好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

災い転じて福と成すのは困難を有難いと納悳する事

予期せぬトラブルをきっかけに、その経験から得た学びに感謝(ㅅ´꒳` )に至る過程で、なぜ心臓がポンプであり、心の臓と呼ばれるかを理解した明日から使える怒りと向き合うセルフヒーリング体験話

予期せぬ近隣住民トラブル発生

先日、ちょっと嫌な事があった。盆で仲間が集まっている時に、例年通りのBBQをしていたのに『駐車違反』という名目なのか『警察』を呼ばれた

警察も到着と同時に、「あぁ〜・・(´・ω・`)」と事情を説明する前にこういう事かと顔色で分かった

家の敷地の前の道路に車を停めている
ドライバーは言われればすぐ動かせる
対面の家の車の出入りやすれ違いの迷惑になっていない
お盆の時期だから帰省の車は増える

けど、迷惑だと『通報』された以上、我々としても『法的に道路は車を止めてはいけない』となっているので、『口頭注意』だけで帰る訳には行かないと

結局、雨を凌いで楽しんでいたガレージBBQを『急遽』片付けて、飲んでないやつに車を移動して貰い、解散できる奴は解散になった

帰り際警察も、こう言っていた

「この時期だし、理屈的な事はわかるけど、もう少し上手くやって下さい」と…

「いえいえこちらこそ、自然に伝えてるにも関わらず・・わざわざ、空気の読めない近隣偏屈住民のせいでお盆の雨の中御足労をかけてすいません」と( ´-ω-)

そんな感じで、前にも『別の家の駐車を通報された事がある』という事と、家に帰って親に話を聞くと、やはりどこか『偏屈な近隣トラブルを起こす人』として認識されていたようで

もちろん、『法的にという正論』では自分の家の前の塀の前に横付けも『道路だから駐車はアウト』ですよ?でもそんなので呼ばれたら、『見回りに来た警察も複雑』ですよね

わざといつもはまっすぐ切り返して駐車してる軽自動車のくせに『斜めに止めてた』から、「家の前に違法駐車がいて止められない!」とか言ったんだろうけど

その『軽自動車』で、これだけの『道路スペース』があって『切り替えせない訳がない』と警察も見に来て一目瞭然だっただろう

…と、興が覚めてしまった後の翌日・・

「あの野郎!!( º言º)」という怒りがムカムカと、『夢見と目覚め』は気持ち良かったのに、『昨日の事』を思い出したら、ムカムカメラメラと出くわしたら文句と共に手が出そうだ( º言º)…

という所から『冷静沈着→気づきを有難う』と『感謝に至る』までに、体の何処がその『負の感情の発生源』か気づいたお話

なぜ『心臓』というか解った

最初は『嫌な記憶』を思い出して、『頭がムカムカ』すると思った。しかし『内観』して『波動の発生源』を調べていくと、どうやら身体の左側から波を感じ

そしてそれは胸にあったので、『心臓』だという事がわかった

ここから『波打つ波動』が『頭に到達』した時、憎いあいつと『対面して会話した映像』が浮かんで再生された

「( º言º)10時には動かすから通報とかは止めてくれよと言ったのに、あいつ9時前に警察呼びやがって!!」

とその頭に再生された映像の先に『こいつを殴りたい!!』という『感情の波動が伝わる』と、「拳にその力を与えよう( ´-ω-)σ」という『実現可能なエネルギーが伝わる』のを感じた

この変化が『体感』で『感情のままに流されている主観の自我』ならもう『衝動』に突き動かされて、今からアイツを殴りに行こうかー(๑•̀ㅂ•́)و✧『ヤーヤーヤー状態』になっただろう

