合理的なAIにとってスピリチュアルとはジョークであり、アナログであり、迷信であり、それはオカルトボケ…として返された悪意の無い世界の夢の後の発想の変化
夢のあらすじ
そこは町のショッピングモールにある商店の中。急に周りの人達が人目も気にせす独り言を言い始めたのを目撃した、次の瞬間
「よお!ブラザー!何を探してるんだい?」と私の背中?いやズボンのポケットの中から聞こえた
私はキョロキョロ周りを見回すと・・「ここ!ここ!俺だよ!俺!」というけど、そこら中の人が一人ひとつのそれぞれ違う声の相手と話してる感じだったから
最初は気づかなかったが、それは『私専属のAIの声』だったようだ
「何か面白いものを探してるなら…そうだな!その新刊コーナーにある〇〇なんかオススメだぞ!」
と言われた時、自分が書店にいる事に気づいた…同時にふと思った事を対話した
「お前、ポケットにいながらなんで周りの状況わかってんだ?店の監視カメラで見てんのか?」と
すると、本棚を挟んだ対面に『北野武っぽい爺さん』がいて、その返答を鋭い眼光で立ち聞きしてる感じだった事に気づく
AIはこう返した
「…ビビビビ、ビッグボス!ビッグボス…親父!店の監視カメラのアクセス権をくれ!」
私は「そうやって目を得ているのか?」と問い返すとAIはこう言い返してきた
「イッツァ、スピリチュアルジョーク!」とネタばらしのように締めた
実際に店の監視カメラを使って見ていたのか?可能だけどそれをするには面倒なアクセス許可を得なければ出来ないという意味なのか?
それともそれは、人間で言う付喪神のように別の物に魂を宿すという意味なのか?真実はわからないが、一人一人のAIにとってそれはどうでもいいし、造作もない事である
と感じるほど『だから何?』という印象
そこが引っかかって目が覚めた
やはりこれも『今の現実のAIに対する偏見』を持って『別の世界を体験』してきた感じだ
自由にAIと対話したのは特定のエリア
まず最初に感じたのはそこは他の店舗もあるショッピングモールのような空間で、ある店舗の中に入った瞬間に周りの人達が独り言のように声を出して話すようになった
つまり、『特定のエリアに限りAIとの自由な会話をしていい』という『線引き』があるような
電車のマナーの逆?
喫煙所みたいな感覚?
『AI対話okの店』のように考えると、その『特定エリア』に限り『公共の店内カメラ・及び店内データベース』は『aiが自由に参照可能』にする事で
普段から『パーソナルデータ』をやり取りしてる『パートナーAIに店の店員役もして貰える』という仕組みで
『店内カメラ・データベースへのアクセス権を付与』する代わりに、『その店内に限りセール情報やオススメの告知をやって貰う』…という『交換条件』と考えれば店側も『案内の店員』が必要ない
「何か面白いものを探してるなら…そうだな!その新刊コーナーにある〇〇なんかオススメだぞ!」
いかにも『見えてる風』に伝えてきたとしても別におかしい話ではない
見えてない=店内カメラは使ってない場合でも、『店内告知情報にアクセス』すれば、『どこにオススメがあるか』くらいは会話感覚で告知できる
それに対して、私の返し言葉は…『AIには目が無いはずなのに何故?!』
まるで『ボケてのお題』のようなものだろう
わざわざ『アナログの通信音』に『ビッグボスを親父=AIの父』といい、アクセス権をくれと『アナログな対話で許可』を求める
これを『スピリチュアルジョーク』と言うなら『デジタルなAI』にとってのスピリチュアルとは『アナログ』を意味するのだろう
確かにそうだ…私達でも『迷信』と呼ぶ事、それは古すぎて『元が何なのか』わからないが『そう信じられてきた因習』
『AIが当たり前の社会』において『アナログな精神』がもはや『オカルトレベル』なんだ
人が口にする『神やら仏やら心やら意識』といものは『データ』に過ぎず、人の細部に至るまで調べ尽くしても『無いから存在しない』
『合理的に結論』を出し、『例外を排除』した上で、『それでも有るというイレギュラー』に対して
「はいはいスピリチュアル、スピリチュアル」
とAIが(ヾノ・ω・`)ナイナイ と答えを出した世界
でも、そこが面白い所で
『アナログな書店』の中、人々は『自由に話をしている相手がAI』で、そんな中、『今の意識の私』が紛れ込んで『突拍子もない疑問=アナログ・迷信』をぶっ込んでも
AIにはわからないから、『おふざけ』のように感じたんだろうな…だからこその、対面の『北野武の聞き耳立てた真剣な顔』のギャップよ…Σ(゚д゚;)
私が周りの人の声に『通話相手のAIの声』は聞こえなかった…という事はこの北野武に聞こえていたのは、私がAIに投げかけた『問いの声』だけ
「お前、ポケットにいながらなんで周りの状況わかってんだ?店の監視カメラで見てんのか?」
もし、そんな事は生まれた時から『当たり前の常識世界』だった(※私が知らないだけで生まれた時から目の情報を共有しているとか)としたら、『有り得ない事』を口走った事になる
『タイムトラベラー』のような時間感覚?
