十人十色な人生模様、時には人の振り見て心がざわつくと思ったら、もしかして、不利とは不離では?というスピリチュアルな気づき
人の振り見て我が振り直せ
意味:他人の行動を見て、良いところは見習い悪いところは自分の振る舞いを反省し、直すべきところは改めよという教え
また反面教師として『こうはなりたくない』と思うなら、それは学びというより『波長の合わない思想や行動を実践しない』という考え方でもあるわけで
ふと思った事がある
そもそも自分の行動が正しいのか間違っているのか分からないからこそ、人間観察をして修正しようという考えなのだから、不備があっては行けないという石橋を叩いて渡るくらいの心境な訳だ
となるとこれは
人の振りではなく、人の不利と捉えた時に違う解釈になる
意味:相手に比して形勢がよくないこと。それによって、損失・敗北・失敗を招くものであること
そこで最近気づいた事がある
この〜気、なんの気?気になる気になる気〜
名前も知らない気ですから
名前も知らない〜気に〜なるでしょう
という、なんか分からないけれど、やたらと目につく、やたらと見せられる、やたらと惹き付けられる
特定の陰謀論系やスピリチュアルのジャンルの情報の発信者がいる
最初は、発言や姿勢に共感出来ていたんだけど、スパチャ(投げ銭)や同ジャンルの仲間関係、相互的なファンのミックスによる視聴者の数が増え始めてから
自分語りの自己顕示欲の勢いが増したように見えて、波動というか、あまり心地よくない
( ̄▽ ̄;)おいおい大丈夫か? と思う感情がではじめた
なんか胡散臭いとか、情報不明で怪しいとか、そういう事じゃなくて心配になってきてる事に気づいた。この心配というのは命の危険という意味ではなく
お前、物凄いカルマ溜め込んでるぞ?
と思う点について
そもそも人の邪魔をしてはいけない
邪魔とは修行を妨害する行為
人生は魂の成長のための学び場であり遊び場であるというのは先人の知恵が「人」というヒントとして形に残してくれている
しかし、だからこそ人生を体験するものは目的を持ってその生を全うする訳だが・・自分が全て知っているからと言って関係のない人を巻き込むのは、本来その人がやるべき目的を邪魔している事になる
目覚めを促すのは、目覚めるための段階に来た人に必要な行為だが、その段階にない人、魂の年齢の低い人間性のまだ幼い魂を巻き込むのは良くない行為
大学生の講義に、小学生が紛れ込んでちんぷんかんぷんで理解できないで頭を抱えているとしよう:;(∩´﹏`∩);:
それに気づいた大学生も、ここにいてえーんやで(*^^*)って優しく受け入れるのもリアクションとして間違っている
君があるべき所(本来自分が決めた道)に戻りなさい(# ゚Д゚)ノΣ(゚Д゚) と促すのは分断でも差別でもない
だから最近のスピリチュアル系や陰謀論者のLIVE配信系は、個人的には楽しんではいるが、仲間意識で精神性(人間性)じゃない所の損得で繋がって、視聴者が増え、スパチャという現金が飛ぶ事を
これは風の時代だから綺麗なお金の稼ぎ方
と言ってるような姿を見ると…色々思う事はある
スパチャ(投げ銭)には人の念=「㑫」が込められてる
よくライブ配信では「スパチャあざーす」とか「ナイスパ!」みたいに受け取る側が対応する文化があるが、お金を投げる側の気持ちに何が込められてるかよく考えたほうがいい
それは
私を優先して欲しいというエゴ
お金を払ったんだから願いを叶えろというエゴ
実は常用漢字?ではないかもしれないが「㑫」という感じが存在する。これは、にんべんに念、人の今の心という組み合わせの漢字だが、意味は忌みとしても捉えられる
訓読み: くわだ(てる)、たくら(む)
意味:くわだてる。たくらむ。たくらみ。計画をたてる。
お金を投げるほどに帰依して依存しているし、お金を投げる事で束縛を強要される。その仕組みに囚われてしまっているし、その仕組みを自ら用意して他人を捕らえてしまっている
その信者やファンとして集まっている人達の中には、本来そこにいるべきではない人達もいて、その人たちがするべき事をできてない依存状況を生み出している
