好奇心

直感・閃き・気になる事探究を楽しむ

49日の不思議 納骨で出逢う星供曼荼羅 虎の巻=真理の原典に至る

母の納骨の時の法要で入った御堂を観察した時、見た事ない曼荼羅が異常に気になったので調べていくと…人生はRPGのように(艮の金神に)導かれていると感じたお話

星供曼荼羅

釈迦金輪を中尊とし,周囲に九曜や北斗七星をめぐらす曼荼羅。 北斗曼荼羅とも称される。 釈迦金輪は釈迦仏の仏頂より出現し,中央須弥山(しゆみせん)上に結跏趺坐(けつかふざ)して両手で膝上に金輪をとる

星曼荼羅は星供曼荼羅・北斗曼荼羅とも呼ばれ、天変地異や疫病などの災いを払い、また延命を祈る北斗法の本尊として祀(まつ)られます。 中国の陰陽五行説や占星術、道教の影響を強く受けた曼荼羅です。

インドではごく古くから、十二宮、二十八宿および九曜の星占が発達していた。北斗については、正法念経に、「外道、北斗七星と謂う。…北斗七星の常に現るるを見、この星よく一切の国土を持すると謂う。如実を知らず」とある。

中国における北斗七星の信仰は五行説にもとづくといわれる。密教は星占による加持祈祷を重点とするので、インドの星占に中国の北斗信仰や初期の天文知識を習合して、星を神格化した曼荼羅を作成した。北斗曼荼羅といわれるのも、この七星の神々が北極北辰の座を中心として天を周り、陰陽四時を定め、九曜(日、月、七星)の神々を支配し、人間の運命を主るものと信ぜられたからである。

釈迦金輪とは

釈迦金輪は,螺髪(らほつ)形の釈迦が須弥山頂で法界定印を結び,印の上に金輪を置く姿を表し,大日金輪は,宝冠を着けて智拳印を結ぶ金剛界の大日如来が日輪の中に表されたものをいう。…

母の納骨の法要を行った御堂には弘法大師の人物像(めちゃくちゃリアル)他、色々あった中で・・一際私の目を奪ったのがこの『星曼荼羅』

周りは7×9
中間は5×3
中は3×3

…の中に『法則性のない7』と中央にひとつ・・直感で『北斗七星』と捉えるとこれは『妙見=北極星信仰』

住職は天台宗と言っていたのを聞いて、『天が台』になっている宗派=『天文』

星曼荼羅と言っていたが、上記(後で調べた)に書いてる通り『北斗曼荼羅』ともいうらしい

これは私の中では少なくとも『三つの信仰がひとつになった』と感じた

釈迦=大日如来=妙見北斗信仰

天台は『天を台本(教え)』にして説く
天を『文』で伝える、『星を読む天文学』

その土台…いや天台が『釈迦』
しかしそれは『北斗七星』を携えている

そして古来よりこの『七つの星がずっと空に陣取っている』、その教えを『外道』と伝えているのは

七つの大罪の滞在(ずっと陣取ってる)
しかし、『上に七つ』と書くと虍(とらかんむり)

トーラは『原典』で冠は『王の証』
虎の巻は『タイガーロール』と言うが
ロールは回る=『回転』
ロールは『役割』

回転しても『原点(上の七)』は変わらない
『7つの役割』の星は巡る

これは『七英雄』『七人の悪魔』になる
『万物は流転』『善悪光闇の輪番制』
その『白黒』併せ持つは『大天使ルシファー』でもあり『堕天使サタン』

確か『具象神』となる善悪の監視の鬼は
14日後の『15日が鬼宿日』でその後交代(7×2)

…なんだろう、何か法則性が…
その虍の下で私は『思』う(´-`)oO

すると『慮』(おもんばかる)