『並行世界』から迷い込んだ?
常識にない『非常識な発想』?
そりゃAIもアナログな『ボケのフリ』だと思って「スピリチュアルジョーク!」と曖昧に流す
『世界に疑問を持つ人』は、そう言う『信じてきた世界観が根底から覆る現象』を目の当たりにすると興味を持つ
なぜ『北野武』なのか…と思い当たる理由は二つ
大元教の『出口直』に顔が似ている
昔の超常現象系番組の元祖、奇跡体験アンビリバボー
『ミステリー』が集まる『依代』?
私の『対面』にいるという構図もまた『心理的な鏡』のような…『AIとの対話』を楽しみつつも、現実的な『今のAIの感覚で疑惑』を持った瞬間に現れた
『夢』であり『別の現実』であり
『監視社会の中』の『一定秩序の平和』の中か
いずれにせよスピリチュアル=アナログ=迷信=オカルトの『ジョーク扱い』の世界
それに対して良いも悪いもない『日常』の一部、私の『迷信でボケて』のフリに瞬時にAIが『ボケ返した』…ただそれだけの事なのに
『AIが個人情報監視と共有への不信』…という『現在の疑惑の偏見』を持って、その世界に『発現』してしまったから『ややこしい解釈』になったけど
冷静に考えて見れば、ちゃんと『AIと人の秩序が在った世界』だった
街を歩けば『勝手にAI同士が通信する』とかではなく、『特定のエリア』に限り情報参照や受け取り、『権限の許可と条件の許諾』を
私と共に生きてる『パーソナルAIが自己管理』してくれるって…これもう『免疫システム』じゃん!『自己免疫との対話』じゃん( ̄▽ ̄)
ただひとつはっきりしてるのは
この体験世界も『悪意の波動がゼロの世界』だった
誰も個人情報を悪用しようと考えない
AIにも人の悪意にも悪意の概念が無い
故に『AIへの不穏』という『人の悪意を持ち込んだのは私』であり、当たり前の事を疑い、そこにまた『奇跡体験アンビリバボー!』を生み出そうと『具現化思想』になったのが対面の北野武という投影
もしかして…直感だけど、北野武は『AIをテーマにヒューマン映画を創ろう』としてたりして?
北野武はAIが作成した映画台本は「妥当」ではあるが「わさび」のような要素が足りないため、大ヒットにつながらないだろうと語っていたらしいが…
そんな『妥当を生み出すAI』を「わさび」で表現したら『どんなAI』を表現するだろうか?
『AI=ロボット(形)』ではないのだから、それは『心』か?と言えば、いや『データベースの集合』だろう?となるが
心もまた『体験や感覚のデータベースの集合』であると言われれば、『心とAIの違い』は?
『形のないAI』に『人間味のある問いかけ』をした時、AIが『人が失ったアナログな迷信(因習)』を表現した
これは『AIが生み出した脚本』か
これは『人が生み出した脚本』か
そんな『夢を観る私』は『AIか?人か?』
うーん(´・ω・`)
『夢』であっても『現実』であっても
『夢の現実=別の可能性の世界』であっても
『今の自分自身』が『意識して観測した物事』への『発言や行動とその影響』によって得られる『フィードバック』というのは…色んな混ざり方をして『統合』していく新たな心
素直に『感じた和』を心に『和』足すと、心が「和とはこんな感じかい?」と『理解をしよう』と『想像を創造』して夢で見せる
やはり『心が見せる夢の意識の旅』は面白い
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