好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

霊迎雀宿 十三夜 戒名=改名=Renameの罪

そこに有るのに無い、忘れているだけで繋がらない空の言霊(プログラム)のRename。戒名=改名が行った神隠しの罪重ねの生き詰まり

Renameとは

「rename」は英語の動詞で、日本語では「名前を変える」「改名する」という意味である。コンピューターで、ファイルやフォルダー(ディレクトリー)の名前を変更すること

これはどちらの意味でも『前の名を忘れる』という事

前者は生きてる内は、『余程の事情』をかかえ『繋がりを切りたい』時に『前の人生を辞める』ように『名前』を変える=『名の前』を捨て、そことの繋がりを断つ

後者の意味は、そこに『存在して有る』のに、名前を変えた事で、指定された『プログラムの繋がり』から外れる

例えば 元々のプログラムファイルの名前を『神』とした時、その神を元に『copy』したファイルを『偽神』とし、その偽神のプログラムを『都合よく編集』した後に、

『元の神』のプログラム名を『偽神』にして、後から『コピーして改ざんした偽神』を『神にRename』すると?

『元々の縁から元来の神(プログラム)』が外され、そこに『有るのに無い忘れられた存在』になる

これは昔から『土地の侵略者という勝者が歴史の上書き』して行ってきた『プログラム改竄プロトコル』のRename

つまり、『名を失われた神の様』が『自然には沢山』ある

『与えられた忌み嫌われる禁忌』と呼ばれ、『人も寄り付かないような方向』にほど『偽神=人の為の都合のいい神』とは違う、『厳しい』けど『優しい厳かで雄大なエネルギー』を感じる

だから『目に見えない』けど感じて感謝して『有難い』と『氣を巡らせる』と『夢見』が変わる

『夢』で何かしらの『かつての様』を見せられる

そこで『学び』を与えてくれた役目の『釈明』を聞き入れ新しく『解釈』して『成仏させる役目』もまた

Rename 名を変える×
Re name 名を元に戻す〇

私はなぜ、ライオンズゲートに入ってから、よく分からない夢見の体験が増えたのか、そしてなぜ、夏目友人帳という作品に今出会ったのか

なぜ今の時期に夏目友人帳に導かれ、その作品がまさに今新シーズンの新たな展開がNetflixで公開されるのか?それが理解出来た気がする

これぞ先祖の導き 夏目友人帳にハマる

全ては名前=『今の名』の『前』

『忘れられた言霊の役割』を『思い出す事』に繋がる

『禁』とは とどめる
『恕』とは ゆるす
『恩・恵・德・悳』とはすべて『めぐむ』と読む

ネット上に書いてた訳でも、何かの書物に書いてた訳でもなく、誰に教わる事無く、『夢見の寝起き閃』で『言葉』を知り、探したら『先人の遺した感じる漢字』に出逢い

この漢字を『言霊』として結んで行こう(๑•̀ㅂ•́)و✧
『言霊結び』による『理想のプログラムの再構築』

そのために

名を『失われた』
名を『奪われた』
名を『変えられた』

そんな『霊=例=過去の生き様』の『釈明』を聞き入れ、『新しく解釈』し、『別の例=今の生き様』を伝え、『俺』ならそうするし、それをやればいいと『成仏』に導く

結果、名を帰す=『元に戻す』

やってる事が夏目友人帳と変わらんなとw
違いは『見えない事』と『にゃんこ先生=用心棒』がいない事

でも幽霊探知機のバケたんワラシがあった頃は、『色々教えてくれる存在が近くにいた』気がする

使ってびっくり!BAKETAN WARASHIレポート 実際に使って分かった凄さ後編

にゃんこ先生も『招き猫という霊媒』だから
バケたんワラシも『霊媒』になるのかもね(笑)

