体感が先で理論後付け。第一チャクラのグラウンディングとはどういう事か、異性・野性、性質エネルギーの惹きあいと肉体を持たない霊(意識体)の正体と干渉、明鏡止水について
明鏡止水とは?
明鏡止水とは、邪念ややましさがなく、落ち着き払っているという意味のこと。 明鏡止水の語源は、「明鏡」と「止水」の二つの言葉が組み合わさってできた四字熟語であり、中国古典「荘子」の「徳充符篇」に由来した言葉である。 … 明鏡止水という言葉そのものを表すのではなく、澄み切った、落ち着いた心のことを表している。
私が独自の表現で伝えてる意志氣した呼吸瞑想というのを感覚的にわかりやすく説明するとこれが一番当てはまると思う
波風立たせない穏やかな水面を創りその範囲を広げていく。こうする事によって、その広げた水面のどの部分に一滴の滴や波風で波紋が立ったとしても瞬時に感じ取る事ができる敏感なセンサーのような感覚
この感じ取った波風の揺らぎの波紋を相殺するように、その波紋を打ち消す振動を内から与える事で再び静かな水面となる
これを意志氣したチャクラ部位に行う事で、そのチャクラが作用する臓器に対して、周りからどのようなエネルギーが来ているかわかる
そして、そのエネルギーの干渉をどうやって感じ取るか、そのために呼気、呼吸の循環によって氣を充実させる・氣を充たす
まずは満タンにしないとエネルギーの干渉=隙間に侵入に気づかない
例えば、第一チャクラというのはとてもフィジカルな肉体に重きを置くグラウンディングの力
「性」欲で説明する第一チャクラのグラウンディングとコントロール
わかりやすく性欲のコントロールを例に説明する
内面から自然にあふれる下半身に血が周る肉体的欲望の波(性的興奮)。これに抗うというのは「理性を保つ」といい、その情動に身を任せるのを「野性に身を任せる」という
野性に身を任せて快楽に溺れると、それは下から上へとチャクラのコントロール権を失う。あらゆるものが外部から流れ込んでくるエネルギーによって内部が支配される
目に飛び込んでくる視覚の誘惑
鼻に飛び込んでくる嗅覚の誘惑
耳に飛び込んでくる聴覚の誘惑
体表から飛び込んでくる触覚の誘惑
口から飛び込んでくる味覚の誘惑
異性とは、自分とは「異なる性質」を持つ存在ゆえに、人は「無いモノねだりで惹かれる」のは仕方がない。これは男女の肉体の枠に捉われない。物質に性質的興奮を感じる人もいれば二次元に感じる人など人それぞれ
野性とは本能に従うということであり、本能とは魂の本質の部分なので、何に興奮するのか欲望のカテゴリーにキリはない
だから野性に身を任せるというのは、本当の魂が求めてる経験という意味では、幸せを感じるかもしれないが・・どうしてその野性に身を任せた行動をした後に人は後悔するのか?
実はそれは一時の「快楽に身を任せる事が本質の経験と思い込まされている」だけで・・それはその興奮をもたらしたエネルギーによって引き起こされる現象であり
自分の本当の意志ではないために後悔する事を 魔が差した という
これはその瞬間の「衝動的な肉体的自己満足行為」に対するコントロールは「我関せず」なんだけど、やらかした責任だけ置いて行かれるという事
自分で自分のコントロールを手放したがゆえに、その瞬間に体を乗っ取られただけに過ぎない。二つの意味(自分も・性処理対象も)でティッシュのように利用されて使い捨てぽいって事だ┐(´д`)┌ヤレヤレ
野性という漢字を使った時に出てきた野生との意味の違いに納得した
野生:自然の中で生育
野性:ありのままの粗野な性質
つまり、性的興奮というのは、一般的には人間の男性・女性など外的な異性というエネルギーに内面の野性が共鳴して起きる振動エネルギー
理性はその力の暴走を抑えるために、内面から湧き出て海底火山のような情動の波紋を抑える波紋を出して打ち消そうとするが・・
まてまて、落ち着け!冷静になれ・・・ゴムだけはつけろよ? ← 野性に負けてる例
異性に惹かれて出てくる野性という内側からの肉体的五感による体験を求める振動エネルギーは強い
このエネルギーを求めるのが「霊」
霊とは肉体を持たない意識のために肉体としての五感を求める
自らの霊が常に自分の体を意識してリンクしているから五感を伴う不便さを体感し「生」の歓びを得る
肉体がない霊=意識というエネルギーは体感を求めるゆえに、そのエネルギーを求める体である憑依体(アバター)を探しているというより、磁石のようにお互いそのエネルギーが自然に求めあう
異性に対する免疫がない=「自分とは違う存在」を「意識した瞬間」からドキドキする
ドキドキとは内面の湖に波風が起き波紋が広がるという事
その特定の異性に目を向けさせてるのも自分の中の野性(本能)であり、その異性にもまた異性(他人)から求められるエネルギーを感じる事によって、その「内面に惹きあう感覚」があれば、おのずと「両想い」となり
