立』する
納得しなけりゃ『事故』の『確率』が出てくる(同じ過ちを繰り返す)
これは、さすがに『すずめの戸締まり』観てないと気づきに至らなかったと思う
そりゃカタカムナ51首
映画見に51(来い)だわ(笑)
そして、解釈がまた『現実に囚われてた』って寝起きにダメだし((꜆꜄ ˙꒳˙)꜆꜄꜆);´꒳`;):ヤメテ
昨年の考察は『被災者側の目線』になりすぎた
『単純な事』だったんだ
すずめの戸締まりで湧き出てくる『ミミズ』、そのエネルギーが地上に吹き出た後、地上に落ちると『地震が起きて大災害』が起きてたくさんの人が死ぬ
その代わりにその『一帯』は『不自然(人)』が消えて時間をかけて『自然と一体化』して再生する
全ては『可能性の扉』が『氣締め』がつかないで『開きっぱなし』だから起きる事
『+』というエネルギーが『一点』に集まる『凝縮』と『飽和』の発生源
『ゼロポイント』は人の中にある心
『心』は揺れ動く、様々な『感情』が『波』打って『波紋』増幅して『波動』が広がる
『感動』や『恐怖』というのは『心=常世の扉』がなければ起きない事
しかし、そのいちいち周りの影響で『信仰』が揺らぐなら、その『侵攻』を止める『要石』が必要
『要となる意志』
『岩戸開き』とは『己の真の意志』を『引っ張り出す』
これは『精神領域』の話
肉体領域で言えば『要石(意志)』がないと『磁場(自場)』が狂う
『ポールシフト(心変わりの逆転)』が起きないように『安定』させているのも『要石』だったとしたら?
『意志(石)』が『揺らいだら』ダメだよね?(笑)
地脈、龍脈、要石
これらは途切れる事なく流れる『血流』とそれを『安定』するように『コントロールする意志』
『意志』が巡る『氣』
だから『地脈、龍脈が安定』している=『健康で健全な身体』そしてそれを支えているのが『要石』
肚が決まる、肝を据える、覚悟を決める
そういう『エネルギーの役割の相似』を理解した
世界各国にある『巨石文明』
日本でも鏡岩、磐座、封じる殺生石
世界に転々と散った『海洋民族の縄文の民』
『分散』して『旅立った』のは『閉じ師』だったのかもしれない
『身体に刻む刺青』はその地の『要石』と言う『巌』になるための『覚悟を呪術』に刻んだのかもしれない
『一族』がその地に『根付き文化を形成』したのも、その地の土地神として『要石となった役割の祖先』への『信仰が自然』に集まるように広めたのかもしれない
グレートスピリッツでドリームキャッチャーな体に入れ墨のインディアン=原住民たちとかね?
かもしれないは『可能性』の『可』もしれないの扉
私は『その扉』から流れてくる01+Qのエネルギーを引き寄せたい
それが日本で破壊されたのは『明治』
『神仏分離』で元々の神社は破壊されて立て替えされて信仰される『御神体』が変わった
『健康な食生活習慣』も破壊され、家電を初め電波で『磁場』も狂わされて来た
人々の自然信仰(先祖から受け継いだ体を大事に)は廃れ『要石に集まるエネルギー』も外れてしまったから、血(地)の繋がりの要となる意志(日本人の魂)を失った
この世界には『±のエネルギー循環の法則』があると前に気づいた
口(-)から入り尻(+)から出る
これは肉体ある『生命』の話
『死命(使命)』を背負った『意識体』は『無(ゼロポイント)』から現れる
人の心もゼロポイント
そこから『善悪』を『全握』した『魔(間)』が入る
そのエネルギーが入り込むと『間違い』が起き、間違いは『さらなる間違い』を生み出していく
まさに存在そのものが『嘘』
嘘の言霊は生まれて外れる
間違いを認めず正さずに放置すると『嘘が蔓延』して嘘で円満になって取り返しがつかない事になる
『嘘』にばかり『人の気が集まる』と、本来集まるべき『真実にエネルギーが向かず』に気が枯れて=穢れてしまう
