好奇心

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霊迎雀宿 第十一夜 詩会わせと詠み合わせ

『役目』と『役割』を伝えてくれる『先達』とのゲラゲラと面白おかしい『ゲラの詠み合わせ』で甦る後世の構成の校正。ポエムがこっばずかしいと感じるのはopennな母の恵の夢に心から素直になれない精神の幼さという詩会わせな詠み合わせの十と十を繋ぐ架け橋=幸のお話。ライオンズゲート第十一夜

幸な一時

幸とは上からも下から
逆さにしても『幸』

十と十を繋ぐ架け橋

『達』するとはその方向へ向かう『流れに乗る』という事

カタカムナの思念読みでは

さちは遮り凝縮
こうは転がり入り生まれる
しあわせは示す感情・命の調和を引き受ける

達成・達観・先達
たつは 分かれて集まる

私はしあわせとは『師合わせ』と感じていた
それは先祖供養=先の祖を人と共に養う

つまりは一時の宿として霊を招き入れていた。霊を招き入れると言っても、一般的なイメージの浮遊霊とかじゃなく

自分の『心の内面』と向き合った時に、導かれる先に出会った先人の想いに共感する『シンパシー』や『エンパシー』を取り入れると

無意識の寝ている夢の中に、それが現れて、その現実では至らない先の『未来予測を補完』してくれるから納悳する

この一般常識的には「納得だろ?」という漢字の概念も、私の内面ではもう認知が違う『忌み』になっている

納得は納めて得する=『損得』
納悳は心に素直に納める=『自然体』

同じ音の響きでもまるで『イメージ』が違う
そして「それだ!」と忌み付ける事が『己の心』

こんな風な『知恵』がどこから来たのか?
なぜそんな『漢字』があったのか?

それを知るきっかけが夢の中の『師合わせな導き』だからこそ、しあわせの言霊通り、『示す感情・命の調和を引き受ける』

白龍の導き 夢中=師合わせ 現実=自我の息抜きと実感

先人の知恵を潜像=夢で継承し、それを今の心が念じて現象化して活かす

示す感情・命とはそのまま示し申す=神=心
その心の調和を引き受けるとは

温故知新
古きを知り新しきを知る

これは一般常識では歴史から学べと

賢者は歴史から学び
愚者は経験から学ぶ

と現実では教わるが、それは死人に口なしの勝ち誇った傲慢な侵略者のビジネスモデルが都合のいい

『損得の歴史』

これを学んでいるから「損するか得するか?」の『多数決の立場』を選んで『勝ち負けを繰り返す流れ』になるが

自然にはそもそもそんな『感情も命』も無い

そんな自然体の生き方を実践をした先達の遺した知恵はもう現実から消されて忘れられてしまっている

『有る』のに『無い』、『見えている』のに『見えてない』
忌みを失ってしまっている

だから『伝えられる者』の夢枕に立つ
霊能力というより聞く耳を持つ素直な『共感力』

それが十と十を繋ぐ架け橋=『幸』
その『間』を『今の心』が観る目=『観念』

『観念する』とは『幸な事』だった

……という

今朝の夢の中で何があったかは忘れてしまったけど、とても穏やかに『楽しく終わった充実感』を持って目覚めた結果

寝起き閃きキーワードとして遺された言葉が

詩会わせと詠み合わせ

詩とは言う土の寸
自然の目に見えない程の小さな存在が言う
言霊のし なら 示すエネルギー

現実的なら『虫の知らせ』か、はたまた空間の『量子的な変化』か

虫の知らせは『先祖のサイン』と言い伝えられて来たように、それが『感じられる人だけ感知』する

『詩』とは人間の文化で、どこからともなく『環境・風景・状況』を『今の心』が観たエネルギーを紡ぐ

それが『先祖のサイン』とも知らずに
示す感情・命を示し申す=神=心

詩は『人が声明』するが、その影響は『神楽』
『神のつぶやき』を『人が現象』にしている

だから『奇跡的な詩』が生まれた時、本人は『感動して調和』する

でも『心が素直』に出ている時は
ちょっと恥ずかしいから『ポエム』になる

詩的だが中身のない文章

poem=openn

そんな詩合わせを『詠み合わせる』

読んで校合すること。 演劇の稽古で、役者が各自脚本を手にし、互いに自分の台詞を読みあうこと

今のお前の『役目(心)』とその『指導の目役(応具=阿羅漢)』の私

『アッラー』、魔〜不思議な力を持つ創造神は『99の名=役割』を持つらしいが?

アッラー、魔〜不思議な事に…

日本の『物に宿る神』は『九十九神=付喪神』という

アッラー、魔〜不思議な一致(笑)

阿羅漢は『応じる供え=応具』であり
仏は『それとは違う目的』の立ち位置

道具は人の使い様(現実)
応具は人の使い様(精神)

『人の想い』に『応じる道具』
それを日本では『神宿りの付喪神』という

アラガミ、アラカン、アラミタマ
アッラー(99)でそれが宿る1ならば

『100』になる
密後の魂は『100』まで

それ以上でも以下でもない?
憶測=『心の意を測る』のは『無限のループ』を有無

でもこれは『真我』以外『色即是空』とも同じ考え方

『仏の道を目指す1』以外はそれに『応じて供える道具』となった『阿羅漢』であり、あらゆる事が可能な『99の名と役割を持つ創造神』であり、『1の意志を反映』した道具に宿る『付喪神=九十九神』でもある