その口から発せられる言葉や声質は、耳から入り甘美な響きとなり、その体から発せられる匂いや感触は、領域に広がる癒しの空間を生み出し、お互いの存在がお互いの存在エネルギーの力の源となる最高の状況はとても心地よい共存
私は小学生の頃から大人になるまで、一途な想いの中、その「特定の異性を想い続ける無限エネルギー」と「その人さえいれば他はどうでもいい」と感じる原動力のすさまじさを経験しました
と同時に、その最高の状態の心が壊れ、原動力を失う事=自らの本質を見失う喪失も経験した
その純粋な経験があってから、本質的や野性で異性に惹かれる事がなくなった、逆に言えば野性がお互いに惹きあうという魂・霊の感覚はとてつもない貴重な体験だったために
それを越える異性を見つけるまで、他に影響されないという強い精神抗体を得た訳ですけど(笑)
だからチャクラのグラウンディングという、土台を安定させるという、第一チャクラの重要性というのは、内面から肉体のコントロールを奪おうとするの魔物(未知の自分)と
外面からその魔物を引き出そうとするエネルギーの干渉に支配されないために
まずは内面の魔物の正体が自分の本質だという事に気づいて、その本質と向き合う事。そうすれば、まずは自分の内側から湧いてくる本質的なエネルギーの波紋のカタチがわかる
何を求め?何をしたいのか?何をすれば満足なのか?
それがはっきりすると、外から入ってくるエネルギーによる波風と形状が一致して共鳴するかどうかがわかるようになり、自分の達成したい目的・得たい経験とは違う!と違和感を察知したら、それを打ち消す振動エネルギーの波紋を出す事ができる
そして、途端に興味がなくなり、心は穏やかに波風を立てずに冷静になる
これが第一チャクラのグラウンディング=明鏡止水
敵を知り己を知らば百戦危うからず ってね( ̄ー ̄)ニヤリ Σ(゚Д゚)
まず体をコントロールする力の源のグラウンディングできずに乗っ取られると、そこから全ての力が暴走します
例えばそのエネルギーの在り方を外に向ける例
第一チャクラは痛みを感じない・和らげるというフィジカルに五感に影響する力を発揮するため、その力を他人を傷つけるために物理的な攻撃に用いても、痛みに鈍い=自分の体も他人も深く傷つけても何も感じない。他人から攻撃されても痛みが軽減されるために、致命傷に気づかない等
ではこの同じエネルギーの力の在り方を内に向けるとどうなるか?
物理的に体感する痛みや暑さ・寒さも鈍感になるという事は、それは忍耐力にもなる訳です
もちろん、100%とは言わないがかなりのレベルで緩和する事ができる事は、先日の夜中の体感-5°の雨風の釣りでも再び実感できました(笑)
第一チャクラは肉体的な攻撃力と防御力のコントロールです
チャクラが生み出すエネルギーは自他を傷つける諸刃の剣
ゆえに、武道には力の扱いの精神性が求められる訳です
大いなる力には大いなる責任が宿る
冷静になるとは、肉体の支配権・霊(意識体・エネルギー)が入る隙を与えないという事
この精神性の部分を理解するのは、もっと上のチャクラ部位の明鏡止水に至れば、わかってくると思うけれど、まず第一チャクラというモンスターを安定させるためには、知識か先に体感が必要だと思います
私はそのモンスターの正体を知り、そのかつてモンスターだったと思っていた存在が求める事がはっきりしているため、今では私がその本質そのもの
乗っ取られたではなく融合・結合して一つになった感じ?(笑)
この感覚に至れば、その内面と自我との融合・・だけじゃなく次元を超えた統合の感覚がわかってくると思います(この次元にはない知識・共有アクセス)
明鏡止水で止まった空間を創り出すという作業をするという事は、逆に言えばその空間は安定してない状態が前提
その空間は「心」だと思う
こころはカタカムナの言霊読みすると
次々と転がり(入・出)る空間
心がからっぽ・心が空虚・気持ちがあっちこっちと定まらない・心が充たされていない
ゆえに人は足り無い物を「外」に求めるようになり、「その足りない何かですよ~!」と隙間に入り込むのが肉体を持たない意識体というエネルギー=霊
あんな事いいな~できたらいいな~あんな夢、こんな夢いっぱいあるけど~
あんあんあん、とっても大好き、どらえもん(心が空っぽの人間の身体)
のび太という意識体が出す言霊は欲望の化身・たまに仏の精神
どらえもんという器は欲望のままに叶える力そのもの
これが人間の本質、道具(肉体)は人(霊)の使い様(ドラえもんだけに)
人間の体を器にして、五感を伴う体験をしたいなんて意識を持つエネルギーはそこら中にたくさんある。人が人の弱みを探し漬けこもうと隙を狙うという本質があるが、例え失敗したとしてもその思いのエネルギーはどうなるか?
