母を永大供養をする所を真言宗の青龍寺に決めにいった帰りに家族それぞれの生まれにまつわる如来のお土産を選んだ時、私は大日如来だった・・。という所から、大日如来とは?と興味を持って洞察したら面白い事がわかったお話
大日如来との縁が生まれる
私は葬式後の香典返しの留守番として出かけなかったが、家族が納骨の時期を聞きに真言宗のお寺に行った際、真言理趣経を唱えて高熱をだした住職は『まだ高熱で動けなかった』為に、日取りが決められなかったとらしい
それで出直す形になった時、『お土産兼お守り』という形で、家族それぞれの生まれの年月にまつわる如来を買って帰ってきた際に、私に渡されたのは
大日如来だった
宗教的に詳しくない父は「お前の如来だけ他の如来と違って、周りに4人も従えて一番大きかったぞ!」と見た目を伝えきた事から・・
そういえば・・(-ω-)私は『薬師如来』への興味から始まり、『妙見狸の訳詞如来』と自称して、様々な物事を追っていく際に、釈迦、阿弥陀如来、虚空蔵菩薩と現代の出来事を、『カタカムナで洞察』をしていく過程で
いろんな如来を意識して観測してきたけど・・『大日如来を意識』した事はなかった。つまり、今回初めて『私の意識の観測』が『大日如来に向く縁』が生まれたのだ
興味を持つ、『好奇心』を持つというのは、その『存在のエネルギーを感じよう』という試み。『そういうものだ』という『共通認知』から始まり、『違和感・直感』という『独自感覚』で調整していく
という訳で、『母の死』が繋いだ『真言青龍との有難い縁』の流れを素直に感じてみよう
大日如来とは?
大日如来(だいにちにょらい、サンスクリット: Mahāvairocana[1])は、大乗仏教における信仰対象である如来の一尊。真言密教の教主たる仏で、密教の本尊である[2][3]。日本密教においては[4]一切の諸仏菩薩の本地とされる
Mahāvairocana(マハーヴァイローチャナ)を摩訶毘盧遮那(まかびるしゃな)と音写し、大遍照[2][3]、大日遍照、遍一切処などと漢訳する[3]。摩訶毘盧遮那如来、大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)とも呼ばれる
まず、ここから行こう
マハーヴァイローチャナ のカタカムナの言霊は
受容に引き合い短く内側に生まれる自然な命の伝わりの空間が短く凝縮して自然に飽和した核
まかびるしゃな のカタカムナの言霊は
受容の力、内なる根源に留まる示しが自然に飽和した核
なるほど、わかった(≧▽≦) Σ(゚Д゚)もう
マハーヴァイローチャナは『地球・星(生命の役割)』そのもの『自然法則』と感じるが
まかびるしゃなは『宇宙が圧縮して膨張』と感じる
なぜ『名』が『音写(恩赦)』の教えになるか?