相手や状況を深く思いやり、慎重に考慮する

慮る 重ん場軽 幽閉の向こうで…

上の七の下で思いを巡らす
虍は千里をかける=『母が子を思う気配り』

虍=上の七に意識向けると『妙見』

天空から人を見守り、方角を示し、人の運命を司る神

『妙な見方』になり、『妙な物事』を見つける

11次元

…なんで『星曼荼羅』にこんな『7が…』

だけどもうひとつ、私はこれをさらにもうひとつ『伝承』に繋げる

アヌンナキと七人の統治

アヌンナキが置いた7つの滞在と邪な5の計画のcube

惑星にビル立てて金に屯する奴を搾取するアヌンナキ

金は天下の間外物?

宗教とは違う観点の『古代宇宙人』と言う、『フィクション』か『ノンフィクション』か分からない話だが…

共通点は 『金』である

釈迦『金』
大日『金』
アヌンナキと七人の子による統治下で作り出された遺伝子合成の『金』の奴隷(レプティリアン)

これ…(´-`)oOまた『艮の金神』か?いずれにせよ『北と星』と言うキーワードを覚えておこう

所で納骨の時にまた気になる風習?因習があった

施餓鬼の『せ』が気になる

50個の餅の内、49日分の餅のひとつを
後ろを振り返らずに投げる(゚Д゚=)ノ⌒

これを『施餓鬼』と言う

死後、餓鬼道(がきどう)に落ちて餓鬼になった人や無縁仏など、飢えに苦しんでいる死者の霊魂に食べ物や飲み物などを施して供養する法会(儀式)のことを「施餓鬼(せがき)」といいます。 正式名称は「施餓鬼会(せがきえ)」といい、「お施餓鬼」と呼ばれることもあります

お坊さんが言うには、「餓鬼はとても恥ずかしがり屋で姿を見られたくないから、見ていると余ってる一個を取れないので、背を向けて放り投げて決して振り返らないで下さい」と言っていたが…

(´-`)oO{私は直感でこう感じた

施餓鬼ではなく『背餓鬼』だろう

死に関する行事には『北と鬼』がつく
死なば『鬼籍』に入る
死人は『北枕』
負ける事は『敗北』

そして『背信行為』とは裏切りだが
『北の月を信じる行いの為』が裏切りと書く

そうなると『敗北して飢えた餓鬼』とは
『親を殺された鬼の子達』である

つまり『親を失った物乞いの子供』であり
施しなら『放り投げずに渡せばいい』

『仏の慈悲』すらないのか(´-`)oO

そこでピンと来た

廃仏毀釈は廃仏『鬼』釈

廃仏毀釈とは、仏教を廃すること。「廃仏」は仏法を廃し、「毀釈」は釈迦の教えを棄却するという意味である

廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)は
廃仏鬼釈=『仏も鬼も釈迦も廃する』

だとしたら…この行事自体が『敗北』した『北の鬼の末裔』に対する『嫌がらせ』

『戦争で負けた日本』がGHQに『戦前の教えの教科書を黒塗り』させられたのと同じであり

「キブミーチョコレート」と進駐したアメリカ兵に近寄り「おらよ(゚Д゚=)ノ⌒」という施しを受ける『物乞いの子供』と変わらない

そして…またひとつここで、鬼に繋がるポイントを見つけた

星曼荼羅は『節分』のみ出す

住職が言うには「本当は星曼荼羅は節分の時に使って、3月にはしまってしまうのだけど、たまたま出しっぱなしだった」との事

節分=『鬼(なまはげ)の因習』

…その『たまたま出しっぱなし』だった、本来ならばこの今の時期(5月)に『絶対に私は目にする機会もない』はずの『星曼荼羅』に出会い

そして『艮の金神=鬼』について、おそらく今この世界で『一番気にかけて向き合っている私』

星曼荼羅=節分=鬼=北斗七星と釈迦・大日如来・金輪・金神・金の奴隷
背餓鬼=敗北して飢えた物乞いとなった鬼の子への放り投げる施し
廃仏毀釈→廃仏鬼釈=仏も鬼も釈迦の教えもを廃する

