好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

感覚的量子論11 意識の共存と多重人格と大器晩成

一晩でいくつもの人格体験をしてきて感じた事はどれに入っても自分は自分として振舞った事。それでわかった多重人格が問題になるケースとならないケースには器の大きさが関係していた意識の憑依と共存バランスのお話

夢の中の記憶なき人格

私はランドセルをしょった少年だった。鏡を見て帽子を被ってこれクラスのみんなに見せたらどんなリアクションするかな〜と、学校の事を思い受かべた時に、(あれ?昨日学校で誰かと話したか?そもそも友達の名前が1人も思い出せないぞ?!え、俺は友達が…)

と、思考している(俺は…)によって子供では無い人格がこれから学校生活にワクワクしている子供の中で『分離』している事に気づいた。そんな人格の私は子供の体をコントロールしている訳ではなく、ただそこにいて

かと言って現実の記憶を持つ訳ではなく出会う人や起きる事を傍観しながら(俺だったら…)と『主観で分離』を考えていた

失敗しても「子供だからしょうがないよね〜( *´艸`)」と暖かく見守っていたからいちいち手を貸すつもりもなく、嫌がらせしてこようとしているあの子らに対して『気づいてる私』が出て『対処する事は簡単』だけど、その『振る舞い』をみた周りの同年代の子供に

この『子(私の意識が入った)の印象』が『余裕のある頼れる大人=カリスマ』になってしまうが、本人はまだ『そんな精神状態』じゃない

なぜ私はこの『少年の中』にいるのだろうか(*´罒`*)まぁ頑張れよ少年!と意識は離れて、現在、現実に目覚めて帰還してみて思った事

魂年齢が幼年期だったら憑依現象

もしも私が、『魂年齢若年期』のように『支配欲』、損得感情、他人を利用する『利己的な意識』だったら、第二の子供人生ラッキー!(*´罒`*)となって少年の体を『乗っ取って動かそう』として、元々の意識を『追い出す』か『支配して黙らせる』だろう

その現象が『チック症候群』と呼ばれる自分の意識とは『別の人格』による『自傷行為や暴言』などの行動妨害

あれは、『表面的』に出てきてるのが『乗っ取った奴』で本来の人格が『お前!出ていけよー!』と子供のように語彙力なく肉体的に抵抗している

『幼年期の魂(物心つかない)』に『若年期の魂の意識』が入ってきて支配すれども、幼年期も『自我の芽生え』で『欲』が出てくれば、同じ『若年期の意識として抵抗・反発』もする

反発は『同じレベル』でしか起きない

これが『意識が混在するチック症候群』だとしたら『多重人格』とは何か?

魂年齢意識のバランスによる共存

魂年齢幼年期の『素直で従順な者』が魂年齢若年期の利己的な支配によって『傷つけられた』時、裏切られる=心が傷つく=『疑心暗鬼』になる『敵対心=反発』が生まれる

それはつまり『若年期の魂』の目覚め
殺るか?殺られるか?の『極論』

その時に(それでも人を信じたい!)という『素直な気持ちを失わない者』はどこかに『幼年期の魂=少年ハート』を抱え込む

「やられたらやり返す!倍返しだ!( º言º)」の触るもの皆傷つけるギザギザハートの戦闘民族のような若年期に対して、傷つけられて『嫌な思い』をしても、それでも素直な気持ちを信じたい!という『純粋』さが両立する

『心の器が大きい者』を護ろうとバランスをとるために『成人期の魂』が入り込む

盲信する幼年期の魂意識にも『理解』を示し、「やらなければ殺られる」という『生存』の為に立ち上がる若年期の魂意識にも『理解』を示し、その苦悩、苦しみを『身代わりになる意識』

魂年齢改訂版2023 成人期こそが『22を超えて』

全ては『心を素直に信じる気持ち』を持つ『宿主を護る』為に『役割の違う多重意識が共存』しているが

それは『ケースバイケース』で現れる

というのは、実は『みんなそう』なんだけど…『自分を見失ってしまった人』程、精神科医に『薬漬け』にされて『精神分裂病』にされてしまう

簡単に言えば『主の自分』を見失い「私は誰だ?」となった時に「私の中に別の誰かがいる?!Σ(゚д゚;)」と『分離と拒絶』をしてしまい、それを『客観的な行動』として『観測』して『記録』するから『人格』として『分離』して『認知』してしまう