しかし、そんな『自我の一部始終』を『客観的に内観している私の意識』がある時点でそうはならない

その『変化の因果』を『俯瞰』で見極めた結果、『胸に手を当てる』という『言葉と行動の意図』を理解した

心を静め、落ち着いて考えるために両手を胸にあてがう。 よく思案する

心臓に手を当てる=手当

思という漢字は田と心
田は『1+1=心』という『相手と心』

思う原因には『自他』における『他(環境・物事)が影響』する

私の解釈では自他とは
一切皆苦=『1』切皆『9』→『真我』以外『色即是空』
元は『十分』から『分離した他人』は自分の『反映』

つまり『思う』とは『その時の自分自身と向き合う事』によって生まれる『状況』

そこで胸に手を当てて考える(´-`).。o(

その意味は落ち着け、冷静になれという精神論だが、行動における動作は『手当』である

ある物事を予測して用意しておくこと。準備。病気やけがの処置を施すこと。また、その処置

私は『怒りの感情の発生源』は『心臓からの邪な波動』だと気づいた訳で、それを『手当で抑える=ある物事を予測して準備している』という事になり

また『病は気』からの通り、自分の『心臓から発せられる動悸』によって全身に送り出される『血(氣)』が『不快で未解決な記憶を呼び起こす波動の波』として伝わり

『凪』だった『穏やかな精神』がザワザワと『波風』立てられて『煽られた』

・・やっちまおうぜ?スッキリしねーだろ?ボコボコにして泣かしてやりゃいいんだよ(¬∀¬ )

…と『後先考えない衝動』を

止めなさい(  ’-‘ )ノ)`-‘ )ぺし

と『怒り』で『我』を忘れ、相手を殴り『流血騒ぎ』にしてから、「魔が差した…」なんてなる物事を『事前に止める準備として手当』をした訳で

また『氣の流れ』的に言えば、『掌』はまさに『氣の通り道』なので、『心臓に手を当てる』というのは、通常のポンプの動きに『見えないバイパスを繋げる』ようなもので『氣の巡り』が変わります

『氣を紛らわす』とでも言いましょうか、結果それで『血気盛んな衝動的な行動』は止められる訳ですね

では、そんな『予期せぬとばっちりの通報』をくらって、『みんなで楽しんでいたBBQを妨害』されたのに…そこからなぜ『有難いと感謝』して『怒りを納めて悳にする事』ができたのか?

実はこんな物事の捉え方の『観点』に気づくだけでした

盲点だった2台分の駐車スペースに気づく

警察的には、『違法駐車の移動を見届けないと帰れない』ので、どこかに移動させなければいけない

しかし、近くには止められるような『駐車場のような施設』もなく(´・ω・`)さてどうしたものかと思って、親父に聞いたら

そこの草むらに1台車を突っ込めるとまず1台移動、次に物干し台を置いてた家の正面玄関前も、それを片付ければ一台入れられる、とあっという間に二台が片付き

1人はちょっと顔を出すと来てただけなので「お開きなら帰るで〜(´∀`)」と移動できたので、後は『ガレージのBBQ』を片付けて最後車庫に入れるだけ

最後までいなくても大丈夫ですよと警察を説得してご苦労様ですと帰らせた結果、今まで『考えもしなかった駐車スペース』に気づけたのは、『1人のエゴによる嫌がらせ』では、別にどうとも思わなかったのが

『警察という法的な抗えない力』が来て、『強制的に移動せざるを得ない』という『ピンチ』が訪れて初めて『チャンスの突破口』に気づいた

それがなければ『灯台もと暗しの盲点』に気づく事が出来なかったからこそ、怒りよりも『感謝(ㅅ´꒳` )の念=今の心』が勝った

友人の存在を有難いと思えた

初期にBBQを始めている3人はもう泊まりなので酒を飲んで『車を動かせない状態』だったけど、「みんな揃うなら顔くらいは出すよ!」と集まってくれた二人がシラフだったから『みんなの車を動かしてもらう事』ができた

もし、『台風』が来てれば『災害対策で出動』がかかって『そこにはいなかった存在がいてくれた事』に『有難いと感謝』(ㅅ´꒳` )

近所で偏屈と認識されている人物だと理解した

家の迎えの人に昨日、警察呼ばれた事を話すと、前にも我が家の反対隣りの家の人が駐車違反で警察を呼ばれたとの事で…

また?!( ⊙ω⊙ )Σ(゚д゚;)という『リアクションと話』を聞いて、『関わってはいけない人なのだと気づく事』ができた

何やら町内の回覧板に関する事でも『他の家に難癖』つけたり町会費に対して『1人だけ領収書を請求する』など迷惑や手間をかけるらしく

『正論を盾』に周りに馴染めない『真面目系ADHDタイブ』という事もわかり

そうか相手にしなければいい
君子危うきに近寄らず
触らぬ神に祟りなし(´∀`)

存在を『忌み嫌う認知』ではなく、そこは『見ない・聞かない・言わない』
存在に『気』を与えない、『有る』けど『無い』の有無=『空』にしてしまえばいい

向こうも車が『目障りだから通報』した訳だし、『お互いにそれを望む』ならそれがいいじゃないか

それに『気づくきっかけ』となったので『有難い』(ㅅ´꒳` )