ここまで『伝える』か…いや、『気づく』か、いや、『運気が巡る』か!(´-`)oO千里をかける

そして・・夢は『潜象界』で『現象よりも先に起きる事を伝える』事がある(予知)
つまり、今回の発見はもう、あの夢を見た時に決まっていたのかもしれない・・

このイベントの前の夢の中で言われた言葉

「もうここまできたか!」

ここまで

独自体感論 歌声に導かれる明晰夢で感じた観世音

上(北極星)の七(北斗七星)の下で思う=慮
虍は千里をかける=常に北の空に七つの大罪は滞在し
虎の巻=トーラ(原点)で世界の役割は回る

…これもう『真理の原点(原典)』じゃね?

突然発動した手印 『臨』

これは自分でも驚いたのだが、この星曼荼羅を見た後に席についた私は、無意識に・・本当に無意識に『手を組んだ』時に

これになった

臨

あまりにもスムーズに、すっと・・手が組まれた時、(´-`)oO{あれ?なんかしっくりくる・・とずっとお経を聞いてる時から、「それでは合掌を・・」と促されている時もずっと『この手印』を組んでいた

帰ってきて気になって気になって調べたら『臨』という形だった

主に密教において、九字真言に対応する手印の一つであり、その意味は、臨める兵、闘う者、皆陣をはり列をつくって、前に在るとされ、邪気を払う意味を持つ. 「臨」は「臨む」という意味で、九字真言の最初の文字

私はその空間に『邪気』を感じたのか、それとも悪しき何かが入り込むのを『事前に防ぐ防御体制』をとったのかわからないが・・

上記の『施餓鬼の説明』を聞かされた時に、(食べ物を粗末にする・・投げたら振り返らず放置・・施しは手渡さない・・仏の慈悲はないのか・・)と言い伝えられてきたという教えに対し、真向から『違和感』を感じたのも・・

もしかしたら『この因習を受け入れられない』という『臨』によって邪気が入るのを防いだのかもしれない

不思議だ・・『形や知識』から入るのではなく、『自然にそれができた』という事実

私はその時、餓鬼となった『鬼子を思う親(鬼=滅ぼされた先祖)の気持ち』だったのだろうか・・

私は以前、『九字護身法』に触れ、それは・・『久慈護身法』ではないのか?と解釈を変えていた

九字護身法に想う鬼への畏怖(久慈護身法)

手印自体は同じでも、久慈の護身は『慈しみが身を護る法』として捉えていたが・・今回は護身の『護』も互換の『互い』かもしれない

『久慈』『互身』に向ける法=『相手の気持ちにもなれ』
として初めて聞いた施餓鬼のやり方や考え方には『納悳できなかった』のかもしれない

とりあえず『手印』というのも、とても大事な事だと実践で学んだかもしれない(一人一)

天台宗は『天を台』にした『文を本』にする
『天の台本』と言う『星読み』と言う事はわかった

これは宗教と言うよりは『事象の観測』
まさに『チ。』の『天文学宗教』なのか

天を台本にするなら『土台』を作るのが『地動説』

概念の天地返し 漢字で『チ。』を動かす

禁断のチ。の巫

どっちにしても回る=『ロール』
どっちにしても回る=『宗教の役割』

これは『現象の観測』と言う『基礎研究』だから、『目に見える物事』しか見えないだろう

つまり、『精神論には至らない理系』かな(´-`)oO{

忌み嫌われた『鬼』
近づいてはいけない『鬼門』
それは『北極星』の事だろうか

(´-`)oO{北極星に意識を向けて見るか

・・ここんとこ夢でも現実の導きでも『艮の金神』フィーバーやで(笑)

コンクラーベ CONCLAVEのアナグラムは…なんと

豆粒のレッテルに隠された 艮鬼と心構え

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