急がば回れということわざの語源になぜ、湖がでてくるのか?『転ばぬ先の杖』と繋がる事で理解する『野生の脅威を観音した経験』で気づいたお話
野生の夜の怖さで学ぶ 野宿(キャンプ)
前回、キャンプで色々学んだ事の続き(熊とのニアミス)
現代は『野宿』といっても、いろんな『文明の利器(先人の智慧)』がある
しかし昔の人は、それら『道具が無い』・・なら無いでどう考えて凌いだ?
『知恵』とは『生きる為に活かす事』だと原典を知る
私は最初、火種の『炭』を忘れ、キャンプファイヤー用の『薪』を…細かく割りながら継ぎ足し継ぎ足し、最初の火種を維持しようとした、薪が無くなると火種が消えてしまうから、常に薪を砕き続けては放る作業をしながら考えていた
今でこそキャンプによる野宿とは・・
雨風をしのげる『テント』があり
荷物を大量に運べる『車』があり
火を使わずとも闇夜を照らす『ライト』がある
そう考えると…かつて『道』も整備されておらず、『野犬や野獣』が出て、途中に『宿』もない時代、山越えに数日かかるような距離を旅人は移動した事になる
一体『どんな装備』を『どのように効率的に持ち歩いた』のだろうか?(´-`).。oO先祖達が『生き延びた』からこそ『今の私達』がある
まず考えられるのは、移動経路に『水源』や『自然食』が『自生』している所や野宿に適しそうな『風雨が凌げる安全ルート』
おそらく道の選択は『直進最短ルート』など色々とあっただろうけど『安全に行く』なら・・
急がば回れ
「急がば回れ」の語源は、琵琶湖の交通手段に関するもので、当時、琵琶湖を渡るには、近くて早い船便と、遠回りだが安全な陸路の2つの選択肢がありました。結果的に、陸路の方が安全に目的地に着くため、このことわざが生まれたとされています
語源は、『船便』という『文明ありきの近道の話』だけど、たぶんこれは違う
『その文明』に至る前から、人々は野を越え、山越え、谷越えて『旅』してきたのだからこそ
『湖、湖畔』という自然環境こそが『語源のルーツ・ルート』として重要だったと感じる
今回、『湖畔のキャンプ』をしてみてその『理由』がわかった
鳥、蛙、イノシシ、小さな獣の声がする=『食料にありつける・非常食の備蓄』ができる
湖=『水も汲める』から持ち歩く必要なく『荷物』が少なくていい
つまり、『危険を冒す』とは、『何と遭遇』するか?食料の確保や遭難、水が尽きる(沢に迷い込む)など『獣山道を一直線に進む』という意味であり
それよりだったら、多少『遠回り』になるけれど、『見晴らし』もよく『脅威の発見』も容易であり、『水や食料に困らない湖周り』を進んだほうが『旅は安全』である
これが『急がば回れ(湖)』の語源だと感じた
自然の『野生環境を観世音』した夜、『生き物がこれだけ大量にいる』という事を実感した時
必要なのは『野兎などを捕まえる罠』、『虫を餌にする釣り』、『鳥を射る弓』など『食料確保の知恵』
火を起こす、起こしやすい『木々などの知識』
雨風がしのげそうな『ポイントの見極め』と『寒さ対策の暖』や『野獣からの護身の火』を取る方法
基本的に湖畔周りのルートのほうが『現地調達ができる環境』だったとも考えられる
とても『合理的かつ生存率が高い』と言える
・・それなのに、船便だと!?┐(´д`)┌ヤレヤレ語源がぜんぜん納得できない
それと似たような話で『転ばぬ時の杖』というのもある
「転ばぬ先の杖」とは、失敗しないように事前に十分な準備や対策をしておくことのたとえです。転んでから杖を準備しても意味がないように、何か問題が起こる前に備えておくことの大切さを示しています
転んでから杖を準備しても意味がない・・て、ぜんぜん違う┐(´д`)┌ヤレヤレ
昔、『虎杖=漢方の生薬』があり、それは大概の傷や病を治してしまうから、『旅の必需品として重宝』したのが語源
すり潰して患部に付け、痛みが取れる事から「痛み取り」→「イタドリ」として転じたとされています。 また漢字で「虎杖」と書くのは、茎のまだら模様が「虎」のソレに似ているのに加え、軽くて丈夫なイタドリの茎が「杖」に使われたことからきているようです
痛みを取るから「痛取《いたどり》」。 平安時代から切り傷や火傷に若葉を揉んで塗っていたことが知られており、止血と鎮痛効果があるとされてきました。 利尿、便秘、膀胱炎、月経不順、神経痛、リウマチ、疲労回復などにも効用があるうえに、害は少なく老人や婦人も安心して使える薬草だとされています
まさに『杖』としても『旅のお供』に役立ちつつ、なんかあったら止血や鎮痛、疲労回復にも使えたという必需品
そしてこれが語源が『湖』と繋がる極めつけな理由
虎杖は湖畔にもよく生えています。イタドリは水辺や湿地など、水分の多い場所を好んで生育するため、湖畔や川岸などにもよく見られます。
ね?『遠回り』してでも『湖畔を行く』というのは、なんかあっても『自然の恩恵が旅人を助けてくれる』という『先人のサバイバルの智慧』という事
それが日本に伝わる漢方由来の『ことわざ』という『有難い智慧(経験)の言霊』である
漢方=薬師=久須志の心意気、それは『旅人=修験者』じゃないとわからない
廃仏毀釈に『修験道廃止』・・として『自然の漢方の正しい智慧』も『意味の成り立ち』すら失われた(世も末)
『平安時代』から切り傷や火傷に若葉を揉んで塗っていたことが知られており・・との事なので
私が空海の霊場巡りの旅で『封印から説いた平安の修験者』が・・教えてくれたのかも?
先祖を宿す・・『先の祖を人と共に養う』とは『直近の血筋』に限らない
旅はさすらい(流れ離れ)『未知(未だ知らない先人の智慧・生き様)』との遭遇
『因果』の遠回りをする過程に『心』を巡らせれば『恩の恵み』があると気づく
先祖にとっても『居心地がいいイヤシロチ(波動)』になれば、おのずとついて『力』を与えてくれる
「靈を恐れるな、靈を宿せ、魂はクラン(共同体)だ!」・・と云う鬼の閃きでした
意味は正しく『忌=己の心として禁(とどめる)=禁忌』にしないと『何の役』にも立ちません
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