好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

見聞言 三猿の惑星の禁の真

見ざるは目を塞ぎ、言わざるは口を塞ぎ、聞かざるは耳を塞ぐ、これらが示すは禁忌である『見聞言の真相』は何かを理解したお話

寝起き閃 三猿の真相

見猿、言わ猿、聞か猿の三猿の像
これらの現代的解釈はこうらしい

悪いことを「見ない」「言わない」「聞かない」という教えを表す言葉。三猿の教えは、幼年期に悪を見ず、言わず、聞かず、善を経験させることで、良いことのみを知り、立派な大人へと育っていくという理想を表しています

子供に悪を…見せない、聞かせない、言わせないという事は、『大人(親)はその逆をやっている』という事をただ『子供に隠してる』とも取れる

まるで『汚い事をして財を成した資産家』が『綺麗な子供たちを育成』して『マネーロンダリング』するような、そういう『一族・華族(乗っ取り・成りすまし)が透けて見える薄い理由』だが…

この理由だと『騙るに落ちる嘘つきの矛盾』に気づくべきだ

禁じた部位以外は使える

目を抑えても『口と耳』が
口を抑えても『目と耳』が
耳を抑えても『目と口』が

禁じてるのは『一部』である

例えば目が見えなくても『聞いた事を吹聴できる』
例えば口が聞けなくても『壁に耳あり障子に目あり』
例えば耳を聞こえなくても『目は口ほどに物を言う』

ちょっと知恵を使えば『ことわざの教え』が隠されている

目を失うは『琵琶法師』
耳を失うは『耳なし芳一』
口を失うは…なんだろうね?舌切り雀?

『禁じたつもり』が返って『圧力で抑え込む』と『悪事をそのまま示す事』を意味すると捉えると

禁じてはいけません(`・д・)σ メッ
という『反面教師』的な教えの像

いずれにせよ、何かに例えた『メタファー=隠喩』であるとするなら

1人は目を塞ぎ耳で聞いた事を口にする
『事実を知らず』『周りの情報』で判断する愚か者

1人は『目で見て耳で聞いた事実』『口を塞いで隠蔽』する愚か者

1人は耳を塞いで目で見た事を口にする
『周りの忠告を聞かない』『事実を公開』する愚か者

1人は『無知蒙昧』
1人は『自己保身』
1人は『間違った正義感』

この『三猿の猿真似』『禁』ずる
そう言う『戒め』だと私は解釈する

な〜にが

幼年期に悪を見ず、言わず、聞かず、善を経験させることで、良いことのみを知り、立派な大人へと育っていくという理想

だよ(笑)『馬鹿=二元論』にしてるとしか思えない

『大人は悪業』やって、それを『子供に見せなきゃいい善理論』という

社会的地位が高く『汚い金儲けをしている悪』だけど、孤児院やボランティア団体の『子供(何も知らない)に寄付してるから善』です

と同じ事

現代富裕層がやってる事

戦争や疫病、災害で『親を失った子供達を受け入れる環境を用意する善意』…とは、その『都合のいい偽善』の為に災害や疫病や戦争で『都合の悪い親達を消すという悪事』をしているのと同じ事

何も知らない子供達に罪は無い!!(満場一致)

…なら『親には罪がある』という二元論のトロッコ問題で『都合のいいレッテルの価値観の押し付け』で『悪=鬼=敵と見なす戦争を肯定』させる

そんな都合のいいおべんちゃらについても、ことわざは解を出している

子は親の背を見て育つ

『三猿の掟』という『戒めの価値観を与えた者の行動』を見て聞いて言って『猿真似の物真似』するんだから

『悪事を行い隠す親の子は悪事を隠す』

蛙の子は蛙

つまり

無知蒙昧の親の子は無知蒙昧=『宗教二世』
自己保身の親の子は『今だけ金だけ自分だけ』
間違った正義感の親の子は『聞く耳持たず道を踏み外す』

『この親』にして『この子』あり、親の顔が見てみたいわ=『祖先は誰の血ぞ』?