それは始まりが『名』から生まれた『体』だから
受容に引き合い短く内側に生まれる自然な命の伝わりの空間
これこそが、一人一人に『思い込みの宇宙・世界が生まれる要因』である
これが『自然』だったものが、その『受容』という『受け皿の空間』の中に『分断の争い』が生まれ、何か教えが欠けて伝わったものが、『宇宙・星の破壊と再生』を繰り返す『ビッグバンの法則』
そういう意味では恩赦(音写)に『警鐘(注意)』と『形象(事象)』をつけたのが『感じる漢字』
摩訶毘盧遮那 を読み取っていく
摩とは
手をすりあわせる。なでさする。すれる。こすれる。こすってみがく
ふむ、私の直感とは違うがこれもあるか・・
ごますりと、薩摩=『南方』から伝来
私利をはかるため、他人におもねりへつらうこと。そういう人
南方からきた『百済の民』は砂金や朱金という『金を利用』する『宇摩(馬)の民』
南無妙法蓮華経、南無阿弥陀仏 の始まりは『南は無い』から始まる
つまり、法蓮華経も阿弥陀仏も『南からでは無い』と『伝来元を最初に忠告』している
そうなると、星で例えるならば
『南十字星』、サザンクロスな『十戒』
『北斗七星』、(英語名はわからん)の『七つの大罪』
南の南蛮からきた『十字軍(改革派テンプル騎士団・テンプラー)』にとって
北に七つの『大罪(敵)として遮る者』がいたと読み解く事ができる
その七つの星、北斗七星を『結界』として持つ、東北は『ウシトラ=鬼門、蝦夷の地』
その蝦夷の地には『釈迦の修行場』もあり、『キリストの墓』もあり由縁が多数ある
虎はトーラ、原典であり『自然の法則』
『天上』の『天下』の中に『七の自然エネルギー』がある
そこに思いを巡らせれば、『慮る=気配り・思いやり』
その地にはそういう『風土が育つという結界』がある
摩訶毘盧遮那
摩訶=南(ごますり)が言う可能性
『毘』を調べていくと面白い由来がある
「毘」は形声文字で、意符の「囟(しん)」と音符の「比(ヒ)」を組み合わせた文字です。「囟」はひよめきや人のへその意味
荼毘(ダビ)=遺体を火で焼く行為
『南は無い』、南が『護摩』すって伝わってきた仏教が『荼毘に付す=火葬』させる
実は火葬という伝統は、『近代』になって始まっている
戦後:1948年に「墓地、埋葬等に関する法律」が制定されたが、火葬は義務化されていなかった
江戸時代から明治時代にかけて庶民の間に定着していった
私は、それがなぜ『火』と『へそ』と『茶』が繋がるのか、『先人のことわざ』でピンときた
へそで茶を沸かす
あまりにおかしくて笑わずにはいられないことを例える言葉
聞くだけ馬鹿馬鹿しいこと
あまりにばかばかしくて哄笑(こうしょう)することをいい、多くはあざけりを込めていう
『茶々を入れる』という言葉もある
文句をつける、邪魔をする、妨害をする、冷やかしをする
『護摩』すりに『騙』されて『馬』鹿にされて燃やされて何もなくなった
『南』からきた『金集めの宇摩(馬)の民』にあざけり笑われている
なるほど、それでこう繋がるのか
「盧」という漢字には、壺や姓、めしびつ、くろいなどの意味
中国語では「盧(ろ、ルー)」という姓があります
『壺家(つぼけ)』というのは、東北に伝来し『アソベ(先住民)とツボケ(渡来人)』という『古い方言で使われる伝承』がある。『歴史が偽書扱い』した『東日流外三郡誌』では蝦夷について、この伝来に触れているらしい
これを『南からきた中国(朝鮮の渡来人)』と捉えた時
遮
人の行くてを邪魔する。さえぎる
那
西方の異民族の国の名(現在の中国の四川省にあった)
これらを踏まえて漢字が言い伝えた『警鐘と形象』を読み解くと
摩訶毘盧遮那
南方由来が言う可能性(騙)は人をあざけりわらう西方の異民族の壷家だから、行く手を遮る
それが日本に伝わる『音写』された『大日如来と同一』だとするならば、『日本の精神』を『思想洗脳で騙される事から護れ!』という『警鐘=主護』でもある
日蓮は、仏教から離れ、「日本に馬(モンゴル)が攻めてくるぞ」と警告した。その『手引き』をしていたのが、『権力者に護摩』すっていた『南方由来の人を騙す志那』
『南の犬』が『金』を運ぶ事を『献金』という
これを『自然法則』の一部として捉えるならば、『認知=思い込み=重いコミット=契約』を『破棄』する必要がある