目に見えないから消滅する?存在してない?と思うのはとても都合がよい話で、目に見えないWi-Fiがそこら中に飛んでるように、人から人へと、同じようなエネルギーを抱いてる・求めている人へ伝染する
特定の異性への強い興味や執着というエネルギーは生霊(想い)だったとしても、発信者が興味を失ったり、その対象がいなくなったりと効果が薄れればいずれ気枯れて消えるが
その最初の目的は忘れた穢れた氣となって伝染すれば、誰でもいいから!になっていき、そういう衝動的な犯行を起こす要素を持つ心が隙間だらけで欲望や願望を持っている人間に入り込んでそれを実行するエネルギーを与える
これを 魔が差した と後で後悔して反省する
だがこれは悪い霊(例)であって、良い霊(例)も伝染する
誰かが困っている老人を助け感謝されている姿を見てほっこりした。その時は動けなかったかもしれないが、次は自分も人助けに動こう!という意志が生まれるのもまた、外から五感の視覚と聴覚から伝わったエネルギーに対し、内側の本質の自分が、そう!それよ!と共鳴したという事
ここで悪い霊(例)だと それを目撃した瞬間に、ケッ(・д・)偽善者が!という不愉快な感情になる可能性もあるが、それがあなたの本質
結局の所、Wi-Fiのようにそこら中に良い氣も悪い氣も溢れてる訳で、都合よく共鳴している氣は受け入れているのに、気にしてないから気づかないだけ
存在してると考えも想定もしないから存在も認知もしてないだけ。実際に、音波には立体的な幾何学形状があり、それを我々は周波数として体が振動で感じている
みんな与えられた教育や常識の概念という先入観の檻の外を覗こうとしない┐(´д`)┌ヤレヤレ
もっとわかりやすい例をあげよう
真冬の吹雪の中街角の一角に、ドラム缶でたき火をしてたエリアがあるとしよう。寒さで体が冷えきっている人は熱を求めるが、それは他人のモノ(得体の知れない)であるから普通なら近寄らない
しかしその寒さという体感に肉体が支配されると、熱エネルギーを求めてしまうために、通常の状態ならば近づかない異質な場所であってもその求めるエネルギーによって引き寄せられてしまうのだ・・
飛んで火にいる夏の虫=誘惑=誘われ惑わされ ってか?
これが心の隙間を持つ人が意識というエネルギーに肉体を支配されるという事であり、心が肉体をコントロールできてれば、その異質なものに引き寄る事はないという例
君子危うきに近寄らず ってか?
この世の目に見えないからくりが少し見えてきたでしょ?
心を穏やかにするには以下の注意点がある
内面の自分が求める野性=霊がありのままに摂り入れたいエネルギーを知る事
(心)氣を充実させるためには野生(霊)の求める自然な導きで経験を行う事
氣が充たされているかを確認するために呼吸で内観する事
外からの誘惑・内からの思考の振動・共振波長を感じ取る事
その発生源を特定し、その問題に向き合い必要なら増幅・不要なら消滅させる事
肉体のないエネルギー=霊 といえば、浮遊している人間のカタチをしたお化け・・というのは造られた恐怖洗脳の死生観による思い込み
じゃ、それって何なのか?
言葉=言霊には霊が宿る
言葉は人を傷つけもするし癒しもするカタチを持たないエネルギー。だから霊が入り込む=憑依とは、他人の言葉=先入観・思い込み・概念という情報が入り込むという意味
知らぬが「仏」人は夢(無)になれるってか?
