好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

夢の中で子供に説法していた神の覚え方

神の存在を子供にどう伝えるか?信仰ではない自然に神を納得して力にする方法(大人は手遅れかも)

夢のあらすじ

心根

誰もが知ってる有名人が世間的にはスキャンダルで家にこもっていた。私はそこに遊びに行くと、家で娘と団欒している姿があった

世間的には大スキャンダルのように報じられてるが、ばっとみは、単に育児休暇のような、子供と遊ぶ時間を作ったように周りの事を気にもしてなかった

最初私は「君がいのりちゃん?…」と二人娘さんがいたような?と思って話しかけると

「みめ」だよ|( ̄3 ̄)|と名前を間違えてしまった
(ここも何か認知のズレであれ?と思った)

どう?…と聞こうとしたら、そのパパが割り込んで

「みめはパパの事大好きやんな!」と食い気味に押し付けしてきたのは毎度なのか(´ー`)ハイハイパパ好き~とクールにスルーしてた

私は「パパと過ごせて楽しい?」みたいな、こうでもなければ忙しくて娘と過ごせないだろうという思いから聞いたら

「嬉しいけど、どこにも行けないからね」

と、確かに娘は無名で自由でも親が有名人過ぎて一歩でも外出たら家まで着いてこられたら安住の地はないだろうな…と

そしたらそのみめちゃんが「想像の遊びをしよう!」と提案をしてきた

「想像する遊び?なんかおもしろそうだね!」と私もちょっとワクワクした
最近、話題になっているというある動画を見せられた

薄暗い天候の家々のシーン
明るい天気のシーンの太陽
色のない線画の太陽と薄暗い家々から歩いてきた子供がの線画でひとつに混ざる
1枚の絵面の真ん中に波線が引かれ
左は倒壊した家屋の上に明るい太陽
右は薄暗い天候の家々のまま

みめちゃんはこれの意味が分からないという

パパは「つまらん、フリがない、オチが弱い」とダメ出しで内容には触れない

私は瞬時に何を意味するか『理解』と『解釈』出来てしまったが…これを『子供にどう伝えるか?』

意識のシフト、次元上昇?変化の為の破壊・・
エゴを持たない素直な心の融合・・
『わかる』だけじゃダメだ・・『伝え方』も・・

まさに『想像の遊び』だ(´・ω・`)

想像とは『相手の心』
『その立場』になって『現象』を考える事

この想像遊びは『1人では答え』が出ない
そこで『他者』に聞いてみたい『思想』が生まれ

試走・試奏・試行した『みめちゃんの気持ちを想像』した時、とてもシンプルな言葉が浮かんできた

以下、夢の中の私が言っていた言葉

思うという字は『田』と『心』がくっついてるよね
田んぼの田は、『1+1=』って覚え方があるんだ

これは算数ではなくて、誰かと誰か1人と1人
『向かい合う相手が同じ』と考えて

そこに心をつけてごらん
『思う』には『誰か』が必要なんだ

これは今、『他人であるおじちゃん』がいて
みめちゃんは『思った事』を『伝える事』ができた

「想像してみて!」とね

今度は『相手』であるおじちゃんに『心の像』をみめちゃんが見たものと『同じもの』を伝えた
これでみめちゃんの『想像』が伝わっておじちゃんの中で『創造』が始まったんだ

創造って…難しい字を書くんだけどね
分かりやすく言うと『つくるとつくる』って書くんだよ

粘土をこねるように、パズルを組み立てるみたいに『カタチ』をつくって
出来上がったものを「こうなりました!」って発表する

だからね、この動画を見たみめちゃんが『どう思ったか』は分からないけど
みめちゃんからおじちゃんが伝えて貰って想像して創造したのはね

これは『昨日の夜』と『明日の朝』と『素直な心』の事かなって思ったんだ

ポイントは『色のない線の太陽』に『子供がひとつになる』というのは『子供が太陽』になってるよね
世の中が明るい晴れだろうが、薄暗い夜だろうが、そんなものは『子供には関係ない』よね