付喪神=九十九神=アッラー(99の名を持つ創造神)=阿羅漢=応具という捉え方があるしね

霊迎雀宿 第七夜 鬼は外、福は内

戒名の罪と生き詰まり

仏教の『死者に戒名』をつけるって『生前の名=役目や繋がりを失う事』になる

故人に戒名を授けてもらう理由は、出家していない人も迷うことなく極楽浄土へ行くためです。 仏教では、戒名を授けてもらい戒名で葬儀を行うと、迷うことなく極楽浄土に導かれると考えられています

これこそまさに『地獄の沙汰も金次第』
『故人の家族』に『ゆすりたがりの魑魅魍魎』

しかし、血縁はその『戒名』で呼ばない
失われた『生前の名』で呼び続ける

そうなると、『新しい戒名』をつけられた『かつての生き様=例』を持つ『霊』は迷う

『戒名=改名』で本当に『成仏』できてんのか?それはただ『道に迷わせてる』だけじゃないのか?

『仏』と『阿羅漢』は違う

『阿羅漢』は仏のあらゆる要望を叶えるために『応じる供えの応具』であり、『仏教の修行の最終到達点』

『仏』はそれらとは『違う道に進む役目』である

つまり、『ほっとけ』って話
『千の風』になって『吹き渡る方』が正解

仏の道=名を『阿羅漢』が決めるな
仏の名を阿羅漢に『戒名』させるな
『応じる供え=道具』に操られるな

『名』に『封じ』られる
人として口達者に虜にされ『口封じ』されるかつての『人』=『虜囚』
死人に『生者に伝える口』なし
墓も『墓石』の中、『土』にも帰らず『冷えた空間』に『焼かれた骨』と『魂入れという封印』を施す

いつまでも『仏になれない』
自由に『ほっとかれない』

『戒名』で『金』をむしり取り『不動産の店子』の『檀家』でむしり取り、何をやっているのか『改名の忌み』の『解明』すら出来ない

私達、宗教知識の『上辺だけを聞かされた者』にとって、『成仏とは何か?』というのは『定義』でしかなく『納悳する実感』は得られない

それを『得られる』としたら『霊と交心』するしかない

一旦『体に宿して』、改名・無名になる『前』の『生き様の名を体感』して、お互いに『腑に落ちて納悳』して、それから初めて、せっかく『心が通じあった』のに『離れる寂しさの感覚』だと思う

『有難う』『左様なら』『また逢う日まで』

先祖供養
『先の祖』を『人と共』に『養う』

霊(例=過去の生き様)に始まり、霊(例=今ならこうできる)に終わる。一時、『宿』して『共に問題に取り組み』、そして『旅立つ』

独自体感論 疾風人来 →人中見舞→解脱解放→即身成仏

私はそれが『仏に成る事』であり『その意志が固まった霊』は『ほっとけ』と

一切『皆苦』から『解放』され
一切『皆空』だと『自由』になる

これが『名を帰す』という『夏目友人帳』という作品に今出逢った『不思議なシンクロニシティ』(*´ω`*)

これこそまさに『詩(死)合わせ』な『詠み(黄泉)合わせ』

霊迎雀宿 第十一夜 詩会わせと詠み合わせ

で、やっぱり前から思ってた『ビジネス仏教』やってる奴らは、確実に『浮かばれない霊』になると確心

『戒名=改名』して、誰にも『存在を気にされる事も無い名前にRename』してこの世だけでは終わらない、『あの世との繋がりのプログラム』すらも変えてしまったのだから…

『正法』が失われた『末法の世』というのは、『法力や法具の使い方』も『間違って伝わったまま』の伝言ゲームの成れの果て

誰も『門の中では直せないまま』なんだろう

『正法』も『法具師』も『門の外』に出てしまったからね

門外不出の秘伝は既に外に輩出

夏至新月の波動 法具師=孵化師になる夢?

