好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

霊迎雀宿 第七夜 鬼は外、福は内

鬼は外、福は内、父母の役割分担、男女一対、獅子の門に笑いの門、左周りの地獄巡りを得て生まれる経典、言動が神事を結末へ、これは全て一人を大にする繰り返しのエネルギーのお話

強がる女を護る男の話から・・

ある男顔負けの強気な女性に

「強い女は嫌いじゃないが・・それは強がってるだけさ」

「はぁ?( º言º) 男に負けるとでも?」←勝気な女性

「俺はそんな強がる女の頭をポンポン撫でて可愛いね〜と可愛がるのが好きなんだ」

と、そんな攻撃をのらりくらりとかわしながら、(`・ω・)ノ( ´д`*)なでなで

という余裕の男が言った

「俺が外を護るからお前はその強さで家を護ってくれ」

これは外側=周りに向かって「私は強い!私を舐めるな!!」と威勢をはる女の力の向きを『内側に逆転』させる言葉であり、『力の内側』にさらに『力を蓄える言葉』でもある

鬼は外、福は内

これはおそらく昨日の『2つのライオンズゲートの役割』に気づいた事がでかいだろう

パリオリンピックと2つのライオンズゲート

始まりと終わりの両面の門の役割

ライオンが我が子を先人の谷に突き落とすが如く『hell(地獄)』という過程を『経る』事で到達する成長して凱旋する『笑い門』の福

鬼は外に向いている
福は内にある

鬼の役目は『外に向く門番』であり、ぐるっと回って戻ってくる笑い門では『福の神』という、それぞれ『違う役割の仮面』を持っている

鬼の役割は『外=門番』だが『家では父親』
内側=『家の中』は『強い女が子を育てる母親』

『子』がいずれ『門の前に立つ』時、例え相手が『鬼=父親』であっても『立ち向かえる精神性を育成する儀式』が『節分=鬼の文化・伝統』

=俺の屍を越えてゆけ

鬼は外なのに福は家になっていたのは、内が『家(特定の場所)』になったのだろうけど、家ではなく『内』として捉えればそれはエネルギーの方向性

鬼は外←
福は内→

鬼の門から『出戻り』しても、大きな『戸』の前に小さな『大=一人』門前払い

だから急がば回れ
鬼は外←ぐるっと回って福は内←

『門から立つ日=闇』から始まり『闇』に戻る
闇から目を『開』いて始まり、目を『閉』じて闇で終わる

黒闇の円環(必然)とエンカウント(偶然)の始まり

それが『人生』としたら『一日一生』
『意識を失うまでが人生』であり、その度に『門からやり直し』

『悪夢』を見る奴は何も『宿業』を達成出来ないで帰った『怠け者』のナマケモノの生獣。『その姿の自分』と向き合い『嫌な思い』をして目を覚ます=『現実の行い』に対する『説教の具現化』

『それはお前』だぞ?と

『現実に意識』が囚われていると、現実の行いを悔いて『さらに間違い』を起こすが、基本的に夢で『悪夢』を見るのは心を裏切って『宿業』からかけ離れている『間違いを続ける事』への『潜在意識の警告』

それを続けたら『道を踏み外す事』になり、「こんな事になるぞ?」と『間違った先の未来を追体験』させる

それは『不安』が生み出す『想像が創造』されて『具現化された現実』の『模擬シミュレーション』だから『悪夢』として『魘』される

悪夢は『ダメ出しのヒント』だらけであり、それを『夢日記に記録』するだけで、自分が気をつけるべき『転ばぬ先の杖(知恵)』を得る事ができる

結果それは『自分を労る』と同時に、周りに対する意識的な行動に『小さな変化』が生まれる

例えば

『全く挨拶をしなかった人間』が『悪夢の影響』で自分からおはようと『声をかける』ようにする

最初は「え?」と周りもリアクションに困るかもしれないが、そのうちおはよう(*^o^*)と返ってきて、それだけじゃない『変化と発展』に繋がる

今日は…早いね!
今日は…楽しそうだけど何か良い事あった?
今日は…元気ないな?どうした?