マハーヴァイローチャナ 『思い込みの宇宙・世界が生まれる要因』
その『宇宙・星の破壊と再生』を繰り返す『ビッグバン』とは
思い込み・そうである!という『与えられた常識への執着』から離れる事
「有り得ない!」と『常識に執着』して『否定のネガティブな精神』では、色即是空、空即是色=『そう思えばそうなる』の思う『壺』
南から金を持ってきた犬が政治に護摩すって権力を得て
『人をあざけり騙すツボケの想いどおり=漁夫の利』になってしまう
それは方角が『南からのエネルギー』であって中国という『国』が原因ではない
北にはそれを『遮る結界の風土』があるように、南には『解き放たれた何か』がある
北は寒く高気圧があり雪が降る
寒さの中で生きる知恵を振り絞り攻めより護りの中で生きる
信仰を『護る精神』
南は熱く低気圧で台風が起きやすい
熱さの中で活発に血気盛んに侵攻を繰り返す
信仰を『広げる精神』
『宿している意識』が違う
南は『信仰』させたい思惑(不自然な改革)があるが
北は穏やかな『自然の法則』の伝統を護る(自然)
その『エネルギー』に触れて生きている
四方を『海に囲まれた島国』と
四方八方人の『欲だらけの大陸』
『個(アミニズム)』と『組織(グローバリズム)』、その行く末は違う
これらの思考は、『マクロな巨大な空間』の中に、『心』を巡らせて、『人という歴史の繰り返しの空間』の中の『先人の記録という空間』に心を巡らせて、自然の法則の中に人の不自然なミクロな思考を理解する為に、人の間という空間に心を巡らせて・・
『因果』の間の『因に心』を繋いで有難い『恩』という『学び』として観る
するとミクロからマクロまで、『事象は相似している』という有難い気づきを得る。『カタカムナを研究した楢崎皐月』がなぜ『相似象学という観測』を始めたのか、それもわかった気がする(感覚的に)
地球の表層に賦存する自然物は、その形態容相が、重深的に互いに相似する。
地表面における山の姿や植物生育の様子、あるいは岩石の風化される形や海水の陸地浸食の有様などは、そこになんらの規則性とか方向性とかが客観されないで、不規則に種々雑多の容相を示しているように思われていた。事実、相似象は気が付き難く、観測され難い現象である。
しかし、実際は注意深く観察すれば、雲の形と山容と相似し、山容と植物の生育の姿が相似して客観される地点がある。しかも、その地点は地表上の特定の場所に限定されるのではなく、地表面の任意の地点において相似の現象を観ることができる。
この現象は、単に自然物体の形が似るだけでなく、動植物の生理現象に関連し、人の精神作用と交渉をもつもので、また、多くの宗教的神秘性の物語はこの現象の二次的所産といえるのである。
相似象の起きるわけは、地球物理学上の問題であり地球の自転・公転運動、すなわちスピン角運動ならびに軌道角運動により地球の各圏層において球心部と同期に変動する位置勢力の波動分布が存在することによる。
位置勢力は磁気力・電気力の場を構成し、物体相互の物性に関連し、動植物の生理にも関連する。
静電三法では、宇宙対向の静電気に並び相似象学が植物波農法、物質変性法、人体波健康法の基礎として重要である。
相似象学は、科学技術は勿論のこと、宗教、哲学、教育、芸術など広い分野にわたり、根元的な基礎理論として応用できる。
これが、『大日如来に興味を持ったほんの一歩目』の『名』をカタカムナで読み取っただけで繋がった!
・・という『観たい世界』を与えてくれている真言の『音写=恩赦』であり、『音写で世界を読み解く』のは、『音』で『世』を『観』る『観世音』でもあり
その『観音した世界』に『今の心を巡らせる』のが『観念』であり、これが釈迦が説いた『一念三千世界』の真相であり、それを与えているのが
大日如来(マハーヴァイローチャナ)
人とか存在とかではなく『自然の法則』というエネルギーの流れ
摩訶毘盧遮那
『人が人を騙しあざけり笑う愚かさを遮る』という意志の形象の漢字
これは「イザ!助太刀に参る!」という『侍魂』でもある
・・と『争いに首を突っ込む』のは馬鹿(与えられた常識に盲信)で莫迦(勧善懲悪の一つ覚え)な話だ(゚∀゚)アヒャ Σ(゚Д゚)
なんで『手で遮る』でもなく、『体を割り込む』でもなく『首を突っ込む』のか?