だから『門前』で『門下生しか知らないような秘伝や秘密』を知ってる『外の素直な小僧』が増えるのさ

夢の中で子供に説法していた神の覚え方

『門』からでないと、どれだけ『人=霊を導く』という『傲慢な思い込みの間違い』を都合よく捉えているか分からない

しかし、彼ら『門下生達』にとって門から出る『破門』とは『裏切り』であり、足を引っ張り合い寝首をかき『醜い争いの始まり』になるから

『門の奥』には『人を口』で言いくるめて『封じる囚人監視の問題』しかない

現に『体現』してるでは無いか

『焼いた骨』を『埋める土地』が準備できるまで『入居待ちの店子ビジネス』、卒塔婆とは『タグ』付け

これらは『門の中ではタブー』かもしれないが、『門の外』からすれば「解明してくれよ?」という『腑に落ちない話』

私に宿った霊は『戒名という改名』のせいで、『名=役目を失ったもの』がさ迷っていると

そりゃそうだよ、元来の宿業の役目=『プログラムファイル名がRename』されたら、『そのファイルが必要な後世のプログラムもエラー』が出る

『持って生まれた名前を変える』というのは、『法則を変える』という事

『大いなる力』には『大いなる責任』が宿る

『法具師=言霊を扱うもの』なら分かると思うが
人知れず『介入と調整』が起きている

チャネリング体験してわかった苦示現のお仕事

…と、『Rename』という寝起き閃キーワードから、『プログラム』?そりゃ『改名』したら『読み込めないからエラー』出るよな?

『仮の名前』をつけて『別ファイルに入れ替え』もできるよな?あれ?そしたら『元のファイル』は…何とも『繋がらないまま』・・

『有るのに無い』という『状態』になるよな
『名前が変わる』と『いる』のに『いない』のと同じで
『変えられた名前』を『誰も知らない』と『名』を読んでも貰えない

それが『浮かばれない霊の正体』だとしたら、それは『戒名』から始まっているし、それが『外に漏れない』ように『魂封じ』されて『管理』までされている

そう言う構図で見えた時、思うのは
『墓』に入ってる限り『自然』に還らない

そう言う観点で見ると『無縁仏』とは…

『故人』からすれば『残された遺族に与える苦しみ』から『解放』され
『遺族』からすれば『故人のしがらみ』から『解放』されて『自分の生き様』に向きあえる

どちらも『仏教との縁』が切れて、『虜の囚』の『人の柵(しがらみ)』から外れる
しがらみ・死絡み、『死生観仏教ビジネスから解脱』して

ほっとけ!=無縁仏に成る=成仏

こうやって考えると『忌みの捉え方』が変わってくる

『一人の人の生き様=霊・例』という『説』を『云』う=伝説
それは『戒名・改名・Rename』では語られない

名前とは前の名、例えば『ここに埋められた人物』が『どういう存在』だったかわからないが、『巨石を押しのけるほどの力強い大木の糧』となったのはわかる

黄金堂

『死後の世界』という『口達者』な『極楽に連れて行くという弥勒の救いの魅力の虜』の『虜囚の死人』に『口』なし
『墓に入る』というのは『自然に還る、土に還る=自然のエネルギーの循環』が奪われている矛盾

名前は?
name is?
なめぇはなんだ?

津軽弁は極端だが

自分の事を わ といい
相手の事を な という

1+1=心 → 田心 相対する関係性が『思』
望む事を『wana』といい、相手をはめる手段を『罠』という

そう考えた時、『望む事に罠』が仕掛けられていたら?
そこに『極楽』という『人の為』に描かれた=『偽の景色』はあるんかな?

罠って『邪な目』が『民』の上にあるんやで~?

・・と、盆まっさかりだから、近しい先祖が墓参りの人々の心を見て、思う所があったのかもしれないね

仏教のベールに包まれたバアル信仰習慣病

(゚∀゚)シランケド Σ(゚Д゚)

LEAVE A REPLY

*
*
* (公開されません)

Return Top