誰も『真実』を気にしなくなれば嘘から出た歪なモノが『真』になってしまう
『無理』を通して『道理』を引っ込ませる事になる
そうなればわかるだろう
救われないし報われない
『救法』は届かない
そうここでも『救』という『文字』と『きゅう』という『音』がでてくる
『救う』には問題の『原因』を知らなければいけない
問題を問う・問題提起する=クエスチョン=なぜ?=Q
Qは01+=無から流れ込んでくる有のエネルギーの扉
私はそれを『遊の扉』として『重い問い』を投げかける
すると扉の向こうから『軽い閃き』が返ってくる事に気づいた
それは夢だけじゃなく現実的な目に見える虫の知らせやミラーナンバーという量子的な可能性として
だからQ=問題提起=まだ見ぬ・目に見えない世界を開く扉
01+でそこら中にあるけれど三次元を二次元として『表面しか見てない意識』では、『それ自体が無限の可能性』と気づく事はなく、『ただの数字や記号』としか捉えてないのだろう
となると気を付けておかないといけないのがこれ
信じるか信じないかは・・の扉開けっ放しの無責任
例えば都市伝説テラーの言う「信じるも信じないもあなた次第です!!」という言葉を信じるという事は、その『言葉を発した者』が『先の扉』をガンガン『開けっ放しにして進む』のに『ついて行く』事になる
途中で「なんか違う…?」と疑問や躊躇しても、そこから『帰り道も分からない』まま立ちすくむ事になるが『救済』はない
なぜなら「前に進む扉は開いてるのだから進むも立ち止まるも『あなた次第です!!』」
と、完全に『置いていかれる』だけの無責任な自己責任の押し付け
ついてこい!って言っといて怖気づいたら知らねーよ・・はひどいね┐(´д`)┌ヤレヤレ
それは『自分の意志で開いた扉』では無い
『間違いと感じてる方向』に進めば進むほど『本来の自分』と遠ざかって『帰り道への導き』も見失うだろう
これが『開きっぱなしの可能性の扉』
『間違い』に繋がる扉、それを開けたのは自分ならば気づいて『二度と開かない』ように『気締めをつけて戸締まり』するのも自分
だから人の信仰で『不自然に抑えていたもの』が力を失えば『自然の進行』は止められない。そういう意味では、最後のセリフは『人の傲慢』で押し返した強引なやり方
死にたくない!という感情『生への執着』が最後の『祝詞』に込められている
「一瞬でも、一時でも、僅かな時間を人にください」と鍵を閉じる宗像宗太
大まかに見れば『人類の繁栄を願って』とも言えるけど、それはつまり『今後も原因を解明しないで漏れ出たら塞ぐ』でやっていくという中途半端
『根本解決』したのは『すずめが自分で開いてしまった常世の扉の戸締まり』だけで、常世の扉を閉じる閉じ師は『自分の代だけ持てばいい』の繰り返しで『先細りな零細企業』だから
『厄災を先延ばし先延ばし』にするだけ
なんか『残念な結末』というか、でもそんな苦労してる閉じ師のような『水際で問題と向き合っている存在達』に『気づかない人が多い』という
これが『今の日本の現状』を風刺したとも言える
『見えない世界との繋がり』は人それぞれにある
『誰かが開いた可能性の扉』に進む必要は無い
『自分で開けた扉』からしか『常世』には入れない
その『扉が開いてる』から『可能性』という『見えないエネルギー』を感じる
0=1
+=Q
常世のエネルギー=『空=無であり有』の入り込むポイント
それは己の中の『心』に在るゼロポイント
明鏡止水で正気を保ち心穏やかにすれば、『求めた問』へ『閃き』で返すという知恵のキャッチボールできる自遊空間(笑)
カタカムナ51首=来い!(常世に)って呼ばれてこれだもんなw面白いぜ(/・ω・)/
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