だからこの教訓から学ぶことは三猿=『二元論になる事を禁ずる』

目聞言、この3つが揃って初めて、『目』は『門の中』で『耳』にした事を『言』う

『門外漢』になる

現代意味ではこうらしい

その事について専門でない人。転じて、直接それに携わっていない人

HAHAHA( ̄▽ ̄)笑っちゃうよね
『都合の悪い人』だから『レッテル』『信用』を落とす

例えば『コロナワクチンの闇を語る人』は、それらを『門外不出の秘密』にしようと『結託してきた門下生達』から『追放』され

以後

「そいつは医学や科学などの学会から見て信用する価値はない嘘つきですよ〜」

と吹聴するのと同じ事

『門』から出られない『門外不出の秘密を守る門下生』ってまさに『三猿』

『聞かされた事を盲信』する無知蒙昧
『事実を知ってて黙る』今だけ金だけ自分だけ
門の外の『周りの声を聞かず間違った正義感』を振りかざす

まさにコロナ禍の『ワクチン推進』とその後に待ってる『5G/6Gインフラ、人間アバター化』を整える為に『計画に加担してたもの達』に贈る言葉は

恥を知れ、そして端(極端)を知れ

始まりとは端間理を知って終わりに至る

そんな『三猿の猿の惑星』の門から自ら出ていく門の中から見たら都合の悪い『門外漢』

門の外の『漢』であり
門の外に伝わる『漢字』なんだよね

私は『三猿』という『漢字』と『像による形象』を見て感じた事は、それを『継承』する『意味の歪んだ気持ち悪い間違い』だった

だから『納悳』する為に、自分の『心が素直』に受け止める為に、誰のため出なく『心の判断で三猿』と向き合って気づいた

『三猿の禁』の意味は完全に間違っている
『都合のいい間違いに誘導』されている

まるでコロナ禍の『思いやりワクチン』と同じぐらい『悪を隠した都合のいい善』のように

真相はこれ

無知蒙昧の子は無知蒙昧=『宗教二世』
自己保身の子は『今だけ金だけ自分だけ』
間違った正義感の子は『聞く耳持たず道を踏み外す』

『預言を盲信した宗教戦争』、『預言を利用した経済侵略』で生まれる『被害者から生まれる間違った正義』『善悪二元論』

その『禍の門中』にいては『真相』は分からない
それが『親』なら『子は門下生』で『三猿』を繰り返す

門下生の子は門下生

『与えられた概念』の『外』に出ないから
『偽り=人の為の加護=門の中の鳥』

まぁ偶然かな、『開』『閉』

門の中で『鳥居=神道』に出逢うと外への門が『開く』

門の中で『オ』に出逢うと『才』なのか『オワリ』なのか
門の中で『才能を認められる』=門が閉じる=外に出るチャンスは『オワリ』

『型にハメる事』を『シメる』と言うが、それは『統率をとる=均一化』であり、『出る杭は打たれる門下生』としての『型にハマる』と『門の外』には出られない

だからそんな門の中から『門外不出』を持ち出した門を開いた『門外漢』は

門の外に『漢字を広めた』

だから門前の小僧が、『習わぬ経』を読める

『漢字』と言う『門下生しか習わないはずの知恵』を持っている『知恵者が増える』

例えるなら

『医学界(秘密結社)の中』では門外不出だった秘密が
『宗教界(秘密結社)の中』では門外不出だった秘密が
『芸能界(秘密結社)の中』では門外不出だった秘密が
『政治界(秘密結社)の中』では門外不出だった秘密が

『その界隈の三猿の結託』に嫌気がさして、『そこにしかない悪事の秘密』に耐えられない『素直な子供』、あるいは行く末を悟った『賢い子供』は

「こんな親になってはいけない」( ゚ー゚)ウ ( 。_。)ン

さっさと『その門』から出る

これこそまさに『三猿の禁の真相』
『二元性から抜け出せない立場』の親の願い

『親を反面教師』として『子は別の道を選択』してくれと、『建前の社会に必要な事として教える事』は実は全て『愚かな行為』なんだと

猿の惑星
猿の『惑わす日に生まれる意識』
そんな惑星から『去る意識』

この過程が『人生体験』と言う『門下生の束縛』

我々は『猿』だ(動物ではない)
『社会・常識・概念』と言う『三猿の環境』がある限り『二元性の門下生』

その『社会の門の中』で『才能と言う業』を持てば、『社会の外への門』は閉じる
社会の門の中で『鳥居=神道』に出逢えば『社会の外への門』が開く

これは例えるならば

目に見える『物質的テクノロジーの唯物論が当たり前』の中で、目に見えない『精神領域で感じる唯心論の存在に気づく』ようなもので

『目に見える物しか信じない門下生達』は、『目に見えないものを感じる者を異端者』として忌み嫌うようになり、『門の外』へと『社会不適合者として追放』しようとする

『門下生の猿』として生まれた意識は、『生まれ故郷=居場所を失う怖さ』から『必死に社会に適応』しようと『底辺』で苦しんだり、『門が開いてる』のに気づいてるけど『自己保身で黙って隠してる』が…

