好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

土足厳禁と足を洗って出直せとあしらわれて足切りと足抜けな足るを知るお話

足にまつわる閃きワード『土足厳禁』・・から繋がる「足を洗って出直せ」とあしらわれて足抜けしたり、足切りされたり・・その語源はどこから?と好奇心が導いたのは・・どうかしてるぜ?と思う同化政策による先住民の迫害だったと気づいて足るを知ったお話

土足厳禁?

…と言うが、元々人は『裸足』だった
裸足では無くなったのは『草鞋』ができてから
靴は『革化』と言うからもっと文明が進んだ表現

『土足』というのも実は変で
『土が着いた足』ならば『足を洗って』出直せばいい

外から中と言う意味では『外足』
おそらくこの文化表現は住居、床、畳など『汚れ』を嫌う
『綺麗に見せたい』と言う『見栄』から始まる

周りが『土気色が当たり前』なのに
『逆の文化を定着させる』には
一体どれほどの『労力』だっただろうか?

…と考えると土足厳禁の『意味』が変わってくる

と言うのも 『土人』と言う言葉がある
これはレッテルワードである

現代においては、差別的・侮蔑的な意味合いが非常に強いため、公共の場や報道などでは使用が避けられています。

その土地に生まれ住む人、土着の人
もともとは、特定の土地に古くから住んでいる人、現地の人という意味でした。律令制度の下で「本貫地に居住している人」を指す言葉

歴史的経緯: 明治時代、政府は北海道や樺太の先住民族であるアイヌ民族を公式に「旧土人」と呼称し、差別的な同化政策を進めました

現代では「原始的生活をする、土着の人種[5]」、「土人形・土偶」、「未開地域の原始的な生活をしている住民を侮蔑していった語

はい、その地に古くから住んでる『先住民』
未開地域の原始的生活と言う地域を『同化政策』などで『侵略して土地を奪う』為に

『土人お断り』と言う『敷居を跨ぐ事を禁止』にした
と考えれば『土足厳禁→足を洗って出直せ』とは

『外来文化=靴を受け入れろ』と言う
『同化政策を進める言葉』でもあった訳です

地に足つけた裸足でいいと言う人達には
まさに2つの意味で『靴辱(屈辱)』だった訳で(笑)

そしてそれに屈した者が『足抜け』し
抵抗した者が『足切り』にあった訳ですね

足抜けとは

よくない仕事や悪い仲間から離れること。足を洗うこと。

足切りとは

一定の水準に達しないものを切り捨てること

つまり土足厳禁と言う『先住民お断り』
敷居を跨ぐなら『同化政策に応じろ』と言う

『足を洗って足抜け』と『足切り』を
『靴辱の屈辱(レッテル)』で行った

…と気づくきっかけが

あ、仕切り!(´・ω・`)Σ(゚д゚;)そこから?!

空間を分ける仕切り=『境界線』
『外』と『内』

『鬼』は外?『福』は内?
足切りで土足厳禁とレッテル張られた
『先住民(蝦夷・アイヌ・縄文)=鬼』は外か

さすがは『神仏分離の明治政府』は
『明示的』に『外来同化政策の犬』だな(笑)

未開地域の先住民=『存在を貶めて土人』か

今やその意味の常識すら書き換えて
そういう事を行った『過去事歴史を抹消』

それが『軟化(何か)侵しい政策』で
『同化(どうか)』してるぜ?政策

でも『気づく前』に『教育洗脳』してしまえば
「え?何言ってんの?」と与えられた情報に思考停止の鵜呑みの馬鹿になる

夢中の莫迦を罵り倒す鹿ない馬鹿と思考停止のバカ

さて、私が直感で感じた事の答え合わせ

周りが土気色が当たり前なのに
逆の文化を定着させるには
一体どれほどの労力だっただろうか?

これは元々、そこは『先住民』がいた
『地に足』着いた『自然と生きる土気色』
『襤褸は着てても心は錦』の環境だった

『縄文・アイヌ・蝦夷・アラハバキ』
『丑寅の方角の鬼』と呼ばれた『朝廷に抵抗する独自勢力』

そこを侵略しようと『西から南から』攻め立ててきたのは『歴史の常』であり
『支配地域』から見れば『落ちない東と北』は『未開地域の鬼門扱い=レッテル』

自然と共に生きる先住民にとって
『環境を破壊される事』こそが『抵抗』する理由

その環境を『敷居が高い、位が高い、間仕切り=境界で覆う』
マジ『切り(限度)が無い支配の欲望』

逆らう者がいない『全国制覇』と言う
『朕』とか言う『珍妙なわらわ(童)』が『厨二病全開の野望』で
「周りに従え!」とどうかしてる『同化政策を命じた迷惑行為』によって…

