人が生きる為の本質は欲望…なんて難しい事を考えず、シンプルに捉えれば、息苦しくない生活をする事だけという酸素ボンベの例え話
人が生きる為の本質は欲望?
通常は自尊心だったり社会的地位・金だったりするが、実はそれはただの『後付けの設定』と誰でも理解出来る例えを思いついた
地上と海底で『最も欲する物』が変わる
人は陸上で生きる上で『当たり前にある空気』を『当たり前に呼吸』して『息苦しくない生活』をしている
その上で『アレもコレも』と求めて、自ら『息苦しくなる行為や立場を欲する』が…そんな人間を海底に放り込んで見たら、1分もしないうちに『置かれた状況』を悟り
『浮かばれない原因の繋がり』の何もかも全てを自力で手放して脱ぎ捨て『裸』になってでも『浮力』を得て、『海面に出て空気を得よう』とする
つまり、『息苦しくない状況』である『安定して穏やかな呼吸』を求める
それは『物への執着を手放し自ら解脱』する
『息苦しくない環境』を求めて『心に素直に行動』する
まさに『息=自らの心(生き様)』を求める状況
『水面に成仏』して息を『吹き返す』
「あぁ生きている」と安堵する
たゆたう海面の波に身を任せ、ぷかぷかと浮かび流されながら、流れる雲を見てゆっくり呼吸して安心する
「息苦しくないって素晴らしい」
自ら支える心、自然は古くなく
主の糸、日の主と月らしい
( ´꒳` ) .。oOシンプル分解読み
『物質欲に囚われる人の世界』とは『寿命』という『見えないボンベ』背負って『約100年潜る』ようなもの
段々『息苦しく』なって
段々『身につけた物で重く』なって
段々『浮かばれなく』なって
その『息を引き取る』までの『人生』
『争い』とは『酸素ボンベの取り合い』という『海底では最も醜い行い』でお互いの『寿命(酸素)を減らす消耗』
でも『気づかない』だけ…気付かせないようにされてる
それに気づくきっかけが『死を体験』して目覚める事
先に行っておくが今から言う死とは『人の概念の死』である
『常識的な死を確認』する
『社会の正常性』が狂った
正しいのは自らの心
『人間関係の死を確認』する
狂った社会に『迎合した人間』は社会が狂った事すら『解らず狂った』
正しいのは自らの心
『生命的な死を確認』する
人の命、寿命、授かった遺伝子、人の『科学の傲慢』、『愚かな精神』『金に屯する鈍さ』。それを弄ぶ『人でなしの支配』の中で行われる自然循環すらも歪ませた『大量の種族の生殺与奪』
動物実験→人間に適用→『人間をコントロール(ロボット・操り人形)』にする『反吐』が出る思想
『生命の自由を奪う世界』の『生命という死(傲慢)を確認』する
例え『抗えない』としても正しいのは自らの心
こういう気持ちになった時、この『概念世界の死』を『受け入れられないと認める事』を受け入れ『認知』が変わる
その『死の先を想定した心』に素直に従う
私は『自ら酸素ボンベを外した』
『死を受け入れ覚悟』した…というより『死とは何か?』を向き合う覚悟の意識になった
そしたらどうだ?(笑)
『息』苦しくて、物の1分立たずに悟る
① 身の回りの物事を断捨離して9割手放し
②自らの生活習慣を見直し健全な精神を求め健全な肉体になり
③ 意識が遠のく世界(夢)で先人達が「(*」´□`)」こっちだぞー」というように浮かばれない者を助けようと苦言やアドバイスをくれる声の心に耳を傾け恥を知って反省するようになり
④人事を尽くして天命を待つ…と『自我でもがく事』を止め『浮かぶ流れ(龍)に運ばれる』ように
『自らの心=求める息の域』を目指して、気がついたら水面に顔が出て別世界を目の当たりにして『息を吹き返した』
それで自然の空気の『人の悪意のない波動』を実感した
『人の概念』というのは『酸素ボンベ』だが、人はその酸素ボンベに『自ら毒』を入れ始めた
だからその『毒が回る前のタイミング』で元の空気を吸えるだけ吸い込んで『息を引き取って』ボンベを捨てなかったら
その『遅効性の思考停止ガス毒(ショックドクトリン・正常性バイアス・ニューエイジ洗脳)』で
頭がぼんやり『自発的に何も考えられない』ようになり、4〜5年、『正気を取り戻す』までやりたい放題めちゃくちゃにされ何が起きたのかわかってない
だけど『目を覚まさせる』のは簡単で
『酸素ボンベ(常識・概念・寿命)』とってみ?