それは、『顔だけ出す=挨拶したら退席する』くらいの滞在
仮にそれを『喧嘩の仲裁』とした場合、その『一時は平和になる』だろう
しかし、喧嘩の原因、『争いの根本』が消えなければ、『監視者の観ていない所』で『また繰り返す』のが『馬鹿と莫迦の陰謀=陰のはかりごと』だろう?
では、自然法則の『そう思えばそうなる』の色即是空・空即是色において、争いが消えない原因は『争っている所を観たい』と『首を突っ込んで観測』しているのが原因と言える
「そんな世界を観てみたい!」と『真言で発言』して『声明して発現』している者が生み出した世界・・それは『神=己を楽しませる神楽』そのものではないか?
南だろうと北だろうと東だろうと西だろう(NEWS)と『何処吹く風の流れ』に乗っている内は『順風満帆』
しかし、流れを『変える』『遮る』『抵抗する』という立場になった時、初めて『中間』を見出し『分岐=違う可能性を観る事』ができる
私にとって母という『生と死』と向き合う中で、『薬師=訳詞の観音の世界』を観てきた。薬師の世界は『現代』では、『製薬という制約』が『人を苦しめるもの』だと知って『対策・心構えの精神』を訳した(処方箋)
癌は病の品山=『ビジネス』だと
癌悪液質は、『そのビジネスを広める者達』だと
南の言いなりになった犬が『献金』で『金に屯』した『鈍』い奴らだと。政治も製薬も南の死生観の仏教も『政教分離』ができていない『不自然な音写』だと『観世音』した
その結果、母はもう「不必要な治療はしない」と、末期の患者に医者が最後に進める『治療(人体実験)』も『強い意志』で断り『癌』でこの世を去った
去った事に『氣締め』をつけた事で、悲しみや苦しみの根源だった『気の毒-母』=『主』に『意識の観測』が戻った
『薬師如来の修業』は納悳して修めたと感じた。そういう世界=『親孝行とはなんぞ?』の世界に首をつっこむ事から自然に興味を失って離れた
その次が『大日如来』に繋がって『今の心を観る=観念』に至る・・その因果=念仏は、果ては『仏=ほっとけ=納悳したら手放す』
最後に、もう一つの『名』を読み解いてみよう
大光明遍照(だいこうみょうへんじょう)
大きな光があかるくもれなく照らす
一般的には『とんでもないスケールの存在』と思わず見上げるように感じるだろうが、私はまったく違う印象を受けた
大=一人
『一人の光』が明らかにすみずみまで広く行き渡って『残すところがないほど照らす』
これは『量子的観測の目線』で『不確定性原理(イレギュラー)』がない
そのくらい『ひとつの存在が大きな存在と相似』しているほど達観している事象
つまりは、『影』を作らないように『物事を照らし合わせて観る』という事
『真理を探究する』とは、最後に『真理にも執着』しなくなるという真理・・
ゆえに欠けた亡き月の王を希う=『希望』
私は『薬師・訳詞如来』の学びの過程で、知らないうちに大日如来の『音写(恩赦)』に触れていたのかもしれない。そもそも『存在がエネルギー』ならば『境界』という『役割』もないのだから
『人』としてカタチに『固めよう』とするから、それぞれの『個性』が生まれるだけの話
まだ、『名』を読み解いただけで、これほどの『大スケールの始まり』に過ぎない
これを『前編』として、さらに深く感じる『相似』を紐解いていくのを後編とする
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