『争わなくていい境界戦争』は起きる
間仕切りはマジ切りが無い『空間を仕切る』試み

例えば土地の扱いも
『坪』と言うが『つぼけ』と言う言葉は
『外来の民族』につけられた言葉でもある

アソベ族から見て「ツボケ!」と言う言葉

意味は
「あいつらの真似するな!」

これは『東北の古い方言』で祖父の代でも
『本気で子供に怒った時』にしか使わなかったらしい

さて、そんな『つぼけ』を紐解くと概念から消えるように『隠された歴史』は面白く『二つの種族の違い』を伝えてくる

壺家
骨董品、美品などを渡航で交易する

坪家
土地を不動産として仕切り管理する

どちらも『未開の民族』には『新しい文化』だが、これは『良い側面』もある

縄文文化は『土器』と言う道具を使う
生活に活かせる『機能性』に『見た目の装飾』を施す

色合いにこだわるなど『表現の遊び』が生まれる為、『親和性』が生まれる→『こだわりの衝突』も生まれる

集団生活の中に『空間的な仕切り』が生まれる事で『個性』と言う『それぞれの違い』が生まれるが、そのベースに『元々集団生活の心』があれば

『皆違って皆良い』と言う『十人十色』が生まれる
これは『良き同化=和合』のケース

さて、『悪い同化』の場合どうなるか?

壺家
『霊感商法』など『不安』を煽って壺を買わせる(金目的)

坪家
ルールを明示して『従う者には足抜け』を許し、『従わない者は足切り』して土地を奪い

『土足厳禁』として『足を洗って出直せ』と追い払う

私はこれは『唐文化の伝来の違い』だと思ってる
先に来た民族は『親和性(神仏)』が高かった

後から『南の下』から伝わってきた文化は、『南下おかしい神仏分離』で土地を奪い『建物を破壊する廃仏毀釈の文化(書き換え)』だった

つまり、土足厳禁と言う表現は
『土で家の中が汚れるから』というのは

『不動産(建物)を個人が所有』する『個人宅が常識』になった後の『作法と気持ち』の話になってるけど

言葉に隠された歴史は
ただそこに住んでいた『先住民の土地』を
『軟化』おかしい『同化』してるぜ?政策で『侵略』する為に

『未開・先住民である事』を『恥』とする言葉のレッテルで貶め、『外来文化に染まる者を足抜け』として受け入れ、抵抗してそのままの先住民を『足切りして土人』として『忌み嫌われる存在=鬼』に変えた

こう捉えると、『対立(持ち込まれた争いの概念)が生まれる仕組み』がよくわかる

…昨日は『心亡き』から
心憂う→ 『懮(封印された一級漢字)』を見つけた

心亡き 忘却と忙殺の果てに『懮』にたどり着く

今日は『亡き心』にされた
『忘れられた人達=鬼(縄文・蝦夷・アイヌ)=先住民』が受けた『言葉の罵り』に気づいた…

『古代日本』とはどんな存在だったのか
それは書物に書かれた『都合のいい歴史』ではなく

『歪な隠蔽』の為に『意味』を書き換えた
『レッテルワード・罵倒する言葉の逆』を見る

『都合のいい勧善懲悪』の歴史の中で
『忌み嫌われた者達』とはなんだったのか?

私は『陰謀や都市伝説』を追ってる訳ではない
『嫌う』言葉、『嫌われる』言葉、『傷つく』言葉
その『裏(温羅)』には何があったのか?

その言葉を『心を込めて使う言霊』となる時
それを使う事が先祖代々『どんな因果に加担する事』になるのか?

それを慎重に『見極めて』いる
『現代日本人』が『古代日本人=先祖』を貶めていないか?という問い

言葉は人の心を『癒し』もするが『傷つけ』もする
『自他の心』に『刃』を突き立てる『諸刃の剣』であるからこそ

『忍ばせる必要』がある

刃は『刀』を『閉めて』いる
気は『氣』を『閉めて』いる

カタカムナで読み取って見よう

やいばの言霊は
飽和して伝わり反対に引き合う・引き合わない
これは『牽制・鍔迫り合い=・抑止・止める』でもある

かたなの言霊は
力が分かれた核

道具と人に『分離』しているからこそ
『道具は人の使い様』(活かすも殺すも)
『魂が宿る』なら『人に使い方を導く』だろう(聖剣・妖刀)

だから『牽制して止める』エネルギー
=『刃を支える心』の『忍』とは『耐える事』ではない

自他の心が『傷つく事を理解』して
それを『止める牽制の力』を持っている

『忍=忍者』がいたかどうかはわからないが
もしいたとしたら『パワーバランスをコントロール』出来る

『集団が集団で争う』のに対して
忍者は『当主(争いの原因)を狙い撃ち』にする

密談の『密書』を奪えば『証拠』を掴んで
『世論が動きを止める牽制』にもなるように

…あれ?いつの間にか『刃の心=忍』の話になってるって事は、『刀を奪われた侍・忍者』も

『鬼=忌み嫌われた隠者』か(笑)

薮をつつけば『蛇』が出るか?『鬼』が出るか?
私の薮には『鬼』しか出ない

渡る世間(古代日本)は『鬼(忌み嫌われた者)』ばかり(笑)

だけど『腑』に落ちる
『府に堕ちる』よりはマシ(笑)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top