そして精神科医に『病名』を『命名』される事で名は体を表すカタカムナ=『多重人格症候群』ですね となる

多重人格

実際『エニアグラム』で自己分析すればわかる事だが、明らかに『過去の自分(20歳)』と『現在の自分』で同じ質問に対しての『受け止め方や捉え方』はまるっきり違う

エニアグラムと369とメタのロゴの隠された意図

知識量の差というより『経験の差』

『自分の事』として『問題に取り組んで克服』したケースが多いから、そこに至るまでの背景の『解答』がまるで違う

明らかに私は『多重意識』だろう
しかし『人格が分裂していない』だけ

というか『人格は分裂しない』
これも一種の『レッテル』に過ぎない

それを診断している『精神科医の先生』と名乗る『輩』だって『TPO』で『態度を使い分ける』だろう

先輩という輩の戦敗から荒廃へ

家族と過ごす意識(仮にゆうじ)
友人と過ごす意識(仮にたかし)
仕事の意識(仮にひろし)
不倫・愛人と過ごす意識(仮にまさし)
上司に対する態度や言葉(仮にけんじ)
後輩に対する態度や言葉(仮にしんじ)

「私は…私は?」と自分を見失っている『無知蒙昧な人間』がどれが「本当の自分?」と『主の自分探し』を始めた時に、『客観的な記録』で『断片的なデータの欠片』を集めたら、これらは『全員別人格』と言えるだろう

しかし『元はひとつ』で分離はされていない

私はこんなケースを体験した

普段は大人しく人にも気を使える人。彼女もいて仕事もあってはたから見れば人畜無害。でも蓋を開けてみれば、彼女にはDV、意識を失って気がついたら手に包丁を持っていて

その意識が戻ったら急に怖くなって…でも怖いのは『罪の意識』よりも、『いつか大事な人を無意識に殺してしまう』のではないかと言う『自分への怖さ』だと語っていた事

これを「あなたは精神病ですね」と薬漬けにして『客観的に病』にして『精神病院送り』にする簡単なお仕事がされた事を聞いて

ふざんけんな( º言º)と思った

ちゃんと話を聞けば『そうなる原因』があった

そういう普段は優しく人を信じる『素直な幼年期の魂意識』が傷つけられ『誰も信じられない疑心暗鬼』になって消滅してしまう事に『抵抗する若年期の魂意識』が芽生えて『自己防衛』したが

それが『過剰防衛』である事に『心を痛める』両方の役割を痛い程理解する『成人期の魂』によって抑えられ、自主するかのように、周りの人を傷つけないように…本当は『一番周りから傷つけられていたのは自分』なのに

『誰かが傷つく』くらいなら『自ら犠牲になる』という魂意識がちゃんと混在していて…

「精神は何一つ分離していないじゃないか!」と私は話を聞いて思ったけど、それを精神科医は『多重人格、精神分裂病』という『結果論』だけで『精神病院送り』

医者はほんとに『恥』を知れ

特に『精神を騙り』ながら『薬に頼る医者』は、お前らが『病気じゃない者を病人』として『任命』して『患者』にしている

何も『患ってない』のに

精神科医の『セカンドオピニオン』では、『診断結果』も『処方される薬』も違うケースが多いらしい

それはつまり『デタラメの洗脳したもの勝ち』だと言う事

精神科医の『成り立ち』と『組織』について調べれば『面白い情報』が山ほど出てくるぞ?病人ではない者を『病人に仕立て上げるマニュアル』とかね?