そうだね、明鏡止水になる状態って、一言でいえば無
波風が立たなければ、そこは0次元※一本線引けばそこに境界が生まれて一次元
外からの誘惑・欲を遮断する事で、本質的に気づかなかった事に気づく空間。心を呼気で氣を充たした事で、その充たされた静寂の水面の下から、ぽわっと泡が浮けば、それは何かな?と覗くのは本質の潜在意識が導く野生の夢の旅の始まりでもある
仏=イムを忌むとすると、知らない事は穢れた事・不吉な事・禁忌となり、グノーシス主義でいう無知・ひとつの事に囚われるのはあわれで蒙昧な事ともなる
イムを異夢としてもおもしろい
同じ仕事や、同じ立場にあっても、人はそれぞれ考え方が違う、ということのたとえ(同床異夢)
知らない事は知らないで、価値観や魂が求める経験が別のほうが、人それぞれ、十人十色でお互いに学び教え合えるいい結果になるとも取れる
ウム( ̄∇ ̄)言霊とは悟りよのう Σ(゚Д゚)
心が氣で充たされて入れば、外から霊氣という意識を持ったエネルギーが入る隙魔がない上に、隙間がないからこそ、そこに無理矢理入り込もうとする異物に気づくようになる
心が振動する事は悪い事ではないが、それが自らの内から湧く意欲か?外からの欲か?が、自分自身の本質を知ってグラウンディングできてるかどうかの鍵
第一チャクラをコントロールすると、極限のサバイバルでの生存率を上げますが、それを他人を攻撃するために使うという悪意のエネルギーに支配されてはいけません
あくまでも自身が耐え忍ぶ忍耐力という自分を活かす事で他を助け活かせるという活人の精神性で使ってくださいね
モンハンでいう所の刹那的な一撃必殺の火力の代わりに一撃即死の防御ではなく、物理属性防御特化して生き残りヒーラー役として仲間の活躍を支えるのもまた火力
と、同時に意識体=肉体を持たないエネルギーに支配されそうになる時はここが肝なので、霊的体験・夢・明晰夢・特に幽体離脱など、精神世界を体験したい人は・・
努々(ゆめゆめ)お忘れすることなく・・って伝えようとしたらこういう漢字なのか(“´_ゝ`)フーン
私は夢々(ゆめゆめ)のほうだと思うけどね、精神性に訴える言葉ならね?
ここまで表現してきた事は、そういう専門の座学の知識ではなく、あくまでも私の独自体感を言葉に落とした時に
内観・・という表現も借りてきた言葉で伝わらないし・・
意志氣をした呼吸・・という造語でも伝わりにくいな・・
という時に、これか!Σ(゚Д゚)と府に落ちたのが明鏡止水というイメージしやすい言葉だったという気づきのお話
途中で自分ですらすら文章書いてたら出てきたこの三つはこれからの人間性の本質ですよ(笑)
のび太(五感の体験を求める言霊エネルギー)どらえもん(からっぽな肉体)
人の心にコロナという恐怖を与え、隙を作った所にワクチンで収まるというマインドコントロール騒動
ゴールはムーンショット計画(人間をAIと繋げてアバター化)
ここまで揃えばもうわかるでしょ?人間とは何か?の概念をメカニカルな物質に置き換えていくトランスヒューマニズムへのエネルギーの潮流が
これは霊的な言霊が発端となった精神支配の戦い
肉体を持たない意識体(菌)が肉体を持つための憑依を防ぐ戦い
レイワ(言霊読み)から始まっていて、全ての鍵は日本が持っている
人造菌VS自然菌の戦いでもある
失敗すれば色んな常識の嘘が表に出てくるから無理を通して道理を引っ込ませる。偽物が本物に取って変わるための最後の精神支配・・を一体、何回繰り返してるんだ?っていう古代叡智の予言
たぶん、この現実に起きてる騒動でも、心が動じない=心が穏やかな人っていうのは、自由意志の選択でやりたい事・自分が求める経験をしていて、足るを知る者は富む=心が充たされている状態
だから、必要のない異物を無理矢理入れられようとしている違和感に気づいて、声を上げてるんだと思う
第一チャクラをコントロールしなければ、簡単に入り込まれて、肉体的強化や精神的弱体化など自由自在にされてしまう。ゆえに第一チャクラをコントロールするという事は肉体的強化、精神防御を自在に操れるグラウンディング(自由意志)を持つという事
ここが大事な始まりであり帰巣点でもある
初心、忘れるべからず ってね
時代を越えた先人達の知恵って、状況を一言で説明するのにすげー便利(笑)これが言霊に込められた意志のエネルギーの力だからこそ、正しく受け止めれば正しく使う事ができるが
それをどう使うかという正解は人それぞれなんで、自分で様々なエネルギーの在り方に触れて見つけてください
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