好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

カタカムナ53首 狭間と死者の飯

夢の中の自分が自信満々に語っていた『片目』ではなく反対の目も使えるように慣らせば何が見える?、その後、大家族と再会するも自分だけ飯が…な不思議体験2本立ての夢

夢のあらすじ 狭間を語る自分

私は夢の中で友人と語っていた。現実に存在するが現実では1度もあった事はないが、夢の中では何度もあっている思想や発想が似ている人物

そんな彼に私はこういっていた

「現実をシフトするっていうのは、左目で見ている世界を右目で見るように慣らす事。例えば眼鏡を作る時、右か左か基準になる方に合わせてレンズが作られる。つまり眼鏡をかけている限りどちらかに矯正された世界の見え方しかできない

ならそれとは若干違う反対の目の方ではどんな現実が見えているか?それは左目を基準にしてる限りわからない。だから普段はメインにしてない脳と繋がる目で現実を見るように慣らして両目でバランスよく見るんだ

そうすれば左目と右目の間に何が見えると想う?VRと同じ仕組みのマジカルアイだよ、左と右のMRの複合現実(立体視)が見える

それを可能性の狭間という

見える現実と見えない現実、嫌なもんを好きなもんで打ち消す、絶望を希望に、ビンチをチャンスに捉える『複合現実』を見る事ができる

片方に矯正した色眼鏡は外せ!曇り無き眼で捉えるんだ!想い描いた狭間の景色に意識をシフトするんだ」

自信満々にウッシッシ(*´罒`*)と語っていた私に何の迷いもなかったので、起きてから実際に裸眼でそれを試して見た

確かに眼鏡でも矯正で基準にした方の目で焦点を合わせる『癖=右目は左目に合わせてる』感じがしたので、右目で見よう!としばらく左目を閉じて右目だけに慣らしてから左目を開けてみると…

視力が上がった訳では無いが、左右のピントズレのような『距離感の歪み』が消えた気がする。例えるならば『パースが狂っていた』のが左右の視力の差だとすると

パース

眼鏡はその『パースが狂った状態で視力調整』をするため左右のレンズの『視力を変えて対応』している。ゆえに眼鏡をかけ続けている限り『視力の歪み』は決して直ることは無い

その状態で『眼球運動が固定動作』になるのだから、『裸眼で遠い景色を見ると目が直る』というのも、遠くの景色とは『パララックスビュー』で、手前から奥まで

自然の『歪み調整の役割』を果たし、見渡す限りの『パノラマビュー』は左右の『視野角調整』などにも最適

『遠くを見ると目の疲れが取れる』というのは、理にかなった『眼球疲労リセットの先人の知恵』だったと理解

ただ遠くというのは、本当に遠くの山等の景色、『目に優しい空の青や白、木々の葉の緑』、やっぱり『自然』がなければいけない

でもそれも『パースが歪んだ目のまま矯正された眼鏡』をつけていては意味が無いし、メガネを外した所でパースが狂ってたら意味が無い。これは『コンタクト』でも左右の視力が違うのなら同じこと

まずはパースが狂った『左右の目の状態調整』
視力をあげる=上がるのはそれから

整えよ、『歪み無き眼』を

という、『夢の中の自分』が言っていた事を『現実で試して』みて、なるほど!って今後の『実践課題』として取り組もうと想った

…と言う事はそれを意志氣的に続けた『数年後の自分』はそれを『達成している』からこそ嬉々として『自信』を持って伝えていたんだろうな〜と

そんな自分がいた『あの現実』に『狭間(複合現実)のピント』を合わせて『意識をシフト』できるように…するためには『エネルギーの相似』、つまりは『この現実でそれを実践』しなければいけない

カタカムナ51首 52の遮取りの相似

『答え』は見てきた、後は実践して『引き寄せる』だけ
必要なのは『意欲』と道筋を探す『好奇心』(*´罒`*)特異分野

そんな『可能性の狭間』を見る方法のレクチャーの夢がひとつ

夢のあらすじ2 死者の飯は食わせてもらえない

私は帰省中なのかただの買い出しなのかわからないが、家族のひとりに電話しながら「何買って帰ればいい?」と聞くと「私は食べれるものはレタスしかない」と、それ以外のものは食べれないと言っていた

