久しぶりに人間に興味を持った・・生き様に失われた鬼仏釈迦を感じた、見た目は色物、中身は本物という杉本ラララ 心優しき死神に好奇心が生まれ、意欲を持って探求したお話
名前を意識した杉本ラララ?
きっかけはショート動画のMCだった
最初はトークはデーモン閣下かな?見た目は忌野清志郎かな?と
この時代、色んな色物がでてくるから珍しいとは思わなかった
ただ、MCとして緩急のある威圧と低姿勢という
どこか『優しさ』があるのと、『笑う観客の暖かな声』に心地よさを感じた
スタンダップコメディかな?
だから歌を聞く事はなかった
しかし、歌声を聞いて一変した
は?・・なんだこの人!?
そこから私の好奇心は「この人物を調べろ!」と特殊なセンサーが反応し
この『変な死神が生まれるルーツを辿る事』に意欲を燃やし
初めてショートではなくMVを見にチャンネルを開いた
度肝を抜かれた・・理由はいくつもあった
なんて魂に響く声、だけじゃなくテクニックもある!
なんで・・昔は死神の真逆の好青年の姿なんだ?
なんで、これで売れないんだ!?(20年以上も前から・・)
私は過去の偉人(主に哲学者)に興味を持つ事はあっても
現代の人に『人間的に興味を持つ』というのはなかなかない
なんで・・何故?・・が始まると『納悳するまで治まらない』ので
今日という一日は『この人の事を調べる事』に費やした
過去にテレビで取り上げられたという時期の動画が上がっていた
四畳半に住み『音楽一つで生計を立てる』という純朴な人柄
そして、かつては『サムシングエルス』の系譜として
おつかれーずというバンドをしていた事を知った
私はサムシングエルスの『Give me a chance』が好きだった
その正当系譜として生まれた活動者という背景を知った事でより興味が湧いた
当時の映像と活動スタイルと曲調はまるで『星の王子様』
ポップカルチャー時代に合わないスタイルだけど『独自路線の世界観』
まるで『アミ 小さな宇宙人』の主人公を自で行くような
『小さな共感者の空間』を生み出すような世界観のベースには
本人は『さだまさしが好き』という言葉があった
クリーンで空や自然を感じさせる曲を次々と生み出しているMVが多かった
しかし、それがなぜ・・今のような『笑いを取る死神に!?』という
その過程には紆余曲折というか『右往左往』という言葉が歌詞に可視化された
『死神ナイトフィーバー』という闇を吐き出すような歌で『陰』を感じた
あるショート動画のMCの中で父親の事を語っていた
『ステージ4の癌だった父』が治療がうまくいって治って元気になったという報告
それを聞いた時、ステージ4の癌から治る事ができなかった母を思い出した
闘病する『身内を抱えた家族の気持ち』は共感できる
特に周りの事を気に掛ける『心優しき者が抱える苦悩』
なんとかしてやりたい・・でも『無力を痛感するやるせなさ』
私もこのブログに闘病する母の記録を綴ったように
この世の『無常』の中で、『できる事』を探した
でもそれがそのうち、母が生き様で『医療の闇の輪郭』を伝えてくれる事で
これを『人生の一部として消化』ではなく『昇華させる継承と警鐘』になると
前向きになったきっかけは、夢に現れた母の父、祖父の激励だった
「やるべき事をやれ」
戦場の前線には出ないものの、通信兵として裏方として戦争に参加した祖父
どんな気持ちだったか・・現実では『仏のように孫に優しかった祖父』の
『鬼軍曹の覚悟』で共同作戦で、態度で示された夢だった
作戦が終わるまで何もわからなかったが
転じて、それはやるべき事をやってる時は『夢中』で
『終わるまでわからない事』でもある
人生ってそんなもんさ・・という諦めではなく
人生ってそんなもんさwwという結果論
それが痛みや苦しみが『優しさ』に変わる瞬間
『難が有るから有難い』と『人生体験を素直に受け入れられる』ようになる
この杉本ラララさんについて周りの人は
この人は定期的に『モデルチェンジ』をしていると語っている
その都度、『変化を受け入れて変わってきた』という過程の中に
『死神と向き合った時期』があったのだろう
私も内面の心に潜んでいた『ルシファー』と向き合った時期があったから、忌み嫌われる者とは何か?を
『深淵を覗く者は深淵に覗き返されている』という自分が試されていると感じた