とまぁこんな感じで、話が私の知ってる限り、精神科医の食い物にされて『精神分裂病』やら『多重人格障害』と認定された友人は

今は「あの薬のせいだな!( º言º)」と『薬断』して『社会復帰』と『人格形成』がしっかりと『安定』している事を確認した

そんな『人格』として強く前には出ていないけど『多重意識のひとつ』として、私は『私では無い私(可能性)』の中にいる夢を見てきた結果わかった事

大器晩成とは心の器の成り立ち

大器晩成(たいきばんせい)とは、大物になる人物は、発達が遅くとも時間をかけて成功するという意味。 大きな器は早く作り上げることができないのと同じで、大物は世に出るまでに時間がかかるという意味が込められた四字熟語

幼年期の意識は幼く、傷つけられる事で、その傷を守るように若年期の魂が抵抗意識として生まれる。でもその抵抗意識が強すぎると幼年期の素直な意識の行動も抑制する

これらは全て『心の中に生まれる』が、傷ついた心は元には戻らない、ヒビが入り傷だらけになり、欠けたものは戻らない

「どうしてこうなった…(´・ω・`)」と反省する

そして『心を入れ替えた』時、『素直な意識』を護る為に現れた若年期の意識からの『支配からも護る成人期の意識』が身代わりになって苦しむ

「でも、そもそも…俺らって…ひとつじゃね?ʅ(´⊙ω⊙`)ʃなんで傷つけあってんの?」と『霊性』になるとまた『心』が入れ替わって行く

そして『老年期の意識』になると「みんなお疲れ様!そんな『他者として分離』もやめようぜ?俺らみんな『ひとつの意識』で『同じ方向』向くんだよ(*´罒`*)」と

まるで『船長』が『一芸に秀でたクルー達の喧嘩』をたしなめて

「うるせーこーい!!ʅ(´⊙ω⊙`)ʃルフィΣ(゚д゚;)Σ(゚д゚;)」と『大きな船』に乗せるように、それぞれ『意地張ってきた役割』から『解放』する

そうやって『心の器』は『クルーが増える』度に『指揮する船長』が変わる度に『小さな小舟』から『大きなガレー船』へと変わっていく

クルー

『意識』が変われば『心』は変わる
それを繰り返して『大器晩成』

という意味で言えば…昨日『私の意識が入った少年』は、私の意識(老年期)が入っても『余裕』だったみたいだから、既に最初から『大器=大きな船』を持っている『心の器がでっけえ奴』だったって事だろう

つまり、もしそんな『心を傷つけようとする瞬間』が訪れても少年は『ちょっとやそっとじゃ傷ひとつつかないガレー船』だったから「私はここに必要ないな(*´罒`*)」って感じ

そうなるとまた2つわかってくる事がある

同じ魂年齢の器に同じ魂年齢が入る

私が夢で『誰かに入って体験』した『記憶を置いて来る』ように、目覚めた私にはそっと『言伝』のように『寝起き閃きメッセージ』が残されている

先にも行ったように『心の器』と『魂年齢は比例する』としたら、幼年期の心の器(小舟)に『老年期の魂意識は入る空間』はないし、若年期でも同じ事、多分『大きすぎて』気づきもしない(親の心子知らず)

成人期はその『大きさに驚愕』して気づくけど理解できずに『受け止めきれない』、あるいは自由すぎて『一線を超えないように拒絶』するだろう(常識の範囲外)

だから『老年期の意識』が収まる『心の器』がなければ『老年期の魂意識』は入って来れない

じゃ『老年期の器』を見つけたからと言って「俺が俺が!!そこをどけ!俺が乗る!!」(`Д´)ノ)罒`)

…という事にはならないʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

なぜなら、老年期は『独占欲』も『支配欲』もないので『競争する気がない』から、「どうぞお先に(*^^*)」と『譲り合いの精神』で順番になる

あるいは「あなたの生き様を見て勉強させて貰うよ(*´罒`*)」と『老年期の器のシェア』をするだろう

私が『そう想ってそう感じてる』という事は、きっと私は私の『意識と肉体の操作権』を『一時的にシェア』して

もしも魂年齢老年期以上の魂が『今の私(記憶付き)』を動かしたら『どんな情報を引き出し』て、『点と点を線にする』のだろうか?

