忙しさの中で忙殺されて忘れられていると漢字一級の配当外には『心の教えが封印』されていると自然にたどり着いた、新年一発目の言霊の封印解放、『懮』に出会うまでの気づきのお話
亡と心の使い道
『忙』しいと『忘』れる
どちらも『心と亡』が使われている
『亡きを支える心』と
『心が亡き』では意味が変わる
『心が前』にあるのにそれが『亡き』と
『亡き事』を『支える心』では
心の『使い方』が違う
忘れるとは
時に『前進』であり『後退』
忘れ人
忘れ物
亡きは『人の心』か『物の心』か
『物に宿りし人の心』か
…という事すら忘れるのは
『忙しさ』によって『忙殺』される事
人は忙しさの中で
亡き人も亡き物も『忘れる』
それは『心が殺され亡き事』になっている
それは前進する為というが
『心亡き前進』は単に『忙しさに殺される』
という『構造の中』でただ忘れて行く
では忘れた『人や物』に『宿る心』とは?
心に素直になると『悳』と書く
…しかしその漢字は『常用外』として
心亡き社会によって封印されている
それは『忙しさを優先』した社会の正しさ
しかし人は心亡きが当たり前か?
否、『心』があって『人』である
心があるから『苦楽』を感じられる
その苦楽のサイクルを『極限まで効率化』したのが
忙しさ=『急』であり
その忙しさを忘れる事が『緩』であり
『社会の緩急』は人為的に与えられている
和があるのは『緩和』
『閑話休題』という言葉がある
余談を打ち切って
本筋にもどる意を表す語
それはさておき…
閑話休題とは
『ひま。のんき。何もしないでいる世間話で休む題』という
忙しさ=急の中に『緩和を挟む』ようなもので
『緩和急題』とでも言い換えれば
『余談』を断ち切って『急に忙しい本題』に戻す
…こっちの方が『意味と漢字』があっている
そしてそれは『忙しさを優先する流れ』を生む
言葉で『逃げ道を塞いでいる』が
『緩和休題』であれば
緩く和やかに休む題
忙しいの中にちょっとした
『余談の緩和を挟む』でもある
同じ音の響きなのに
『忙殺』という『忘却』の意味が逆転する
心と亡という漢字
忙と忘という漢字は
とても不思議な組み合わせ
という『緩和休題の感覚』で世間を見ていると『余談』をしている時程、周りが見えて面白い
世間の忙しさの流れを忘れ
『心亡き世間』という物事を『遮二無二』構える
あれこれ考えないで、その事だけを強引にする様子。がむしゃらに
遮二無二とは
『遮る二つ』と『無い二つ』と書く
それは強引やがむしゃらと説いているが
これを『×』と記号にする
斜めもまた『斜(しゃ)』と言う
世間は『+方向』と『-方向』だが
そのどちらでも無い『斜め』に見る
忙しさでも無く忘れるでも無く
『心有る方向』で見る
この時点で亡きには無い『心有る』目線
-(引く)は奪い合いの双方向
ここには『心は亡き』
+(足す)は『与える方向』がある
なら『+に×方向』が
足すとかけるで『助かる方向』と言える
道無き未知の領域
世間を斜に構えて説く
それを『がむしゃら』と言うなら
一つの目的のために後先考えず一心不乱に、夢中で行動する様子
そうここに『夢の中』がある
一心不乱=ひとつの心が乱れない
つまり、唯一無二の『心が有る領域』であり
唯一無二の心亡きに
『和足す心をかける事』ができる
それは世のため人の為ではない
心に素直に『悳する空間=夢中』としてある
和をさらに緩める緩和休題が
実は足す+×=『心が助かる』方向
心を『亡き物』としない
心有る方向=『唯心』である
和足す人・物・事に
心をかける=『心掛ける』
心を憂うと書いて=『懮』
ゆったりとしている様子や静かな様子、そして心配する・憂えるといった意味
…という漢字にたどり着いた時
これも『配当外漢字』になってるのか(笑)
漢字検定(漢検)の特定の級(主に1級)の出題範囲には含まれないが、常用漢字やJIS漢字などには存在する、非常に難解で特殊な漢字
とやっぱり『忙しさの中で忙殺』されて『忘れられている』と気づいたお話でした(笑)
やっぱり漢字の一級は
『心の教えが封印』されている
世の中を斜二無二にがむしゃらに夢中で
『忘と忙』の『心亡き人・物・事を観察』していたら
『心有る方向』の漢字=『懮』
これが『封印』されていると導かれた
またひとつ未知の先人の知恵に触れた
事で心が満たされた
…今年も新年一発目の神社参拝で八大龍神に
(おもしろい閃きが起きる未知の漢字とかあったら教えてください)(一人一)と
念じた事が既に適った(笑)
今年も先人達の魂の導きが始まったな











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