息苦しくなって『深く息を吸いたくなる』
この時、『二度とその空気を吸わない!』という『息を引き取る覚悟(死と向き合う)』があるなら
『酸素ボンベを付け直す』という『愚かな選択』は無いだろう
しかし、また『目先の酸素ボンベ』を吸ってしまったら、今度は『深く深く深呼吸して吸い込んでしまう』ので…救いようが無くなる
私がやってる心を軽くさせるライトワークとは…例えるなら
『外(夢・別現実)の自然の澄んだ空気』で『酸素ボンベを補充』して戻ってきては、正気を取り戻そうと息苦しい意識で朦朧としてる『変性意識状態の人』に
『自然の空気』を吸わせて、( ゚Д゚)ウマーと意識をはっきりさせたら、ダイバーの指示のように
∠( ゚д゚)/浮上ok?↑↑↑ (´▽`)/了解
一緒に『ガイドとしてついて浮上』する
この場合、苦しくなったら『ボンベから空気を和足す事』もできるし、一度『自力で浮上してる経験』があれば、『ボンベ無しでも行き来』できる確信がある
これで捉えると…
レスキューに『救われた者』が
レスキューとして『救う者』になる
RE SCUE
スキューバダイビングの『scu』は
Self-Contained Underwater
これを元に読むと
自己供給で水中に戻る(笑)
『自力』で『1人を救える呼吸(息の仕方)』を身につけるとも読める
res cue とアナグラムしても面白い
resはレスポンス(応答)
cueはきっかけ
酸素ボンベを『外す前』から
酸素ボンベを『外すきっかけ(夢見)』があった
そのきっかけに『応じる覚悟(夢探求)』ができた
そして「昭和・平成、今まで有難う」と吸えるだけ吸って「令和?さようなら」と
『現実の概念(偽)』から『息を引き取った事』で『別の世界で息を吹き返し』、『自らの心』が自由でいられる『息苦しくない領域』があるのだ!と『メッセンジャー』となり
『自己表現の弥勒』として『妙見狸ᐢ⓿ᴥ⓿ᐢの訳詞如来』として『ライトワークの言霊レスキュー』をしている『道理に納悳』できる
…となると、やっばり『大乗仏教』は自力で浮かばれる『導線が無い』から『無理』だな(´-ω-)『道理』が無い
『道(タオ)の理解』が無い
今回の私の例えが、『執着』を手放し『解脱で成仏 』
その『先』に『自然の空気の恩恵』
「この息苦しくない世界こそ真のタオだ」
…と『道理』がわかった上で『無理に潜る事』で『息(自らを支える心)の域』へ繋ぐ『救いの導線』が出来るが…
それは『一人の心』が和になって『大和』
その一人が『救った一人』が『誰かを救う大和』
『塵も積もれば大和成る』先の世に
結果的に『多くの人』が『自力で救い』、『自力で救われ』の『一人で救える和多志達=ダイバーシティ=多様性』となる
そのきっかけ=『cue』が無い
『Q』が無い
『求』が無い
『究』がない
『吸』が無い
『問題』を『問題として捉える観点』が無い
「大丈夫、大丈夫、誰かが救ってくれるよ」という曖昧でなあなあの『笑気ガス』でも吸わされて正気を見失ってるのか?という『他力本願』の思考停止
『釈迦』がなぜ『釈迦』なのか?