それをみんなで代わり代わりにやっているモニタリング
(*´罒`*)( *´艸`)(´-ω-)ほほうやりますね〜と

ある意味、クルーの誰もが『船長として振る舞える指揮官クラス』のガレー船、でっけえ心の器の船に乗り込んだ一人一人が『自由意志を持った老年期の魂意識』

それらが集まって『大器晩成』

…となると、そのうち「この船は任した!」と振り返らずに『別の船(次元)のクルー』として『船長の経験を活かす時』が来るだろう

『船長や艦長』に急に意識が向くのもまたそういう導きの心構えだったのかなと

艦長

艦隊を指揮する意識の導きの流れ

袖触れ合うも多生の縁と一期一会の幾何学的本質

それが、魂の年齢超越期
『人間として生まれない』

それを『種』とするなら星をまたぐスターシード?と呼ばれる概念なのかも シランケド、でもそうなると「人間として生まれてスターシードです!」と『人格』に出てくるやつは…

『意識の次元』が低いなʅ(´⊙ω⊙`)ʃ偽物=人の為 Σ(゚д゚;)確かに

だってそれが『カリスマ』という『災い』の『間違い』になると気づいてない

カリスマは突如『カリスマ性』が『消える』時がある、それは何故でしょう?

それは『間』違った意識の『仮(借り)の住まい=カリスマ』だったから『魔』がさしちゃったんだよね。で、カリスマがカリスマ性の意識(その一時)を失ってなお、余韻の『自己顕示欲』が残ると『過去の栄光』にしがみついて『悲惨な末路』

だから『飛ぶ鳥(意識)は後を濁しちゃいかん』のよね

それがわかってねぇ奴は『夢の中で好き勝手』しやがる…『夢』と『現実』の『区別』もつかずにね、まぁ、過去の私がそれなんで(笑)はっきり言える訳ですがʅ(´⊙ω⊙`)ʃΣ(゚д゚;)

第七感で繋がる並行次元を楽しむために知っておく事

いっぺん『死ねば』色々わかりますよ
自分が天災を転載する天才の莫迦で馬鹿だったと

天才とは天災の転載

…と言っても人は『毎日死んでる』んで、そういう意味では『半生』を振り返って『反省』ってのは『前の日の行動や言動』の『因果を回収する繰り返し』なだけ。その『意味』や『捉え方』も『死生観』が変わらないと『理解出来ない』と思いますが

逆に言えば『わかりやすい指標』です

常識や概念を『鵜呑み』にするのを止める
常識に抗うのではなく『手放す』事

そして、自分が『納得』する事
無いなら『生み出す』事

例えそれが常識や概念の中に『存在しない事』でも他者を気にする事なく、自分自身が自分自信として『確立する意志』が生まれ、それを『実行』する事に『ワクワクする事』

あらゆる『体験』を『新鮮』に受け止めて感じられるようになる事

それができてれば、魂年齢は老年期確定

宿命、宿した命が求める『目的』
それを『探して旅する』だけ

今までと違うのは『闇雲に他人と比較』しながら、『既に出来上がった社会』の中での『自分探し』ではなく、現実や社会常識や概念、世間体に囚われない『心の内が指し示す導き』に従って『迷わず進む』だけ

その先に何が待っていようと乗り越えよう!と『トラブルを楽しむ意識』٩(ˊωˋ*)و

それが『老年期の意識』であり、それが『収まる心』

『意識の共存』と『多重人格』と『大器晩成』

全ての体験や経験は『過程』(みんなを探す)
そして最後にたどり着くのは『家庭』(みんないる)

多重人格?別にいいじゃねーか!十人十色みんな違うからみんなでひとつ

大事な事は調和と共存バランス

そのためにはみんなが安心できる全部まるっと収まる『でっけえ家庭』がありゃいい

それを『創る為の過程』は『でっけえ旅』だろう

って考えると、私が『夢で見てきたでっけえ家』
あれが私が思い描く『大器晩成の心』って奴なのかもしれない

心の家

感覚的量子論4 意識と想念は違うよ?と言われた夢

カタカムナ48首 仲間の目覚め

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