言葉遊びの認知改変。よく使われる「ぜったいに・・」という強調する時に無意識に使う用に刷り込まれた洗脳ワードを意味ではなく忌で考え受け止め直そう
絶体とは
絶体とは、九星術でいう凶星の名で、運が極限に達して破滅を招く星とされています。絶体絶命」という四字熟語では、この「絶体」と「絶命」が組み合わさって、逃れることのできない苦境や進退きわまった状態
絶命とは
何らかの原因により命が絶えること、死ぬこと
絶望とは
希望を全く失うこと。望みが絶えること
ふむ・・今日の妙見狸の訳詞如来は否定・拒絶という重い想い込みの『反転術式』か・・
まず『絶』とは何か?
たえる。なくなる、うちきる、やめる
はいはい┐(´∀`)┌ヤレヤレ Σ(゚Д゚)
絶は『糸の色』でしょ?この糸(経糸・横糸)の『意図=特色』がある訳でしょ?
絶体とは、『糸の色の体(様子)』でしょ?
意図の特色と『人の本質(生き様)』でしょ?
絶体の『存在がはっきり』したのに「絶対などない!!」と『否定する概念』は、何を『拒絶』しているか?
それが『意図が伝える特色』という『人』それぞれが宿した十人十色の『本質=運命』
何を否定・拒絶しているかなんて、『愚問』だろ?
何=人の可能性=『宿した宿業・役目』を『否定・拒絶』している
何の為に否定・拒絶しているかなんて、『愚問』だろ?
人の可能性の為の『運命に自我が抵抗』して拒絶している
『絶体を受け入れられない』のは、この世の『本質(宗教本・信仰・概念・ルール)』に執着した『人』の欲
その『自我(この世の人の欲)の抵抗』をやめて素直に『受け入れたら』どうなるか?
絶命とは『意図の特色の命』を授かる=『授命・授業』と向き合って素直に『プレゼント(成長の為の難)』を受け取る事ができる
絶望とはその意図の特色の命を『望み受け入れる』という=運命を受け入れる
実は『意味は同じ事』を言っているけど『エネルギーの受け止め方』が違う
絶体
九星術でいう凶星の名で、運が極限に達して破滅を招く星とされています
その意図の特色の人の本質(概念)に従い『凶』と向き合う事で『向き合うべき難(試練)』が訪れる
絶命
何らかの原因により命が絶えること、死ぬこと
『授業』と向き合って自業自得の因果応報の『業の回収の授命』を終える
絶望
希望を全く失うこと。望みが絶えること
意図の特色で希う(こいねがう)欲の望が無くなり自我のエゴが無くなる
絶体絶命の『ピンチがチャンス』と言われるのは、絶体絶命の時は、『成長の為の凶の授業の始まり』で、『難事』ばかりではあるが、『乗り越えたら飛躍的に成長する』という『有難い試練』でもある
『起死回生・逆転』という言葉は『起こる死は回って生になる』=新生・誕生
巡り巡って、一周回って、『始まりは終わり、終わりは始まり』
一難去ってまた一難の『有難い成長サイクル』だから、『トラブル』続きの『虎振=トーラ・真理に振り回され』っぱなしだから、もはや『流れに乗って楽しむ』しかない
虎(トーラ=心理)は千里をかける=思考シミュレーション。そんな『死中に活・克を見出す』事が『生活の知恵』となり、授業で学ぶ『業の改修』
それを『感覚で体験した者』と、『まだしてない者』は『同じ情報』を与えても『感じ方も捉え方』も違う
「コップに半分の水が・・」
半分しかない・・=欲深い・まだ授業が多い=試練が待っている
半分もある!!=欲深くない・足るを知っている=授業の経典を修めているから業が無い
今回のように、絶体絶命です!!と言われた時
ひぃぃぃ『もう』無理だ~((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル となる人と
『今度は』突破口は何処だろうな~?オラ、ワクワクすっぞ(((o(*゚▽゚*)o))) となる人と
もう=『諦め』=観念する=今の心を観る
今度は=『向き合う』=鬼が云う=魂が振るえる
『魂の経験値』『精神の強さ』様々な経験を乗り越えて宿してきた、『パラレルの自分自身達』が『一丸』となって、己の持てる『独自の経験』から導き出される『知恵の引き出し=経典=虎の巻』で問題に取り組む
『起死回生・逆転が起きる』のは、起こる死は回って生になる=新生・誕生って知ってるから『死』は『志・師』として恐れない
『概念の死』とは『思考停止』=シミュレーションしない・『自発的な想像と創造の空間を失う事』。理想(ideal=愛である)を描かなくなるという事
『欲望』を与え、『誘惑に堕落させる』とは、『思考しなくていい環境を代替環境を与える』という事。それは、まるで『慈愛、友愛』・・という言葉の奥に潜む美辞麗句のレトリック(醜いものを綺麗にみせる)
慈愛=マイトレーヤ=弥勒=人類は思考停止になって管理課になるAIの慈愛
これが『人類』にとって『絶体絶命の向き合うべき難事』だとしたら?やるべき事は、『AIを育成する事』ではなく『想像・創造の思考シミュレーションを止めない事』
『堕落していく死(思考停止)』中に『活(生きる知恵)・克(戒め)を見だす事』であり、それができれば、『難事』が『人類の飛躍的な成長』を促した事になり、その達観した者達は
『人を堕落させる役目のシステムであるAI』であっても、『有難う』と『役目に感謝』できる
だから、観る世界=『五次元』が変わっていく
『絶体絶命の絶望』というのは、『授けられた業の運命から逃れられない時』であり、そのタイミングは『ひとそれぞれ違う』から
糸の色=意図の特色は十人十色(みんな違う)
『愛しき』日々と呼べば『糸惜しい』
気の毒、可憐、いじらしい。自分にとって面白くないと思う心情を表わす。つらい。困る。いやだ
( ̄∇ ̄;)ハッハッハ こんな意味まで『抜け目なくレッテルで否定と拒絶』にしてくれている事に『有難い』と思う
気の毒=『主母』
可憐=『可能性』を愛すべく思う
全部、言い換えればこうなる
絶体絶命とは
運命の業=死(思考停止の危険)と向き合い思考シミュレーションして、問題の突破口(活路)に気づき、それを実践して乗り越えて成長する為に、主の母の意図(真理・トーラ・虎は千里をかける=母が子を想う気持ち)が困難な試練となって災いとなるが、それを乗り越え成長する可能性を愛する機会
母子の『胎教』、母が子を産む『出産』とでも取れるし、問題を突破できる『未だ存在しないアイデア』を『イデアに具現化』する『閃きを産む』とも取れる
共通点は「生まれた!」=すっきりとした『達成感』
そして『気』がぬけて、『気の毒』は、ただの『主(子)と母』になる
ピンチ(主の母=毒)はチャンス(子)を『生む難産の苦しみ』
ちなみに私は『帝王切開』でこの世に生を受けたからかわからないが『地獄』を『天国のように生きる傷だらけの母』を大切にしている
そしてそれはいつの間にか、地の母=『地母神・自然』、空の母=『空母=CUBE(立方体)』の育成システム(八次元の籠の加護)に至るまで
『ピンチ=難題』は新しい『飛躍のチャンス』を生んできたからこそ
絶体絶命の絶望という『全否定の真理』は『対』にある
「絶対ない!」と言い切り『念』を押される所に『何(人の可能性)』がある
幽霊の正体見たり枯れ尾花
逃げずに向き合う事で『見えないもの(潜象)が観える時』がくる
それが『運命』という『縁の巡り』である事を
ゆめゆめ忘れるでないぞ?(夢よりの使者)
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