わかった(´・ω・`)と言っといて、ただいまーと大家族がいる感じの家に帰った私は、その一個のレタスを買い忘れていた。帰ると居間のテーブルは空で「みんな出払ってるからまだ飯はないよ」と祖母が言った時

私は、「大丈夫(´・ω・`)俺、弁当買ってきたから」と1人先に台所で弁当を広げると、パック一個の白飯にみかん一欠片だった

(´・ω・`)?弁当…?…いや、え?あれ?と何か違和感を覚えていると、そこにさっき電話で連絡を取っていた家族が現れ

『あ、ごめん(´・ω・`)レタス忘れたわ」と報告すると「一個しかない買い物忘れるとか、どういう神経してんのよ!!」(`Д´)ノ)罒`)と怒られた

でもその家族は先に飯を食ったようで「お前何食ったの?」と聞くと何やらレトルト?の袋を指さした。なんだお前も適当なもの食ったのか、(´・ω・`)俺も白飯にかける何か欲しいな〜と余ってないか聞くと、ほれとレトルトの余りを渡され…

その後の記憶はない

という夢の体感で言えば

何度も『夢の中で帰っている家』
何度も色んな夢で『一緒に過ごしている家族』
既に『亡くなったけど何度も現れる祖母』
別の夢でも『祖母がいたのは心の中の大きな家』

感覚的量子論4 意識と想念は違うよ?と言われた夢

つまり『心の中に帰った』のかもしれないけど

ポイントは

①亡くなった祖母
②みんな出払ってて飯はこれから準備
③白飯とみかん一欠片とレトルト

=『死者の飯』は食えない?

死者と飯の伝承

不思議なことに昔から『死後の世界で絶対にやってはいけない』と言われるのが『その世界の食い物を食うな』という言い伝え、また『死者のための供え物』の『白飯に箸を刺す』等の風習

そのくらい『飯』というキーワードはあの世とこの世の『狭間を繋ぐもの』として昔の人も認知していたとすると、三途の川の向こうでこっちに来んな!(`Д´)ノ)罒`)と『祖先に追い返される』というのは

『宗教観年』が強く、『極楽浄土』とか『地獄』とか『天国』という『概念に囚われている死生観の思い込み=重いコミット』が強い人、あるいは『カルマの経験でそれが消えてない人』だろうけど

その死生観に染まってない場合でも「お前に食わせる飯はねえ(`Д´)ノ)罒`)」とまで強くはないけど、やんわりと、まだ食べちゃダメ(`・д・)σ メッと『つまみ食いすら許さねえ感』と、自分が『自分用に飯を持ち込む』というのも

『どうせ飯は出されない』とわかっているかのような『一時的に立ち寄ったふらっと帰省』してみた感

家族みんな出払っている=『役割としての人生』を生きている

『祖母』は一足先に『役目』を終えて、みんなが帰ってくるのを準備している

だからこう想った

もしも『死者の飯(祖母の飯)を先につまみ食い』して食っちまったら…

( ゚д゚)ンマッ! ( ˘ω˘ )当然

やっぱ居心地いいなあ
“((∩´︶`∩))”俺もう現世生きたくねえ Σ(゚д゚;)

ほら!お勤め行っといで(っ・д・)≡⊃)3゚)∵嫌

これが三途の川の向こうで先祖がこっち来んな〜と『同じようなもの』と考えればいい

なんでこんな夢を見たのか『想い当たる事』がある

思いもよらない所から『現実に未練』ができそうで『心』が揺れ動いて悩んだ。寝るギリギリまで悩んだから「これは今日は絶対夢でなんかあるぞ?」と想ったら

やっぱりあった(笑)

