好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

繋がりは綱借り

人は生まれてくる時もこの世を去る時も一人、生きるのにはこの世で縁ある者との繋がりがなければいけないが、それは綱を借りたものだから返す時が必ずくる。繋がりは綱借りというお話

生まれた瞬間から繋がったこの世との縁

綱引き

借りは返さないといけない
業で繋がった腐れ縁

繋がりがある限り『量子シフト』はできない
量子は『観測』されていると『変化』しない

簡単な例で例えると

毎日合っている友人や家族の『大きな変化は感じない』が、数年ぶりに合う友人や親戚は『物凄く変化している』…ように感じる

それは実態なき『気』をつけた『気綱』だから、直接的な繋がりはない為、『実態の変化の観測』がない

つまり『存在は認知』しているが、『状態』は把握していない『シュレディンガーの猫』と同じ(*ΦωΦ*)

男子3日会わざれば刮目して見よ

という言葉がある通り、その『気に留めなかった3日』という『目を話した隙』に『量子的にシフトして意識が変わっている』という事

『意識していない』から分からない
そこに『観測を向けていない』から気づかない

逆に言えば、繋がっている、『誰かに観測』されている状態では、その人との『関係性という借り』がある為、『裏切るような変化』はできない

本当は『やりたいこと』ができた、しかしそれをするためには『この繋がりが切れる』

この『葛藤』の中、やりたい事を『お互いに』できないまま、ズルズルと『足を引っ張り合うのが腐れ縁』(昔を知っている)

そんな縁は『借り』を返したら『綱を切る』
『繋がりを断つ事』で他者からの『観測の目』が無くなる

そして『1人』になる事で、『意識』は『何にでもなれる空(有無)の状態』となり、『何になりたいか?』シフト先を意識する

すると、そこに『氣』が巡り、『気にした先』と『新たな気綱』ができて、『綱』を借りて『繋がり』ができる

当然、『借りた分だけの業』を返さないといけないので、『繋がり』とは持ちつ持たれつ『支え合い』であると同時に、『変化という裏切りを嫌う』

お互いを『監視・観察・観測』して

お前…変わったな
お前…そんな奴じゃなかっただろ
お前…がそんな事するなんて

繋がった他人は、『綱を借りた時の業』を押し付けてくる。だから『変化』を求めなければ、繋がりというのは『最高の環境』だが…

『変化』をしたい、『意識』を変えたい、『今の自分』を変えて『違う世界』を観たい!

こうなった時、『綱借り』がある限り『無理』
『道理』は『借りた業=カルマを返す事』にある

『恩』を『仇で返す』のではなく『丸く納める』

飛ぶ鳥跡を濁さず

『氣綱』を残して『繋がりは断つ』
『氣』は『実態を持たない』がそこにある

『気にされる相手』ではなく『氣のおけない相手』になれば、どこでどうなろうとも『関係』は変わらない

例え『風貌や言動』が変わっても『心が放つ固有振動』で分かる

人は『1人になる事』でしか『自分の世界』を変えられない
人は『一人一人違う世界』を生きている

1部の人にわかりやすい例を言えば、仮想空間のVRchatの『ルーム』というのは
『部屋という存在は共通でひとつ』でも、その『空間』は『一人一人』にわかれている

『同じ部屋に複数で入る』ことも出来れば『1人で入る事』もできる

そこで『何』が行われたか?『複数』ならば複数が『行いを観測して共有』するが『1人』なら『自分』しか分からない

これは『意思疎通・記憶共有』による『他者への観測と認知』による『互換性』

Aさんがこういった
Bさんは違うと言った
CさんはAもBも違うと言った

このABCには『話の整合性を取らなければ』という『バランス』が生まれるが

一人だったら

最初のAさん発言 過去
次のBさんの発言 過去
さらにCさんの発言が現在

これは『意識の変化』が起きている

過去より、今より、『後に現れる自分』が、全部引き受けて『今までにない自分を更新』していくが、それは『一人だからこそできる事』

Aの世界を見た自分が
Bの世界をも見て
Cの両方とも『合わないと気づく』から

Dの世界という『次元』が生まれる

『元となる意識の在り処』が『ここではないどこかへ』とどんどん『シフト』する

『他人』という『量子の動きを観測』して『整合性を取る』という力がかからなければのびのび『自由に変化』ができる

だから『世間体』って繋がりは『纏って擬態』するのは簡単だけど、そこに『定着』したら『抜け出せなくなる綱借り』

世間体という第四密度の謎の体の役割

『世間体』という『借りた綱を返す=裏切り者』
「常識知らず、恩知らず、社会不適合者」

そりゃ『切る時』は『言われる覚悟』を持たないとな

きっと『細胞に擬態した癌』を切除する時も
『人間のフリした悪魔』を退治する時も

「このヒトデナシがぁぁ!!」って『断末魔の声』を聞くだろう

でもそうやって『切り離して』見れば分かるのは
やっぱ『実態』は『腐ってた、腐れ縁』だと

そこを『切り離して』誰にも『気にされなくなる』と『量子的な飛躍が可能』になる

例え『人ならざる力や才能』を得ても『誰にもそれを見せなければ』 無いのと同じ

それが『仙人』

能力を見せびらかせば『人の気が集まる=人気者』
それを『信じさせたら信者』を獲得して『儲』にもできる

『信用・信頼』を売るのが『邪』な行使

信用・信頼と絆(氣綱)の違い

…ってまだ師の師の『気綱に関する教え』が続いてた(笑)

22を食え 師の師に奉公して学んだ事

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