この人は、一貫して武道館ライブを目指しているという意志と
ファンや周囲の仲間の人達の『心が支えている環境』が見えた
ライブの会場の映像が『釈迦の説法を聞きに来る弟子達』のような
中身は『星の王子様』のまま、見た目は『死神(キャラ)』
そして、最近のショートでも出している
「泣く子はいねがぁ!食ってやる・・お前の悲しみをな!」というなまはげフレーズ
これも私にはタイムリーで、『鬼の意志』は『優しさによる子育て』
そして『豆粒に負けて退散』するような『子供を見守る親』のような
『罵倒』する役目の『馬頭観音=馬苦処理』する必要悪
でも中身は『損な役回り』は『誰も傷ついてほしくないから』という優しさ
『人の心を癒す歌』を街角の片隅の路上で歌っても
それが心に響くのは忙しさに忙殺され疲れた人達
だけど、誰もがそういう『癒し』を求めているならばこそ、心有る『懮』として
息抜きの娯楽の対象として『陽動して人を集める役目』もまた馬鹿にされる鬼の役目
色物・歌舞伎者・おかしい奴・チンドン屋
転じて『パフォーマーとして生きる覚悟』を持ったならとことん振り切る
でもそれは、『道に迷った』からではなく根底の土台の『三和土』ができたから
後は『仮面』を付け替えて『興味を引く』だけ=モデルチェンジ(自分設定)
『気持ち』は変わらず、中身は当時の『純朴な青年』のまま
見た目は『滑稽な死神キャラのMC』で人の興味を引き
歌に耳を傾かせたなら、その『ポテンシャルで魅了して圧倒』する
まさに『鬼の仮面』をつけた『仏』の生き様という道化
ただキャラがおもしろいとか、実力があって歌がうまいとか
そういう『表面的な見える物』ではなく、『見えない何か』が気になったか?
私が心優しき死神の『影の虜』になった理由は『そこ』だろう
死神という位置も『立場の角度』を変えたら『見え方』は変わる
魂はなぜ『彷徨う』という『表現』があるのか?
どうして死神を『お迎え』という『丁寧』な表現をするのか?
『道に迷わない為の案内』でもある
『鬼』が都合が悪いから『忌み嫌われたレッテル』だったように
『死神』もまた『生に執着する者』にとっては「鬼は外!」と同じ事(笑)
転じて、これも大局的にみればおもしろいもので
『根っこに光』がある者は『闇落ちしない』から
『闇の深いメデイア業界』などが『ほっとけ(仏)』と嫌う『本物』だったという事
釈迦=問題に巡り合い解決する
鬼は守護者、鬼門の門番
この人の歌は、「大丈夫!=釈迦」と安心を与える歌詞が多い
それは自分自身の抱えた『不安』を打ち消すように『内面(心)から出た励ましの言葉』であり
それが支える周りのファンに伝わって釈迦の説法のように『笑いと安心=和』が起きる
それが『LIVE(生きる)空間』だとより強く伝わるのだろう
この人が釈迦の再来・・とかではなく
『自力で問題を解決する意志=鬼仏』としての巡り合わせの『波動の発信源』
釈迦を語るのではなく、釈迦を『歌って自己表現』する弥勒
その自己表現が今は『死神(仮面)』なのかもしれない
世に出る=業界に『ひっぱりあげられて売れる』ではなく
支えるファンによって業界と関係なく『世に出てくる人』なのだろう
最大限に『ツール=SNS』を活かせる環境が『本物の武器』になる
今の時代、『箱』を埋めるというのは『金とうわべの人気』でできる商売だが
この人の武道館が『満員』になる時は、本当に『歌と笑いの説法(低姿勢のMC)のファン』で埋め尽くされるだろう
失われた鬼・仏・釈迦の意志は『心優しき人から生まれ出る法則』なのだろうと感じた
さて、トーンを変えて表現しよう
昔のルックスといい、歌の実力といい
ミスチルやスピッツになり得たかもしれない逸材
しかもルーツにブラジル移住した親族の『ラテンの血』が有るらしい
絶対音感ではないと本人はラジオで語っているが
『本能的なリズム・沸かして巻き込む躍動感』というものがあるのかもしれない
私は直接LIVEに足を運ぶ事はないかもしれないけれど
『後に伝説』になるかもしれない人・・の人生の一部を知れて有意義な一日として満足だった
MVは全部見たから、新曲を楽しみに待つとしよう







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