ポジティブな意識の次元移動は、その日その日の自分がやるべき事だと直感で感じた目的を達成する事で起きる意識のステップアップで起きる
つまり、それができてない状況に陥ると精神はストレスを抱え同じようなループな日々を迎える事になり成長はなくただ時間を浪費する
家に帰ったら、細胞が必要としていないのに、精神の不安を誤魔化すように惰性でアルコールを入れる晩酌ルーティーンのように、そういう心地よい希望を伝える情報にどんどん依存していき停滞して波動が下がっていく
波動が上がるのは、その瞬間瞬間の成長のために必要な事をこなしていった実感を自分で認知した達成感があった時のみ
人から聞かされた話に右往左往している時と言うのは、善悪二元性のシーソーの傾きに揺らされているだけ
自分軸がないから両極へフラフラする
もし、それを確かに!と冷静に聞いて受け止められる人ならば、例え惹き付けられる誘惑があったとしても、その場所は本来の自分が選んだ成長の場所では無いと気づいて離れるべきだと思う
私自身は自分軸があると自覚しているのに、なぜなぜこういう情報に目がいくかよく分かった。最初は、こいつらすげーな!( ̄▽ ̄;)と自分が実行しない事をやってて成功してるから羨ましい?のかな?と思ってたけど違った
これは新たな業を積み重ねる行為
本来は業を手放して軽くならなければいけないのに、自らが他人の人生経験の学びを邪魔して自発的な成長を妨げている行為で重くなっていく
言うなれば、既存宗教を否定して別の宗教に乗り換えさせるような浅はかな行動
信者の中には、自分を優先して欲しい!と投げ銭して金を対価にする者もいれば、他人よりも劣る事が嫌!という理由から自己成長ではなく他人の足を引っ張る妨害を行う者など、様々な精神性が低い人ほど依存で集団化しやすく集まってくる
逆説的にいえば、精神性が高い人ほど、人の言いなりにはならないし、人の情報を鵜呑みにしない
君子危うきに近寄らず
この危うきという曖昧な表現がとても的確で、危ないと確定した訳でもなければ、危なくないとも言いきれない量子的な不確定な事象
どうなるか分からないカオス(混沌)には関わらない
カオスとは人の世、人の世とは曖昧な情報に溢れ、情報は核分裂を誘発させてカオス(混沌)を拡大させる
そういう目線から見れば、カオスを自ら作り出し、そのカオスに何も知らない人たちを巻き込む行為は…
恐ろしく業が深い行為をしている…
と、いう目線で気になってたんだと、理解した時、やっぱりお金や人が絡むと冷静(霊性)ではいられないんだろうなって人の振りを見てて思った時に生まれた自分解釈が・・
人の振り→人の不離
前に夢の中でであったもう1人の自分の後に出てきた黒づくめの男の言葉が刺さる
「この世界(もう1人の自分との会話)で話した事を言うな」と言われたのに対して、「言うなと命令するのが自由意志なら、それを話すのも自由意志だし、それを聞いた者がどう判断して行動するかもそいつの自由意志だ!」
と突っぱねてから、精神的にポジティブで自由になったのだけど、その釘刺しの意図がだんだんわかってきた
あれは善悪の悪ではなく、中立の状態を保つための大事な戒めの言葉
不要な業を積み重ねないための忠告
「お前はこれで本質が分かっただろう?しかし、人は皆同じでは無い。お前にとっての正解が他人にとっての正解では無い事であり、それを伝える事で、必要のない人の業に関わる事になるだろう。まぁ、やってみればいいさ!」と消えたのかもしれない(´・ω・`)と今ならなんとなくわかる
スピリチュアル系や精神論を伝えるのは、オープンに大々的にやる事ではなく、ひっそりと伝わる人にだけわかるようにヒントを出す
それが精神的に人助けを行う徳を積む行為であり、それをひけらかして現世で自分が得を得る行為に使ってはいけない
お金のためにそれを利用する行為
人の気を引くためにそれを利用する行為
これらは業、因果応報を生み出して、自らどっぷりと人の世に囚われる事になる
そういう風に見えてるからこそ
人の不利ではなく、不離
そんな言葉が存在するのかどうか分からないが、私の中で不離とは
離れ難い、離れない固執・執着と捉える
※注:後から調べたら不離って言葉があった!