挨拶を例にしたとしても、『続ける事によって習慣』となり『今日は(こんにちは)』は『繋ぎ言霊』になる

習慣になる前は『当たり前』では無い

『当たり障りのない状態』から『正面から事に当たって向き合う選択』をした常態

『生まれ変わる意志』という意識が生まれた

つまり『意識』を変えて『現実で行動』を起こすその『原動力』が『鮮明な悪夢がきっかけ』なら?

それは『心に素直に従った行動』であり、鬼の門番に「こっちじゃない!」と追い返され、『逃げた方向』が『進むべき道』に矯正された

それはまさに門番の鬼は、『地獄巡り=HELLを経る旅』に送り出した『子の精神的成長を見守っている父』でもあり、巡り巡って『内に戻ってくる子らを迎える母』である

男女夫婦父母がひとつとなった『始まりと終わり』

L ions 左思想=侵略進軍
R ions 右思想=保守保護

まずは『左回り』で外に出て地獄を『hell』
そんな経験を『経る』事で右から『終わり=始まり』へ到達する

その『父母の縁』の世界を『俯瞰で見れる』ようになると、『男女神が一対という忌み』もわかってくる

それは『役割』による『見え方の仮面』

それを理解した時点で

父にありがとう
母にさようなら
全てのチルドレンにおめでとう

その地球=『魂の揺りかご』は『役割』を終える
それが『大人=一人の人』になる

それは『一人が人を育てる』、『一人で人を育てる神』になる事

人を『育てる為の想像』
人を『導く為の創造』

誰にも『依存』しない、何にも『執着』しない、そんな『一人の人』を育てる事

それが『地球の創造主の役目』

エヴァではそれを『シンジ=神事』と名付けた
神事を導く先導の父を『ゲンドウ=言動』と名付けた
その二人の父子が求めた母を『ユイ=結』と名付けた

糸すじをたばねて一つにまとめる。むすびつける。ゆわえる。ばらばらであったものが、つながりあって一つにかたまる。

『20年もの時』を超えて創られた『エヴァという物語』は、『何度もやり直すループ』の根幹に『ユイ』という『目に見えない存在』が全てを結びつけ

そしてそれら、ばらばらだったものがひとつに束ねられて『結末・結果』に至る

『神事』は『言動』によって『結末』に至る
父母と子、この三人で『地球規模』

鬼は外
福は内

鬼は「こっちじゃない」と『門前払い』をする
泣きながら子は『母を訪ねて三千里』
その過程で様々な『理不尽な地獄を経験』する

時には『三十六計逃げるが勝ち』ε”(ノ* •ω• )ノと『急がば回れ』を繰り返し、やっとゴールの母にたどり着く

それを繰り返せば、そのうち『門番の鬼』が『父』だとわかる

ダメな親父なら「俺のようにはなるな」と、とことん『ダメな例』を見せて『今いる所』から『離れる』ように仕向ける

威厳のある父なら、「お前も私のようになりたいなら地獄を見てこい!」と『先人の谷へ突き落とすライオンの子』の用にやはり『突き放す=問答無用=門動無様』

「門から動け無様だぞ!」

それでも離れない『甘えんぼうの幼い精神』は、その進むべき方向から、「鬼さんこちら(人 •͈ᴗ•͈)手の鳴る方 へ〜」と『誘惑』して誘い出す母の面

これを円の周囲に→で『エネルギーバランス』を書いて見たらわかる

門から離れろと鬼(父)←左 思想
こっちへおいで福(母)→右 思想

そしたら『子の位置』によっては…

父「おい母さん!甘やかしすぎだ」
母「この子はまだ幼いの!」

母「ちょっとあなた攻めすぎよ!」
父「こいつが意地になって反発して逆に戻ろうとしてるんだよ」

父優勢 →→→→←←
母優勢 →→←←←←

で、円はどうして『12分割』なんだろうか?『数字上』は『12』は『6』で割れる

しかし『力の拮抗』における『ゼロポイントの位置』がない

→→→→→→ 0 ←←←←←←

12ではなく『13』
この13が『12から卒業した子』

『大人』になった『一人の人』であり、『別の一人の人』を育てる『地球=円=エネルギーバランス』を生み出す

一人二役の男女神=『門』という『創造神を生み出す役目』になる

…( ⊙ω⊙ ) うーむ

色んな方にとっちらかったから『ユイの力』で世界線をまとめ『神事の言動』で『結末』をつけよう(これでエヴァの説明は完結)