それを『自己解釈』しない、させない『思考停止の教え』は『教え』のまま『修業という実践』に至らない、『修験道』を廃してしまう
『出家』という名の『在家の引きこもりの生臭坊主達』は、『主集団的執着』が強く『根本的な問題』を『問題として捉えない=観て見ぬふり』
釈迦という『名は体を表す漢字』の意味が『全て』だ
釈=問題を解決する
迦=巡り合う
『問題に巡り会い解決』する
『自力の行動と実践』こそ『釈迦という名』の力
莫迦という『名と体を表す漢字』の意味
莫=漠然とした、広大な、掴みどころが無い
迦=巡り合う
漠然とした広大な掴み所が無い何かと巡り合う
掴み所は無いがとにかく広大で( ゚д゚)す、すげぇ…と『意識の観測視野』が広がる
『莫迦のひとつ覚え』とは
漠然とした広大な『夢の空間を彷徨う事』
有るし無いしの『可能性の世界』に囚われる
だから莫迦はその中で『巡り合った物事』、『自分で体験した事』を『忘れない為に弥勒』になる
弥勒の名と体を表す漢字の意味
弥=あまねく・すべて
勒=石に彫ったり、歌や詩にして自己表現して記録する
莫迦のひとつ覚えの中で、弥勒となって『体験』を求め『経典』を書く
『ひとつの世界として気締め』がついて『出口』が生まれる
これで莫迦に『入口と出口』を見出した弥勒は『ひとつ覚え』ではなく、『出入り自由な即身成仏=生きながら仏』となった…
釈迦は『結果論』であり、『過程にある行動』として『縁の下の力持ち』になって『莫迦のひとつ覚え』を『自己表現の弥勒』へ導く『道理(タオ)』の流れ(龍)である
この法則を先程の『酸素ボンベの世界からの解脱』と置き換えても成り立つ
きっかけはres cue
きっかけに『応じて答える事』
そんな世界は『ほっとく=仏悳』
では『仏の世界』とはなんぞや?
→莫迦のひとつ覚えの世界を
泳ぐようにたゆたうように、流れ流され出口は見えず
ただ『海底』から『浮上していく過程』で見る
見た事のない『海の景色(夢物語)』
『出口が見えない』としても『この旅の経験』を『夢日記に遺す』と…
『息苦しくて浮上』を目指したはずが…いつの間にか『呼吸法』を身につけ『息苦しくなく』なり、『余裕』が出てきて『夢物語を楽しむのが目的』となった時
さっさと上がってこーい(・ω・)c<´ロ`)ノ強制成仏
本末転倒は倒れて転んだ末の本だから
一旦こっちに出てからやれ莫迦!
(‘д‘⊂彡☆))Д´)パーン
ま、そんなこんなで『大乗仏教』って、『教えは良い』けど『机上の空論』で、『引きこもりの理論武装』のようなもの
「じゃ、実践しようぜ?」というのが釈迦の『初期仏教』
『体感』無くして『理解』無し
『言う』は易く『行う』は難し
『百聞は一見にしかず』というけれど
『一回見た程度』じゃ『体感は無い』から意味はなく
『一体験』をすれば『百聞は無駄』と気づく
あるいは無駄ではなく『参考(偽=人の為)』にしかならないので『真は無い』と解る
理由は簡単で『体感の感動』もまた『十人十色』でみんな違う
『前提条件』がそもそも違うから、『あらゆる法則』は成り立たない
『成り立たない事が自然である』と認知すれば
『人の為、人の都合』というのが…どれだけ『不自然な同調圧力の息苦しさ』かわかる
だからといって、その苦しさから逃れる為に、『誰かを息苦しくさせる』という、『海底で限られた酸素ボンベの奪いあい』の様な…
『最も醜い生への執着』は…いずれ起きる
だって『酸素ボンベ(人→獣 ハルマゲドンという次元)』だからね?
そうなる前に『覚悟を決めて息を引き取る事』だ
『自殺する』という事ではなく
『金輪際』を見極めて
『二度と関わらない』と『腐れ縁』を断つ
幸いにもそういう『波動の高い自決の覚悟』を示せば、『レスキューのダイバー(潜って救う)』が応じる
それは貴方自身が『ボンベからの偽りの空気』を捨て、『心の海に素直に飛び込む』事で、『莫迦の空間の中』で『先祖達(ダイバー)』に巡り合い、『様々な不思議体験(ダイバーシティ)』をするだろう
∠( ゚д゚)/浮上ok↑↑↑ (´▽`)/了解
ま、私のように…その漠然とした広大な『夢の旅人』になって『虚無』になると
そろそろ上がってこーい(・ω・)c<´ロ`)ノ強制成仏
こういう『心が楽しい精神世界』が有る
私はこれが『胎蔵界』だと思っている
『息苦しくない領域』を求めて『浮かびたい』
そういう『理想』を求める為に
『与えられた概念』という『設定の酸素ボンベ』を断ち、『重い人間社会のしがらみ』を全て脱ぎさり『身軽』になり『浮世離れ』し始め
『上も下』も分からない『漠然とした自然の海』に抱かれて、『様々な未知との明晰な夢体験』をする
もうこの時点で夢に溺れて『人体には意識は無い』のかもしれない(オラは死んじまっただw)
でも意識は『体を気にする事無く続いている』から、『死というのは制限から外れる』だけで、実は『何の苦しみもない』と感じる
そうまさに、あの世とこの世の『境外線』
越えたら『戻って来れない』
肉体を持っては『越えられない』
だから?