『才能=オ』が門の『中』から見るか?『外』から見るか?の『観点』の違いで言えば、実は才能が『門の外=既存社会に当てはまらない所にある者』もいる

それが『猿の惑星の外』へ出る意識
惑わす星を去るの ( ̄▽ ̄)もうここいいや

『星を去る』と言えば『地球外脱出』か?!…みたいなそう言う『映画のメタファー』に影響受けて物を考えるのが『物質的な概念の認知』であり『自由を束縛する制限的発想』

門外『漢』は『自由』に語っとる

惑わす日の生まれから去る

『何かの報』で『気の迷い』が生まれた時、それを『意識して観測した世界(思考シミュレーション=仮想空間・空想・妄想・想像)』が始まり

不安や先がわからず『隠れた不穏』など『タラレバの不確定』に惑わされ『出口のない状態』に囚われ、他に『氣が回らなくなる』

つまり『多次元的な無限の可能性』『唯一の現実』として『有限』にしてしまう訳だ

これが『漢字が語る惑星の正体』であり惑星とは『意識の観測』である

では何の惑星?となった時に『三猿が忌み』する所がついてくる

無知蒙昧に『与えられた情報を鵜呑み』にして、『人を傷つける事を善い事と言われたら実行するような人』

今だけ金だけ自分だけ『周りがどうなろうと知ったこっちゃねえと自己保身の人』

『周りの忠告を無視』して『己の正義感を押し付け実行』する『悪意を都合よく善に置き換える人』

そんな『悶悶とウッキウキーした三猿の惑星の観測』をする『門外漢』

これをことわざはこう語る

正直者が馬鹿を見る

門外漢とは『元は門下生』でありながら、『門内で起きてる事を疑問視』して、『なぜ?なんで?どうして?』と「御託はいいから真実を知りたい!」と

気がつけば『門から出ちゃってる正直者・はみ出し者のアウトロー』

だから振り返れば『馬鹿=三猿の二元性』を見る

目を塞いで口と耳だけ自由
口を塞いで目と耳は自由
耳を塞いで目と口は自由

三猿

それは『不自由な制限』がかかってる
だから『門から出る』事で『三者三様の愚かさ』を知り

『3つの自由を解放』して『真相』に至る

正直者はその『二元性の惑星を去る』
『惑わす日の生まれ』の『原因の三猿』から離れる

離れたら己の心に禁ずる=『禁忌』
それは『自分への戒め』であり『学びの経典』

だから『コロナプランデミックの騒動』は、『醜く汚く愚かな日本人の堕ちた三猿精神』と、闇の中で輝く『夜空の明星のような精神』

正直者は『両方を量子的に観測』して記録した
だからもういいや(´∀`)って感じもある

時代の変化の『狭間に表れし勇者(遊者)』
それは『門の外=常識・概念にない所』から来た『意識のエネルギー』だったから、私の次なる興味が明確に『概念の外』へと向いた

だから三猿の真相の解釈をする前に、『宇宙人(概念の外の意識)とのコンタクトの夢』を見たんだろう

緑の肌で白髪の巨人の三姉妹と旅立つ夢

『概念の外の意識』とは『エネルギー』であり『変化の兆し』であり、『兆候』

その『兆し』がずっと居座れば『居候』
それは『宿す』と言う事であり『コンタクト』でもある

『宇宙人と名付け』された『意識エネルギーとの接触』に気づいてないだけ
そんな『単純な事』に気づかないから、素直で正直になれない猿のまま

『宇宙人という与えられた想い込み』を求める『欲望に忠実な三猿=獣』とは接触できない

『悔い改めて観念』しないと『新しい空間』が開かない
その新しい空間に『意識エネルギーが居候=宿る』からね

『スペース=空間=宇宙』が必要なので、『門の中』では狭すぎて納まらない(笑)

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