たまたまSNSで見た9×9÷9×9 の答えは、81か1か、あるいは両方か?という意味の無い問題に忌を見いだせるか?哲学的に捉えた時、音の語呂読みすれば出題者の意図まで読み解けるお話
9×9÷9×9 の答えは?
単純計算すると 81
これが社会的模範解答
…という一方で
答えは『 1 or 二つ(1と81)』という捉え方に別れるのだが…
これこそ出題者の『意図』を考えると面白い
ここには『計算の条件』がない
しかし、『四則演算』という『法則の先入観』に囚われる人
つまり『答えはひとつ』
答えヘの『解き方はひとつ』
と思い込んでいる人は
はい 論破=81(はい)と応える
答えが 『1』 という人は
いちいち(一・位置)割り出す
まるで『賢者と愚者』のような違い
『結果を求める者』と『過程を楽しむ者』
また答えが二つ
『1であり81』という者は
世間的な『建前は81』でも『本音は1』
先入観なく『両方の可能性』を見ている
『条件設定がない』のだから『発想は自由』
そして、この出題者はそんな『賛否両論の馬鹿』の争いを
くくくく( -言- )9999 Σ(゚д゚;)悪だ
で、その『答え合わせ』に『何の意味』があるの?
何=『人』の『可』能性
『はい(81)と応えた者』は馬鹿のひとつ覚えに鵜呑みにした『教えられた計算法則』という思考に至り、まんまと『先入観』にハマって可能性を見る事が出来ない『操りやすい思考停止』
『1と答えた者』は心に素直に『常識を否定する』から、それを認めない『正義マン』に揶揄されて「馬鹿だな!」と社会常識に叩かれる『社会不適合』
『はい(81)であり1(位置)と応えた者』は、『建前と本音の両方の可能性』を持っていて、『条件が曖昧な状況』に『臨機応変に対応』出来る『自分の意思』を持っている
( -言- )クククク(9999) と笑う『主題者』は
『洗脳された愚か者』を嘲笑い
こいつは『未知で面白い者』と笑う
答えはひとつではない=『可能性』
それを『計算』出来るかどうか?
『意味』の無い問題に
『忌=己の心』という『可能性』を見いだせるか
9×9÷9×9とは『哲学的に面白い問題』である
以前、似たような哲学的な問題として、0÷0=?という計算を『答えは無い』というのが気になって調べた事があったのを思い出した
一見、『計算式』に見えて、それは『計算で解くものではない』という式を出したのがアインシュタイン
6-3=6
6=9
私はこの『69』で『無限の循環を示す』という観点に気づき、『様々な相似』を見つけた
そして、それは『漢字の形象』にもあった
互
こんな風に『与えられた情報』を『与えてもいない条件(思い込み・先入観)』で『パブロフの犬』のようにただ計算するのではなく
出題者が投げかけた『メッセージ』として受け止めて、噛み砕いて分解再構築し、『物事はあらゆる角度から照らし合わせ観る』
その結果、『納悳=心に素直』に出てきた答え
世間的に間違いでも、自分はこれでいい!コレがいい!と思う『自発的な意志』
それが『何』であれ=『人の可能性』
答えは『ひとつ』じゃない
一つの答えに『応え合わせる』必要は無い
『1』でも『81』でもいいし
もしかしたら『別の答え』があってもいい
例えば1+1=田 とかね?(笑)
私が出題者だったら『予想外の未知の発想の答え』を期待する
そしたら新発見に『感動』出来る
それは『概念』ではなく、プルスウルトラ=その先へ
『新しい発想』を生み出す『人類の成長』
その『一歩が元』となり、ならば、アレも!コレも!それも!と『未知だった問題』が『相似』して次々と片付いて、気枯れて穢れて『氣』が巡らなかった
かつて『途中』まで進んで志半ばで『無念』に頓挫していた先人達の痕跡を見つけ、先祖供養=先の祖を人と共に養い『掃除する念=今の心』が至る
『相似』すれば『小さな事から大きな事』まで掃除が完了する
そんな流れを生み出す『最初の一滴』
『不敵な笑み(毒)』で笑う 出題者 ( -言- )ククク
顔は笑っているものの、何事にも恐れずに『何かを企んでいる』ような表情
奇妙な笑い=妙な大きな可能性
でも計算問題だけに・・
『不適』な笑いかもしれない
適さないこと、うまく合わないこと、適当でないこと
どんな『問題』も『敵対』せずに『己に適合』すれば、『百選』危うからず( ̄ー ̄)ニヤリ
ちなみにAIに9×9÷9×9を計算ではなく、『イラストで表現』させたら・・そーじゃないだろwwという『予想外の角度』から『色分け』や『図解』がでてきたので
やっぱり『答えはひとつじゃない』って事、『十人十色で発想が自由』なほど『想像と創造が膨らむ』よね(どういうロジックなんだろう・・)
LEAVE A REPLY