それを考えれば『呪物や念がこもった道具=応具』とは、『主の役目』を果たせなかった『命・感情がこもった付喪神』とも言える

この『それぞれの舞台での役割』を『詠み合わせる』とは、そのまま『黄泉合わせ』とも言える

甦る=更生=後世の構成の校正

作業の中間段階で印刷や画面表示したものを、原稿と比べながら、種々の誤りや不備を正すこと。また、ゲラ刷り
計器類の狂い・精度を、標準器と比べて正すこと

これこそまさに『詩合わせ』を通して『声明』する
死を超えた『黄泉』の向こうの『師合わせの共同作業』

『舞台神楽の役割の確認』とその途中の『ゲラ刷り』でゲラゲラ笑って校正して、こーしよう!あーしようと『甦る算段』をつける

詠み合わせ=言う永く

神=示申=心のつぶやきを今の人の心が後世への現象にして橋渡し
『十と十』が素直に向き合い観念する=幸

その方向に達する人=『達人』
その方向が成す=『達成』
その方向に感じる=『達観』

だから『奇跡的な詩』が生まれた時、本人は『感動して調和』する

そんな量子的な『自然のサインと繋がる詩会わせ』と『役目役割を伝えてくれる先達』との面白おかしい『ゲラの詠み合わせ』の甦る後世の構成の校正

あーせえ
こーせえ
そーせえ

ならどーせえ(同性)っちゅーねん?

( ^∀^)ゲラゲラꉂꉂ(ᵔᗜᵔ∗)

振り回されて『訳の分からない事に時間を取られる』けど、『それを伝える役目』を終えると、本当に意識がすぅっと落ちる

……これは

なぜ私が今、『夏目友人帳』に導かれて、ハマったのかもよくわかる事例でした

これぞ先祖の導き 夏目友人帳にハマる

現実では周りにいるのに『見えないだけかも』というくらい、『シンクロニシティが起きる』という事は

私=仏=1の役割、それ以外の色即是空は『私の意志を反映した九十九神』が応じて供えてくれている『夢の中=仮想空間』

だから『1がネガティブ=拒絶』になるというのは『99神がそれに応じる舞台』になるという事

これがいわゆる世界は『観測している意識が生み出している投影』

『外』をどう『想像』して『創造』するか?

例えば、『夢オチで別の生活(理想)』もいいし
目が覚めたらマトリックスみたいに『虫のような機械のAIに支配されていた』でもいいし
目が覚めたら周りは科学者ばかりで『水槽の脳だった』なんてのも想像出来るだろう

想像は『自由』だが、『納悳』したら『舞台裏の構成の校正』が変わって『体験』する事になる
まあそれも『1の為に応じて備える阿羅漢』が見せる『99の名と役割』の真夏の夜の夢の『百鬼夜行』

その戦闘を歩く『ぬらりひょん』はお前だ

頭でっかち( ^∀^)ゲラゲラꉂꉂ(ᵔᗜᵔ∗)

百鬼夜行の一を切り離せば、一白とそれに付き従う、仏と阿羅漢(アッラー・付喪神)という応じる具え

それは『法具』だ

夏至新月の波動 法具師=孵化師になる夢?

そんな訳で

アーティストが『曲や詩が降りてくる』とは、無意識領域で『先達の量子的なサイン』で『舞台のゲラ』を受け取ってて

これは名作だ!(ノ* •ω• )ノダウンロード

しかし、このままでは『小っ恥ずかしいポエム』だな(´-ω-)よしこーしよう=後世が構成し直し『芸術的な流行りもの』もまた『繰り返す傾向=影響』がある

それは『失われた文化』が『自然に人を通して甦る』という事でもあるからこそ、失敗した事、『やり直すべきメッセージ』が『預言の詩』として『心に素直な者』からどんどん産まれてくる

ポエムと書いて、たまたまた漢字に『母恵夢』という『当て字』が出てきた

誰かが造った『造語』だろうけど、『しっくりくる』と思うのが、大人になれない子供は『母の恵を恥ずかしい』と隠そうとする

それは『精神的な親離れ』ができていない証拠でもある

『母=生み出す=創造』という『役割』から『恵まれた夢』
『母の背中』で『子守歌』を聞きながらみる『母の理想の夢』

カタカムナ48首 日本昔ばなし

その『立場と役割を尊重』すれば、『母と子の合作』で『心に素直に生まれるのがポエム』であり、それを詠み合わせるとは、『今の心と向き合う』という事でもある

過去や未来は『想像と創造のやり直しで繰り返せる』が、今の心は『今』しかない

それを戒め=今の氣を締める
そして『今果たすべき役割』を終えたら
今を閉める=『執着』を意識しない

意識は『今と思う瞬間に存在』している
『今』…を思わなければ『1の位置』は生まれない

1の位置の『分離が無い』なら
99の創造神も応じて供える付喪神も『役目は無い』

それはそれで『一切皆苦から解放』されて
十と十、『この世の全て』と『あの世の全て』が自由な『幸』なのかもしれない

それは『生まれない選択』

カタカムナ23首 生まれる選択

……なるほど(´・ω・`)そこまで見えてきたか

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