古来から『男女神一対』というのは『父であり母』であり『鬼であり福』である

その『始まりと終わり』を担う『創造神』が『創造した世界』の中で『次の創造神となる子』を育成し『大人=一人と人』を育成し

『人一人=0・霊』=『新たな始まりと終わり』を産む

『人の在り方』を、『地獄(hell)巡り』をした経験を持って見直し、『差』を取って『和』を足して=『和多志の経典』を創造し直す

そしてそれを『次の私』に『渡し』て役目を終える

『経典』はおそらく物質的には『DNA』
『精神エネルギー』的には『0・霊と繋がる心』

意識転生 1→0→1 住人十色 =人の主は人

『0に創造主』がいるなら、『楽しい世界』を想像して、それを『真言』として『夢現』で『シミュレーション体験』して、その『想いを出して進言』する

(๑•̀ㅂ•́)و✧これ声明!めちゃ神楽! ( *´ω`* )

だから『門』を出た瞬間に門の鬼に『結末』を語る

閃きは良い『アイデア(idea)』
それを門の前で人が『理想を語る(ideal)』
それをやり直す事に『挑戦』(๑•̀ㅂ•́)و✧(i deal)

『門前の小僧習わぬ経(事の結末)』を読んじゃうもんだから、門番の鬼も、門から動け無様だぞ…という門動無様の『門前払い』できなくて

仕方なく『特例の許可』をして、「裏へ回って入れ」と裏口入門(笑)

鬼門

それを『出戻る』という
『戸』に小さな『大』が向き合う

『大人育成計画』なのにもう一人で『大』になっちゃってるから『経験を経る』必要が無く、自分という『役目の分離』が、『足る』を知って『役目を終えて修了』(´・ω:;.:…早

一切皆苦の『1切皆9の役割』が無くなり『元の十分に戻る』から『心地よい知足常楽』

その鬼は外、福は内のエネルギーの流れの『鍵を握る』のが、『子の精神的な成長』

『巡る円の縁』は『人を一人で大』にする『揺りかご』

なんで『ゲンドウ』に『レイ』なのか?
それは『言動に霊』と置き換えれば 『言霊』

こんな風によく出来た『世界観』を『物質的な現実作品として見る』のと『精神的な例として観念』するのはまるで『認知のステージ』が違う

『言動』で『神事』は『結末』を迎える=人の傲慢の果て
『言霊』で『神事』は『結末』を迎える=皆の願いの果て

『エンディング』は変わるよね

最後は『全ての役割』に気づいて、『感謝して解放』し『0』からまた始まる繰り返し

上がるものは『13=4』を越えていく
上がれないものは『12』をまた繰り返す

この世界に『4』はない
この世界は『96=%=可能性』
まだ何も『確定』してはいない

96=%(可能性)の向こう側

お前の『存在忌み』は何だ?その『不確定を確定に変える位置=子』だ。『世界を変える』とは『お前自身を変える』という事

いくら『誘惑』されても『興味が無い』というのは、『記憶』は無くとも十分に『満たされた経験=地獄巡り』を経た『経典=魂の経験値』がある

その『経典=マスター』に『至る為に用意された縁』だから、もう『必要ない』として『色即是空の虚空に消える世界』

いつまで、『揺りかご』の中で、『与えられたおもちゃ』で『遊んでいる』のか、その『居心地の良さに執着』したら『12の繰り返し』から上がれない=成仏できない

13=忌み=己の心、『新たな位置=1』に気づけない

『縁を切り離す』というのは文字通り、『13に至る』為に『12の腐れ縁・円=繰り返し』を切り離す事

『諸行無常の変化』の途中にまた『終わりと始まり』があり、その『終わりが始まりの門』であると捉えれば

『六道輪廻=六分割・六分儀』と『天国から地獄』という言葉も、『縁は円のように巡る』という表現も、全ては『エネルギーの拡大成長と進行方向』というだけの事である

その『大枠の流れ』の中の『量子的』な目に見えないほどの『小さな光の粒子のひとつ』が最小の自分達=min us=マイナス・虚(i)=『愛の中の虚ろな私達』という役目