それは『大人がつけた常識という色』であって
『真夜中の満月』と『日中の太陽』は『同じカタチ』にしか見えないよね

そう言う『素直な心を持つ子供』が『想像』で『新しい明日』を『創造』していくんだ
『新しい明日』では『古いものは壊れて』いくけど、それで困るのは『大人』だけ

子供は既に『月と太陽に融合』しているから『明るい日』を生きていく
それが『明日』なんだよね

みめちゃんの目はキラキラして楽しそうだったから心に響いたんだと思う

そもそも、親が有名人過ぎて『子供に自由がない』…からこそこういう『無意識的に心象風景的な動画』にハマったのだろうとすら深読みできる

…そう『子供でもわかるように言葉選び』がたんたんと出てきた自分にも驚いたが、何よりも『エゴがない真っ直ぐな表現』にも驚いた

というのも今の私(現実意識)でその絵を思い浮かべると、『素直な子供は救われる』が変わらない『ネガティブ世界はそのまま切り離し』

その切り離す過程での『グレートリセットの爪痕(意図的な人工災害)が残る『倒壊した家屋の先に新しい日が登る』的な

『抽象的』ではなく『具体的な肉付け』がされた、子供向けでもなく大人な様々な情報が加えられて『複雑化した捉え方』になってしまう

この中に、「想像してご覧?」という『問いかけをしてきた相手』が『何を伝えたいか?』に関する『返答』ではなく

ただ『自分の意見を押し通してる』に過ぎない『エゴが溢れている』のがわかる

そんな『エゴの現実』に戻る前の空間で
とても分かりやすく『神について』教えていた

神とはネが申す

想像する人がそれぞれ創造した世界観
みめちゃんとおじちゃんの観た世界は
『違う』かもしれないね

でもそこが『根っこ』なんだよ

カタカナで『ネ』って書いて
その横に『申す』っていう字を書くんだ

申すっていうのは
みめちゃんのパパが『真剣に怒ったり』
みめちゃんがして欲しい事を『叶えたる!』
って喜ばせてくれる

『パパがみめちゃんの事を想って言う』みたいな『叶う事、叶えられる事』を申すっていうんだけど

ネっていうのは『根っこ』の部分で
それはみめちゃんの『心』の事

心の根っこで心『根』
心から響く音で心『音』

どちらでもいいんだよ

だから『神』とは『心が叶えられる事』
『想像して創造できる力』の事だから

『想像を遊び』にするみめちゃんはみめちゃんが出来る!やりたい!と思った事は『なんでも出来る力を持った神様』なんだよ

様っていうのは『様子・雰囲気』の事
軽く考えれば『〜な感じ?』

だから『神の様』って様々で『様々』っていうのは『色々』って事ね
色々っていうのは『みんな違う』って事

「白は二百色あんねんで?」みたいな

でもね、『みめちゃんの根っこの心はひとつ』だから、おじちゃんが想像して創造した世界とみめちゃんが想像して創造した世界は『違う』んだよ

たぶん、おじちゃんが想像した世界より、みめちゃんの想像した世界の方が楽しいかもしれないね

こんな話を子供として楽しんでいた

自分では神とは『心・神・真』と同義である…と『達観した意識』はあれど、それを『何も分からない誰かに伝える』には…

『達観もまたエゴ』なんだな(´∀`)とちと反省
…ってかその流れも『師の師に奉公』に出される夢の…延長のレクチャー

22を食え 師の師に奉公して学んだ事

『悟った=差取った事』を『素直な子供』に伝える

『親から子には伝わりにくい』が『祖父から孫』はすんなり伝わる
そんな師の師の思いが…『素直なもの』を『素直』に伸ばす

それって魔人ブウから生まれ変わった『ウーブを悟空が弟子にして育てる』ようなものなんだ

ウブ

『子供』に『命』として宿った心・神様が申す事
叶えてやりたい親心・祖先の愛

そう考えるとこの『心象風景』もまた、心・根・音が申した愛の伝わり
夢の中で『名前』を呼ぶ、これは『特殊な例』

いのり(祈)ちゃんではなく『みめ』?

見目
未明
弥明?

久しい、遠い。広くいきわたること、あまねし。時を経る、時間が経過する。大きい。繕う、縫う、ほころびをつくろう。おさめる、やめる、終える。いよいよ、ますます、さらに

明るい。光に照らされよく見える状態。希望がもてる前向きな様子。物事について詳しく理解している。明らか、はっきりしている。明らかにする、見分ける。聡い、賢い。明かり、明かりがつくこと。

『想像を遊び』にする『弥明』ちゃん

私の心の中にそんな『素直に達観』している『子供の心(神)』もいて
『その神を神』として『素直に伸びるように育成』している私もいた

それにしても二人の娘か・・前に見た夢の中の不思議な少女だろうか・・不思議と一致する情報が・・

家に迎えに

不思議な少女達と会話する夢の驚きの結末

『心の中を観る』って不思議だね
『現実の現象』を見て『心に帰る』

それは『旅』だよね
人生とは『旅の経験』

時にそれは『人』と出逢う事、『物』に触れる事、食べる事、『感応して刺激』を受ける事

…だから究極を言えば、『脳に電気ショック』を与えるでも可能だから
『マトリックスに繋がれている水槽の脳の可能性』も無くはない(笑)

でもそれもまた『現実のひとつ』として切り離せば
『無いのと同じ事』で『意識』はどこにでも『自由にシフト』できる

根っこに真っ直ぐ生きる根性で
ネが申す事が神の様で
心に直に従い悳を積み

直進するのが道
それを『タオ』という

人間が個人個人で理解する「道」である。個人個人によって異なるものであり、さらに時代によって異なるものでもある

老子が目指す「無為自然(むいしぜん)」とは、そ の「無」の道に従って、いっさいの作為を捨て自然のままに生きること。老子は、知識・学問・ 欲望・技術・道徳・法律などの作為は、社会に混乱と争いを招くと考えたのである。

大人の手垢がついてない『素直な子供の心』
これこそ『無為自然』そのものの『神の様』

そこに『大人の影響(色)』を与えて『染める事』が『混乱や争い』を招く
明らかに私は、心の向こうの世界で『老子に学んでいる』のかもしれない

考え方の思考パターンが調和して、チャネリングな周波数が『老子と繋がった』と考えれば、そりゃ『現世の欲を利己的に満たす方向』から離れ

『自然の凄さ』や『法則的な物事のパターンを見つける』のが『得意』になるわな(笑)

人の『思惑』は『言葉』に出るアナグラムな『プログラム』

『言霊が法則の世界』だが、『法則を改悪して悪用』されているから、『22を喰らう』という『不確定性原理の4の教え』を『訳詞如来する役目』があるのかもしれない

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