『肉体はこっち』に置いて
『精神はあっち』に出入り可能(笑)
その代わり、『相互干渉』には『ルール』がある
それは…『お互いの領域』に『迷惑』をかけない事
どちらの領域にも言える事だが…
『人の領域』は『幽霊を見れば怖い』と言うが
『幽霊の領域』も『人(概念)が現れる事』が怖い
人は『霊に取り憑かれる』というが
霊もまた『人の概念に取り込まれる』と
『望まない魔が刺した行動』をしてしまう
人の領域では
『罪』を憎んで『人』を憎まずというが
霊の領域では
『人』を憎んで『罪』を憎まず
人という概念が『制限なき霊』に『例(レッテル)という制限』をつけ『特定の思想行動』を促されてしまう
そうなるとどうなるか?
霊界から『追放』→『人の世界』を彷徨う→取り憑く→『魔が刺す』…というあの世とこの世の『境を超えて繋がる因果法則』が生まれる
『悪さをする霊』とは…『人の概念』に染まってしまった『感情エネルギー』であり、『元』を辿れば『この世の人が生み出した自然に不自然な不条理として蔓延したエネルギー』
私は『自然に還らない人工ゴミの成れの果て』を幽界で観てきた夢を見た
だから、『木』と『氣』がひとつの『循環サイクルの鍵』
木は『二酸化炭素』を吸い込み『酸素』を生み出す
『不浄の氣』を取り込み『自然に還す』
『空気を綺麗』にするとは『人の心を綺麗』にする事
定期的に『自然環境に行ってリフレッシュする』とは、『綺麗な息』を引き取り、『汚れた息』を吹き返し『体内の自然を整える事』でもある
…という観点から観ると
『東京周辺の空気』って田舎の自然の空気を吸ってる人からすれば最初、『卵が腐ったような臭い』に感じるが…『人混み』に紛れていると、そのうち『人の臭い(化粧や香水)』の方が酷くて
『空気が澱んで汚れている』という事を『気にしなくさせられる』という『悪循環の空気』だから…
まさに『霊界』から『人の概念に取り憑かれて追放された悪霊(人の悪い感情)』の巣窟で、『類は友を呼ぶ』ように『外国からも同じ穴のムジナ』が集まり出して、集めだして…
さて、どうしたものか( ´꒳` ) .。oO(と考えたら理想論の結論は意外と簡単だった
『悪霊退散のブラックホール(虚空)』をピンポイントで生み出せば、『人』はそのままに『悪意だけ取り除ける』かも?
その場合、『人間性そのものが悪意で成り立っている人』は『もぬけの殻』のように『魂消滅する』だろうけど(自業自得の因果法則)
今度、『心に真言』で『進言』してみよう(一人一)
・・で今日の話をまとめると
酸素ボンベの空気(与えられた空気)が当たり前じゃなくなった時(毒ガス・笑気・麻酔)
それを『吸い続けるものは思考停止』になって『自力』で浮かばれなくなるが
与えられる酸素の空気の『異変』に気付いた者は、もはや息が吸えないとなりふり構わず解脱と浮上を目指す
『生きる為』に一度『死を想定して覚悟』した上で、『死中に活路』を見だす
『偽り=人の為の生』に執着しないで、『真の生』を求める者が目覚めて浮上する
一人でも、浮上できれば、『真の生の空気(和心)を供給』できる
一人が和の空気を足す=一人+和=『大和』
救われた一人が『新たな大和魂を継承』し
そんな一人一人の『塵も積もれば大和となる』の復活
・・あ、そういう事か
『悪霊退散のブラックホール(虚空)』をピンポイントで生み出せば・・
これが、宇宙戦艦ヤマトが地球から旅立ち、イスカンダルへ探しにいった
放射能除去装置(コスモクリーナーD)か!Σ(゚Д゚)そして『D』の意志・・
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