『分離』すればなんて『ちっぽけな事』か・・しかし『一体化』すればなんて『大きな愛そのもの』なのか!という『相似』

カタカムナ52首 創造主の目的は意識の拡大

カタカムナ51首 52の遮取りの相似

『形』にこだわれば、それは『そのスケールでしか物事を見れない人』になる=『口封じ』の現実的な『囚』われだが

その『囚』の口封じから出た『人』
精神が『大人=一人(自我)と人(真)』になれば
『囚と人』の『中と外』の『観点で観測』ができる

そして『人一人』として『お互い』に向き合えば、『中も外』も関係なく『精神は0・霊=有無の空』になる

そこで『空』という『全てと一体化』した向こうの『先人達に様々な知恵』を授かり、『新たな位置の1』として『役目を持った意識』が生まれる

とりま、その『0・霊の夢現の狭間』が、俺らが『意思疎通』している『雀宿』だな(´-ω-)ウム(´∀`)

雀の宿

今回の話は

鬼は外に追い出し(父)
福は内に招く(母)

『鬼を追い出す』のではなく、『心を鬼』にした『成長の試練を与えるライオンズゲート(L ions)』から、『先人の谷=地獄巡りへ子を追放』する

「こっちから帰ってくるな」と『門前払い』の鬼は『門番』

・・と同時に追い出された方向に、「楽しいことがあるよ〜鬼さんこちら(人 •͈ᴗ•͈)」と呼ぶ『誘惑=毒=主の母』の面が『子を前に進ませる飴と鞭』

そして「おかえりこっちだよ!(´∀`)」と『先祖と再会して笑う門』には『福は内のライオンズゲート(R ions)』

そこで『父母=鬼神』の役目は『仮面』の使い分けによる『神仏一体の教え』と悟った『役割分担の差を取った子』はこれが『人の育成』なんだと理解して

今度は『自分の辿ってきた地獄=HELLを経る旅』における『経験を元にした経典物語=生き様』で『次の人=新たな意識』にまた『旅』に出てもらう

可愛い子には旅をさせよ

厳しい経験を積むほど成長するため、かわいい子ほど敢えて辛い思いをさせよという意味

「キツい地獄巡り(現象)だけど、行ってくれるか?経典=マスターマインドを書き換える為に」

授記( ´-ω-)σ(。-人-。)有り難き幸せ

こうして『如来』は『降誕』したら『全ての地獄巡り』をして『禁恕』

禁=とどめる
恕=ゆるす

『困難』はそう言う『自力で気づいて成長する』為の『経験を与える役割』だったのだと、『存在を認め感謝』する

『仏』となって『阿羅漢=応具』=応じて供えるに感謝
『アッラー(99の名を持つ神)=九十九神』=道具に宿って応じる付喪神に感謝

『真我(仏)』以外、『色即是空(応じる役割)』

『認める事』で、その『役目』を終えてやっと舞台に幕が下りて『一観』の終わり

映画も見終わったら、『思い出して感想をまとめる』ように、『観念』して、『一つの循環が終わった今の心』を『観直す事』で、良かった点、悪かった点、改善出来る点など『変化の起点』を見つける

その点が『終わってみない』と見えない『新たな始まりの位置』

これが『人生は一回じゃないよ』という真実(試して見ろとは言わないけどねw)

人類が『自発的に霊的に精神が成長』しなければ、みんな『次のステージを観る事が出来ない』ので『衆生を救いあげる』為に、また『如来意識』は『地獄』へ戻ってきてしまう

『キリスト意識の再誕』や『弥勒菩薩の降臨』であり、それは『特定の物質的なもの』じゃなく、人に宿りし『光の粒子の一つ』として宿って、『無意識に意識を変えるきっかけ(試練)』を与える精神

それが一切皆苦
『一を切り捨てる』と『皆が苦しむ』

例え『暴走して悪行』を重ねている『百鬼夜行のリーダーの一白』であっても、向き合って『禁恕』

霊迎雀宿 第六夜 敵を間違えるな

それが出来れば『百鬼=もぎ=模擬』の『傀儡の夜行』は終わるのに、終わらないのは、みんなこういう思考だから┐(´∀`)┌ヤレヤレ

陰謀論者を嘲笑う映画 終わらない週末

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