その『悩み』を『心』に『持ち帰った回答』がこの『ふたつの夢』ならば

現実の観測では『不可能と捉えている目』では無い、『理想の現実を反対の目』で捉えて『立体視の狭間で複合した現実』を生み出して『そこに意識をシフト』する

それがその『生への未練を成就』に変える方法

そしてそんな『未練を抱えた奴』はまだ家の飯は食わせられねぇケエレ(`Д´)ノ)罒`)ばーちやん

『心』は『素直』に『道』を示してくれた
現実の私の『役割』はそれを『実践』する事

こんな夢を見るタイミングから始めたのが『カタカムナ53首』

…正確には龍体文字+52(枕の下)+53(額に貼り付け)のサンドイッチ睡眠状態なので、何が起因したかは分からない(笑)寝る時、キョンシーみたいになってますw

53

カタカムナ53首 思念読み

イキココロ
伝わったエネルギーが次々と転がり入った空間

アマナへサカル
命の受容の核の縁に遮る力が留まる

モモヒクニ
次々と漂って根源に引きよる圧力

ヘツナギサヒコ
縁に集まる核が死を遮り根源に転がり入る

ヘツカヒヘラ
縁に集まった力の根源の縁の場

なるほど(´・ω・`)としか言いようがない

伝わったエネルギーとは『悩み=遮り』
私はそれを『抱えて』眠った

心はどう反応してどんな夢を見せてくるのだろうと

そしたら

①自信満々の自分が、友人にアドバイスするようにヒントをくれた
②その心の縁=家に戻るも、死者(祖母)による遮りによって追い返された

このふたつの『カタカムナの相乗効果』なのか
『52(コツ)を53(コミット)』されて来た感じでした(笑)

その下の龍体文字は『流体』だから、流れるのか『エネルギーを変換して体に通す』のか、でも悩みを吹っ飛ばす『実践方法』がひとつわかった

裸眼の目のパースの狂いを治す
=右目、左目、基準とする目を調律する

これ、面白い事に意識するとわかるけど
『耳鳴りの周波数』が変わるんよ(*´罒`*)

つまりは『脳の使う領域』が変わる

太陽神の目
左目はプロビデンス
右目はラー

わざわざ『黄金比のシンボル』として表されたり、人体における『重要な部位』かもしれない(松果体も関係している)

ホルスの目

独自体感論 松果体は種 発芽と根付きが大事?

ふむ( ˙꒳​˙ )色々コミコミ(53)でもある訳ですね

カタカムナ53から『新たなステップ』の始まり
次の感覚的量子論は『MR(複合現実=引き寄せ具現化)』のお勉強ですか

COMMENTS & TRACKBACKS

  • Comments ( 2 )
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  1. こんにちは!

    たぬきちさんが夢の中で語っている内容が、夢なのにぶれてないのが、その自信に満ちた言葉で実感できます(๑˃̵ᴗ˂̵)

    お釈迦さまは、やがて一つの目で見るようになることを説いていたという話を思い出しながら読んでいました。

    ブログの記事を読んでいる時などに、焦点を外してからぼやけている方の文字を読んだりしていたので、好奇心さんで知らず知らずのうちに鍛えられていたのかもしれません(*’▽’*)

    • Noveさん いらっしゃい

      以前の『対面で現れた夢の自分』の中に意識がいた感覚で、その確信的に『絶対的再現方法』を体感で『わかってて話してる自分』の内面の心地よさと安心感たるや・・今はまだ学びの途中の『分離の自分』だけど、いつか体感して実感したら、俺もその『納得の一部』になるんだろうなと(だから体感するまでは納得できない自分)

      お釈迦様はそんな事を言っているんですね、でも多分私はお釈迦様の有難い言葉も、何らかの『体験として体感』しなければ『理解も納得もできない』と『自ら遠ざけて分離』するだろうから、ほんと急がば周れで、最後はひとつ(もはや遠ざけるものすらなくなる)

      私の記事を読む人の多くは『遠い目』をしているようです(笑)

      達観した読者になると、補足でつけている内部リンクを読みに行くと、何の話だったかわからない所に着地させられるから『脇道に逸れない』と文字通り体感して学んでいるようで、近視(現実的なニュース)から遠視(精神世界の話)まで、ピント調整が難しいからこそ

      その両方をバランスよくコントロールできるパース(空間)を捉える力は確かに磨かれるかもしれないですねw

      私も中心を捉えているつもりが、ベースが右か左かに色眼鏡矯正(概念・重いコミット・自我)で傾いている時点で、まだまだピントのあった歪みのない複合現実を捉えられてない感じです

      でも肉体的に実践して効果として確認したのは、右目軸の焦点は『強気(ポジティブ)・恐れを軽減する?』になる感じです(なぜかはわからないけどw)今後も色々試してレポートしていこうと思います

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