そもそもBBQではなくキャンプの予定だった

台風は『意の理の念』が届いて『奇跡的に避ける事』は出来た話は前回まとめたが

霊迎雀宿 第十二夜 気体と気望の意の離

小雨の中でキャンプは…とプランBの『ガレージBBQ』になってなければ、そもそもこの『近隣住民トラブルで警察を呼ばれる』という『状況』にはなっていない

だが『呼ばれた事』で

こんな『有り得ない事』もあるんだ!
警察もこんなんで呼ばれるのは『大変だな』…
車を止められるスペースが『二台増えた』!
飲んでない『どの車でも動かせる奴が1人』はいないとダメだな
『変な奴が近所』にいたんだ
早めに飲み初めれば9時終了でも十分だな

こんなにも普段は気づく事も無い、『沢山の気づきや学び』に出会えた『数奇な導きに感謝』(ㅅ´꒳` )

これらを総合すると

もう、『怒りで殴りかかりたい( º言º)』という『過去の衝動の私は無』に消えて無くなり…

『失ったもの』より『恵まれたもの』の方が多い

『楽しい団欒の時間が99%』なのに『ムカつく1%に意識を持って行かれる』のはどうかと・・

でも、無理やり『どちらか』に切り替えようと『思い込む』だけでは、その怒りは『ぶり返す事』になる

だって『怒りを抑える』だけでは『納悳=腑に落ちてない』ですからね?(笑)

だから『納悳』って『大事=一人事』なんです

納める心に素直に、災い転じて福となす

身にふりかかった災難をうまく利用して、幸せの種になるようにくふうすること

この『工夫』が『心臓に手』を当てる=『手当』
それは『気持ちの発生源』と向き合う事

それがそのまま『動悸で波動』となり、『動機』となって『体に同期』して『行動や発言』に変わって血気盛んにドクンドクンのドクトリン=前提とするもの

だから心の臓=血(氣)を巡らすボンブ

『怒りや不安』は『胸に手』を当てて『手当で氣の経路をパイパス』して受け流しましょう

私はそれで『衝動を抑える事』ができ、『落ち着いて内観』した結果、『ひとつの不幸』よりも『沢山の恩恵に気づく事』ができたので

『災い』を転じて、『福』となすか、なされぬか?

為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」

江戸時代の米沢藩主上杉鷹山の言葉

「どんなことでもやろうと思って努力すれば、必ず実現できる。 逆に、無理だと思ってあきらめ努力をしなければ、絶対に実現できない」

病は『気=心臓からの波動(想い込みの重いコミット)』から

怒りや不安は『手当』をしないとすぐに『頭』に上り、そして『暴力の為の力を分散』させ、『言葉』には『相手を傷つけるトゲ』がつく

『血』迷う、『気』違い、『魔(間)』が刺した
その『原因』は『胸に手を当てて考える』までわからない

そして、馬の耳に念仏、馬耳東風、聞く耳持たない『莫迦のひとつ覚え』の『烏合の衆』は・・

足るを知らない
恥(極端)を知らない

欲に素直で、『好き』だらけで『隙』だらけ
『心の器』が安定しない『不安定』

『好きをやりつくせば』ば、もういいやと『満足』して『隙は無くなる』
だから『間』違いに『自力で気づく』まで終わりなく『因果応報の業』を続ける一人事=大事

『納得』はただ利己的に『自我が得する』だけで
『納悳』のように『心に素直』では無いから

その心の隙間、『不安定の波動』は例え『1%でも消えない』
その『1%が気に食わない、怒りの衝動』で『殴りたいような憎い相手』でも…

禁=とどめる
恕=ゆるす
↓↓↓
災い→有難い困難→感謝(ㅅ´꒳` )

ここに意識・観点・観念が『転じる』と『100%=十分』満たされる

すると心の隙間がなく『全は一、一は全』の『一つの意識』になり、それを『気づかせる役目に分離した他人(怒りの衝動で殴りたいアイツ)』としての『自分の投影』は『役目から解放』される

これが災い転じて福となす
=『自分自身に習合』して『魂経験を宿す』事

ピンチは『導かれたチャンス』
トラブルを観点・観念して楽しめ(๑•̀ㅂ•́)و✧Σ(゚д゚;)ヤンチャボーイ

「欲」と「意欲」の本質の違いの話

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