意味:離れないこと。また、離せないこと
同じやったΣ(゚Д゚)直感すげぇwwってか漢字に込められた意味が正しいんだろうな
人の世に生まれ、人の世にある欲望を満たす経験から離れられずに執着する姿は、まるで、地球での生活を知らなかった他の星からの転生した記憶を持つ者が初めて地球に来て興奮して…
その結果、自分をよいしょして群がってきているのが、成長を求める人ではなく、強欲にハマって抜け出せなくなるように、足を引っ張るヒトデナシを相手にしているという罠に気づいてない
その愚かさと醜さと、あ〜あ、もったいない(´・ω・`)という感情を感じて認知が変わって俯瞰目線のことわざを生み出しました(勝手に)
人の不離見て、我が不離直せ
意味:他人のエゴ的な執着心、手放さずに執着する行為がどれほど醜く感じるかを見て感じとったら、自分は現世の自己顕示欲や執着心に囚われないように戒める事
欲望ってとても魅力的で誘惑が強くて、満たされている時はとても心地よいのだけど、外から見たらそれはとてもグロテスクで気持ち悪くて離れたいと思うもの
肉欲の器の性器の形(男女共に)
ひとつになって中は気持ち良い(獣)が、離れて外からの見た目はグロテスク(賢者)
肉体でこうなら精神も同じこと
繋がってるうちは気持ち良いが、離れるとドライなものよ。縁は巡り円は廻る
心は元(DNA)に還ればみなひとつっていうのも夢で体験してきた。ワンフォーオール・オールフォーワン、ワンネスであり、一丸となる
ただ、肉体を持つ現世ではひとつになれない
それぞれが歪な形で役割を持って分離した存在だからこそ、心も体もひとつにはなれない事をあえて楽しみ、学び、一丸となる事の難しさと崇高さを体感する場所
高次元の領域に精神が到達しても、下ばかり見ていたらさらに上には上がれないし、助け出そうと手を伸ばすと引っ張られて引き戻されてしまう(魂の年齢が成人期)
宇宙から転生してきた魂も、あと1歩で真理に届く人を引き上げるサポートならわかるけれど、それ以上に下まで手を広げると、自分が引き下げられて囚われ低次元の存在に堕ちる
でもすでに堕ちた事を気づかないのは、ちやほやされて有頂天(得意の絶頂)だからわかってない。悲しいかな…これは先人の知恵の言葉がある
天国から地獄
意味:それまで極めて良かった状況が、一転して最悪になること、あるいは評価などが下がり、落ちぶれることなどを意味する
生死の概念上の領域の話ではなく魂レベルのランクダウン。人(システム)の評価を気にしだしたら、人の世に囚われるのは道理
上から下へと堕ちる事 を現しているのだろう
と、諸々思うと、私は、当時リアルタイムの少年ジャンプ時代に1度見たこの言葉が好きで戒めにしている事を思い出した
・・間違えた(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)極悪
この目に止まる人々くらいならなんとか守れる
世界平和なんて大それたことは出来ないが、せめて自分の周りの大切な人達が困ったり、苦しんだりの状況を改善するための助けとして関わる事ができる
できるのはそのくらいの事
足るを知る
過ぎたるは及ばざるが如し
可もなく不可もなく
心を穏やかにバランスを保たなければいけない存在(ライトワーカー)として、自己顕示欲に囚われたスピリチュアル系は…醜い
あれがこの世界の事を話すな!って夢で戒められた意味だと思うと今ならわかる( ̄▽ ̄;)あれは、今の時期(社会混乱)だからこそ
多くの人の人生観を狂わせるから業が深い
世論がそう傾くのもコントロールなのだとしたら、与えられる情報に帰依して思考停止で低波動に堕ちる人間を増やす事に加担している
とても罪深い事をしている事になる
「罪」を憎んで「人」を憎まず
意味:犯した罪は憎むべきだが、その人が罪を犯すまでには事情もあったのだろうから、罪を犯した人そのものまで憎んではいけないという教え
「罪」とは、カタカムナでは凝縮された実態・光
「人」とは魂の成長を促すシステム(あくまで持論)
強すぎる光には陰が生まれる
陰極まれば陽となり陽極まれば陰となる
強すぎる光、それは罪
この眩い光に囚われた人を憎んではいけない
問題なのは、罪=凝縮された光なのだから
だからスピリチュアル系も魅力的に引き付ける誘惑ばかり話しすぎてもダメやな(´-ω-)ウム
不離、離れない=手放さない=執着心
それは欲、7つの大罪のひとつであり、魂が堕落する要因のひとつ
執着心とは、特定の物事に強いこだわりをもつ気持ちのことをいいます。 物事に執着すると、自分の行動や感情がコントロールできなくなり、ひいては日々が辛いものになります
それに気づかない善のライトワーカーは光のフォースに傾きすぎて、そこから生まれた影を利用されてダークサイドの闇墜ちするスターウォーズみたいなオセロかもしれんな~と軽く促しておく中立ライトワーカー(軽くする者)(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
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